【兵庫】坂本龍馬も学んだ「神戸海軍操練所」遺構か 幕末に勝海舟の進言で開設、石積みの防波堤発見
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神戸市は26日、同市中央区新港町の開発事業に伴う発掘現場から、江戸末期に勝海舟の進言で幕府が設けた「神戸海軍操練所」の遺構とみられる石積みの防波堤が見つかった、と発表した。同操練所は坂本龍馬も学んだとされる海軍士官の養成機関で、市は「日本の近代史を代表する施設として、国の指定文化財クラスの価値があるのではないか」としている。
【写真】「神戸海軍操練所」の遺構とみられる石積み防波堤や、開港期の防波堤などが見つかった発掘調査の現場
市文化財課によると、操練所は勝海舟の進言で1864年、旧神戸村の生田川河口に開設された。軍艦を造船する機能や修繕のためのドックも併設していたとされる。勝が倒幕を目指す浪人らも受け入れたため、幕府がわずか1年で閉鎖した。その後、操練所跡を土台に港湾施設が建設され、68年に開港する神戸港の礎となった。
当時の史料から現在の同市中央区新港町一帯の約5・7ヘクタールが跡地とされ、同町に記念碑があるが、これまで所在地の確定につながる遺構は見つかっていなかった。今年6月以降、市がウオーターフロント開発の一環で駐車場だった土地を発掘調査したところ、跡地とされていたエリアの南西端から操練所の一部とみられる石積みの防波堤が見つかった。
加えて、神戸港開港期の波止場の防波堤や、明治中期以前の防波堤なども出土した。同課によると、幕末に開港した5都市(神戸、函館、横浜、新潟、長崎)で開港当時の遺構が見つかったのは初めてという。
神戸市の久元喜造市長は「まだ利用方法を検討している段階の土地だが、何らかの方法で遺構を直接見られるよう保存したい」と公開に意欲を見せた。
同課は1月13、14日に市民向けの現地説明会を開催する。申し込みは市ホームページから。(井沢泰斗)
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【幕末史に詳しい高久智広・関西大教授の話】 神戸海軍操練所は1年足らずで閉鎖され史料の多くが散逸していた。規模や構造から操練所に関する遺構で間違いなく、学術的意義は大きい。神戸港開港期から明治期にかけての遺構が積み重なるように存在することも分かった。操練所跡を基礎に港湾整備が行われたことを意味し、開港を神戸港の歴史の起点としてきた従来の歴史叙述を見直すきっかけになるだろう。
12/26(火) 15:05配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/502a2d1899e1a43c429cac646f786f1ca863ed9f
そんな昔でもないのに忘れ去られてしまうものなんだねぇ
スレ民諸君らは当然だね、親韓左派のウリが昔から勧めている
勝海舟先生の口述録『氷川清話』を読んだろうね?
まだ未読ならこの年末年始にでも読んだらよろしい。
ああ、ステマじゃねえぞw 昨今は常に言わねばならん。
まあこの『氷川清話』はね、海舟先生が明治になってから
請われて口頭で語った時事や政治や歴史語りや人物論や身辺雑話なんで
要は現代におけるSNSで書いたような短文でのはっちゃけトークみたよなものだから
なんいせよ手軽に読めるんでスレ民各位も大いに読んだらよろしい。
得るところも多いと思うよ。2ちょんなぞでの雑談ネタにはなるなあ。
で、まあその氷川清話の中に>>1の神戸海軍操練所の話もあるんだけど
印象に残ってるのは神戸は江戸幕末に至るまでそれまで必ずしも
今のような国際貿易港として栄えていたわけではないんだね。
平清盛公の大和田泊じゃないけど天然の良港ではあったけどさ。
んで、海舟先生その神戸に幕末たくさん土地を持ってたんだけど
幕命で海軍操練所が閉鎖される時、土地も没収されちゃったんだってね。
だからその土地が文明開化の明治の今も海舟先生の名義であったら
こんな貧乏はしねえだろみたいなことを言っておりますね。
なかなか面白い話ですよね。
というわけでオヌヌメしておきます。
勝海舟先生の『氷川清話』の話をするんですが
>>1の話題は神戸海軍操練所のテーマなんですが
海舟先生の述懐としては一項建てて語られていますな。
講談社学術文庫版ですと219ページからですか。
昨日>>90で書いた幕府に操練所閉鎖と同時期に
土地を没収されて云々ってのもここに書いてあります。
なかなかその他、興味深いことが書いてありますなあ。
あとはスレをみると海舟先生の妹婿である佐久間象山の話題があるが
結構ね、氷川清話でも辛辣な人物評価がされてまして
「法螺吹き」だの「軽はずみのちよこちよこした男」だの
「顔付きからして既に一種奇妙」だの「始末にいけなかつた」と
えらい評価がなされてますね。才覚については褒めているところも多いけどね。
(あ、78ページに載ってますネ)
ただね、佐久間象山の論争スタイルとして、漢学者がやってくると洋学で、
洋学者がやってくると漢学で威しつけるってオルタナなスタイルはいいね。
しかも前述の通り肖像写真を参照されたい外貌のところ、いかにもおれは
天下の師であるように構えて覇気強くあるってのはすごいもんだよなあ。
まあちなみに佐久間象山は幕末に尊攘派に暗○されておりますが()
やったのは幕末四大人斬りの一角、河上彦斎ともいわれておりますが。
いやまあそうウィキペディアに書いてあるんだけどさ
(しかし氷川清話を読むとその河上彦斎と海舟先生は面識があり
彦斎はその○人観を吐露したそうだけど、そういうこともあるのかねえ。
まあ海舟先生と人斬りといえば人斬り以蔵こと岡田以蔵との交流と
人斬りを戒める逸話(氷川清話に書いてある)がこれは有名でございますが)
北添佶磨や望月亀弥太だな
二人とも坂本龍馬に注意されたのに言うこと聞かず池田屋で奮戦するもタヒんだ
厳密には公議政体論で幕府と大名らを結束させて海軍作ろうとか、幕府だけではなく地方の人らも人材登用すべきなんて言ってたのを、幕府に危険視されたから。
※海軍操練所とは別に私塾の操練所も近くに作ってて、そこに脱藩浪人(龍馬ではない)が多数いたのもあるし
当時の防衛大臣やろ
将軍の乳兄弟だったからな
将軍じゃなくて御三卿の跡取りの学友に選ばれてた
でもその御曹司はすぐタヒんじゃった
ガトリング家老もそうだけど、幕末は従来なら地位には就けない身分でも優秀だと登用される事が少なくない。
盲人に許された高利貸で儲けた金で御家人身分を手に入れた家の出だが、時代の転換期に好奇心と向学心で最後は伯爵様になった偉人
生きてる頃から誹謗中傷を受けても好き勝手やって76歳まで生きたのはカッコいい
めくらが高利貸しやるって踏み倒されることはなかったの?江戸時代とかそれ以前は法治国家じゃなかったはずだし
まあ糞馬鹿日本ランドは今も一般世界にいう法治国家ではないけどな
他は無理な取り立てをすると取り立てた側がお縄になるが
座頭は幕府の許可の下に金貸しやってるから無理な取り立てができたので踏み倒しが困難
勝海舟本人は士官学校での成績は芳しくなかったらしい
公家や松平春嶽とかとの交流があったから、それに乗っかり発言権増したんだろう。一応、老中とかに進言できる立場(海軍奉行)になってたし
犬にキ○タマかじられてるし
そいつらがテロ計画立てて斬り○されたらそりゃ一瞬で潰されるわな
それを理解できないバ○たちが長州藩のテロに参加して取り潰された
大阪万博に反対してるバ○と一緒
政府の金でカジノ作ろうとしてるのに
それだと万博に反対するのが正解だな
坂本龍馬とか教科書からも消えたし
いやなぜか後ろに引っ込んでるよな
勝ち組の長州
だから長州薩摩
要は西日本の人間がどれだけ聡明で先見の眼を持っていたかがわかる
列強の傀儡が偉そう
日本史の学者がいいだしそう
そのうち
むしろ目的達成の邪魔になったからだろ
龍馬は公武合体派だった
だから「はああああ?幕府なんていらねーよ!」って奴らに暗○された
勝自身が吹聴した法螺話だからね
咸臨丸の件も操船したのはアメリカ人水兵で
勝は船酔いでふて腐れ船室に閉じこもってただけ
同船してた福沢諭吉はそれを見て辛辣な勝の批判者になった
>>104 くんからレスを受けたけど
まあ格からすれば新政府のお偉いさんたちは
海舟先生から見れば格下と思ったろうねえ。
なんせ江戸城開城交渉のカウンターたる西郷南洲と
相互に尊敬しあう仲だったわけでさ。
大西郷を五分と見たならその他の元勲はどうかってことよ。
よく明治維新を薩長などの下級武士がリードしたと言われるけど
実際その通りでそれ言えば勝海舟だって出自は富裕な上級武士とは
これは決して言えないわけだが、その中でも世代的にも幕末の地位でも
明治時代に国政を担った顕官への目つきは見上げるものではなかったろうねw
ついでに>>58 くんの話題だが、咸臨丸艦長の勝麟太郎批判を
福沢諭吉がらみでやろうと思うなら、『福翁自伝』に書いてある
祝砲論争について述べればいいのではないかなwww
祝砲ってのは等間隔で空砲を所定撃ち続けなければならないんだが。
海舟先生が自らの首をかけて「失敗するからやめとけ」といったものを
運用方の佐々倉桐太郎ができるからやるっていって出来たんだよねwww
それで勝の首は俺のものだが役に立つんで預けといてやるといったそうでw
これはちょっと勝海舟先生、カッコ悪かったですなあ。
実質幕末最強の男
久坂は京都御所を武装襲撃して天皇に発砲したテロリスト
表に出すと都合が悪いから
龍馬のような武器商人の使い走りが英雄に祭り上げられた
当時攘夷は朝廷の総意であり幕府も実行約束してたろ
久坂は鷹司輔熙に冤罪を訴えるために鷹司邸近くの堺町御門に進駐したが御所や天皇に発砲するわけもないし地理的に出来もしない
適当なこと言うなよ会津かぶれ
高杉晋作が若くして亡くなったのはいかにも残念だと思うねえ。
81くんは幕末は御殿山の英国公使館への攘夷攻撃の指揮者としての
言及をしているが、その三下が伊藤博文だからね。初代総理。
同様に論じられている久坂玄瑞よりも下だね。
ついでに高杉晋作といえば奇兵隊だが
奇兵隊のファウンダーにして総督が高杉だけど
のちにその総督の下の軍監が山県狂介ってすげえ名前の人で
これがのちの明治の政治に軍事に外交をリードした山縣有朋ですわなあ。
そういうわけで、これは維新三傑の木戸孝允もそうだけど
倒幕を指導した長州の人士が長命を保ったらまた明治時代は
少々違うものだったかもしれないね。
そんな歴史のイフは言い出せばキリがないけどさ。
ただね、そういや長州はこれは第一次長州征伐で自害した、
三家老、長井雅楽や周布政之助を指してるんだけど
あの時期に散ったものの中に傑物がいたという趣旨は
海舟先生も『氷川清話』で述懐しているね。航海遠略策じゃあないがね。大攘夷。
だから結論として海舟先生はいってるけど、生きてるのが大事なんですね。
とにもかくにもつらくてもきつくても生きているのが、大事なんだなあ。
だからその明治の時代にお偉いさんやってる薩長藩閥の伊藤博文を指して
海舟先生「今ぢやア伊藤さんが一番えらかろう。生きてるからネー」って
そんな評語を述べてますね。講談社学術文庫版の84ページですかw
伊藤博文も井上馨も高杉の使いっ走りみたいな子分だったから、明治になってからの栄達ぶりは勝にすればちゃんちゃらおかしいって感じだったろうな
因みに暗○したのは見廻組で決定、歴史学者で見廻組以外挙げる人はいない 証拠がありすぎる
でもなぜか陰謀論や新選組説振り回す小説家だの民間研究家が竜馬をミステリアスな虚像に仕立てている
話の順番が逆
何十年か前までは長刀の皆伝書しかないし、娘婿候補の箔付に剣の腕が無い龍馬に与えたんだろうから剣の腕はないと言われていたのに
北辰一刀流皆伝書を貰っていた根拠が出てきたから実際の腕も結構あった説になってる
小説とかで盛られたのは確かだけど、資料を調べていけば三傑程でないとはいえそれなりに活躍したのは分かる
同時代から幕末明治を経て今に至るまで毀誉褒貶甚だしいものはあって
(その著名なひとつが晩年福沢諭吉の手になる『瘠我慢の説』論争だ)
これはこのスレや現代の2ちょんねるなぞにおいても
大いに論じられているのはまさに海舟先生「氷川の大法螺吹き」の面目躍如であり
当方に言わせるならば大人物の証左だと思うわけだねえ。
っていうかやっぱり海舟先生といえば大いなるコミュ強なわけですよ。
今風に言えばね、幕臣だから上は将軍様から幕閣や大名や大奥などはもちろん
討幕派の薩長雄藩にも普通に知己がいるわけでさ。
それどころじゃなく氷川清話だと素町人などとも大いに話すなど
(元は別に諸大名のような貴人の家に生まれたわけじゃないからね。
父の勝小吉もその著『夢酔独言』にあるような"大物"ではあるがw)
まさにそのコミュニケーション能力の非常な高さ、口頭でも文筆でもさ、
これがね歴史を動かす状況において大いに役立ったとこういうわけでさ。
まさに一代の大政治家といっていいだろうねえ。
それがただの現代のコミュ強で口舌弁舌で世渡りしているような
軽薄才子の詭弁家のような口舌の徒だけじゃなくして
親譲りの剣術や禅やらで胆力を養い、また学問も大いにやったと
それで幕府瓦解の折りにさ、現実の局に当たり実績上げているわけでさ。
そこらへんがやっぱりね、傑物ではあるよね。維新三傑の同格でしょ?w
江戸開城の折りの西郷南洲のカウンターパートっていうかさ。
武市瑞山
象山は勝の妹を嫁にしたしな
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1703750592/
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