【歴史】坂本龍馬は桂小五郎に剣術で敗れていた!「幻の剣術大会」新史料を発見か?
坂本龍馬と桂小五郎が対決――。幕末志士の両者が1857年(安政4年)3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で対戦し、
2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、前橋市の群馬県立文書館に保管されていることが30日、分かった。
歴史研究家、あさくらゆうさん(48)が存在を確認した。
藩主、山内豊信(後の容堂)の上覧試合とされた大会を巡っては、これまでも複数の史料の存在が伝えられている。
だが、開催された日が既に龍馬が江戸を去った後だったり、小五郎の名前が当時は使用していない「木戸準一」だったりするため、
いずれも「偽書」というのが定説。山内家の日記などにも記録はなく、大会そのものが作り話とされている。
文書館によると、今回の史料は前橋藩領だった上州・中箱田村(現群馬県渋川市北橘町箱田)で名主を務め、
医院も営んだ「根井家」に伝わり、1994年に寄託された。
折り畳んだ縦約16センチ、横約1メートルの和紙で、冒頭に「安政四三月朔日 松平土佐守様上屋敷ニ而御覧」と記載。龍馬らに加え、
著名な剣客だった斎藤弥九郎(2代目)や石山孫六、海保帆平ら計43人が、一対一で戦った22試合の結果を毛筆で縦書きに記している。
あさくらさんによると、この時期の龍馬は江戸遊学中で、土佐藩上屋敷近くにあった北辰一刀流の千葉道場(玄武館)で修行。
小五郎も、盛んに対外試合をした神道無念流の斎藤道場(練兵館)で腕を磨いた。
史料は各剣士の出身や流派も正確に記し、一部は別の史料に残る後日の足取りとも矛盾がない。
大会には上州出身者も出場したため、試合結果の書き付けが根井家に残された可能性があるとみている。
龍馬は今年で没後150年。あさくらさんは「この史料だけで断定はできないが、実際に大会があったのか、もう一度議論するきっかけになる。
近年は龍馬の剣術が特に優れていたとする傾向もあるが、小五郎には負けたとある。
イメージではなく、本当の姿はどうだったのか考えていくことが大切だ」と話す。
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22865490Q7A031C1CR0000/
花神?
竜馬がいくだろ?
桂じゃない、ヅラだ
そこんとこ、ヨロ。
正確には直柔やなぁ。
個人的には龍馬・竜馬と名乗ったのは相当に後期と思っている。
元々は良馬でハッタリを利かすために龍馬と名乗るようになったような・・・
龍馬とは遠縁。
じいさんは海軍の偉い人。
坂本むらでググっても出てこない。
じいさんは嘘ついてたのか。
ググっても出てこないのはごく普通の事やろ。
市井の人の情報ならなおのこと。
ググって情報が出てくるように調べて、まとめて、
なんらかの手段でネット上に発信するのが君の仕事だ。
高祖父あたりでご近所さんだな。
龍馬に勝ってもおかしく無い。
この人、桂に対してイメージだけで語っている。
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1509452479/
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