【考古学】古代にもブラック企業が?ゆがんだ埴輪から透けて見える納期優先だった現場の事情
上から見ると円形のはずが、ひしゃげて長円形になった円筒埴輪(はにわ)など、愛知県瀬戸市の本地(ほんじ)大塚古墳からの新出土品を中心に展示する企画展が、瀬戸蔵ミュージアム(瀬戸市蔵所町)で開かれている。変形した埴輪は、古墳の築造を急ぐあまり「質」より「納期」を優先させたとも考えられ、古墳時代の“現場の事情”に想像が膨らむ。
企画展は「新出土品展 瀬戸市指定史跡本地大塚古墳――矢田川流域の古墳と埴輪」。本地大塚古墳(瀬戸市西本地町)で2015年に実施した発掘調査の出土品を中心に、いずれも5~6世紀に築造された、池下古墳(名古屋市守山区)、長坂古墳群(尾張旭市)、駒前1号墳(瀬戸市)、須恵器や埴輪を作っていた城山窯跡群(尾張旭市)、卓ケ洞窯跡群(同市)を、円筒埴輪や形象埴輪(人物像の一部や水鳥など)など約110点の出土品で紹介する。
本地大塚遺跡は瀬戸市内で唯一、前方後円墳と分かる古墳。今回の調査で墳丘の周囲に二重の溝が見つかり、長さ約80メートル、幅約67メートルの規模と確認された。
ひしゃげた円筒埴輪は、墳丘周辺で見つかった円筒埴輪に含まれていた。古墳で多く見つかる赤色の土器質円筒埴輪と違い、灰色をしていて硬い。須恵器と同じ須恵質の円筒埴輪で、当時始まったばかりだった窯を築いて焼成する技術で作られた。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200623004518_commL.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200623004519_comm.jpg
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASN6R75SYN6KOIPE00T.html
内面(精神面)は全く進化してない
長い年月いろいろあったんだから、その間にひしゃげた可能性も有るんじゃ無いのか
それなら割れるでしょ
土中でひしゃげて割れたものを繋げて復元
http://updating.thinksnow.net/1588673666
>須恵質の円筒埴輪
東海地方の小さな須恵器の工房が、瓶や高坏などの食器を作っていた。
ある日、地域のボスが亡くなった。
偉大なボスだったので、地域で初めて前方後円墳を造営すると決まり、須恵器工房でも埴輪を作ることになった。
しかし、慣れないことのため、大きな円筒を焼き上げることができず、出来上がりは歪(いびつ)なもの。
ところが葬送祭祀の日が迫り、そのまま納品した。
――などと想像してみる。
なお、当時の埴輪作りは、大王墓のような直轄の埴輪工房を持つプロジェクトでもない限り、
(例:今城塚(おそらく継体陵)と新池埴輪製作遺跡のような関係)
埴輪は地域の工房から購入(物々交換)するケースが多いと思われる。
(例:埼玉の生出塚埴輪窯跡の埴輪は広範囲に出土)
今回の須恵器工房は、埴輪で一儲けしようとしたのかもね。
注文がきたときは「埴輪バブルじゃー」と喜んだけど、納品がしょぼいので報酬は値切られたとか
――想像してみる。
朝日新聞じゃあるまいし
>変形した埴輪は、古墳の築造を急ぐあまり「質」より「納期」を優先させたとも考えられ
>当時始まったばかりだった窯を築いて焼成する技術で作られた。
納期と言うより、古墳に時間を掛けたくないとか
埴輪を創った担当者が、下手くそだったり様々な事情で造った装飾品だったわけだ
石棺を創る班と埴輪を創る班があり、それぞれ3日以内で製作、最後に全員で土砂盛りを行っている
1週間分の食料を持って、古墳作りだぞ
現在の成績で言うところの落第点を貰っている者の作品に納期と言うのは些か無理がある
>当時始まったばかりだった窯を築いて焼成する技術で作られた。
周辺から木材を集め、野焼きで製品にしている
だいたい、古墳の周辺に人が定住しているって誰が決めたんだ?
そらーオカルト考古学者やオカルト歴史学者の妄想だぞ
人がだーれも住んでいない地域に古墳を作ったわけだ
史実を知らないとオカルト学者に騙されるわけやなw
↑
朝鮮人が犯した戦争責任を日本が罪を償ったようにな
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地産技術のアピールも含めて地元で制作されていたとしたらその土地の技術が未熟なまま古墳造営されていたという見方が最も自然か
そこからいろんな考察も進む
技術者の派遣が各地で引く手あまただったとか、古墳造営の質でヒエラルキーが形成される時代であったのではとか
それらの文化が成熟された瞬間に陳腐化され、神社建立など中央から新しい祭祀が発生したストーリーなども想像できる
こういう工房って古墳からめちゃくちゃ遠かったりするんだよなぁ
よく壊さずに運んできたと思うが、余分に発注掛けたりしてたのかな?
たとえば、運んでくるやつがイノシシに襲われて、予備の分が無くなって
出来が悪いのも使わざるをえなくなったとかな・・・
A「うわー沢山壊れてる・・・微妙に数が足りてないんじゃ?」
B「ゆーても、もうゆがんでるのしか残ってないわー」
A「でも今から工房に発注掛けても、祭祀にまにあわんわー」
AB「まぁえーかー」
みたいな・・・
昔の事とは言え日本人のやることだから余分に作る+緩衝材でしっかり保護してると思うが
埴輪とか、あの赤土色の素焼きで作るのに意味があったんだから。
これ絶対、受け入れ担当者がチャラいやつ
作業員「うわぁ・・・なにこれ・・・今回のは特にヤバいやつばっかじゃん(怒」
担当「あぁ~びみょーっすけど、いっすいっす^^」
数週間後・・・祭祀当日
大和から呼んだ神官
「かけまくもかしこきうんたらー(な、なんかあの埴輪どえらいゆがんでないか??)」
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1593082481/
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コメント一覧
朝廷と繋がりがある有力者の住む地区は「屯倉(または三宅」つって今なら国有地の産業地帯で、西国一帯のエンジニアだったのが秦氏。彼らが土器や水田開発を担っていた。秦氏のある処には工房ありで、地区によりデザインや製法が異なる。ちな水田地帯は茨田(まんだ)とよばれた。ちなみに、西国の縄文土器は造形がシンプルだが、東国以北は火焔土器の様な個性的(笑)なデザイン。自然が厳しい場所につき、天候を案じ、豊作や子孫繁栄を祈る気持ち(情念に近い)を造形に込めたんだろなと現場から。
技術が向上するにつれてシンプルになるのは工業製品みたく一括大量生産してたから。オカンアートさながらの家内製手工業でチマチマ作ってたら国家事業のオファーに間に合わんよね。恒常的な迅速さと正確さがビジネスの要(国家事業だが)なのは今でも同じ。
ちな縄文土器の変遷も大まかに6期に区分され、時代毎にデザインがシンプルになり、用途により種類が増えてる。
こんなの見てると、無尽蔵に品数を増殖して客に新品買わせようとする100均グッズみたいだよなぁと失笑。
そもそも円筒埴輪が簡略化の最終形態やけどな。とりま並べときゃOK!てノリで、柵変わりにもなる。