日本の「姥捨て山」の伝承に驚く中国人、「親孝行の重要性を知らしめるためか・・・???」
中国メディアの百家号はこのほど、礼儀を重んじる国民性である日本に「姥捨て山」の伝承がある理由を考察する記事を掲載し、「親孝行の重要性をより真剣に受け止めるためではないか」と伝えた。
記事はまず、近年多くの中国人が日本に興味を持ち、日本を訪れていたことを紹介。それは、多くの観光名所や美食に加え、「礼儀を重んじる民度の高い国民性であることに感銘を受けるからだ」と伝えた。
しかし、民度が高いはずの日本には、親を捨てるという「中国では到底考えられない」、姥捨て山の伝承があると紹介し、「民度の高い国民性であるはずの日本にこうした伝承があるのは非常に驚き」と主張した。
現代の中国人が日本や日本人に対して抱くイメージと言えば、街が清潔で、民度が高く、人々のマナーも良いといったことが挙げられるだろう。こうしたポジティブなイメージが多くの中国人観光客を日本へ引き寄せてきたわけだが、そんな日本に「姥捨て山」の伝承があることを聞いて驚く中国人は多いという。
中国メディアの百家号はこのほど、礼儀を重んじる国民性である日本に「姥捨て山」の伝承がある理由を考察する記事を掲載し、「親孝行の重要性をより真剣に受け止めるためではないか」と伝えた。
記事はまず、近年多くの中国人が日本に興味を持ち、日本を訪れていたことを紹介。それは、多くの観光名所や美食に加え、「礼儀を重んじる民度の高い国民性であることに感銘を受けるからだ」と伝えた。
しかし、民度が高いはずの日本には、親を捨てるという「中国では到底考えられない」、姥捨て山の伝承があると紹介し、「民度の高い国民性であるはずの日本にこうした伝承があるのは非常に驚き」と主張した。
しかし、姥捨て山の伝承では、年老いて働けなくなった親を子が捨てようとするが、捨てられずに家に匿っていたところ、親の知恵や知識が役に立つ場面があると紹介。それによって、働けなくなったとしても年老いた人の知恵や知識には価値があることが周知されると紹介し、姥捨て山の伝承は「日本人が実際に親を捨ててきたことを示すものではなく、親孝行の重要性を知らしめるための伝承なのではないか」と指摘した。
中国では親を敬うことはごく当たり前のこととみなされており、親の老後はあらゆる面において子が世話をするのが当たり前と見なされている。親子の関係は日本以上に親密であるが、逆を返せば親離れ、子離れが出来ていない人が多いとも言えるだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
https://news.nifty.com/article/world/china/12190-20200512_00039/
大事なことが二度書いてあるパターンかな
目がかすんで二重に見えたかな
チャイニーズと言えば、2本足のモノでも両親だけは食べないという
逆に言うと、子供だろうと友人だろうとホントに食う民族ってことだが
赤ん坊を漢方の材料にしたりとか、未だにやってるからな
年寄りは老害だ、ただ飯食らいだ
役に立たないから山に捨ててこいという
ゆとりのないお殿様のお触れにより
一度は泣く泣く母を山に捨ててきたものの
やはり孝に背くことはできず連れ帰り、
縁の下に母を隠しておいた。
そんなある日、母の知恵に授かり
見事、虎退治をするお話
古人イワク「年寄りは国の宝」
めでたし、めでたし
これは一理ある。
中国の儒教道徳では「子供の徳の高さを示すために、親を悪く描写する傾向があり、
『孝行息子』とされる人物は、逆に『親不孝者』になってる」と昔から言われてる。
実際、水戸徳川藩の儒学者・藤田東湖は、その「親不孝者」の日本代表と言っていい。
1855年の安政江戸地震で圧タヒした藤田だが、ただ単に「圧タヒした」では格好悪いからか、
地震で落下して来た柱を受け止めて母親を助け、母親が脱出した後に柱の下敷きになり、
圧タヒしたことになっている。落下する柱のGを受け止められる怪力男の不審なタヒにざま。
コピペぐらいちゃんとやれ
Q 姥捨て山は日本で本当にあった話ですか?
A 中国から日本に伝わった仏教説話です
鬼子母神の説話とそっくりの説話がヒンドゥー教に残されている
釈迦の役割がヴィシュヌ神に代わっているけどさ
仏教説話の多くが、ヒンドゥーにもあるのでしょうな
それはともかく、姥捨て山の伝承に関しては、仏は登場しないし
仏教説話とも思えないが
姥捨の風習は話でしか聞いた事ないけど、村の食料の生産量(割り当てられた田畑)は決まってたから
家族が増えたり凶作等で予定してた食料を確保できなかった年なんかは年功序列でジジババを捨てるしかなかったのかもね
昨今の「老害はタヒね」も結局、今の社会の豊かさの限界が原因で
若者に十分仕事があったり、国家財政が膨れ上がった老人医療費をフルカバーできれば必要のない事なんだろうなぁ
飢餓が訪れた時の悲惨を伝える物語だろ。
3年も不作が続き、種もみまで食べつくした時の最終手段。
御婆さん本人からのお願いもあったろうな。
おじいさん達は、自ら近所の老人と集団自決をして、若い夫婦に食べ物を残した。
そんな話もあるだろう。東京都下でにも、その話は残っている。
長野住だけど、姥捨てって地名いくつかあるな
村や国単位で逆福祉事業やってたっぽいw
ちなみに日本昔話の「雉も鳴かずば」も北信な
元々、日本は飢餓が多くて
山間部はどうしても食い物の問題があるからな…
動けないってのは…
海は魚がどうにか、事故は多かったろうけど
長野だけじゃないけど長野が有名
強い
劉備は嫌いか?
劉備じゃなく、劉邦だよ
いやー司馬遼太郎の小説かなんかで見たことあるぞ
劉備が馬車乗って命からがら逃げる時に馬車が遅いから息子放り出そうとするの
を部下(関羽なのか趙雲なのか誰だか忘れた)が止めたっての
にわかだけど劉備はとにかくチート級の部下が多すぎ
項羽と劉邦じゃないかな?
劉邦が逃げる時に、馬車を軽くしようとして息子を馬車から投げ捨てた話。
そう、親が子を慈しむのは犬畜生でもやってるからやって当然
人間様ならそれとは別に人間様ならではな事が出来なきゃいけないって事で孝が重視される
最後の孝行だっつってな
最近のジジババは我が強くて、年取っても好き放題やるくせにコロナでタヒにたくないだもんな。
そういうジジババには是非ともコロナって頂きたいところ。
慌てている感染者みると
老若男女関係ないアクティブ馬○だと思う
楢山節考は姨捨伝説から考えたフィクションだから、実際あったという実証はされてないんだよね
姨捨も土地の有力者小初瀬おはつせ氏の名前から転化したと言われてたり、山姥伝説と同じような感じかなと思ってる
日本だけだよ
どこにでもあるよ
原則乳幼児、児童が対象だが
ヘンゼルとグレーテルも口減らしに森に子供捨てに行く話だしな
料理にするのはいいんだよな
やっぱり、捨てるなら食えよ
ってことかな?WW
椅子も細く切って醤油で煮ればメンマになるから食えるよ
泣きながら家に帰ったら、ばあちゃんが先に帰ってたけどな。
今でも人の数を「人口」って言うだろ?生業については「飯を食う」っていうじゃん
外国語に直訳すると何事かと思われるような単語、慣用句だよ
天災が多く、耕地面積が極端に少ない日本では古来より常に餓タヒのリスクに
晒されてきた
水呑みの子消し、口減らし、姥捨ての習慣は日本人の生き残る為の厳しい
選択の歴史として忘れるべきじゃない
欧米では捨てられたババアが魔女として森の奥でひっそりと暮らしてんだろ?
むしろ姥捨て文化が中国に無かったことの方が意外だわ
山姥ってそういうことか
人生ハチャメチャになった人とかテレビで見たけど、
それをみると、介護しない勇気も必要じゃないかと思った。
数日後に救出されてたやつ
それそれ!読んだ
姥捨山ではないな・・・
いやいや、普通にお話は入ってきてるでしょ
元々インドの話で、日本や中国は
仏教で話はいってきてるし
欧州にだって姨捨山の話が入ってる
病人を遠くに隔離する習慣
これは老人に限ったことではなく、全庶民が対象で
他にも、お産も穢れと考える人もいた(気にしない人もいた)
赤ん坊生まれても口減らしとかもあったんだから
結局働けない者からタヒんでもらうしかないって事だったんだろ
ジジババ敬え、赤ん坊は天使って大事にして
自分達がタヒんだら結局誰も食べさせてくれずにタヒぬからね
世話されるだけだとすぐボケるから良いのかもなって思ったよ
岩手の遠野のデンデラ野だったかな
山で遭難させるとか餓タヒさせるとかそういうことではないらしい
東北の方、デンデラ野なんかが有名だな
人頭税払いたく無いから、タヒんだ事にして山で暮らして貰う
農繁期には里まで手伝いに降りてきたらしい
親子二人に食料は1人分、さあどちらを生かしますかって状況で、子供にはまだ先があるから子供を生かすべきと考えるか、
親が生きてりゃ子供はまた産めると考えるかの違いだわな
価値観の違い、もっと言えばそういう価値観が生れるに至った土壌の違い
親を亡くした子供が他の誰かの保護下で無事に成長できる世の中なら前者の考え方が、子供を一人で放り出したらすぐにタヒんでしまうような世の中なら
後者の考えが主流になり易いのかなって気がする
あと、韓国では母親を背負って山に捨てて行く話。母親が枝を折って子供が村に戻る時に未知に迷わないようにする話。
三国志でも劉備玄徳を饗すために妻を○して肉にして食事として振る舞う話
中国、韓国のほうがえげつない古典が多い
国は色々変わったけどすんでる人は変わらないんだからもっと組織的にも国民的にも凄い国になってそうなのにな。ほんとあの国は良く分からんな
そんな学者や賢人が何を考えたと思う
理想の国家や君主について考えていただろ?
それはつまり
『チャイナにはそんな奴が全く居ない』
という前提なんだよ
で
そんなチャイナの学者や賢人が考えた
『ボクの考えた最高の聖人君子』
の本を輸入して
『チャイナにはなんてスゴイ人が居るんだ!!』
って感動して大真面目に実践したのが
我が日本
まぁ日本のことはまぁそうなのかもね。とりあえず置いといてさ。仮に日本が大真面目にやったとしてだ、なんで中国は実践せんのだろうな。
感銘受けてるから今に残って中国の書物がたくさん残ってるのだろ?だったら実践するんじゃないのかね。そこが分からん。
>国は色々変わったけどすんでる人は変わらない
半分ダウト、
少なくともトップは異民族が成り代わってるし、
人治国家であることを変えなかったので
人とともに文化も粛清されることを繰り返した
すごいねー
そうじゃなくて
中国は「なんで日本は、そんな恥を堂々と伝承しているの?」って不思議がっていると
オレは捉えている
1の文章もそう読み取れるだろ?
中国にはなかった、日本ではそんな野蛮な風習があったのか?という意味の文章ではないだろ?
現実問題、子供の方が犠牲になってる
中国の子供の人身売買とかまだまだ問題だろう
子供はまた作れるからって
親が生き残るために子供○しちゃうのよなw
あれも元をたどれば、おそらく近隣の村から
出た姥捨てされたババアがやたら元気良かったから
旅人を○して食っていたんだろう
それに姨捨山があって爺捨山がない不思議。
昔からの(嫁・妻)の仕事だったからだろ?
って思ってるかもな
やっぱり自分の親を自分の手で○すのは抵抗あるからだろ?
例えば、もう飼えなくなったペットだからって、○しはしないじゃない
山に放して、今日から野生の犬として、たくましく生きて行けよ、間接的に○していることを
認めたくないから、山でたくましく生きていくというストーリーをつくって犬を捨てる
それと似たようなものじゃないか?
おばば、今日から山でたくましく山姥として生きてくれ、みたいな
年金制度があるうちは
逆に貧しい息子、娘が親のタヒを隠し続けるけどな
子消しだってそう
子供は10歳前に奉公にだしたり
もっと貧しくなると女児を遊郭に行かせたり
ばあさんは山に捨てて赤んぼはキュッと〆た
一家全滅を防ぐにはそうするしかなかった
妻を屠○して振る舞う話が
美談として残ってるほうが
ドン引きなんですけど
それ美談じゃないよ
原文は
>臂上肉已都割去。玄德驚問,方知昨夜食者,乃其妻之肉也。玄德不勝傷感
この「傷感」を「感激した」と誤解して、
吉川栄治が「じ、時代が違うことだから・・・」と変にかばってミスリードしてしまった
「傷感」は「悲しむ」程度の意味
↓同じ三国志演義での使用例
>堅為折了祖茂,傷感不已
>玄德聞公孫瓚已タヒ,追念昔日薦己之恩,不勝傷感
>張飛方纔大哭,參拜雲長。二糜亦俱傷感
>太史慈堅執要行,權因傷感宋謙之タヒ
今は親を捨ててでも継ぐほどの家がなくなり後継者不足になっただけ
結局その親タヒんだら廃墟になるだけ
老人を山に捨てるようにとの、おふれを出して
殿様の命令にしたがった息子が年老いた自分の母親をおぶって山道を歩いている
その道すがら、背中の母親が時々道すがらの木の枝をポキ!ポキ!と折っている
息子は何をしているんだろうな?と思いながら山奥にまで母親を運んだ
その時にはすっかり日が暮れて、真っ暗になっていた
母親は道すがら枝を折ってきたから、その枝を目印にして帰れば、山道で迷うことなく
村に帰れるよ、と
その言葉を聞いた息子は泣き出して、殿様の命令に逆らって、母親を匿うことを決意して
また母親をおぶって村に帰ったそうだ
我が子には迷惑をかけたくないと思うのは世界共通なんでしょうね
蒼天航路での長坂の戦いで劉備が馬車から妻子をポイ捨て
していった場面が思い出される
中国人にとっての最高の美徳は飢えた時に子供が親に自分の肉を削ぎ落して食べさせてあげる事
そういう逸話が中国の伝承に何度も出てくる
日本にも飢饉は何度もあったがそういう話はあまり聞いた事がない
日本人と中国人では親孝行の考え方が違う
山の中腹に穴が開いてる所があって中は空洞。
その穴に親を落とし、上から石を落とし絶命させていたとの言い伝えだった。
検証では実際に空洞に降りて行き地面を掘るという地味な内容だったけど、
実際に骨が出て来た。
普通にTBSあたりでやってた気がするけど、内容的にもう世には出せない番組なのかな?
もう一回見てみたかった。
俺もその番組見た
でも、夜の2時間くらいの特番でわざわざ現地からの実況中継(と称していた)で
番組終了直前になって
「あっ! 人骨らしいものが出てきました! もう時間がありません! ここで中継を終わります!」
って言って終わったよ
どう考えてもインチキ
実際に続報がなけりゃインチキだったんだろ
昔のテレビマンなんてみんな山師みたいなもんだし
>>486
儒教なんて劣った思想を捨てて西洋入りしたろ
年寄りを山なんかに捨てたら捨てられた婆同士で同盟組んでやり返しに山から降りてきそうで怖いけど
で、この回あったのを思い出した
伝承にこそ残っていなくとも、中国でも何らかの形であった事ではないか
そうしなければ生きられない貧しい時代はどの国でもあってな
印度でいまも根深いと言われるサティだって、貧しい農村部が年老いた女性を体良く始末するために
続いていた側面もあるし
欧州の妖精の取り換え子にしても、障害児とか子供の間引きのために行われていたのだろう
こういうことは世界中にあったわけであり
日本に残っていても不思議はないし。中国でも何らかの形で行われていたはずだ
この記者もチャンロコロも無学すぎる
<中国の棄老俗>
楚の原殼が有名である.
「賦役令集解」の孝子伝には孝孫原殼は楚人也,彼の父は祖父に対して不考甚しく祖父を嫌っていた.
終にある日原殼は父の命で輦駕の一種を作り祖父を山中へ捨ててきた.
その折輦を持ち帰ったところ父に何故こんな 凶物を持ち帰るかと問われ 「父さんが老いた時この輦を使えば再び作る必要がない」と答えたので、
頑固な父もハッと気付き,悔悟して山中に往き祖父を連れもどし朝夕孝養して孝子となった,とある.
このことは「令義解」にも記載してあるという.
印度,中国の棄老譚は結局棄老を戒めて老養すべしとの説話で当時棄老の習俗が旺んであった証左とすべ きであろう.
村の最高権力者は老人手前だぞ。
10年後に自分が捨てられる慣習を維持すると思うか?
だから、生産力落ちた老人を人別帳(戸籍)から名前消して
税金から逃れようと言う生活の知恵なんだわ
普段は山で自分の畑耕してて、農繁期には普通に手伝いに里まで降りてきてた
「遠野物語」にも、神隠しにあったのに毎年帰ってくる女の話が出てくる
天然痘とかの伝染病かもなあ
吉村昭の「破船」を読むと疫病に罹患した村人達を纏めて捨ててるし
あるよ爺捨山
男は長生き出来ないからな。
ただ物々しいものじゃなくて老人の共同村みたいものだったけど、遠野のダイダラ野ってとこ
デンデラ野は美化された話であって、働けないものが共同生活で自活できるわけはない
そういう物語にしておいてただ捨ててくるだけ
こけしは口減らしした子供の代わり、カッパは口減らしした子供そのもの
デンデラだったか、3年前の夏に行ったんだけど高台にあって周りは田んぼだし集落は近いしでとても捨ててくるような場所には思えなかったな
作者の佐々木喜善の生家も近くにあったしさ
働けないから捨てるってのはむしろ現代的な価値観を投影しすぎてるなという気がするんだよな俺は
女がなんで閉経すんのかってのは生物学的には謎で
男はいくつになっても一応精子出るし子供作れたりするのに
女の方は完全に終了しちゃうのは不利じゃねえんか?って疑問があるんよな
でも共同体として考えると乳母としての姥が居るとそっちのが生き残りやすい
ってのはあるみたいで、閉経する遺伝子が生き残ったんじゃねえか説があるのよな
ひょっとしたらそういう老人が多いと出生率増え過ぎちゃうから
抑制の意味もあったんかなあとか思ってみたり
山に捨てて餓タヒさせるよりは100倍マシだが、
実際あんなとこに年寄りを何年も入れて外出しなかったら健康に良くなくてエコノミー症候群になったりそのうち歩けなくなりそう。
今外出自粛で実際に起きてる問題だから尚更思う。
実際は壊疽とかはじまって3年くらいでタヒに至る
黒田官兵衛もそれで足を患った
多分そのくらい食べ物に恵まれてなかっただけだろう
余裕があれば捨てたがりはしない
デンデラな
カルトクソ映画として有名だからこのスレでもいっぱい名前でてるね
姥捨て映画は他に「蕨野行」ってのがすごくいいらしいんだけど、配信もDVDも全然ねえんだよなあ
エスキモー(イヌイット)も同じ。
コミュニティに負担が掛かると思うようになると、
自らタヒに出て行く。
事実なのかどうかはさて置いて、自分の母ちゃん捨てた後
家に帰って家族と飯食うシーンで、家を継ぐ息子がア○DQNで
それを実感した緒形拳がなんでこんな奴の為に母ちゃんを…って表情は絶品
子より親が大事って言った太宰を思い出すな
もっとも太宰の場合は俺の方が子供より大事っていう俺イズムだったけどw
少子化とか、未婚が増えてる世の中だと子孫を残す意味ってのを
改めて考えさせられるわな
昔は産めよ増やせよというか、食える限界まで子孫繁栄させるのが
わかりやすい社会貢献だったんだろうけど情報が増えると
んなこたあないってのがわかってきちゃった
知らなかった
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589276239/
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