■デンマークの湖に鉄器時代の大量の人骨、戦闘後に儀式? ローマ戦以前
デンマークの広い湿地帯で発見された2000年前の人骨から、
北欧における「蛮族」ゲルマン人の戦闘に関する定説を覆す事実が浮かび上がってきた。
5月21日付けの「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表されたこの論文ではまた、
ゲルマン人が自分たちの戦闘を記念するために儀式を行っていたという独自の解釈が披露されている。
■調査チームは何を発見したのか
デンマーク、ユトランド半島のモスー湖畔の広大な湿地にあるアルケン・エンゲ遺跡から、
少なくとも82人分の骨に相当する計2095個の人骨および骨の欠片が発掘された。
科学的な調査の結果は、大半が若い成人男性であり、
その全員が紀元1世紀に起こったある戦いによって命を落としたことを示唆している。
治癒しないまま残された骨の傷や発見された武器からは、彼らが戦闘中に倒れたことがわかる。
調査チームは、75万平方メートルにおよぶ湿地全体を調べたわけではない。
だが、これまでに発掘された骨の分布状況を元に、
約2000年前に、380人以上の人々が湖畔の泥水の中に埋葬されたと推測している。
■この発見はなぜ重要?
今回の発見は、鉄器時代の欧州に存在した軍の規模を大幅に拡大するものだ。
ゲルマニア地方の「荒々しく残酷な」「蛮族」については、ローマ人が多くの記述を残している。
とはいえ、ゲルマン人の戦闘能力に関して、詳しいことはほとんどわかっていない。
ドイツにある数少ない既知の古戦場(「トイトブルク森の戦い」の地の周辺が代表例)には、
保存状態のよい遺物はないに等しく、ゲルマン人軍隊が実際にはどれほどの規模で、
どのように組織されていたのかは多くの謎に包まれている。
新たな論文によると、軍隊の規模は数百人からなるという。
これは、鉄器時代における現地の村の人口をはるかに超えている。
これほど多人数の戦闘集団を維持するには、遠方から兵を補充して組織化し、
統率する技術が必要だったはずだという。
米プリンストン大学の考古学者で、『蛮族』の著者であるピーター・ボウグッスキー氏は、
鉄器時代のスカンジナビア南部におけるゲルマン人軍隊の規模は、従来は約80人とされてきたと語る。
これはヨートスプリング遺跡で発見された、儀式の供物だった武器の数が、
80人規模の軍を支えられる程度だったという事実に基いて推測されたものだ。
「もし論文の推測が正しいなら、今回見つかった軍はそれよりも数倍も大きかったことになります」とボウグッスキー氏は言う。
なお、氏は今回の研究には関与していない。
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http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/052300225/01-roman-barbarian-battlefi.jpg
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/052300225/
続く)
続き)>>1
■動物に噛まれた傷跡も
さらに興味深いのはここからだ。発見された人骨の多くには動物に噛まれた傷跡がある。
この傷は、すぐに湿地に沈められたのではなく、
どこか他の場所に半年から1年ほど放置された遺体から見つかる傷とよく似ている。
また、他の地域から持ち込まれた石と一緒に、意図的な配置に並べられている骨もあった。
なかには、木の枝に串刺しにされた4人分の骨盤骨の欠片もあった。
こうした事実を基に、研究者らは、人骨はどこか他の戦場で、ある程度の時間をおいて回収され、
儀式的に泥の中に埋められたのではないかと推測している。
一方で、遺跡の南部からは、人骨を探しているだけでは容易に見落としてしまいそうなほど、
極めて小さな骨が数多く見つかっている。
この論文の共著者であり、デンマークのオーフス大学の考古学者、
またモスゴー博物館館長でもあるマッツ・ケーラー・ホルスト氏はこれについて、
調査チームが「実際の古戦場のすぐ近くまで迫っているかもしれない」証拠ではないかと述べている。
北欧では数千年前から、儀式や祭式において沼や浅い湖が重要な役割を果たしてきた。
この点を踏まえ、ボウグッスキー氏は、戦場の遺体をしばらく放置した後で引き上げて泥の中に埋葬するというのは、
勝者が自らの功績を記念するために行った行為だろうと推測している。
戦場から回収され、ほかの場所から持ち込まれた石と一緒に湿地に配置されたとみられる成人の脚の骨。
「これは戦闘が終わった後の『メモリーワーク(共有の記憶を創る行為)』と言えるものです。
彼らはあえてこのできごとに関する集合的記憶を創り出そうとしているのです」とボウグッスキー氏は言う。
■○されたのは誰なのか
紀元1世紀、ローマ軍は欧州のほぼ全域でゲルマン人と戦っていたが、
スカンジナビア南部まで北上したことはなかった。今回の調査においても、
ローマ人の関わりを示す直接的な証拠は発見されていない。
「(骨に残された)外傷は、軍備が整ったゲルマン軍との戦闘によって負うとされる傷ともよく一致します」とホルスト氏は言う。
「これは蛮族同士の戦いでした」と、ボウグッスキー氏も同意する。
2000年前のこの地における軍事組織や、ゲルマン軍同士の戦闘の規模に、
スカンジナビアの南部にまで侵入したローマ人の影響があるとは必ずしも言えないと氏は主張する。
「これは現地で起こった戦闘であり、
この土地で先史時代から続く、地域の民族間に起こる戦闘のパターンを引き継いでいます。
単に戦闘集団が徐々に大きくなり、武器もまた破壊力を増していったということなのでしょう」
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/052300225/
やはりロマンがある
ハンガリーのハン(フン)(ハンガリー人はハンガリーの名を嫌がる)
ローマ軍も相当に恐ろしい軍隊だった。行軍の道路にいたと
いうだけで、○しまくり、妻子を強○して○した。これは
キリストがまだ生きていた時代のことだ。
塩野 七生さんは、ローマ帝国が栄えたのは、宗教に寛容だった
からだというが、実態はどうだったのだろう。ま、軍隊とは
韓国軍がベトナムでやったような蛮行が普通だったのだ。世界の
軍隊で唯一、現地人から歓迎されたのは、日本軍だけだ。軍律が
厳しいだけでなく、欧米の過酷な植民地支配から開放したからだ。
あれこれ難癖をつけているのは、朝鮮とシナだけだよ。
本来の北欧出身のゲルマン人は一部だよ
合ってるよ
フン族はもっと東からだろ。
>>36
スキタイ は、鉄の製法を 世界最初に発明した民族だ
スキタイ は、バビロンに人類最初の帝国となった鉄の帝国を建設した。
帝国が滅んで後は、 門外不出の鉄の製法を携えて世界に散った。
ステップの中央アジア草原地帯は、飼料になる 草を求めて
遊牧民族が移動を続けていた
起源が、スキタイなのかもしれない
それが東アジア方面へ行ったら、匈奴
ようするに、これら全体のことを スラブ民族 という。
中国が先進国になる日ももう近いな。
ダッタン人の踊り(´・ω・`)
懐かしい祖先。♪~ダッタン~ダ~タン~イエイ~
平たくのっぺりして大きな顔
英国人やアメリカ白人、ドイツ人、オランダ人・・・・すげえ
だから金髪碧眼もいれば、黒髪もいる
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1527489808/
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