【考古学】馬が日本列島に入ってくる前に伝来か、ミニチュア馬形青銅器が壱岐で見つかる 魏志倭人伝の一支国
魏志倭人伝が伝える 一支いき 国の中心集落跡、原の辻遺跡(長崎県壱岐市、国特別史跡)で、馬形の青銅製ミニチュアが見つかった。
弥生時代後期(1世紀頃)に朝鮮半島から持ち込まれたとみられ、国内初の発見。
日本列島に馬が入ってきた古墳時代中期(5世紀)以前に、一支国の人々が馬の存在を知っていた可能性を示す資料だ。
馬形青銅器は、市教育委員会の2019年の発掘調査で出土した。長さ3・7センチ、高さ3・5センチ。頭部は欠けているが、たてがみや胴、脚の形から馬と分かる。
前脚部分に穴が開いており、ひもを通して装飾品として使っていたようだ。
長崎県埋蔵文化財センターの白石 渓冴けいご ・主任文化財保護主事によれば、韓国東南部の遺跡で出土した1世紀頃の青銅器に類例があり、海上交易でもたらされたとみられる。
日本列島にはもともと馬は生息せず、5世紀頃に大陸から持ち込まれたと考えられている。
韓国では紀元前1世紀頃には馬の飼育がうかがわれ、武末純一・福岡大名誉教授(考古学)は
「朝鮮半島では、馬の文化が中国から入る過程で、独自にアクセサリー用の小型品が作られ、大陸に近い一支国にいち早く渡ってきたのだろう」と評価している。
原の辻遺跡は船着き場の跡や、中国の鏡や貨幣、半島系の土器など、対外交流を示す遺構や遺物が多く出土している。
馬は石器時代に日本にありましたから
歴史の歪曲ではないけど
当たり前のように誤認が事実のように扱われている状態をなんと言うんだろう
馬は4世紀末に日本に入り、5世紀に普及が定説
違うのであれば、情報源を示した方がよい
日本でも新石器時代の遺跡から馬骨や歯の化石が出土している
知らないお前が著しく基本を知らない馬鹿
なんで関わってくるのか謎
新石器時代の日本列島に野生馬が生息していたことは事実
ただし次代の縄文、弥生時代の遺跡から馬骨は現在のところ一切発見されていない
新石器時代の馬は家畜化されることなく絶滅し、その後古墳時代に至り家畜化された馬が飼育技術者たる渡来人と共に急速かつ大量に導入されたとする説が支配的
手塚治虫の火の鳥の中で
卑弥呼が生きている時代の邪馬台国に
騎馬にのった軍隊が攻め込んでくる場面があるんだよな
邪馬台国の将軍は馬を初めてみて、なんだあの獣は?とビックリする
でも日本の歴史の通説では日本に馬が入ってきたのは
卑弥呼の時代から200年以上も経ってからの時代ってことになっている
手塚治虫の描いたあの場面は何か元ネタがあるんだろうか?
戦前に日朝同祖論が流行ってそこで登場したのが騎馬民族説だけど、辻褄が合わないので今では支持してる人がいない
ひんべえ!?ひんべえじゃないか!
クリリンの声で再生余裕
最古の鐙は4世紀初め
鐙が無い時代は、日常的に乗馬して
いる騎馬民族でないと、馬に乗って
戦うことはできなかった
箸墓古墳から出土したのが最古の鐙と言われてるよね。
古く見る人では300年頃っていうけど、あの古墳の築造は350年頃じゃね。
その後に水濠に鐙が捨てられたのは400年前後だろ
馬も乗せたまま太平洋に離れたんじゃないの
馬は居なかったとか猫は居なかった作り話すぎだろ
いや馬はいたんだけれど
大陸から離れた後の気候変動に耐えられずに
一度絶滅したと言われている
日本列島に馬が現れたのは、洪積世後期のウルム氷期(五万年~一万年前)に陸続きのカラフトを経由して大陸から、ヘラジカ・マンモス・野牛などとともに来たものと考えられており、大船渡市の地ノ森層から化石が発見され、当町でも八木浜で発見している。
しかし、氷期が終わり気候が温暖化し水面が上昇したことにより、日本列島は大陸から離れたため、これらの環境の変化に適応できなかった馬やマンモスなどは絶滅してしまう
1990年くらいまでは日本馬は当たり前だった
その後2000年くらいから朝鮮半島伝来説が有力になって
新石器時代までの日本馬は一度絶滅して入れ替わったことになった
さらに現在のデマレベルでは日本に元々馬がいなかったことになっており
現在はデマの方が主流
歴史が歪曲される瞬間がこうも簡単だとはな
いまやデマの方しか誰もしらない
UMA 扱いされてた頃のか馬だけに
UMAの名付け親である動物学者・実吉達郎は日本屈指のシャーロック・ホームズ研究家であり、コーエイ「三國志V武将FILE」の著者であり、歌手さねよしいさ子の父である
カササギは外来種として九州北部に留鳥として居る
カササギは一定の地に留まり、繁殖する習性がある
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
もしも魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、日本の鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
カササギが現在まで生き継いだ魏からの使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある
唐入り、朝鮮征伐の頃に持ち帰ったものだよ。
かささぎの渡せる橋におく霜の、、、、
この時代には知識としてはあった
それなら各地域に
本州でもカササギが生息、繁殖しているはず
https://www.travel.co.jp/guide/article/25647/
北米から渡って来たと言われる
大陸より古い
関東東北近辺にも旧石器新石器時代の馬骨・歯などは多く発掘されている
中新世にいたヒラマキウマはいまのウマとはぜんぜん違う種類で人類出現よりはるか昔に絶滅している
いちおう葛生から更新世のウマ(現生ウマと同じEquus)の歯が出ていることになっているけど葛生原人同様に時代が怪しい
時代が確実なものにかぎると、ウマの獣骨・獣歯は古墳時代以降しか出ていない
平牧馬はアジア全般に生息した馬の祖先だ
人類でいえば原人だよ
お前が言うには北京原人はいたけどそれは一度絶滅して入れ替わったというようなことだ
そうかもしれないがそうでないかもしれない
日本にはオオカミもいたし古くはヒグマも本州にいた
ウマのルーツに平牧馬がある以上連続性がある方が自然
縄文馬の出土品はあらゆる土地にあるが
お前の言うように平成中期以降に全否定された
確実なもの、というのはなんだ?
全部を調べたわけでもないのに全て否定するような嘘を言うな
卑怯な歴史捏造主義者たち
たった二十数年前までね
それがその後十年くらいの間に全否定された
代わりに強化されたのが数世紀後の朝鮮半島伝来説
その入れ替わりはあっという間だった
いまや日本に馬がいたことさえ誰も知らない
こういうのを本当の陰謀論というのだと思うけど
神功皇后は三韓征伐で高句麗の広開土王の騎兵に負けたから技術導入したんだよね。
(注、三韓は新羅など朝鮮半島南部の農耕民であって騎馬遊牧民の高句麗はそれに数えない)
魏志倭人伝には正体不明の動物が12種類も記載されてて
そのうち数種類はいまだに判明してない
要は使者の記述はほぼパラレルワールドで
ガリバー旅行記くらいのファンタジー伝聞でしかない
正確な日本の家畜習俗を伝えてるとは到底思えないし
そもそもその使者の移動距離で日本全ての文化を網羅したなどありえない
魏志倭人伝厨は無意味
無理矢理儒教価値観に合わせてあるから
あらゆることがバラバラだ
なんで農耕民が海渡んねん
どこに耕す土があんだよ
稲作の普及で人口が急速に増えた
朝鮮半島へ遠征できるほどの力を得たのは
稲作のおかげだぞ
最上神アマテラスは稲作を民に与えた神
天皇の重要祭事は稲の収穫を祝う新嘗祭
農耕民族の価値観だぞ
史前に分布していたほとんどは日本ふくめ狩猟圧をトドメに絶滅してんだよね
そのご家畜化と役用が黒海北岸あたりで始まり技術とともに再導入されたのが現生の家畜ウマ
イヌと同じで改良のけっか馬種はさまざまだけど動物としては1種しかない
日本の狼やら鹿やら色んな動物が、大陸の亜種だろ
馬だけ絶滅したの?
馬だけ絶滅するんかなぁ~
ゾウもサイも虎もいたが絶滅
馬は絶滅しやすい。日本在来馬も絶滅してるだろ。
Wikipedia
社会性の強い動物で、野生のものも家畜も群れをなす傾向がある。北アメリカ大陸原産とされるが、北米の野生種は、数千年前に絶滅している。欧州南東部にいたターパンが家畜化したという説もある。古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われた歴史がある。
中国人がツシマの日本語発音に対馬という字に当てたのでそっちが正しくなっただけ
「つ」は助詞。
おきつしま(= 沖の島) の おき が省略されたんだと思う。
日本各地に 津 の字が入る地名があって海とは関係ない。
つまり、津 の漢字は単なる当て字。
纏向遺跡の横から馬の埴輪が出てきたのに、やたら邪馬台国の卑弥呼が眠ってるとこじつける。
全く時代が合わないのにな。しかも、奈良盆地なんて淡水湖でコメも生産できない、人すらほとんど
住み着かない後進国なのに。先に水の引いたのが河内湖で人口爆発が起きて百舌古墳群がつくられるように
なった。奈良の水が引き始めるのは、この後。
近畿に馬が入って来たのは河内馬買荒籠(かわちのうまかいあらこ)とか倭馬養とかの名前がみられるように
河内北部に馬養職人たちが住み着いたころ。ここに拠点を置いたのが藤原氏(中臣)。彼らも馬飼職人とみている。
朝鮮半島から馬を持ち込み、日向に良い放牧地を見出したと思う。その後、河内で大掛かりな古墳がつくられるようになり、
馬の需要から北九州(大型船造営)→瀬戸内海→近畿と一族総出で移動してきたのだろう。
古志(越:邪馬台国)から近畿に進出してきた継体天皇や蘇我氏。その後、天智天皇に取り入ることに成功した藤原家は、
蘇我氏を徹底的に歴史から抹○し(失脚後は蘇我石川麻呂子孫が能登石川へ)、天武天皇から日本書紀編纂を命じられるが、
出来たときには崩御されており、好き勝手に書き換え。自分の一族のショボい出自を隠すため、あたかも先祖が天皇家と共に
歩んできたように捏造。先祖の馬飼職人が近畿に進出してきた物語を神武東遷というファンタジーに仕立て上げる。
まあゆうて箸墓古墳から馬具が見つかったのは古墳の外、地層的にも後世のものらしいし
馬具が見つかったこと自体は箸墓古墳が卑弥呼の墓であることを否定する材料にはならないと思う
もっとも箸墓古墳が卑弥呼の墓であるという根拠もないんだけどね
年代が50~100年ほど後
魏志倭人伝の記述から卑弥呼の墓は円墳であることが推測されるが箸墓古墳は前方後円墳
魏志倭人伝には槨がないと書いてあるのに槨がある
むしろ否定する材料しかない
一方、絹織物を作れず5~6世紀まで中華から輸入してたローマ帝国
鹿はやまほどいるのにねえ
https://auction.artron.net/paimai-art97239203
漢代の青銅馬なんて欠けてない状態でも
中国のオークションで100~150万円程度で売り買いされる
文化遺産にすらならないレベル
日本から象の化石も出てるのに、馬がいなかったなんてことあるの?
居なかった証拠なんて出せない悪魔の証明だけど
3世紀までに馬を飼いならして利用してた痕跡はゼロだろ
ただ馬体が小さく農耕にも荷役にも軍馬としても使えないから
大型の大陸種が入ってきて、これを繁殖させて使用した
以後全国各地で原産種との交配が進んで今に至るだろう
ヒラマキウマは東アジア原産のノウマで日本で発掘されたものが最古。当時日本は大陸だ
現代ウマの源流は一般に中東のターパンかモウコノウマだと言われているが明確にはなってない
全て近い種からの分離だから混血もあった
ターパンとヒラマキウマは現在絶滅。モウコノウマは現存する
モウコノウマもヒラマキウマも今の地形が出来る前からの存在なので
日本海をどう渡るかなど考える必要の無い動物
現代地図原理主義者は頭がおかしい
ヒラマキウマはノウマじゃねーよ
ロバよりも遠くウマ亜科ですらない
平牧馬はメリキップスの仲間と言われるが
ノウマの祖先種なのだからよいだろう
ウマ亜科だが
アジアの馬の進化は元々よくわかっていなくて
新種の可能性もあるもの
祖先種が絶滅してるのはそもそも当たり前の話なのに
ネアンデルタール人が現在にいないと存在したことまで否定されるのか
訓読みが無いと言ってもいいくらい
それくらい遅く入ってきたって事だ
「いこ」じゃないの?
い、ぬ→🐶
い、こ→🐴
べ、こ→🐄
虎もいたよね(´・ω・`)
トラもいたって説はあるね
秋吉台とかいろんなとこでトラの化石はみつかってる
大体のものはあるんでは
実際は知らんけど
北海道以外の在来種ってほぼ同じ種なんでしょ。本州は木曽馬しかないけど
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1635608990/
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