【考古学】国内最古級 2500年前の「準構造船」船材 弥生前期後半、鹿児島・中津野遺跡から出土、専門家「外洋航海の証拠」
鹿児島県立埋蔵文化財センターは23日、南さつま市金峰の中津野遺跡で2008年度に出土した木材が、約2500年前(弥生時代前期後半)の
「準構造船」の部材と判明したと発表した。国内の出土例を100年ほどさかのぼり、最古級という。
専門家は「高度な造船技術で、外洋航海が行われていたことを示す証拠」と評価する。
27日から上野原縄文の森(霧島市)で公開予定。
準構造船は丸木舟から発展し、積載量を増すため側板などを取り付けたもの。
センターの寺原徹調査課長によると、木材はカヤ製の板で、長さ2.7メートル、幅30センチ、厚さ5センチ。
18年から本格的に調査し、形状やほぞ穴から準構造船の舷側板と判断した。その後の放射性炭素年代測定で、紀元前5~4世紀の木材と分かった。
板は水の抵抗を防ぐためか、片面が丁寧に削られている。また別の舷側板と連結した跡があり、船の全長は6メートル程度と推定される。
中津野遺跡は東シナ海につながる川に面し、弥生時代の交易を示す高橋貝塚も近い。
板の出土場所は湿地だったため、腐らずに残った。
船での役目を終え、井戸枠など別の用途にリサイクルされていたと考えられる。
弥生前期の準構造船の部材は静岡や広島でも出土。
古代以前の船に詳しい柴田昌児・愛媛大学埋蔵文化財調査室長は「他の2例は紀元前3世紀頃と推定しており、中津野遺跡の船が最古級となる」として
「東シナ海を介し、造船技術も大陸の影響を受けていたのでは」と話した。
遺跡は国道270号宮崎バイパス改築工事のため、県が06~17年度に発掘した。出土品の整理と調査は継続中。
まあ、あり得るよね。>>1
たぶんこれだろ
当時の中国で一般的に使われていた構造船の一種
https://img.alicdn.com/imgextra/i1/45774307/O1CN01SbDSM91hgeRQrEyst_!!45774307.jpg
事前に埋めたんだろ?
ゴッドハンド藤村の件が有ってから、考古学は怪しい科学に成り下がったよな
藤村が旧石器にこだわったのは、石器に対しては科学的な測定法がないから
土器が出る縄文以降は、放射性炭素測定法があるので年代をごまかせない
ハワイまでだっけか
縄文土器の破片とか見つかってるしな
ちょうどその頃のがでてきたんだから貴重だよ
フェラ男のフェニキア人が渡ってきたに違いねえ
地中に仕舞ってあったんだぜ
放射性炭素年代測定ってでてるじゃん
なんで読まないの?
船を出せば、黒潮にのって沖縄、鹿児島、宮崎あたりに着くわな
宮崎からは玉壁が出てるな
熊本には阿智王の子孫とされる一族がいる
本来渡来人というのはこういう大陸王朝の末裔のことだろう
2500年前といえば太伯が興した句呉が滅んだころ
姫・紀をつけた苗字や地名はいくらでもある
和人は 太伯の子孫と思われていた
それなら 倭人は キョウ族人ということになる
キョウ族の特徴は ①天の子孫という伝説を持っている
②全体のために個人が犠牲となることを名誉と考える習慣がある
この点から 近畿ヤマト王権は太伯キョウ族かもしれない
いきなり100年も遡ったように考古学的発見は
従来の常識を時にドラスティックにひっくりかえすから面白い。
そして薩摩鹿児島で弥生時代に外洋公開可能な船が出たと
いやあ、これはロマンが進むなあ。
だってのちにはね歴史時代に薩摩隼人といわれるような
中原の朝廷、これもまあ先祖を遡れば偉大なる大韓由来なんだろうが
そこから異民族と扱われる尚武の地から出たと思うとねえ。
それにしても隼人、熊襲、蝦夷のような上古の先住民族
日本の史書では一方的に悪役的な先住民族とされる彼ら彼女らが
一体いかなる氏族であったか、まったく好奇心が刺激されるよああ。いやはや。
(そして上古の神話時代の昔に大和朝廷に征服された
その薩摩の人士の後裔が明治維新の転回をなして
近代日本から現代に至るまでの「日本」の枢要を形作ったと来れば
これは歴史の皮肉でもありかつまたロマンでもあるよなあ)
ポリネシア人の御先祖が台湾から出たのは確定したのだし、南だけではなく北に行った人間も確実にいたはず
神奈川~伊豆半島あたりに勢力を持っていた名残ではないか
からこれは亡命船(一方通行)とみられる。
辻褄合うわけない。
砂漠なわけないし。
まさか、ペルシアから?!
2500年前だと、丁度鉄器や青銅器が日本へ伝わった頃だな。
中国大陸からの渡来人が中心なら神道じゃなくて儒教中心だろうし、文書や言語が中国大陸由来のものがもっと残されていないとおかしい。
中国大陸文化の伝達はあくまで、漢字の先生として招聘した仏教僧を通じて、少しずつ伝播したと考えるべき。
大陸といっても主流はアカ族みたいなあたりからだろう
鳥居なんてまんまだし、発掘されるやつと
その一例が山口の土井が浜遺跡で、ここの人骨は中国の山東半島あたりの人間の
特長を持っている。
背が高く、後頭部は絶壁、顔も彫が浅い
明治維新で活躍した人物のかなりの割合が、その子孫だとワシは考えている
2500年前って何世代経ってんだよw
商船は大きくても排水量は書かない。
その前提で、排水量ってのは、漕ぐときにそれだけの水を搔きわけることになるんで、軽く仕上げようとするだろ。
陸揚げとか、どうしても陸地を横切らなければならない場合もある。
その前提で。おとな5人乗りなら500kgでも無駄。多分250kg程度。
全然違いそうだよな
陸続きだと周りから侵略されやすいから何度も何度も
2600年の間に入れ替わったり混血してそう。
中国人と言ってもいろいろだからな
普通は漢民族のことを言うのだろうが
これが2500年前に滅んだ句呉由来のものとすれば漢民族とはほとんど関係ない
約3000年前の周の時代の古人骨からは、ハプログループQ (Y染色体)が約59%の高頻度で観察された。現代の漢民族に高頻度のハプログループO2 (Y染色体)は27%しか見られない[25]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8
ドラゴンボート競走とか組み合わせる船足の並みを揃える目的で行われたのが起源だし
日本の土壌だと骨が残りにくいから古墳時代に入る以前の調査は難しいんだよな
両側支持架浮きの丸木舟から構造船への劇的変化か
当時の周辺海域はジャンク船やダウ船ばかりなのに
ゴッドハンドかよw
準構造船と書いてあるだろ。準構造船は丸木舟の一種だぞ。
基本的には北九州説支持なんだけど、どちらもヤマトのくにで、前期と後期に別れてるのかなと
魏志倭人伝の邪馬台国=山門国、畿内の大和朝廷=畿内に遷都した山門国と考察する
熊本辺りにいる中東人みたいなのがそれかもな
波浪で側板の接合部が破断しそうだけど
2500年前って日本で言えばウホウホ期だけど中国だと秦とかあるやん
日本は縄文時代から南西諸島の貝が
全国に流通していた事が分かっている。
この磨製石器が、木材の加工技術の発達をもたらし、
外洋進出をいち早く成功させたのだろう。
『魏略』や『晋書』、『新撰姓氏録』など各史書が記すとおり、紀元前473年、中国・揚子江(長江)河口の北側にあった呉国が対岸の越国に滅ぼされ、支配者層が船に飛び乗って列島へ逃亡してきたのだ。
紀とか木、基、記などいろんな漢字で表されている姫氏の本貫地は九州の西北部分だったのだ。ただ、漂着した紀氏は呉国の紀氏だけではなかろう。中国の戦国時代、中国のあちこちに50ケ国近くあった紀氏の国は次々と秦によって滅ぼされた。記録はまだ見つからないが、このうちいくつかの国の人々は故国を捨てて列島に逃げたのではないかと思われる。故国に止まっていても悲惨な運命が待ち受けているだけだからだ。
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1619247346/
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