【考古学】全国初!奈良・橿原で弥生時代の川の治水跡が見つかる
奈良県橿原市の弥生時代の遺跡から、川と川をつなぐ形で人工的に掘った溝の跡が見つかりました。
弥生時代の川の治水の跡が見つかるのは全国で初めてだということで、専門家は「集落を守るために弥生時代の人が行った工夫がうかがえる貴重な史料だ」と話しています。
奈良県立橿原考古学研究所が橿原市にある弥生時代の遺跡、およそ6000平方メートルを発掘調査したところ、およそ1900年前の弥生時代後期のものとみられる川の跡などが新たに見つかりました。
また、蛇行した川に接続する形で幅およそ1.5メートル、深さが40センチほどの水路のような人工の溝がおよそ50メートルにわたって掘られていたことが分かりました。
現場が低地であることや、人工の溝には農業用として使われた場合の特有の特徴もみられないことから、一定の水深を超えた川の水をう回させたり、あふれ出た水が近くの集落に流れ込むのを防いだりするために使われたとみられるということです。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
NHK NEWS WEB 2020年12月9日 23時43分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201209/k10012756011000.html
>蛇行した川に接続する形で幅およそ1.5メートル、深さが40センチほどの水路のような人工の溝がおよそ50メートルにわたって掘られていた
小学生にも思い浮かんで出来そうなことで、特別すごいことには思えません
すごいのは、そのような遺構が見つかった、というその点のみにあるでしょう
九州と違って、理屈は出てもモノが出ないな
古代からやってたんだねぇ
あれ スゴイ苦労するんだよ
ね
大雨降ったあとは、砂利がたくさん溝に混入したりするから
砂利を片付けるために、ミニキャタピラーショベルカーが必要なんだよね
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期~晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。
明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。
鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。
鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。
稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
さらに言うなら、古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域だった。
つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したことになる。
邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐
終わり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%E7%B0%E3%AE%E6%BA%9D
悲しいほど地味だな
【考古学】古墳時代(約1700年前)に浄化した水を使って祭祀 最古級、導水施設が出土 日本書紀の記述裏付け 京都 [すらいむ★]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1605423939/l50
遺跡は日本書紀の記載の遺跡と同定されているんだよな・・・
200年の間に何があった・・・奈良の橿原の遺跡なら何らかの記録に残っていそうなもんだが・・
柏原の近くとか紛らわしーから
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1607844586/
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