【NHK】国内最古の本格的な庭園遺跡、奈良県明日香村の飛鳥京跡苑池の全容解明 復元公開に向けて整備
今回の調査で、庭園の池の全容が解明し、県は今後、復元や公開に向けて、整備を進めることにしています。
明日香村の「飛鳥京跡苑池」は、1300年余り前の飛鳥時代に天皇の宮殿のそばに造られた国内最古の本格的な庭園の遺跡です。
橿原考古学研究所が発掘調査を進めたところ、北池と、その北側にある水路が溝でつながっていたことがわかりました。
溝は石を積み上げて造られていて、幅はおよそ60センチ、深さはおよそ40センチ、長さは14メートルもあり、池からあふれた水を水路に流すために設けられていたいうことです。
…続きはソースで(動画あり)。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20211202/2050009085.html
2021年12月2日 17時02分
よくわからんけど、
飛鳥時代の遺跡とすると「国内最古」とはいえなくないか?
平安時代の寝殿造では庭園と呼べるけど、
豪族居館でも環濠はあるわけだし。
「庭園」とするなら巨大な石か、
奈良県には生えてない植物の種子とか出てこないと無理だろ
朝鮮式庭園とか中国式庭園なら最古で文句ないけど
平城京跡の復元が50年
因みに事業が始まったのはつい5年前
大河ドラマやってほしい
飛鳥奈良時代は皇族同士の争いだから大河にしにくい
太平記ですら、天皇と皇子が中盤悪役になるってだけで
平成になるまで大河にできなかった
それな
特に古墳時代から飛鳥時代にかけては、記紀では皇族同士の争いな様に書かれてるが、実際には別の王家であった可能性が高く、万世一系の根幹に関わるので触れない
長屋王屋敷跡遺跡跡地みたく、そごうにならないかな?
https://i.imgur.com/X8Qk6dE.png
クジラが潮吹いた感じか
元々こうだったの?
そうはなくね奈良?
大学で言ったら、共通一次試験が実施される前に一期校・二期校制度で一時期は
東大京大一橋大の一期校落ちが浪人したくねえって蝟集して、東北大や九大の
経済学部の偏差値越えちまってた横国大経済とか、神田駿河台にあって20年間
首位の司法試験実績誇ってたのに田舎に移転して堕ちた中央大法学部よりも
さらにひどくね?なんでこうなった??
平城遷都のときに飛鳥の建物を解体して奈良に移転したから、飛鳥は建物が残らなかった。
長岡遷都、平安遷都は奈良の仏教勢力を政治から遠ざけたいのが動機の1つだったから、奈良には寺社が残った。
しかし奈良時代にはまだ町民階級が発達していなかったから、平城京の住民はみな官僚で
長岡京や平安京に引っ越ししてしまい、奈良は寺社を残して田園地帯に戻った。
中世にも重要な土地であり続けたので、かえって戦争の舞台になって
農民が耕作を放棄して転出したために土地が荒れ果てた。
織田信長の時代に諸大名に褒美として細切れに与えられたり、江戸時代に幕府直轄領だったりして
大大名がいなかったせいで、江戸時代に全国で行われたような大規模な農地開発や産業振興が
大和国では行われなかった。
紀元前に中米の都市が世界で1番人口多かったりするから
日本とか奈良とか全く意味ねーよ
時代が全く違うので、血が多少継承されてるかも知れんが、末裔と言えるレベルじゃないよ
古代イスラエル王国の滅亡がBC8世紀で、秦王朝が存在したのはBC3世紀だから、その間にも500年の差がある
秦河勝とかが日本に来たのは6世紀頃だから、さらに900年の差があって、古代イスラエルからは1400年も経ってる
関西大学や。
倭国語と日本語も別だったんだろ
だから、なんとなく中途半端に
🇯🇵日本語は🇭🇺ハンガリー語に似てる
紀元前に噴水を発明したギリシャローマは偉大だな
藤原京以前の天皇の代ごとに宮が移転していた時代に
宮が作られることが多かった地域の総称なんだな
具体的には藤原京より少し南の丘陵地
地下に観光資源がザクザク埋まってますが一気に出さずに小出しにする戦略のようです
京都は知識皆無でも雰囲気で楽しめるけど
奈良は歴史の知識が無いと楽しめないからじゃなかろうか
飛鳥の石舞台古墳とかも知識なければただの石だしな
古墳も丘にしか見えないからなあ…
東大寺とか法隆寺は「流石だなぁ」とは思うじゃん
古墳ですごいのは大山古墳くらいで、
「ああ、史実だとここにキン肉マンが鍵を差し込んだよな」とか思うけど、
東日本一位の天神山は日本で五位でもあるが、
言ってもへーとしか出てこない
三内丸山とか吉野ヶ里も復元物見ないとわかんないしな
鹿苑寺金閣ですら復元なんだもの
奈良のよさがわからん奴に
京都のよさはわからんやろ。
抹茶ソフトとかで京都気分満喫してそう。
自転車でダラダラ遺跡周りてぇ
手とか目とか
買うの?金湧いてきたの?
大変だな南朝は。
賀名生宮ってちょっと大きめの普通の家だったそうじゃん。
馬子は飛鳥川の水で島の有る池を作ったから、嶋大臣と呼ばれた。
珍しいものだったと考えられる、って話だったが?
外国人をもてなす、と言う対象は、百済人は家臣で氏姓を受けてるから、
遣隋使で聖徳太子が招請した600年早々の鴻蘆寺の掌客、裴世清しかいないと思うが?
或いは、馬子が世話した天皇や聖徳の家庭教師の五経博士?
僧侶なら、寺が在るし? 鴻臚館の池が南池?
蘇我の後だと663白村江や戦後処理であちこちに山城作って、天智は近江に籠る。
別に日本を否定するつもりは無いのに
純粋な倭国語/日本語を復元するのが
面白くね?
新羅語が先かな
土建屋が儲かるだけ。
俺は日本の各国風土記に割と良く出てくる清々しい湧き水の出る場所に集まって人々が食事をしたり、酒を飲んだ場所が庭園の原型ではないかと思ってる。即ち庭園とは、そのような場所を人工的に作り上げたものではないか?
そうそう
人工で自然の景色を借りたもの、
つまり借景ならわかるんだよ
例えば「香炉峰の雪は簾を掲げてみる」とかで、
山水画に見立ててるならわかる
でも吉野山の自然の岩石の前で宴席やっても
「庭園」とは言わんわな
奈良飛鳥は箸墓纏向ひっくるめて、邪馬台国だって言い張って金集めるから
ものすごく胡散臭い。
団体がそのまんまだし。
>>でも吉野山の自然の岩石の前で宴席やっても
「庭園」とは言わんわな
まあ、1で考古学者達が言う「庭園」とは、そこ
そこの土木的労力によって出来たものを指すのかな。
前のレスに割と出る前方後円墳なども庭園と似てるが、
そのタヒ者と関連した聖的要素の希薄なものが一般庭園なのかな。
借景に頼らず、敷地内だけで完結するような庭園が果たして日本の
飛鳥時代にあったかどうかは疑問だが。
1の話だけでは何とも言えんような。
続き
俺の地元高知に100以上もある神母(いげ)神社の伝承を収集した桂井和雄の話でも、
毎年、一度集落の者が集まってお供えをし、飲み食いしたのが神母神社というが、やはり
川や池の近くに位置していて水と関係があるようだ。
場所によっては畝丘樹下神社と書いて、いげじんじゃと読ませる場合もある。
大体は稲荷神社のバリエーションの一つだと思うが、祭神は宇迦の御霊の神というのが共通点。
日本書紀にはナキサワメの命と関連付けられ、奈良県にも同名の神社がある。
>>奈良県にも同名の神社がある。
これは畝丘樹下神社と似た、奈良の畝尾都多本神社
庭園だったのではないか?
しかし、俺のような素人からすると、何故日本では石の加工技術が発達しなかったのか、
不思議。
大阪の仁徳天皇古墳から明日香までの古代の外交ルートを歩いてみたい
古道を歩くマニアのスレあるよな
あれはマニアック過ぎて引いた
その丘の上に蘇我氏の邸宅があり下の平地にある天皇の宮殿も見下ろしてたとか
その邸宅がはざまのみかどと呼ばれたり本来天皇が持つべき歴史書を持ってたり
実は蘇我氏は正統な天皇家で乙巳の変(大化の改新)は王朝交代のクーデターだったのでは
その後系図は書き換えられ一豪族だったということにされたのではと明日香村で思った
出てくる度に工事が止まって遅々として進まない予感がする
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1638509702/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません