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毛利元就や輝元などの書状 原本約70通見つかる
2019年3月29日 4時34分
毛利元就や孫の輝元など、戦国大名の毛利氏が隣国との戦の中で家臣に送った書状などの原本が、およそ70通まとまった形で見つかりました。調査に当たった専門家は「原本がこれだけ大量に出てくることはめったになく、貴重な発見だ」と指摘しています。
書状は広島県内の男性が所有し、東京大学史料編纂所や広島大学などが調査を行いました。
戦国時代に中国地方を治めていた毛利元就や息子の隆元、孫の輝元が家臣に送った書状を中心におよそ70通が残され、いずれも内容や筆跡などから、後世の写しではない「原本」と判断されました。
このうち元就と隆元が連名で家臣に宛てた書状は、隣国の大内義長との戦の中で、「和睦を結ぶうわさがあるが、まだ決まったわけではない。もしそうなったら伝えるし、お前たちを悪いようにはしない」などと書かれていて、戦の実情や家臣を掌握する様子がうかがえます。
一連の書状は江戸時代に書かれた写しが残されていますが、原本の所在はわかっていなかったということです。
調査にあたった東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授は「ないと思われていた原本がこれだけ大量に出てくることはめったになく、大変貴重だ。この時代の動きがより具体的に究明されるのではないか」と話しています。
秀吉の朱印状原本も
今回見つかった書状の中には、朝鮮侵略を進めていた豊臣秀吉が、文禄2年(1593年)に毛利輝元に宛てた朱印状の原本も残っていました。
この時期には和睦の話が出始めていましたが、秀吉は輝元に対して、兵の準備や食糧を備蓄しておくよう指示を送っています。
用意するものについて、兵は9000人、鉄砲は250丁、米は1万3500石などと具体的な数字が示され、交渉がまとまらなかった場合の計画も進められていたことがうかがえます。
書状には秀吉の朱印もきれいに残っていて、調査を行った東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授は「朱印状の原本は数自体が少ないので、大変貴重だと思います。今回の一連の書状の発見で、当時の豊臣政権を含めた政治の動きや実際の軍隊の動きもわかってくるのではないか」と指摘しています。
このほか、江戸時代に入ってからの毛利家に関する書状も数百通が新たに見つかり、今後、調査が進められるということです。
こういうのって寄付する人も多いだろうけど、
公的機関が買い取ってくれるもの?
原本は広島県呉市の保管者が、山口県周南市の親族宅で
遺品整理中に発見した。
>>1
どっかの博物館に寄贈してお願い。
個人所蔵だと、こんな貴重な歴史資料も危なくなる。
山口県防府市の毛利博物館が一番いいと思う。
最近次々と戦国時代の書状が「発見」されてるな
丁重に扱われていた書画に比べこういう実務的な書状は
何を書いてるか分からんし紙質も悪くて放置されてたのが
近年になって学術機関へ大量に持ち込まれ調査が進んで来ているんだな
当時の一次資料になりうる書状は有名絵師の絵画並みに貴重だとの認識がようやく広まってきた
テレビの鑑定番組の影響だろうか
>>68
なんでも鑑定団の影響は確かにあるよ。
それまで表装がボロボロになった掛軸(本紙は無事なのに)とか古文書は破棄する人、庭で
焼いてしまう人が多かったのに、「金になるかも」という理由でとっておく人が増えた。
歴史的価値とかではなく、金銭的価値に動かされたのが残念だけど。
こういう公共のための価値意識の無さは、日本は欧米より中国に近いと思う。
当時の紙のが紙の質は今よりいいぞ。和紙どから安定してる。昭和の工業紙のがもたないから。困ってる。
というか、江戸時代に他人の手紙を複製した理由は何?
一族の方でしょう
毛利家の関係者とか、吉川家の吉川晃司以外にも広島にたくさん住んでる
小早川家の人とか
吉川も小早川も毛利が乗っ取った一族やから、今も残る人から見ると毛利は敵やで。
小早川は断絶してるし
吉川一族は毛利家の被官なんだが
状態がかなりいいな
和紙凄過ぎ
ちゃんと作った和紙の保存能力はすごいよね
和紙と墨のおかげやな
でもさ、本当に本人が書いてるのかな?
家臣に書かせたりしてないの?
右筆が書いて花押だけ直筆
ってパターンも直筆扱いじゃなかったかな
この人の名前聞くけど何をやった人なの?
三本の矢の話くらい知ってるだろw
サッカーのサンフレッチェの名前の由来にもなってる
>>16
広島の安芸高田市ってところを検索してみればわかるがその小さい領地から中国地方一帯と九州の一部まで一代で勢力広げた人
10歳ぐらいで父親にタヒなれて家臣に城も取られて乞食王子と呼ばれてた苦労人でもある
で、毛利家自体はそこそこ古い家系で源頼朝の重臣だった大江広元が先祖
ちなみに頼朝重臣には島津もいた為、鎌倉にある頼朝墓には毛利と島津の家紋も入ってる
その毛利と島津が維新を起こすところに日本史は結局一握りの名家だけが動かして来た闇も感じる
>>16
毛利家はたびたび歴史を動かしてきたよ。
本能寺の変の時に豊臣秀吉は毛利と戦っていて、毛利と素早く和睦できたから天下を取れた。
関ヶ原の戦いの時も毛利は西軍の総大将やってて、結局は日和見して徳川の天下になった。
そして、明治維新の時は毛利の長州藩は倒幕の原動力となった。
今も日本では長州系政治家(安倍晋三など)が強いけど、それも関係あると言えばあるかな?
幕末で有名な長州藩って毛利が殿様の藩やで?
https://pleasure-bit.com/846.html
吉川が大河で織田信長をやることになった時、
親戚筋から 『敵じゃないか』と意見されたらしい
未だに毛利本家からは嫌われてるのかな(´・ω・`)
親戚会議したらしい
http://www.news24.jp/nnn/news16281178.html
浅野氏が広島入城して400年となるのを記念して
原爆で焼失した初代藩主・長晟の肖像画が復元された
家康の娘(出戻りバツ1)に、高齢出産させて、高齢出産でタヒんじゃったけど、大名になった人やな。
で、兄がぐれた家系になって忠臣蔵。
>>26
スギモリ氏(漢字が出ない)という
大内氏から毛利に従った山口の領主
毛利氏は外様への命令権が弱く、元就ら当主はこんな懐柔の手紙を多く書かねばならなかったそうです。
その気づかいで隆元さんは過労タヒ…
遊びに行くと床の間に大小脇差が飾ってあったな
元就の三男って 小早川隆景なんだが?
子供がいないから、末弟を養子にしてたけど
なんだかんだで、小早川秀秋に継がせて 断絶してるが
小早川隆景の弟の小早川秀包の子孫じゃないのかな?
それだったら長州藩の重臣として残ってるよ。
または明治になって毛利本家から再興した小早川家とか?
>>114
小早川を再興したのは 長州藩14代目の元徳の子からだぞ
輝元の次男 就隆の子孫
しかし戦災とか潜り抜けてよく残っとったな。
じゃあそれほどたいした発見じゃないな
お宝として価値があるだけ
コピーミスが見つかるかもしれないし
サインや印も貴重な情報
使われている紙や墨の情報もね
かすれとか筆運びも
毛利輝元 傾国の烙印を押された男
毛利輝元 西国の儀任せ置かるの由候
> この本を読むまでは、毛利輝元というと、偉かった毛利元就の孫で、ちょっとダメなおぼっちゃまくん
> というイメージでしたが、読んでみて認識が変わりました。そうなんですね。後世の結果を知ってる
> 私たちの目線で考えるとダメ夫くんになっちゃうけど、彼らは切れたら血が出る生身の人間なんですよね。
> そもそもあそこまで追い込まれて潰さなかったってことはすごいことなんだって。目から鱗の素晴らしい一冊でした
この取り扱い方は許されないのでは
彼らも子孫だったんだろうか
元重臣の子孫とかに金でも貸してたのかな
まあ蔵とか持ってる人だろうね
こういうのは保存が大変だよ
みんなも変な古いものあったら面倒だけど役所とか博物館とかにお知らせしてあげてよ
兄の子も病タヒして家の存続すら危うかったのにあれだけの繁栄を導いたのはすごい。
幕末に輝元の子孫に戻ったけど、虫の子の穂井田の子孫、秀元が本家を乗っ取ってたけどな。
あと、三本の矢は、孫の輝元を息子2人と娘婿の3人で支えよ。みたいなのが事実らしい。
虫の子というけど乃美の大方は後妻だからな
しかも秀元や秀包は優秀だった
秀元や秀包の部隊は徳川本隊より強かったろうな
なんと言っても実戦経験が違うから
総大将がア○だと勝てる戦も勝てん
それでも家は残して幕末活躍だから凄いね
関ヶ原の戦いもどうなってたかわからん
少なくとも南宮山には陣を張らなかっただろう
和紙の寿命はなぜ長いのでしょうか?
https://dtp-bbs.com/road-to-the-paper/column/column-093.html
「和紙1000年、洋紙100年」といわれます
これは紙の寿命のことです。これはなぜでしょうか。
洋紙については、1970年代に劣化の問題が起こりました。欧米で、
図書館に収められた古い蔵書に次々と激しい劣化が見られ、
手にとって広げただけで本が修復できないほどボロボロになってしまいました。
原因は紙の中の硫酸です。
和紙は、油断しているとシケムシがおいしいおいしいと食べちゃうけどな。
西軍の毛利は長州藩、島津は薩摩藩となった。いつか見ていろと江戸時代を過ごしたのだろう。
情報の重要性を誰よりも理解していたんだろう。
>>122
残虐じゃない人なんてむしろ少数派
人格者扱いの山内一豊さんでも「相撲大会」で呼び出した丸腰の地元武士たちを皆○しにしたりしてる
その武士たちの身内の末裔が後の土佐藩の下級武士
龍馬の実家もそれ
その後越後の南条という土地を領してさらに安芸の高田郡吉田にも領地を得るが、本家の毛利氏は三浦氏に味方した宝治合戦で北条氏に破れ滅亡してしまった
生き残った南条の毛利氏はその後南条氏と名字を変え、やがて越後上杉氏に仕えたが、安芸吉田を治めていた分家はそのまま毛利を名乗り続け戦国時代に成り上がって西国の雄として君臨することになる
“北”条じゃね?(きたじょう) 刈羽地方だっけ?
北条高広な “広”の文字が入ってる 毛利も江戸時代の殿様に”広”の字を入れているのがいなかったっけか
>>151
毛利の通字は広と元だからね
江戸時代は元就の就も通字になった
越後では北条家と安田家が有名
北条家は北条高広、景広親子
安田家では安田顕元、能元兄弟が謙信の部将として有名
大江広元が先祖で自慢できる人やからな。
タヒんだ後は信長に滅ぼされかけてたし
毛利敬親は?徳川家に勝ったんやけどな。
織田もすごいのは信長だけじゃない?
信秀はせいぜい中の上くらい
その点島津は凄いよな
家久「暗君無し」(暴君が居ないとは言っていない)
価値は相当でしょ?
一億円でうるわ。
そんな値はつかない…
市場価格は一通あたり200万くらい、買値がその十分の一から五分の一くらいじゃないかね。
リーマンショック前だと、家康や三好長慶で400万とかしたけど。
しかし、中国人のような発言をするさもしい人間だな。>>139
黒澤明の「乱」で毛利の矢の話もディスられてたな。
志村けん「ここに・・・三本の矢がある・・・矢があるね・・・」
引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553802230/
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