令和天皇の曾祖父、大正天皇について知っていること
(その為、神前結婚式が一般に普及したと言われている)、側室を持たなかったりと色々な
エピソードのある人だね。
大正デモクラシーもあった事だし
実はけっこうまともだったという説もある。
>>14
大正天皇は病弱で病んでたんだよ。
大正天皇が健康だったと言うのは原武史が史料をパッチワークしてつくった蓋然性のない奇説。
人物評価が定まってないどころかエピソードすら断片的に語られてるだけだもんな
このお方の本当のご病名は何だったのかな??
失行、記憶障害、失語が徐々に進行していたのは記録上、間違いない。
摂政を立てて葉山で静養しておられた時期のご様子の断片的な記録では、
晩年には知的障害にまで進行した可能性も大きい。
何らかの緩徐進行性の脳神経疾患を患っておられた、という所までは想像できるが・・・
「1リットルの涙」で有名になった脊髄小脳変性症とも少し違うようだ。
アルツハイマー病とは全然違うし。ピック病でもないし。まして(当時噂になった)梅毒でもないし。
では何だったのか・・・
ご幼少の頃のご様子を読むと、どうやら多動性学習障害だった疑いがあり、
色々とご病弱だったのも間違いないが、後年の脳疾患との直接の関係はないだろう。
当時の公式発表では、ご幼年の頃の脳膜炎との関係を推察しているが、かなりピント外れな感じだ。
あれはあの当時の最高の医学の結論だろうが、まあ時代の限界か。
緩徐進行性の脳神経の変性疾患といっても、ネット上の情報を見ると
現代医学でも最先端の(未解明の部分が多い)テーマのようだ。
現段階ではご病名の結論を出すのはまだ無理、ということか。
馬術や漢詩の実力はかなりのレベルだったらしいし
公務で地方に行った時は毎回気さくに国民とコミュニケーション取ってたみたいだし、
当時の新聞でも好意的に伝えられている
おいタバコ吸うか?とかなw
大正天皇が葉山御用邸で葉巻を吸われている画像があるがかっこいいぜ
訪韓時の集合写真もキリッとしてる
脳を病んでゐたことと,書や漢詩が立派だったこととは,両立しうることだ.
思無邪(おもひよこしまなし)で清々しいことではないか.
作者を知らずに立派な作品をみて感動し,実はそれが大正天皇の作だとあとで知らされて
二重に感動する.そんな経験をした人も少なくあるまい.
「立派な書や漢詩を残したのだから,知的障害はなかったにちがひない」などといふのは
まったくつまらぬ俗論だ.
>>61
高い教養と知性、大衆を魅了した人格的魅力は前提として考えるべきだと思う。これらを兼ね備えていて、精神を病む事はままある。
正常な人間が異常な事態に暴露され続けて異常をきたすのもまた正常な反応だ。
文学者は精神疾患を抱えた者の率が多い職業だ。人間関係を持つ事に障害があっても従事する事が可能だからだ。しかし強度の知的障害があれば従事する事は不可能だ。
それ考えると結構恐い。>>65
天皇の皇位の世襲は、神武を祖とする父系出自集団の一部を天皇と皇親からなる皇室とし、次代は皇親のなかから選ばれる世襲。皇位の継承は財産の相続ではないので、良かれあしかれ問題のある人物の排除は可能。
大正天皇の場合は摂政を置く事になったが。
大正天皇を知ろうとしたら、とりあえず、どの本を読めばいいの?
[itemlink post_id="574″]
この動画で明治天皇の少年時代、青年時代、壮年期の写真を
どアップで比べてるけど
子供時代だけ全く別人に見えるね。
明治時代にも写真修整があった!
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=-8wlDw_5aCU#t=51
ある日、船の上からトカラ列島を御覧になっていた天皇は、「あの島に学校はあるか」と側近にお尋ねになった。
この御下問がきっかけになり、トカラに初めて小学校ができたという。
大正天皇
漢詩に造詣の深かった人
>>90 続き
1367首作られたという
歴代天皇の中ではダントツ
私的な感情をゆったりと詠まれたものが実に多い
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません