【歴史】そう言えば開国を迫ったペリー提督って「黒船」の後どうなったの?幕末の素朴な疑問を紹介
Japaaan 角田晶生(つのだ あきお)@2021/05/18
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泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四盃で 夜も寝られず
これは幕末の嘉永6年(1853年)7月8日、日本の開国を求めて浦賀(現:神奈川県横須賀市)沖にやってきたペリー提督ら東インド艦隊の衝撃を詠んだ狂歌です。
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黒船来航に守りを固める幕府当局。東洲勝月 「米船渡来 旧諸藩士固之図」より。
上喜撰(じょうきせん)とは上等なお茶で、(略)
幕府に白旗プレゼント…ヤる気満々で日本へ出航!
ペリー(マシュー・カルブレイス・ペリー。以下ペリーで統一)は1794年4月10日、アメリカ合衆国ロードアイランド州ニューポートで、海軍士官のクリストファー・レイモンド・ペリーの三男として誕生しました。
父と同じく海軍に入隊してキャリアを重ね、1852年11月に東インド艦隊司令長官(提督)に就任。フィルモア大統領から日本に開国を求める親書を託され、アメリカを出航します。
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ミラード・フィルモア大統領。Wikipediaより。
この時、ペリーは日本に対して脅しをかけてやろうと「白旗」の贈呈を大統領に進言しました。
「我らが艦隊の威容を見せつけた上で『開国を拒むなら一戦を交えるので、貴国には降伏の印=白旗が必要になるだろう』という、素敵なメッセージを発信してはどうでしょうか?」
万事チカラにモノを言わせ、弱いと見れば徹底的になぶり倒す……ペリーってのは、こういうヤツ(※)です。が、常識人のフィルモア大統領は進言を却下。
(※)日本遠征任務に先立ち、グラハム海軍長官に「日本人は清国人と同じく、友好よりも恐怖に訴えた方が上手く支配できるだろう。それには、バ○でも実力差を理解できるよう視覚に訴える最新鋭の蒸気船が有効だ」などと進言しています。
「バ○モン!我らはあくまでも平和的な友好を望んでおる……いらん挑発をして、同胞に無用の犠牲を出すでない!」
「はーい、すんませんでしたー(棒)」
でも、いざ浦賀に着くと「どうせ本国にはバレないだろう」とばかり徳川幕府に白旗を差し出してしまうのだから、まったくいい度胸をしています(もちろん、幕府当局でも大騒ぎになりましたが、国際問題にしたくないため、不問に処されています)。
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礼節と文化をもってペリーを敬服せしめた琉球国の尚泰王。Wikipediaより。
しかし、大西洋からインド洋経由(※)で琉球国(現:沖縄県)までやって来ると、礼節正しいもてなしと高度な文化(精巧な建築や街並みの美しさなど)に面食らってしまい、それまでの「忌まわしき野蛮人ども」という認識を若干改めたと言いますから、根っからの悪人でもなかったのかも知れません。
(※)アメリカから日本に渡ってきたというと、現代的な感覚では太平洋を横断してきたかのようなイメージを持ちますが、史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。
エピローグ:その後のペリー
エピローグ
さて、交渉のすえ嘉永7年(1854年)3月3日に日米和親条約を調印、7月11日に琉米修好条約を締結、日本開国の大役を果たしたペリーは香港へ渡りました。
かねて体調を悪くしていたペリーはアメリカ本国に帰国申請を出し、許可が出ると東インド艦隊の指揮権を譲ってミシシッピ号を下船。イギリス船に乗せてもらってニューヨークへ帰還し、1855年1月22日、東インド艦隊司令長官の退任式が挙行されます。
余談ながら「たった四杯」と詠まれた蒸気船ですが、実は浦賀に来航した軍艦4隻のうち蒸気船はミシシッピとサスケハナの2隻のみで、残るプリマスとサラトガは帆船だったそうです。
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ペリーの肖像と晩年の写真。Wikipediaより。
晩年は日本への遠征中に測定した気象情報をまとめたり、遠征の体験記を出版したりなど精力的に活動し、1858年3月4日、63歳の生涯に幕を下ろしました。
永い泰平の眠りから叩き起こされたことで、日本は激動の時代に突入していくのですが、そんなことなどお構いなしで永遠の眠りにつくペリー……何だか、彼らしいと言えばらしいですね。(略)
>史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。
なんでこんな大嘘を堂々と書いてんだ?
ほんとだw
堂々とデマ書きすぎててスルーしてたわ
その300年前にマゼランが太平洋横断どころか世界一周してるのに
https://stat.ameba.jp/user_images/20150505/01/yoshiki-0722/9d/dc/j/o0480060013296712339.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20150505/01/yoshiki-0722/3f/b1/j/o0480057113296712369.jpg
>史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。
違うだろ
江戸時代初めにスペインが太平洋渡って来てるし、日本人なら慶長使節団が太平洋渡ってる
アル中でタヒんだそうだよ
ウィスキーたんまり積んできて、日本の使節に飲ませたり時の将軍に
1樽贈ったりしてたらしい。
江戸時代の日本人はウイスキーどんな感想だったんだろ
麦焼酎で似た味わいのはあるよね
琉球王は形式上もてなしたけど、清国の冊封使より明らかに下位の料理を出して、早くお引取りくださいという意思表示をしたんだけどな。
>浦賀来航(西暦1853年)の際に幕府に旗を2本贈っているが、旗の種類及び贈った目的は不明である。
ペリーの交渉態度が高圧的かつ恫喝的と見られたせいか、砲艦外交と呼ばれる。
仮に白旗渡したなら幸福って意味だし、
白は源氏旗なので意味がない
オランダ商館の連中がいるのはもちろん、アヘン戦争によって幕閣レベルなら西洋での白旗=降伏ってのは常識的な知識として知れ渡ってたんだよ
最悪戦争になったらそれを千代田の城に掲げなさいって渡してんだ
一海軍兵の偉い人ってかんじか
日米和親条約にならって琉米修好条約結んだみたいな書き方が>>1だけど
真相はどうなんだろうなあ
バ○だな
悪人、善人って決めつけてるし文章が稚拙
考え方のものさしが幼稚園児みたいや
つーか黒船からまだ150年くらいしかたってないのか
youtubeで動画が有ったと思う
室町幕府も江戸幕府も200年以上続いたけど
明治政府からの流れを汲む今の政府はまだ150年
この先どうなるかわからんね
クジラ捕ってた黒歴史だからな
しかも食べるタメじゃなくて鯨油を採るためで、あとは捨ててたらしい。
生き物に対する侮辱だよ。
キリシタンは明確に生命差別主義者。
神の名を借りたテメーらの勝手な尺度で区別しているんだから傲慢以外の何者でもない。
なので仏教の方がはるかに優れていると言わざるを得ない。
軍艦の名前にもなった兄貴(O.H.ペリー)の方が有名。
兄ちゃんのオリバーはあちらの教科書にほぼ
載ってるレベル
兄貴は米墨戦争の英雄だからな
オリバー・ハザード・ペリー級フリゲートの1番艦か
フェートン号って追い払ったというよりは要求全部飲んで
ヘコヘコしながらお帰りいただいただけでは
佐賀藩がこのトラウマで
幕末雄藩になった
ロシアは産業革命が遅れていて弱かった
長崎や北海道みたいな僻地に来るのと、江戸の近くまで乗り込んでこられるのとでは、ぜんぜん違うわな。
それに、ラクスマンやフェートン号のときは、まだアヘン戦争で清国が完敗する前なので、欧米列強の強さが認識できてない。
実は当時の欧米外交暗黙のルールで欧米外の国と国交条約を結んだ場合、その国とは最初に欧米国と結んだ条約と同じ条件で他の欧米国家も条約を締結するという習わしだった。
そこで幕府はあえて当時の欧州列強とは一段国力の劣るアメリカと国交条約を結ぶ事で出来るだけ有利な環境で交渉出来る相手としてアメリカを見ていた
蒸気船があったから。
帆船なら風次第なので日本の侍が切り込みをかけて焼き討ちすることは不可能ではない。フェートン号の時も佐賀藩が規定の人数を派遣していれば長崎奉行は実力行使したはず。
ペリー来航の七年前にアメリカの帆船が浦賀に来航した時には幕府は国書受領を拒否している。
蒸気船は小回りが効くから切り込みをかけるのが困難。
蒸気船というおそろしいものがあるという情報は日本にも伝わっていたからペリーが実際に蒸気船を率いて江戸湾に来ると幕府は国書を受領せざるを得なかった。
最後はタヒんだよ
風雲児たち幕末編は未完で終わるんだろうな
作者の年齢からいって
もう何ヵ月も休載だし
ベルセルクより残念
俺もよくザビエルに似てるっていわれるからそっちのほうが親近感あるな
マフィアの親玉かよ。
吉田松陰がこっそり乗り込んで
ちょっとした大騒ぎになったっぽいが。
この時はまだパナマ運河もできていなかったはずで、マゼランルートよりマシという判断だったんだろうなあ
スエズ運河もなかったんだよね
マメな。
黒船はペリーが最初じゃないよ。それより前に黒船は日本でつかわれていた。
まめな。
オランダだかどっかから、アメリカが近々来るよって言われてたのに
何の対策もしてなかったんだよな
その頃から、コロナが来るよと言われてたのに対策をしなかった事の片鱗がうかがえるんだなw
歴史は繰り返すってほんとだなw
歴史小説であるかな、
実は今もまだ存在する。何故採掘しないかについては、採算コストがかかり利益が薄いからである。
今も昔も・・・
アメリカが開国に強行過ぎたの?
今の教科書では鎖国とは教えてないらしいぞ!
100年後の教科書は半島帰化人に日本の歴史を抹消されてそう。
脂以外は捨てるけどバンバン獲るぜい
って聞いたけど
そこで捕鯨をするには、近くの港で薪(まき)と水、食糧を補給しなければならない。ロシアは当時、まだ太平洋岸には達していない。そこで白羽の矢が立った日本を開国させて補給港にしようと、大統領の親書を携えて来たのがペリー。
つまり鯨が絶滅の危機に瀕しているのは西洋人がランプのために鯨を濫獲しまくったからなのだ。しかも食用ではなく、鯨油を絞ったあとは捨てていた。
鯨を貴重なタンパク源として食用にしていた日本人はヒゲ1本まで余すところなく使いきったとのこと。
なぜクジラが日本近海にあると分かったんだろう。
群れが自分のところより頻度が高いからか?
目視による感覚しか判断ないよな。
漂流して鳥島でサバイバル生活してたジョン万次郎を救助したのもアメリカの捕鯨船だったたから日本近海まで鯨を追ってきてたんたね。
そのあと南海大地震だったしな
江戸幕府って尊攘派のネトウヨと列強のはざまでよくやってたよな
一歩間違えたら植民地だった
まあ時代背景もアメリカは南北戦争、奥州はクリミア戦争の最中で日本にちょっかいかける暇なかった
ってのもあるけど
> 尊攘派のネトウヨ
どっちかっていうとパヨクの系譜だよ
自分と少しでも意見の相違があれば徹底的に糾弾して刺し○してしまう排他性がドンピシャ
そんだけ日本人は小さいからなめられてたって事だろう
まずは見た目なんだよ、相手の事を知らなければなおさら
降参の意味だったのか!
表現が逆になってない?
なってないよ
ビビって眠れない
オランダ国王から警告されてたんだよな
幕府は「陰謀論おつw」って感じで放置してた
ひでー
せっかくの情報を…
もったいない
平和ボケしてたんだろうなあ
現代と被るわ
庶民は案外冷めた目で見てたのかね
それって後年の創作なんじゃないの
少なくてもリアルタイムじゃないよね
たいへいの眠りなんて
大局的に見すぎててなんかあやしい
蒸気船と上喜選っていう人気のお茶葉をかけたいい歌だよね
濃くて飲むと夜眠れなくなったというのと蒸気船が4隻=4杯で夜も眠れず
と韻を踏んでるわけだよね
人生二個分しか隔ててないのかよ
驚くべき事に、日本が明治になって30年もしないうちに、
今でも残っている林道整備や護岸工事やってのけている。
測量は陸海軍が功を競ってやっていた。その一方で清や
ロシアとも戦争やっていて、そこから更に30年ほどで
第二次世界大戦に至ってる。そして大戦が終わって75年
経過してるんだ。今の停滞日本も、昔は凄かったんだよ。
名前が付いてるのはなんかジミな種類の艦だった気が
とらんぷ・ばいでん『・・・』
以前に沖縄行った時にタクシー乗って行き先を告げたら、運ちゃんが「あっ、ペリーですね」と返され「???」となった。
琉米修好条約は知らんな
どのくらいいたんだろうか?
むしろ白いものを贈られて、タヒに装束のつもりで来たと解釈されてもおかしくないと思うが。
室町時代後期には、伝わってたんじゃなかったかな?俺の勘違いなら謝る
凄いロマンあるよね
江戸時代にどうやって英会話レッスンしたのか
最初の浦賀でのやりとりの際の通詞が堀達之助で幕府が用意した書面は仏文
上陸後のやりとりにもちろん通訳がいるみたいだけど誰かは書いてない
書面でのやりとりは米側が英文、漢文、蘭文、幕府側が日文、蘭文の書面を用意したとある。
(「天皇の世紀」の記述から)
英語が飛び交うような感じではなく、オランダ語が主体のやりとりだったかも
日本側の文章は中国語はなくオランダ語
会話はオランダ語がメイン
ただし、ついてきていたサミュエル・ウィリアムズが日本語の語彙表を作ったり、マタイ伝と創世記を日本語訳するほどの実力者だったから日本人の発言はほぼ理解できていたらしい。
もともと日本で布教の許可を得たいと思っていたから、日本語もそうとう話せたらしい。
吉田松陰の書簡を英訳した人か、さんきゅ
>最初の浦賀でのやりとりの際の通詞が堀達之助で幕府が用意した書面は仏文
そんなわけねーよ
蘭語だろ
そうなのか?探してみるわ
ジョン万次郎がいた
ジョン万次郎の生涯は、読んでみるとなかなか面白いんだよな。
偶然にも、この人は無学の漁師だったが、潜在能力があったらしく、すごく有能だった。
拾った船長に気に入られてアメリカで養子にされて、学校にも通ってるしね(いまの日本でいえば短大か大学教養学部くらいの高等教育。)
ざっと調べたらアメリカに拾われた当時14歳くらいだったんだな
漂流しなければそのまま無学の漁師で終わってたかと思うと感慨深い
万次郎は、黒船来航後は、幕府に呼ばれて旗本の身分に。勝海舟の咸臨丸に乗って再び渡米してる。
ちなみに勝海舟も渡米後はかなり英語上手になっていた。江戸明け渡しの直前に勝海舟は単身横浜に行き、ノーアポイントメントで英国公使パークスに会ってる。通訳無しの二人だけで話し合いをした(内容が歴史上の謎になってる)。
パークスは勝海舟と意気投合して、今晩はここで食事をしないか、停泊中の英艦の船長もいい奴でそいつも呼ぶから一緒に飯食おう、と言われて3人でディナー。
話がはずむくらいには英語ができてる。
薩長側では伊藤博文も維新後外国経験を積み、英語できたらしいけどね。
日本に行った事なんて、アメリカ史ではいちいち話題にする程の事では無いんだな
そりゃそうだろ
マッカーサーなら少しは知られているのかな
もし来なかったら今頃日本にネットなんて無かっただろ
それは無いな
ペリーどころか最近までアレだったマサイ族が今ではほとんどスマホ持ってるって話だし
少し遅いか早いかってだけ
日本はやがてマサイ族にも抜かれる
向こうは学校の授業は全部英語だからな
身長でははじめから負けてる・・・
◯◯村の何とかさん、で終わってた
男は亀吉とかゴンベエ、
女はマツ、フク、シゲ、
みたいな名前だったぞ
ジャッキーとかガブリエルって名前になってたかもしれんぞ
祖先の江戸時代の戸籍謄本調べてみ?
ちゃんと苗字載ってるよ
苗字は侍以外公式の場で名乗ってはいけなかっただけ
原住民に喰われたんじゃ
>色々冒険した末に
>原住民に喰われたんじゃ
それはマゼランじゃ。
マクタン島という小さな島で、調子に乗って弱いものいじめで現地人の町を焼いたりしてたら、怒ったラプラプ王様の兵士に囲まれて殴られたり切られたりしてタヒんでもうた。
コロンブスも原住民の人に散々酷い事していたらしいな
だがコロンブスは仕返しはされず帰ってからは英雄扱い
梅毒って嬉しくないお土産は持ち帰ったようだけどw
その時、甲板ではためいていた星条旗は、やく90年前ペリー来航時の黒船ポーハタン号のものだったもよう
幕府の戦力はそうそうナメられたものではなかったとかなんとか
早くから砲台準備してやる気まんまんだった薩摩がイギリスにボコボコにされたぐらいだから無理だろ
双方の損害を比較すると人的損害は英国側のほうが大きい。
薩摩
戦タヒ1負傷9,大砲8門、汽船3隻、市民タヒ傷9 鹿児島城下焼失
英国 戦タヒ13、負傷50 旗艦ユーライアス大破(艦長・副長戦タヒ)中破二隻。
当時は日本領じゃないだろ
無人島だし
アメリカも第七艦隊止めて東インド艦隊にすればいいのに
アメリカは開国と居留地、貿易は望んだが、日本に領土的野心は無かった。
これがロシアだったらほんとにやばかった。今頃日本の北限はよくて青森、へたすれば東北や新潟もロシアだよ。
ロシアは蒸気船を持ってなかったのさ
蒸気船でなくても、当時の欧米と日本は、武力(砲火器)があまりに違うからやっぱりやばい。
1792年にロシアの軍人ラクスマンが日本との通商を求めるために根室にやってきた
しかし交渉はまとまらずそのまま帰国
蒸気船では無かったようだし江戸から遠く離れた辺境の地だしで当時は重く見られてなかったようだな
そりゃ大騒ぎだったさ。
将軍は落ち着かずに手足をばたつかせて目をぎょろぎょろさせてた
あきらかに池沼w
失礼な
発達障害といいなさい
東京湾封鎖すれば海運できなくて
江戸の人間餓タヒ確実で幕府権力失墜確実
東京湾深く侵入されて、江戸城や江戸の町を砲撃されたら、日本には対抗する手段がまったく無かった。
(武器が違うといっても上陸して武士の大軍と戦う馬○はいない。)
それで十分だったし、実際にその脅しが効いて日本は開国したわけで。
「農民は奴隷に等しく、メキシコの債権奴隷以外でこんなに貧しく
悲惨な人々を見たことがない。」
通訳に英語を話せる中国人を連れてきたんだぞ
日本は中国語の文化圏だと思ったんだろうな(琉球では中国語で交渉できたと思う)
しかし、日本では中国語が話せる役人いなくて困ってしまい、役人がオランダ語を話したら、ペリー艦隊一行にオランダ語が話せる水夫がいて話が通じたらしい
アメリカは何にも下調べしてなかったのが分かる一例
長崎にはいたはず
筆談で会話できるので関係ない
最初に来た時の通訳は日本語話せるポートマンとウィリアムズだぞ。
しょーもない嘘つくなよ、特亜猿。
そもそもペリーは来航する前にかなりの文献を読んで日本研究している。
ペリーの方は無能な親戚なんじゃなかったかな?
ちなみに赤ら顔もアル中のせいだという噂。
クラーク博士とかもそうだろうな
ほぼ陸軍しかない。
青森みたいな場所でさえ、守りの大砲一門置いてた程度。
西郷どんの絵も信長の絵も本物とは似てないんだろうな
西郷さんはもっと細面でシュッとしていたと言われてるね。
奥さんが銅像を見て似てないと嘆いたのは有名な話だ。
沖田総司の肖像画も姉が全然違うとバッサリだったよな
あのモリソン号に乗船していたというなら、そりゃあ日本人と会ってるな
ギュツラフとの交流もあったんだろうなあ、琉球情報も持ってそう
面白いわ
困ったさんだね莞爾さん
アメリカは米西戦争、米比戦争と戦争続きで余力がなく、元蒸気フリゲートだった旧式輸送艦を派遣したが
それを見た日本海軍の将兵は、「なんだアメリカはまだ旧式な『黒船』を使っているのか」と笑ったといわれている
しかもアメリカは戦時以外では大佐が最高階級だったりする
軍隊では階級によって扱いが違うので、少将(リアアドミラル)と大佐(キャプテン)では結構差があるらしい
しかも国によってコモドアは大佐扱いだったり准将だったりするからややこしい
でもそもそもペリーを「合衆国海軍大提督」と言ったのは幕府の方なので歴史用語としては正しい
アメリカ側にはサムパッチという日本人が乗船してた
ただし、処罰をビビって上陸はしなかったと記憶
ジョン万次郎と同じく難破、漂流中にアメリカ船に救助された
ジョン万次郎役はマコ岩松だったよ
ww2みたいに一方的に負けないんじゃないの?
だって相手は強大でも戦闘機もないし大量の兵と物質を継続的に輸送しなきゃなんないし
上陸しても戦車もミサイルもないただの歩兵でしょ?
幕軍だけじゃなくアルカイダみたいな血の気の多い各藩の侍たちがゲリラ戦で徹底抗戦したら収集つかないでしょ
戊辰戦争くらいの兵力が国内で動くわけでしょ?
アメリカの歩兵がちょっとくらい上陸したくらいじゃ倒せなくね?
いやいやWW2は粘っても必ず占領されたけど
ペリーの頃の米軍なんかに占領されないでしょ
あの時代の歩兵がちょっと上陸したくらいじゃ江戸城まで来れなくね?
戦車やマシンガン持ってるわけじゃあるまいし航空機の援護もないただの歩兵じゃん
幕軍や藩兵の数には勝てないよ
つーか占領終わるまで継続的に大量輸送できるの?
補給が続かないでしょ
バーサク状態の数十万の藩兵たちに袋叩きにされて全滅するだけだと思うけどね
賢い
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1621772720/
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