麒麟がくるの明智光秀、本能寺の変の目的は室町幕府再興だった!?
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000004-mai-soci
本能寺の変の時に必ず「天下統一目前にして」っていうけど九州や東北は手つかずだし関東や中国、四国もこれからで全然目前じゃないんだが・・・・
あのしょうもない嘘八百の決まり文句考えたやつ誰なんだか
それをバ○の一つ覚えみたいに使いまくるバ○メディアも相当だわ
>>116
関東や東北の大名に討伐すべき敵が居ない
九州も一応大友や島津は織田に従う
毛利・上杉は虫の息、長宗我部は田舎大名
天下統一間近なのは間違いない
ただし、島津大友が戦い続ける事は有り得るし、関東諸侯と北条が戦端開けばどうなるかはわからない
北条がもっと積極的に動けば歴史は違ってたかもね。
②武田が滅びると自らを神と称し、誕生の日を聖なる日となした
③帝をも自らの膝下に置かんとする所業、
許しがたし
④武田攻めでの御折檻
⑤徳川様接待不首尾のお怒り
⑥近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰
⑦丹波で、足の不自由な母を、見○しにされた仕打ち
など、語り尽くせぬ恨みあれども
これが、なんで、足利幕府再興を(以前から)目的としていた証拠になるのか?
小学生が見ても、そうでないことの裏付けになる。
藤田説のレベルの低さは、数ある黒幕説の中でも筆頭の一つだ。
焦って無理矢理こじつけようとしてかえって説得力が無くなったパターンだな
確認できる実態は室町幕府再興の大義名分で同盟者を集めようとしていたこと程度なのに
実際伊勢氏など旧幕臣取り込んでるから以前からの名分にするつもりはあったろう
でもまあ目的っつーたらそれは違うだろうと言わざるを得ないな
ここでいう黒幕説てなら義昭ないし義昭の権力基盤が共犯という意味だが
そこが動いた向きが見られない
まあぼかあ家康黒幕説支持なんだけどね
つーか水野妻木の閨閥ライン
以前務めていた家を再興させるとか?
宿老・山名豊国 武田元明 京極高次 六角義治 畠山高政
高政は天正1桁辺りでタヒんでいた気が…
京では随分早くから明智十兵衛尉の名前で当時のハイソな人々との連歌会のメンバーになってる
低い身分じゃお目見えもできないよ
信長が最初に入京した時は、京にある光秀の屋敷を宿所にしてる
たくさん居ただろう信長の家来も泊めさせる屋敷を
義昭配下の時に既に持っていたという事だ
先祖から受け継いだ屋敷だったのかも
妻木煕子は同じ土岐氏の由緒正しき城主の姫だから
相応の立場でないと結婚は有り得ないよ
通説のように浪人時代に結婚したのなら、更に出自が良かったからとしか思えない
>>18
それらしい史料ない中で、あんま「記録消された」で話進めない方がいいと思うけどな
もしホントに嫡流なら、明智家は子供への教育出来てなさすぎ
順番整理すればこんな感じじゃね? ↓
石ころ同然の身→細川で下っぱ従業員→一大発起し明智に偽装→屋敷もゲット、将軍家への就職も決定、あと嫁も?
>>19
織田のことは知らんけど、光秀の場合、朝廷儀礼知らなさすぎて笑い話どころじゃない
日本国中大混乱、皆恐怖に陥り「この世の地獄が全部この国に集まった」ような惨劇だったらしいじゃん
これは○られても是非に及ばず
天下無敵と過信した今川義元と同じ運命を辿るとは
東照大権現 全否定
まぁ衝動的に○してみたもののグランドデザインがあったわけでもなく
生き残ってれば武田が美濃に侵攻してきて徳川の動きを封じただろうがもうなく
上杉は魚津城奪回するので精一杯
毛利は秀吉と講和するわ長曾我部が大阪湾渡って淡路や摂津に攻め込む様子もなし
とりあえず大義名分立てるのは皆同じ
誰もなびかなかっただけで
沢山の武将が巻き添えでタヒんでるからな。
佐久間や林が追放されて信長の息子が優遇されて
次は我が身ってのは皆思ってただろうし
謹慎処分に似てて解雇とは違うからなぁ
皆そんなにビビってたかな
佐久間も問答無用じゃないし、実際佐久間にも落ち度はあったし
あれがなければ秀吉はもっと人気があったんだが・・家康はほくそえんでただろうな
密書が届いてから一週間後くらいには光秀タヒんでるから間に合わないだろ
実際、家康も勝家も間に合ってなかったし。
渡航するための船の準備って意外と時間がかかる。
これは直江状と同じだから理由は一つなわけが無い
しかしながら
一番の理由はやはり
信長マジヤベー、マジこえー、マジコイツいたら暗黒時代じゃんって恐怖だろうな
創作の可能性が高いわけだからそれでどうこう言ってもな
幕府再興が統治機構として有力だと考えられていたかにも疑問があるな
そもそも足利幕府の弱体化が戦国の混乱を招いているわけで
細川藤孝に対する手紙にも幕府再興については何も書いてないから
相手によって耳障りのいい事をいってただけだろう
240年続いた室町幕府ならなおさらだろう
家名だけでトップに立ってるようなもん
変な話、織田信長って新しい宿主を見つけた
[室町幕府]にしたら
[足利将軍家]は必ずしも必要ではなくなった感じかね
あと 個人的に足利時代が戦乱続きなのは本人たちが無能なのではなく 景気対策でわざとやってるとか思ってる
衝動的犯行だろうな
京極高次が領地取り戻そうとしてるけどあれは
どう考えても、生きてる限り 光秀の邪魔をしそう
なんか光秀が毛利と交渉しただけで全力で邪魔したってあったが…
足利イデオロギーで洗脳された工作員だと思う。
足利義昭およびそのブレーンが考えた信長工作は何段階にもなっていて、
信長の信頼を得て、いつか必要な時に信長を○すための捨て駒として
それを目的に生きていた人なのではないか。
ルバング島の小野田少尉のように、織田政権中枢にあって義昭が追われても
なお信長を○害するためのコマとして温存されていたのではないだろうか。
主君裏切りを正当化するために足利将軍を利用しようとするのは当然か
義昭は備後でずっと反信長活動してたし 誰でも思いつく一手
小和田先生は、「NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 麒麟がくる」内で、
光秀が「とくに信長の義昭に対する横暴な振る舞いについては憤りを覚えたに違いありません」
って書いてるけど、光秀ってそこまで足利義昭に思い入れがあったんだろうか
「家中軍法」で信長に対する感謝をはっきり書いてるみたいな資料か何かの根拠が、足利義昭に対してもあるのかな
小和田先生の著作を読むと、先生は光秀を「名門の出身で、古き良き伝統を守り、朝廷や足利義昭に忠誠を誓う真面目な人物」
みたいなキャラと想定していて、例の「ときは今~」の句も謀反の決意を示しているという可能性はある、みたいに確か書かれてたけど、
フロイスの光秀評は全く信用ならないと考えておられるんだろうか
今回のドラマのためにいくつか解説本を買ったり借りたりして、読めば読むほど、フロイスに人物評の方が合ってるんじゃないかと
思えてくるんだけどなぁ
「名門土岐明智氏出身という割に、下っ端扱いで本人もそれをアピールした形跡が無い」とかの記事の方が説得力を感じる
周囲に言いふらしてるけど、明智の名は本人にとっては出世のための道具にすぎないとしたら、出陣の句に「土岐氏の再興」の意味なんか
込めたりするかいな、と
引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1505824996/
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