2019 9/21(土) 13:30
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190921-00000033-asahi-soci
東海地方で最大規模の前方後円墳「断夫山(だんぷさん)古墳」(名古屋市熱田区)について、名古屋市教育委員会と愛知県教育委員会が、今年度中にも初の発掘調査に乗り出すことになった。
県教委によると、断夫山古墳は5世紀末から6世紀初めに作られたとみられ、全長約150メートル。
ヤマトタケル(日本武尊)の妻ミヤズヒメ(宮簀媛)の墓との言い伝えがあるほか、豪族の「尾張連(おわりのむらじ)」の墓という説もある。
江戸期には「だんぶやま」と呼ばれ、亡きヤマトタケルへの思いを抱いてミヤズヒメが没したという伝承から、夫を断つ山という「断夫山」の表記がみられるようになった。
戦前までは熱田神宮が管理。
戦後、県営熱田神宮公園ができてから県の管理に移り、1987年に国の史跡に指定されたが、これまで発掘調査はされていなかった。
県教委文化財保護室の洲崎和宏室長補佐は「熱田神宮の管理下にあったため、立派な古墳と知られていても、詳しい調査はできなかった」と説明する。
これまでに古墳の地表は調査されていて、埴輪(はにわ)や須恵器が見つかっている。
前方後円墳には堀や堤防があるはずだが、現在は見当たらず、「公園や市街地に埋まっているかもしれない」と洲崎さんは言う。
県教委と市教委は今後、発掘調査の進め方や学術研究、観光振興などについて協議を進める。
画像
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190921-00000033-asahi-000-1-view.jpg
開発で一部壊したんでもとの長さは全長160mだ
いちおう三重県亀山市の「能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)」がそれということになってる。
そこに私はいません眠ってなんかいません
ハラの宮(蓬莱の宮) を移して一緒に住みたいと希望したのが始まりだな
やがてヤマトタケルが亡くなると宮簀媛が三種の神器・草薙剣をご神体として祀った
景行天皇43年に熱田神宮が創建、いまから約1900年前のことだ
古墳時代の熱田周辺は年魚市潟(愛智潟)
北縁には熱田社と断夫山古墳(尾張氏中心勢力で熱田神宮近くにある全長160mの前方後円墳)
東縁には知我麻社(現在の星宮社の位置)、南縁には氷上姉子社(ひかみあねごじんじゃ)
継体大王と尾張の目子媛(めのこひめ)の新王朝を支えた濃尾の豪族たちだな
この遺跡が目子媛街道と断夫山古墳
断夫山の名前は日本武尊のタヒ後宮簣媛が再婚しなかったことから付けられた
熱田神宮の古名は「蓬莱の宮」、熱田神宮の中には楊貴妃の墓(五輪塔)
名古屋の古名は「蓬左(ほうさ)」、名古屋城の別名は「蓬左城(ほうさじょう)」
それで蓬左文庫、あつた蓬莱軒というわけ
熱田神宮の6万坪の境内は古来「蓬莱島(ほうらいじま)」と呼ばれてきた
美濃王朝や飛騨王朝を作り、乎止与命の代に尾張の地(熱田区蓬莱)に移って尾張氏を名乗った
尾張(おわり)の由来は「ヤマト王権の東の終わり(終端→おわり→尾張)」
古墳時代の尾張(狗奴)は商業・焼き物・製鉄の中心地で倭に匹敵する大国だった
古代の天皇皇后を多数輩出した尾張一族の出身者:
孝昭天皇、孝安天皇、崇神天皇、継体天皇の正妃、宮簀媛命(日本武尊妃)、尾張目子媛
安閑天皇、宣化天皇、敏達天皇、推古天皇、聖徳太子、由良御前、源頼朝など
尾張氏の分家の津守氏(大阪の住吉大社)、海部氏(京都の籠神社)、掃部氏、伊福部氏も現代まで続く
摂津国の古名は「津国(つのくに)」で津守氏からだ
<三種の神器>
八咫鏡…伊勢神宮(三重県伊勢市)
草薙剣…熱田神宮(愛知県名古屋市) ※伊勢神宮に次ぐ格式
八尺瓊勾玉…吹上御所の剣璽ノ間(東京都千代田区)
おもしろいのはこれな
三種の神器が東海地方に揃ってる。。。古代から東海地方は宗教的首都だった
斎宮も伊勢だしな
皇族の皆様が名古屋や伊勢に来ることが多いのもこれ
https://www.nagoya-info.jp/tokushu/files/atsuta-minami2.jpg
ごらんの通り熱田神宮から西は江戸時代までは海だ
東海道最大の宿場町・宮宿(熱田区白鳥)から桑名宿(三重県桑名市)まで船で渡ってた
これが名高い「七里の渡し」
都を作るような場所や広大な濃尾平野はなかったんだわ。。大垣まで海だもん
それ、奈良時代あたりの地図やん。
江戸時代末期には、熱田神宮より北側は、すでに全部陸地になってたぞ。
真清田神社(一宮市)は古い
神武天皇33年(紀元前628年)創建・・・今年で2648年
尾張氏祖神の天火明命を祀る
天火明命はニニギの兄
ニニギ(邇邇芸命)ーホオリ(火遠理命)ーウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)ー神武天皇ね
これが天武天皇の名前の由来ね
「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」
に詠まれてる年魚市潟(あゆちがた)に由来する
あゆち→あいち…に転じた。愛智(郡)の郡名もここから生まれた
廃藩置県後に県庁が愛知郡の名古屋城内に置かれたところから県名に採用された
名護屋、浪越、名越、などとも表記されてる
江戸時代には名古屋と名護屋が併用され、時代とともに名古屋の使用例が増え、
1869年(明治2年)に尾張藩が名古屋藩に改称したことで表記が統一された
歴史的には愛知の方が古いんだけど名古屋の方が知名度が高いわけ
縄文時代の土器も大量に出現し、弥生時代の魚形土器も出土した
弥生時代の集落も発見され、南北200m×東西120mで200軒以上の竪穴式住居郡
発掘品の一部は名古屋市見晴台考古資料館などで公開されてる
先日、岐阜県富加町でも3世紀の前方後円墳・夕田茶臼山古墳が発見された
南は東海道五十三次最大の宿場町「宮宿」
西は源頼朝の生誕地だな(熱田区白鳥生まれ)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/11/Seiganji.JPG/1280px-Seiganji.JPG
母の由良御前の実家は熱田神宮大宮司(父藤原季範)
熱田神宮の西に屋敷があった(現在の誓願寺)…いまも産湯の井戸が残されてる
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こころの小径といって昔は入れなかった
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伊勢神宮に匹敵する日本最強のパワースポット
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実はここに古代の古墳がある・・・熱田神宮の地下神殿
完全非公開で天皇陛下でももちろん入れない
周囲にはおびただしい数の監視カメラや高い壁、バリケードが設置されてるんで要チェック
古墳が見えるようにすれば良いのに。
引用元: http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/editorialplus/1569044986/
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