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漢族という人類の20%を占める世界最大の民族のフェチっておる???

2021年1月3日

1: 2007/04/18(水) 08:11:16 ID:EwZeLTty0
いる?

 

2: 2007/04/18(水) 08:13:25 ID:EwZeLTty0

女真族が大嫌い。

太公望が姜族出身と聞いてがっかりとか。

 

4: 2007/04/18(水) 09:56:42 ID:T9FrouWD0

西晋以前なら漢族という表現もおk
それ以降となると、中国文明のもと
中華政権の支配のおよぶところで生活し
あるいは政権に結びついていった人たちが中国人。
概して漢族といい、後から来たものを異民族という。
その異民族でさえ、ながく留まると漢族となる。

漢族とは中華文明と一体であり、文明の人や他政権にもたらす
浸透力は東アジアにおいては至上のものだった。
日本は中国文明を取り入れたが、島国ということもあって早くに脱却できたが
遊牧民は中華政権の支配が及ぶ範囲を食料庫とみておりたびたび侵略するものの
いったん集団がまとまり勢力が大きくなると
その統制のため中国の支配構造を流用するようになり
なかには雅(と思われる)な中国文化に傾倒し
支配機構および文化それ自体を中国と同化させようとした。
あるいは分離していたつもりでいいとこ取りしていても
いつの間にか、それ自体が新たな中華文明として変質し、後に継承されていった。
水と油のようだけど、その関係は容易に断ち切ることができないので、互いに影響されあっていく。

つまり、漢族のみで語るのはナンセンス!
侵略者がいるからこそ、漢族だなんだと騒ぐのであって
血統にそれを求めると、えらい恥をかいてしまう。
趙宋は突厥系。金を異民族と非難するのは、根本においておかしい。
某田中はつまるところ、弱小勢力が強大な勢力に立ち向かう図が好きなだけなんじゃないの?

 

5: 2007/04/18(水) 10:50:03 ID:fBhwQhX10

純粋な漢族なんていないのはわかってるけどな
血が混ざって長く留まれば漢族でおk

ところで支配層が極めて漢族に近い王朝って何?

 

6: 2007/04/18(水) 10:56:41 ID:AZceA0Fu0

>>5
漢民族の概念は、意識的なものじゃないかな。

本人が自分を漢民族と思っていれば、とりあえず漢民族でいいのでは?

鮮卑系と言われる唐の李氏だって、少なくとも後半は漢民族と見なした方が自然だと思う。

 

7: 2007/04/18(水) 10:59:50 ID:fBhwQhX10

あーでも支配層と民衆のどちらを主体と置くかで論議も変わるかもな

漢民族を支配した突厥系北宋と
北宋を侵食する以前の金を比較すれば
間違いなく金は異民族

 

8: 2007/04/18(水) 11:59:26 ID:T9FrouWD0

>>7
そーなんだよ。
結局、自分らの方が上… というわけではないかもだけど
なんかそういう意識に乗って、他者を貶める風潮があるのは間違いない。
五代後晋など色濃く突厥系のクセに、契丹を異民族、蛮族扱いしているけど
実際には敵だから、という以上のことではないような気もする。
テュルクとモンゴルということで、厳密な民族の違い、というのではなく、ね。
自分らを脅かす存在として、言葉で貶めようとしている。

欧陽脩の《五代史記》では、契丹のことを「虜」としている。
「破虜」の虜。
ちなみに薛居正の《五代史》では戎。
後晋当時より、王朝正当意識と文才に長けた欧陽脩や司馬光の記録により、後世の我々は
へんに誤解しているかもしれない。

特にこのあと、草原民族の勢力が爆発的に大きくなって東アジアを飲み込む
歴史的にみた、押しつぶされる民族苦難の時代だけに
記録をささやかな抵抗としたのかもしれない。

 

9: 2007/04/18(水) 17:10:07 ID:2CKhecjZ0
誇り高き漢民族とか言いながら毎回異民族に支配されてやんのダッセー

 

10: 2007/04/18(水) 19:05:40 ID:/+FfOj1qO
その異民族が漢民族の支配体系や文化に憧れちゃってるからしょうがない

 

11: 2007/04/18(水) 22:58:55 ID:RFzrizZd0
古代漢民族最後の王朝は南朝の陳になるのかな?

 

12: 2007/04/18(水) 23:26:12 ID:M1mENh9r0
八王の乱以降、英雄が漢民族に現れなかったのが問題だな。
一度支配されるのに慣れてしまうと覇気がなくなってしまうものなのか。

 

15: 2007/04/18(水) 23:58:45 ID:zBlfMmkd0
>>12
桓温や劉裕、簫衍あたりは十分英雄と呼ぶにふさわしいと思うけど

 

20: 2007/04/19(木) 02:01:22 ID:FL0IgTcb0
>>15
時代でいえば英雄かもしれないけど中国全体の歴史で見ると名将ぐらいじゃね

 

13: 2007/04/18(水) 23:27:37 ID:M1mENh9r0
一度っていう表現はおかしいな。長年ね。

 

14: 2007/04/18(水) 23:37:09 ID:T9FrouWD0

そこはやはり草原に生きるもののタフさによるんでしょ。
湿潤な気候に弱いとも言うけど、人間単体では草原の民のほうが
生活力に富んでいる。
つねに生きるかタヒぬかのぎりぎりで生活しているしね。

民族の苦難は、彼らとの高度な妥協点をみつけ、思想でもって洗脳wすることに
その脱却の道を見つけたのじゃなかろうか。
ところで、朱元璋は厳密になにになるんだろうか?

唐李氏は鮮卑、後唐から後漢まではシャーダ(テュルク系)、後周柴氏は鮮卑
北宋趙氏でテュルク、と。
柴栄も趙匡胤も、濃くはないとは思うけど。
対外的には漢族皇帝ということだし…
ほとんど関係ないのにね。

 

16: 2007/04/19(木) 01:30:11 ID:2MWIhKB60
全漢民族治めなきゃ民族的英雄とは言えないんじゃまいか

 

17: 2007/04/19(木) 01:31:18 ID:qL8ul5QWO

現代中国では、拓跋とか慕容、宇文、尉遅みたいな胡人の二字姓は消えちゃってるのかな?

 

 

24: 2007/04/20(金) 04:06:46 ID:42X5u0BUO

>>17
中国の複姓をざっと検索してみたけど、データベースみたいなのは見つからなかったね。

だけど、記録に残る異民族などの姓を合わせた総数より、現代中国で使われてる姓の総数はかなり少ないみたいだから、途中で中華っぽい一字姓に変えた連中が多そうだね。

近年発見された遣唐留学生井真成の墓誌からも中華風の一字姓+二字名に変えて過ごしてたのがわかるし、最澄・空海と共に入唐した大使藤原葛野麻呂も藤茅能と名乗ったみたいだから、夷狄っぽい名前は恥ずかしいって雰囲気があったのかもね。

 

18: 2007/04/19(木) 01:33:21 ID:2MWIhKB60
諸葛さん司馬さん欧陽さんとか

 

19: 2007/04/19(木) 01:34:18 ID:2MWIhKB60
ごめん。胡人じゃねえや

 

21: 2007/04/19(木) 02:24:52 ID:E0qYXkZm0
金にも南宋にも漢民族がいるし支配層が異民族出身という点は同じはずなのに
比較されて北伐した岳飛が救国の英雄にされるところとか笑える
いやまあわかるんだけどね
馴染んじゃうとわからなくなるんだな

 

22: 2007/04/19(木) 09:13:15 ID:bK9jtx3I0

>>21
岳飛が英雄視されるのは、民族的なこともあるかもしれないけど
それは後からとってつけたようなもの。
本質は、空中分解した宋皇室の、華南に限定されたとはいえ
安住の地を確保し、敵勢力(異民族だからどうこうではなく、単に敵)を
追い払ったことによる。
さらに、無実のタヒを強制させられ、させた方がのうのうと生きているから
相対的に英雄度が増すわけ。

 

 

23: 2007/04/19(木) 09:35:17 ID:Uh1gO1k00
項羽の出身の楚も苗族だっけ
春秋五覇に楚の荘王が入らない場合があるのは蛮族だから蔑視されてたんだろうな

 

26: 2007/05/05(土) 00:48:43 ID:MfYZhywJ0
西晋以降、純粋な漢族王朝ナッシング?

 

27: 2007/05/05(土) 01:10:19 ID:s2xw9H2n0
純粋なってどういう状態を指すの?
遺伝子的にってこと

 

28: 2007/05/05(土) 02:23:13 ID:4tMiaogQO

遺伝子的って言っても、混血はどっちに分類するのかな?

異民族王朝でも、漢族女性との結婚を続ければ漢族の血が濃くなるだろうしね。

かといって、文化で分けるのも結構難しいよね。
言語や生活文化も不変じゃないし、異民族の流入や支配があれば、当然、漢族文化にも影響が出てくる。

 

35: 2007/05/21(月) 20:32:26 ID:cvX0OAYn0
新、呉、南朝って漢族なんじゃないの?
五代は漢族、沙陀、漢族(鮮卑)

 

36: 2007/05/21(月) 21:01:46 ID:moTj3/HK0
漢民族最後の王朝は南朝の陳。

 

39: 2007/06/26(火) 07:25:50 ID:qsst//5z0
秦:西戎
漢:漢族
新:漢族
魏呉蜀:漢族
晋:漢族
五胡:匈奴・鮮卑・羯・氐・羌
北朝:鮮卑
南朝:漢族
隋:鮮卑
唐:鮮卑
五代十国:漢族・沙陀・鮮卑
宋:突厥
遼:契丹
金:女真
元:モンゴル
明:漢族?
清:女真

 

41: 2007/06/30(土) 17:31:11 ID:KXa2XcKP0
>>39
>宋:突厥
これ初耳。論拠は?

 

40: 2007/06/26(火) 11:54:35 ID:WYmIS1B+0

まあ、唐とか鮮卑系とは言ったって、
玄宗ぐらいの代に、
「あんた、鮮卑系でっか?」
と聞いてみて、
どれぐらい鮮卑としての意識があるか疑問だな。

唐、宋あたり、出身がどうあれ異民族王朝と見なすのは無理があると思う。

 

44: 2007/07/08(日) 19:26:46 ID:iEKh/tjw0
>>40
逆に南宋の皇太子が鮮卑の嫁との子供とかあるしね

 

42: 2007/07/06(金) 23:44:27 ID:vzbZlroo0
宋は漢族だろ

 

43: 2007/07/07(土) 08:46:35 ID:qG3QZTYf0
涿州趙氏は突厥の血も混じってる、となんかで読んだ気がするが、なんだったか思い出せない。

 

68: 2008/12/14(日) 03:53:08 ID:c1DL3zvS0
>>43
それ知りたい。思い出してよ。

 

45: 2007/07/08(日) 19:28:16 ID:iEKh/tjw0
南宋じゃないや東晋か。うろ覚えだ。

 

46: 2007/10/19(金) 07:22:22 ID:4Uu/2NZk0
純粋な大和民族なんていない

 

57: 2008/05/23(金) 13:31:15 ID:4WTTiuhS0
皆さんこんにちは。中国人ですけど。
宋は突厥、柴栄は鮮卑とか、何を根拠に言ってるんですか?
日本人学者の研究成果ならkwsk教えてください。
そして、異民族の血が混じっただけで、異民族とは言えませんよ。
匈奴単于も漢の宗室女の血を引いてるじゃないですか。
だからと言って、匈奴の支配層は漢人と言えないでしょう。
日本語が下手です、すみません。

 

58: 2008/05/23(金) 13:58:28 ID:x1yKRC5+0
>>57
大いなる勘違いね、それ。
突厥の混血だろうが、鮮卑の混血だろうが、異民族とは言っていないと思うよ。
あくまで中国人の中での、ルーツの話。
全人類のルーツがアフリカ、とかいうのとそう大差ないと思うがいかに?

 

60: 2008/10/21(火) 04:48:20 ID:6LgJJ2z80
700 :世界@名無史さん:2008/03/02(日) 09:24:49 0
宋までタブガチュですか。
でも、宋も唐の血を引いてますからね。
思うんですけど、実は漢崩壊後、漢民族というのは最早無くなったと考えても良いのでは
ないかとも考えます。
自称、中原中原言ってるけど、実は以降はほとんどがタブガチュ系国家。
ちなみに漢以前も、実は漢民族では無いでしょ。秦、楚、呉越、周もみな非漢民族。
西獣か北族か南蛮系。

 

63: 2008/10/26(日) 21:17:56 ID:xNOUlQ8H0
>>60
秦、楚、呉越、周もみな非漢民族————華夏族

 

66: 2008/12/08(月) 16:05:03 ID:vLi11dSD0

>>63
周や秦はチベット系だろう
出所が中央アジア寄りだからね
65が言うように、より中央系の地が入ってる可能性はある。

一方夏王朝を担った越族というのが居て
現代のベトナムは越族と南方系が混じった種族。
チワン族や台湾内省人なんかが越族の直系だろう。

両者をいっしょくたにしてしまうと、呉越の対立が読み解けないよ。
夏王朝を担った越と、チベット系の周が東進してきてその流れを汲む呉ということだろう。

あと、殷が明らかに他と比較して特殊な民族性があるね
太陽信仰ややりすぎなまでの呪術社会など、
時代的にも弥生人発生は殷→周の時代だけに
殷の遺民が弥生人というのがわりとありそう

 

67: 2008/12/11(木) 12:05:34 ID:kvr5dSmw0
>>66
秦はペルシャ系って話もあるよ。
黄文雄が自著で書いてた。

 

61: 2008/10/21(火) 16:58:12 ID:6LgJJ2z80

遊牧民-Wikipedia

中華帝国を例に取れば、漢・宋・明以外は遊牧民の王朝そのものか、その援助によって成立していた。
ただし、漢もまた武帝以前は匈奴の属国も同然であり以後も姻戚関係にあり続けた。
さらに宋の建国の背景となった中核軍事集団は沙陀突厥系の遊牧民軍団を源流としていた事と、
明が王朝の軍事力として多くのモンゴル集団を取り込んでいる事を考慮すると、
遊牧民の支配を跳ね返した漢民族王朝と呼ばれることの多いこれら二王朝も、その政権維持を支える軍事力の背景は遊牧民の影とけっして無縁ではない

 

62: 2008/10/22(水) 18:46:58 ID:FWCkUkRM0
数年前に岡田英弘氏が「sapio」に中国史に関する論文を寄稿してたけど、
その論文中で「後漢が滅亡した2世紀以降、中華民国が出来る以前には漢族の王朝は明の300年足らずしかなかった云々」って書いてた。
隋は遊牧民系、遼は北アジア系とか詳しく書いてた。

 

64: 2008/11/13(木) 02:45:35 ID:+C+wsMXw0

質問ですが、
ウィキの漢民族の項目に「日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている」や、
唐の項目に「唐李氏は鮮卑系であるとの見解が戦時中に日本の宮崎市定によって出され、以後日本学界ではこの考え方がほぼ定説となっている。
なお、近年の中国では、宮崎説を「日本軍の中国支配のために持ち出された論説である」と批判する見方もなされている。劉及辰『京都学派哲学』(光明日報出版社 1993年)または『日本対中国的文化侵略』叢書 (昆侖出版社) 」
といった記述があるのですが、これはつまり中国の学界では唐李氏は鮮卑人ではない。あるいは鮮卑人とは認めていないという事でしょうか?
台湾の学界や韓国の学会やアメリカの学界等の日本以外の学界では唐李氏=鮮卑人は定説とはなっていないのでしょうか?

 

 

65: 2008/11/19(水) 23:46:26 ID:EO6RWChJ0
周王朝がトルコ系って本当?

 

69: 2009/03/05(木) 03:18:46 ID:TqfWuOn50

中国紙
DNA检测瓦解汉族血统观念 中国不存在纯种汉人 <中国互联网新闻中心>
(DNA検査の測定で漢族の血統の観念が崩れる、中国は純血種の漢人が存在しない)
http://www.china.com.cn/culture/txt/2009-01/23/content_17175873.htm
韓国紙日本版
「中国に純粋血統の‘漢族’は存在しない」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84664&servcode=400§code=&p_no=&comment_gr=article_84664&pn=11
血液分析により民族の移動経路を判明する∇どの国民が単一民族か 韓台日
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828
中国がとうとう地獄の蓋を開けたか、今回の遺伝子分析の新聞記事の発表のあと
中国の掲示板等ではかなりの動揺が見られる、ますますもって漢民族、民族とは
考えてしまう
漢族似民族性とは遺伝子ではなく文化的な物というが衣食住、文化風習、伝統や
神話まで異民族の物をそのまま掠め取った物をそのまま使っている事
日本に古代の漢族の発音がそのまま残ってたりする事や
衣服等、皇室の伝統などに引き継がれその点でも無理があると指摘がある
多かれ少なかれ中国の民衆の論争を見るに少なからず従来の中国人には無い反応が見られ
おもしろいものがあった
ここの漢民族論なかなか面白い 3章 漢民族滅びる
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub2-3.html

 

 

71: 2009/09/15(火) 23:46:49 ID:howEusZK0

高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。

 

72: 2009/09/15(火) 23:47:32 ID:howEusZK0

朝鮮人は高句麗とは関係ないポキール族です。

■朝鮮民族の故郷はシベリア・ヤクーツク地方

朝鮮人は、アムール河流域に住んでいるツングース系諸民族と同種のようである。
アムール河流域の民族には、熊や虎を「山の主」「森の主」として崇拝する信仰があるらしい。
どうやら、朝鮮民族(ワイ族)は、アムール河の以北のシベリア地方から南下してきたようだ。
朝鮮人の先祖は、狩猟民族のワイ族であるが、このワイ族はロシア領=シベリア・ヤクーツク地方に
住んでいるヤクート族やエベンキ族、エベン族と同種の民族である。
ワイ族は紀元前の時代、シベリア地方でトナカイやカモシカ、猪などの狩猟をしながら生活していたらしいが、
獲物であるカモシカや猪を求めて南下していき、やがて古代カラ半島の東北部(現在の江原道地方)に
辿りついたようである。南下のルートは下記のような流れであろう。

シベリア=ヤクーツク地方→ アムール河中流域→ アムール河下流域→ カラ半島東北部

【ヤクーツク地方】
http://www.khabarovsk.ru.emb-japan.go.jp/j/shinai/ykt.htm

【アムール河】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A2%E3%A0%E3%BC%E3%AB%E5%B7%9D

朝鮮・韓国人は、「自分たちの先祖は満州地方からやって来た高句麗人(フヨ族)だ」と、
主張しているが、これは誤りなのである。
朝鮮・韓国人とフヨ族はまったく無関係であり、別種である。朝鮮民族はシベリアから南下してきた
狩猟民族=ワイ族の子孫なのである。
朝鮮人の土着文化がヤクート族やエベンキ族の文化に似ているのは、そのためなのだ。

★朝鮮民族とエベンキ族
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1553866

 

73: 2009/09/15(火) 23:50:40 ID:howEusZK0

朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。

 

74: 2009/09/15(火) 23:53:45 ID:howEusZK0

朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人

それに対して高句麗(>>0�も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな


広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一~三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八~一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので

百済≒高句麗≒渤海  ≠  三韓=朝鮮民族

 

75: 2009/09/16(水) 00:06:29 ID:B2BToH8L0

なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88

http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k

http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が漢族のものであること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること

 

77: 2009/09/16(水) 00:09:14 ID:B2BToH8L0

【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。

 

78: 2009/09/16(水) 00:10:02 ID:B2BToH8L0

高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。

 

79: 2009/09/16(水) 00:10:48 ID:B2BToH8L0

 

/\
/ 大\
/ / ̄\ \
/清|へノ⌒|国/\
\  \_//  .\
\属 . /      \
\/         \
∧∧∧∧ \
<  `/)  >ヽ∧
/   /  / `∀> ∧∧
◇(   イ◇  (   ,つ`∀´>
/ヽ  )) ヽ  )ヽ )と  , イ
(_/(_/(_/(_/ノ(_/⊂ノ> )J
/ ̄Y ̄`|/ ̄^Y ̄ヽ/ ̄ ̄Y `´ ̄\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
見ろチョッパリ! これがウリ達の誇らしい国旗ニダ!

昔の韓国の国旗は、清(中国)の属国と書かれていた

最古の太極旗の絵が発見
http://www.chosunonline.com/article/20040126000072
http://file.chosunonline.com//article/2004/01/26/096308444610326967.jpg

韓国の国旗自体が、中国の清の属国国旗だと言ってるじゃないか

 

80: 2009/09/16(水) 00:11:37 ID:B2BToH8L0

中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル--などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書

◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

 

81: 2009/09/16(水) 00:12:25 ID:B2BToH8L0

日清戦争後に建てられた「独立門」、なぜ独立なのかは、清から独立したからです。
で、その前にある石柱が残っているでしょ?
それが何の建物の跡かと言うと・・・・・
迎恩門
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門
ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えました
http://photo.jijisama.org/dependency.html
韓国の捏造教科書。そのほんの一例
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/netsuzo_text.html

.     ゝl!i!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!イ
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`、エ@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@=@エr"´
ヽ:::::::_丿 _ ヽ:::::::_丿 _ ヽ:::::::_丿 _ ヽ:::::::_丿 _ ヽ:::::::_丿 _ ヽ:::::::_丿
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三.─≡-=.|   ..:::::|                      |   .:.::::|=
=─.-==.-|   ..:::::|    ガンガン!!    ガンガンッツ!  . |   .:.::::|─-
三.─≡-=.|   ..:::::|   ゴメンチャイニダ  サーセンニダ    |   .:.::::|─=-
=─.-==.-|   ..:::::|    ∧,,_∧      ∧,,_∧   … |   .:.::::|─-==-
=─.-==.-|   ..:::::|  、,.,,<♯`Д´>   <`Д´♯>,,.,、  |   .:.::::|-=-_─三
三.─≡-=.|   ..:::::|(,⌒) |lll|lll|l ))   (( l|lll|lll| (⌒,). |   .:.::::|-==-_─三
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三.─≡-=|   ..:::::::|     ∨ ∨      ∨ ∨    .|   .:.:::::::|──三─≡-=
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82: 2009/09/16(水) 00:15:42 ID:MrNZj6KF0

朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。

 

84: 2009/09/16(水) 00:18:41 ID:MrNZj6KF0


高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。

 

 

85: 2009/09/16(水) 00:20:03 ID:MrNZj6KF0

======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐○する。
しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm

 

86: 2009/09/16(水) 00:25:41 ID:MrNZj6KF0

宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、
朝鮮 半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。
だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が
兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。
ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのものまでに
変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の自尊心にある。

韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから三百年もへても立ち
直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調した いという気持ちはわからないでもない。
しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。
もしあるとす れば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに
再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退 したという自慢話と、
三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。

韓国人の反日台湾人の親日  黄文雄 光文社

 

87: 2009/09/16(水) 00:27:06 ID:MrNZj6KF0
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
「新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る 所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」 と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」

 

88: 2009/09/16(水) 00:27:56 ID:MrNZj6KF0

わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に
伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である 「日本書紀」を
土台にしているもので、わが国の史書にはありません。(そもそも韓国に古代の
文献はほとんどない)ところが、日本の学者が 「日本書紀」を土台にして、古代日本が
二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を
主張すると、 韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのでは
ありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。そしたらL教授は黙り込んで答えず、
横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。「日本書紀」 には日本が
「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいった
ようになっている。しかし、韓国の中・高等学校 では三国文化が日本に伝播される国際
関係に関しては何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた
事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを 助長する結果を
もたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
高麗大学教授 金鉉球

鄭大均 「日本のイメージ」より

 

89: 2009/09/16(水) 00:29:03 ID:MrNZj6KF0

朝鮮人は、シベリアから南下してきた原始的狩猟民族の子孫だよ。
少なくとも新羅とは赤の他人。高麗とも、なぜか縁が薄い。
だから、新羅や高麗の言葉が、朝鮮語では全く解読できない。
この「全く」というのがミソ。 少しつながりがあるのなら、民族の混交や変化があっても、少しは解読できる。
また、山野の木々の乱伐、灌漑の知識・技術の欠如、車輪や水車・染色など基礎的な
テクノロジーの欠如は、朝鮮人がまだ定住民として完成されていない証拠。

もしかすると、
古代末期に起きた長白山の大噴火というより、高麗王朝の末期に何か半島で自然災害(疫病、旱魃、洪水他)が起こり、
民族の絶滅(もしくは大幅減少)が起こり、シベリア狩猟民族の南下を招いたのでは?
新羅や高麗の時代までは高かった女性の地位が、李氏朝鮮の時代に入ると異様に低くなる。
家族制度という人間の基本的部分で、こんな急激な変化が起こるのは奇怪すぎる。

10世紀の有史2000年来の最大の噴火を起こした白頭山・中国名長伯山の大噴火(M7.4)で
古代在住朝鮮人は絶滅か僅少残っても後に南下在住した新朝鮮人に飲み込まれて消滅
しただろう。文献的、実証的記録すら絶無で、日本や中国は文献的、実証的記録を持ってる。

日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/

火山爆発指数(英:Volcanic Explosivity Index, VEI)とは1982年にアメリカ地質調査所の
クリス・ニューホール (Christopher G. Newhall) とハワイ大学マノア校 (University of Hawaiiat Manoa) の
ステフェン・セルフ (Steve Self) が提案した火山の爆発の大きさを示す区分。
火山そのものの大きさではなく、その時々の爆発の大きさの指標である。区分は、噴出物の量で
なされる[1]。0から8に区分され、8が最大規模である。VEI=0はテフラの量が104立方メートル未満の
状況を指す。VEI=8はテフラの量が1012立方メートル以上の爆発を指す。
それぞれの区分には噴火の状況を示す名称(「小規模(gentle)」など)が付けられている。

5 ヴェスヴィオ (ポンペイ eruption) 79年 セント・ヘレンズ山 (1980年の噴火) 1980年
樽前山 1739年
6 白頭山 (Tianchi eruption) 969 ± 20 年
7 Kurile 紀元前6440 ± 25 年
8 トバ湖 73,000 BP
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%E5%B1%B1%E7%86%E7%BA%E6%8C%E6%B0

朝鮮民族とツングース系の代表民族であるエベンキ、エベン族とは共通風習、歌、言葉などから、
「朝鮮民族」とは同じ流れと分かる。馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は、
遠くの人々を懐かしむ「アリラン(迎える)・スーリ(感じとる)」。
朝鮮のアリランには「アーリアリラン、スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。
アリランという言葉、スーリも意味不明と言ってるが、エベンキの言葉では意味はハッキリしているw
朝鮮とエベンキ、ワイ族には、棒を立てたソッテ、トーテムポールのチャンスンが共通。
朝鮮の神社にあたるものであるソッテって、こんなものなんだよねw
いずれにしても、森を大事にする神社とは似ても似つかぬもの。
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2046m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2052m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2051m.jpg

これも、エベンキなどと同じ風習。中国や日本にはない。
チャンソンと呼ばれるトーテムポールの様な木像と同じで、エベンキ族と朝鮮でだけ見られる。
チャンソン
http://zaiwakan.hp.infoseek.co.jp/hanguku0311.files/image043.jpg
http://busan.nekonote.jp/korea/old/life/kokoro/chn.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2075m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2073m.jpg
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/mid/Img2049m.jpg

 

90: 2009/09/26(土) 22:12:49 ID:Zk/KcMSU0
別に漢民族に限った話じゃないが
民族を対象にしたフェティシズムなんてキモ過ぎる

 

93: 2009/12/28(月) 22:40:06 ID:RdT4+mmH0

漢族はいろんな民族の集合体だと。。

 

94: 2010/01/09(土) 01:17:37 ID:uxSOuhbo0
iza温家宝、隋はトルコ人国家です 2007/04/12 15:50
現在、中国人の92%が漢民族ということになっている。中国は多民族国家といわれる。しかし9割がたは漢民族らしい。
しかしこのたび、温家宝首相が阿倍仲麻呂や鑑真和上のエピソードを披露した隋は、漢民族を隷属させた鮮卑の国家である。鮮卑は今のトルコ人である。
温家宝氏や漢民族の先祖ではない。鮮卑は温家宝の先祖を支配した人たちだ。鮮卑がトルコ人であることは堺屋太一氏の「堺屋太一が解くチンギス・ハンの世界」などに詳しい。
この本では岡田英弘東京外語大学名誉教授が説明されている。
聖徳太子は隋の煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」からはじまる有名な国書を送った。日本は隋と対等たらんとしていた。
ところが温家宝氏の先祖は、隋の時代、トルコ人に国を奪われ、民族国家を持たない惨めな存在だった。
ところが温家宝氏は隋のエピソードを使い、あたかも自分達のほうが風上にあるかのようにふるまう。
しかし日本民族は隋(トルコ人)と対等たらんとしたが、漢民族はトルコ人によって国を奪われた植民地民だった。これが事実である。明らかに日本のほうが、温家宝氏の先祖より格上である。民族国家を形成していたのだから。
温家宝は自分が優位に立ちたいがために論理のすり替え、隋の歴史を得意げに話す。安倍さんは「隋の時代は国を奪われ、たいへんなご苦労でしたね」と本来切り返さなければならない。それが正しい歴史認識というものである。
隋は中国王朝制度の根幹をなす科挙制度を生み出した。科挙は漢民族が構築した制度ではなかったということだ。

 

95: 2010/01/09(土) 01:19:03 ID:uxSOuhbo0
統一王朝ではないが、古代に殷という国があった。殷は甲骨文字を生み出した。甲骨文字こそが漢字の礎である。
また孔子は自ら、殷の末裔を名乗っている。殷は漢民族が忌み嫌う入墨をする習慣があった。殷は後に金や清を建国する女真の国家だった。
漢字も異民族が考案したものであり、孔子も漢民族ではなかった。儒教も異民族文化だったのだ。漢民族は世界一の増殖力を誇るきわめて生命力旺盛な民族ではある
文化的にはさほど優れた民族ではなかった。
韓国の中央日報 女真・入墨に関するコラム
中国の歴史教科書にはチンギス・ハンが自国の英雄として登場する。もうとんだ噴飯ものである。
豊臣秀吉が明征伐に成功していれば、豊臣秀吉も中国の英雄になっていたわけだ。全く同じ理屈である。
日本では日本列島の人間の歴史と日本民族の歴史と日本国の歴史の3つがほぼ一致している。
ところが中国では長江流域の人間の歴史(国土の歴史)と漢民族の歴史と国家の歴史(今の中国は1949年建国)の3つがぜんぜん一致していない。日本は奇跡的にあまりに恵まれすぎた歴史をもつため、中国の歴史をうまく認識できていないように思う。
たとえば温家宝氏の祖先で現中国の主要構成員ある漢民族だけにスポットを当てて歴史を構築すると、びっくりするほど無残な歴史が浮かびあがってくる。
長江流域が継続的に栄え続けたことは事実だろう。しかし漢民族がそこの主役であり続けたのは秦、漢、宋、明等限られた期間だった。他民族に隷属し民族国家をもてない無残な期間のほうがむしろ長かったのだ。
具体的には隋、唐、後唐、後晋、後漢、金、モンゴル、元、清の時代等である。先述した統一王朝以前の殷も異民族国家である。
温家宝氏は長江流域の人間の歴史をあたかも自分達の歴史のように語っているだけである。
たとえば隋も唐も元も清も漢民族の祖先を虐げ、時に奴隷のように扱ってきた異民族国家だったにもかかわらずである。20世紀まで続いた清の時代ですら、
漢民族は女真の髪型である辮髪にしないとタヒ刑になった。このことは漢民族がつい最近まで事実上の奴隷状態だったことを証明するエピソードである。世代的にいって温家宝氏の祖父も、
タヒ刑になりたくないために異民族の髪型(辮髪)にしていたはずだ。20世紀ですら漢民族は髪型が原因でタヒ刑にされていた。日本人留学生、阿倍仲麻呂が隋を訪れたころ、漢民族はもっと悲惨な境遇にあったと考えるのがむしろ普通だろう。
中国人の無礼、無作法は世界的に大顰蹙を買っているが、歴史をひも解けば理由はよくわかる。中国人が当たりかまわず痰を吐く文化的素地も見えてくる。

 

96: 2010/01/09(土) 01:38:02 ID:uxSOuhbo0
岡田英弘氏は「皇帝たちの中国」で、
「中国5000年の歴史なんてのは20世紀になって中国人が言い出した事で何の根拠もない単なる作り話。
明治維新後の日本の神武紀元を模倣して黄帝紀元を唱えだして黄帝紀元から数えて5000年となっただけの事で、
本当の中国の歴史は秦の始皇帝以降の2200年が正解云々」って書いてるよ。

 

98: 2010/01/10(日) 02:22:39 ID:x969vA8Y0

宋までタブガチュですか。でも、宋も唐の血を引いてますからね。
思うんですけど、実は漢崩壊後、漢民族というのは最早無くなったと考えても良いのでは
ないかとも考えます。
自称、中原中原言ってるけど、実は以降はほとんどがタブガチュ系国家。
ちなみに漢以前も、実は漢民族では無いでしょ。秦、楚、呉越、周もみな非漢民族。
西獣か北族か南蛮系。

 

 

99: 2010/01/10(日) 02:24:19 ID:x969vA8Y0

法琳という高僧が唐の道教優遇を批判して
「李氏は老子の末裔だと言ってるけど本当は鮮卑だろ」とのたまったら
李世民が激怒して、法琳は○されかかったらしい。

 

 

100: 2010/01/10(日) 02:30:44 ID:x969vA8Y0

漢民族に実体がないのは確かだけどね。日本は一応、数百年かけて単一民族らしい
体裁を作り上げていった。奈良時代以降、日本民族は歴として存在し続けたでしょう。それ以前は知らんが。
あっちは秦やら楚やらの蛮族時代から始まって(漢も秦と楚の混合)、南北朝時代は漢民族激減、
北方遊牧民大量進入だし、
唐は鮮卑、宋は沙陀族、そして金・元、最後は清と、いつ漢民族だったの?ってくらい。
たがいに言語も通じなければ、やれ客家だの何のと、現状でもとても同一民族とは言えない状況。
それが悪いとは言わないけど、中国中国言う前にそのような現実があることを知っといた方が良い。
そうすりゃ、先のオリンピックのように、なんでああいう国威発揚イベントを繰り返さざるを得ない
のか、理解してあげることもできる。中国は良くも悪くもアメリカに似ている。

 

 

101: 2010/01/10(日) 02:33:40 ID:x969vA8Y0

746 :世界@名無史さん:2008/10/07(火) 19:21:07 0
秦って漢族じゃねーの?
漢が成立してない時代に漢族がいるとでも

747 :世界@名無史さん:2008/10/08(水) 23:14:58 0
当時の中原の連中から見れば、秦も楚も夷狄蛮族の類い
だけど、現代の漢族の先祖の一部ではある
ただ、「漢族」という言葉の元となった漢王朝は、秦の後だから、「秦は漢族か」って問いは時系列的に変な質問になるね
一応、史記の系図を見ると、秦の王統は殷末に趙氏と別れ、さらに遡ると最後は黄帝にまで行き着くから「漢族=黄帝の子孫」ってことなら、漢族(の先祖)ってことになるね
まぁ、王室と支配民が同じ種族とは限らないし、系図も古い時代はあんまりあてにならんだろうけど
ぶっちゃけ、素姓の怪しい諸侯まで黄帝に連なる系図を偽装した結果として「漢族=黄帝の子孫」ってのが定着したとも考えられるし

748 :世界@名無史さん:2008/10/10(金) 15:24:50 0
漢籍のルーツな世界では、
漢族以外の民族も「黄帝の子孫」ってことになってるんだが…。
日本人だって呉太伯の子孫とされてて、つまりは「黄帝の子孫」だろ(笑)。

751 :世界@名無史さん:2008/10/11(土) 21:34:53 0
秦があった頃に漢民族とか中国人とか言う概念はないと思う。
だけど秦には李斯、白起、范雎、張儀、趙高といった、
現在の中国人に近い姓を持つ人がいるのは確かだ。
彼らは多分、現在の中国人の先祖だと思うけど、
民族的には漢民族(の先祖)に近いんじゃないの?

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 22:56:18 ID:Kwu8Mo6j0
他にも呂不韋、王翦、章邯とか居るからね。
現在の章姓の人物といえば中国で女優している人でいたと思うが(名前忘れた)、
民族的には漢民族なのは確か。
もっとも秦があった頃に民族的概念や国籍的概念があったとは思えない。

 

102: 2010/01/10(日) 02:41:47 ID:x969vA8Y0

771 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 03:48:35 0
「週刊東洋経済」5月3日・10日合併号の総力特集「中国と世界経済」に、
「韓国ジャーナリズムの大御所」って肩書きで趙甲済っていう韓国のジャーナリストが論文寄稿してるけど、
その論文中に、「新羅は唐と手を組み、百済、高句麗を滅亡させた後、今度は唐が新羅と戦った。これを新羅ははねのけ、
統一を果たした歴史がある。その後、文化的友好の時代が大陸とは続いた。特に唐、宋、明といった“漢族政権”との友好時代だ。」
って書いてあるけど、唐が漢族ってこのジャーナリストの勘違いなんでしょうか?それとも韓国では唐=漢族なのでしょうか?

772 :世界@名無史さん:2008/11/19(水) 10:11:31 0
そこも間違ってるけど、それよりも「その後、文化的友好の時代が大陸とは続いた。」に突っ込むべきでは?

 

104: 2010/01/10(日) 02:54:04 ID:YJoB0Bbl0 BE:2042964375-2BP(0)
/.

 

105: 2010/01/10(日) 03:34:10 ID:x969vA8Y0
You Tubeの書き込みだったかでテュルク系らしき人が
唐の支配層はテュルク系ってコメントしてた人いた
しかしトルコ語のウィキペデイアでも有るようにトルコやテュルク系の国々は鮮卑もテュルク系の主張してるし
実際タブガチュを自民族の支配層な記述有るんだよなぁ

 

110: 2010/01/10(日) 10:33:55 ID:rdR+pUmY0

>>105
トルコ人の主張では
ハンガリー人も日本人も朝鮮人も満洲人もカザフ人もモンゴル人も、
およそ「ウラルアルタイ系」と思われる民族は全てトルコ人の支流ということになってますよ。

今じゃ電波ということになってしまった「ウラルアルタイ語族」説も
トルコ人にとっては都合のよい学説のようです。

 

106: 2010/01/10(日) 03:37:15 ID:x969vA8Y0
五代十国時代に突厥系統の沙陀族が大活躍しておりました。
五代のうち実に三代まで沙陀系王朝なんですよ。
後唐、後晋、後漢はみな支配階層は沙陀族。宋も沙陀系王朝の築き上げた軍閥体制を基礎に建国されています。
極論ですが、ウィキではこんな意見もあるようで
>華北の「五代」の抗争は、実際には沙陀系王朝とキタイ族の遼との間の連携・離反の繰り返しであったともいえる
実は、見方によっては、中国史において漢民族王朝というのは存在したことがないんです(統一王朝としては)。
いや、妙な話ですが、宋の趙氏の出自は代々唐の宦官との話ですが(現北京近郊出自の氏族とか)。
ま、隋唐みたいに研究が進んでひっくり返る可能性もありますけどね。
祖父あたりから沙陀系軍閥の中枢で活動していたのだから、血縁は
なくとも文化的には結構影響を受けているだろうと個人的には思っています。
配下の軍閥自体はほとんど沙陀族そのものでしょう。

 

107: 2010/01/10(日) 03:38:45 ID:x969vA8Y0

764 :世界@名無史さん:2008/11/13(木) 02:44:20 0
質問ですが、
ウィキの漢民族の項目に「日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている」や、
唐の項目に「唐李氏は鮮卑系であるとの見解が戦時中に日本の宮崎市定によって出され、以後日本学界ではこの考え方がほぼ定説となっている。
なお、近年の中国では、宮崎説を「日本軍の中国支配のために持ち出された論説である」と批判する見方もなされている。劉及辰『京都学派哲学』(光明日報出版社 1993年)または『日本対中国的文化侵略』叢書 (昆侖出版社) 」
といった記述があるのですが、これはつまり中国の学界では唐李氏は鮮卑人ではない。あるいは鮮卑人とは認めていないという事でしょうか?
台湾の学界や韓国の学会やアメリカの学界等の日本以外の学界では唐李氏=鮮卑人は定説とはなっていないのでしょうか?

765 :世界@名無史さん:2008/11/14(金) 23:40:44 0
元々唐の李氏が鮮卑系だと言い出したのはあちらさんの歴史学の権威の陳寅恪だし。
このスレで出てくる単語、関隴集団だの拓跋国家だのも陳寅恪の造語だし。
唐が実は鮮卑だというのはすでに世界中での共通認識だろう。
中国史なんか民族の混合で成り立っているようなもんだから。
北魏の皇室は鮮卑の出身だけど、漢族名門の娘ばかり嫁にしたんで、文化はお
ろか生物学的にもすっかり漢人になっちまった。
逆に、唐の皇室なんかは、仮に漢族出自だったとしても、鮮卑系の嫁ばかりも
らっていたから、生物学的には鮮卑と変わらん。

 

108: 2010/01/10(日) 03:44:47 ID:x969vA8Y0

太宗(李世民)は先祖は老子であり西涼の李氏の血筋だと主張し、それに対し法琳は太宗の先祖は拓跋達闍(って誰?)だと主張したと言う話が残ってます。
当時でも漢人と鮮卑などとの区別はあったようです。
そして唐の帝室が漢か鮮卑かといった論争は李世民の時代まで遡るようです。
唐の王室は武川鎮の出身で、独狐氏や拓跋氏(匈奴や鮮卑)といった明らかに北方民族系の名族と通婚しているので、北方民族系の可能性が高い。
ただ、独狐氏や拓跋氏(元氏、長孫氏)は唐代になっても出自は隠していないのに、なぜ李氏だけ漢族を名乗ったのかは不思議。
李氏は北周時代に大野という胡姓を名乗っているが、大野部という部族の活動は史書等では確認できない。
結論から言うと出自不詳としか言えん。まあ、隴西李氏出身の可能性は限りなく低いと思うが。

さて唐拓跋説の論拠かと思しき、法琳が李氏の先祖は拓跋達闍(今ひとつ何者かわかんねー)じゃーと主張し、李世民が俺の先祖は老子に繋がる隴西の李氏じゃーと主張して大喧嘩になった事件ですが、
なんでそんなことになったのかと言うと、当時、廃仏を叫ぶ道教陣営と仏教陣営が大喧嘩を繰り返してたのですが、
道士の秦世英が「弁正論」(僧の法琳が道教との論争の際に出した論文)は帝室を誹謗していると申し立て、んで尋問答弁。
李世民が家は老子の家系なのに何故老子の道教を批判したかと詰問すると法琳は陛下の先祖は拓跋達闍で老子は関係無いと返して大バトルという…揉め事の主体は宗教だったわけですが、
帰属民族論争≒政治的争いになってるのは現代でもありがちなような。混血とかしとる場合は帰属民族主張そのものが甚だ政治的ということかも。

 

109: 2010/01/10(日) 03:51:28 ID:x969vA8Y0
唐が北族的要素を持っているのは確かだが、ふつう征服王朝というのは、関外で建国し、その後に中華本土を征圧し移ってきた王朝のことをいう。
唐の場合は、関内(といっても内蒙古近辺だが)で建国した鮮卑拓跋系勢力である代国の長い変転の結果によるものだから、征服王朝には当たらない。
まぁ、代国の時点では、征服王朝への道もあったかもしれない。
征服王朝ではなくて浸透王朝って言葉がある。五胡諸国~北朝諸国を指す言葉。
この辺は、外部の勢力として中国王朝と戦ってきたんじゃなくて、内部で挙兵、もしくは権力の空白状態になった中原・関中にそのまま流れ込んで形成された。
確かに征服王朝と似ている部分、通ずる部分はあるけど、制度上に細かい違いみたいなのがあったり、宋以前の民族と国家の関係の違いとかもありまして。
そういう辺りで同一のものとしてはくくれない部分がある。
中国の学界は、隋や唐を当然ながら純然たる中華王朝、すなわち、漢民族の王朝とみたがる。(というか断定してる)
ところが日本の学界は、隋や唐の初期の皇帝が草原の出身、すなわち万里の長城の外、遊牧民の血統者であることに粘着し隋や唐を半征服王朝といった位置づけで捉えている。
つまり近代国家成立以前、国境などあってなかったような大陸では隣の民族と血統を峻別することなど不可能、という諦念がある。
一方、古代から海で国境を隔てられてきた日本人は自他の民族の血統を峻別しようとする傾向がすさまじい。
とっくに混血してトルコ化しているティムールの一族を祖先がモンゴルから来たからモンゴル人だ、などというのは日本人の血統信仰の証左に過ぎまい。

 

112: 2013/02/21(木) 11:24:07.93 ID:U0vQMcRe0

漢族の歴史
ルーツ的にはチベットビルマ系の「黄河族」であるが
元からルーツてきに爆発敵人口をかかえなかった。

かんきに人口爆発するが5大紛争(300年以後)機に満州族が大規模侵入して
満州化した。以後絶え間なく常に満州族が侵入して
19世紀まで常に人口100万だった満州族血統者が異常にいる

満州族が帰属支配して土人の漢族はかんきに拡散したけどあっという間に自然淘汰されたんだよな。
今のシナの血統は
満州族15%
ビルマ族30%
マレー族15%
漢族らしき系統20%相当
で漢族血糖そのものが少数派である

 

 

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1176851476/

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