もし武田信玄が今川との同盟を維持していたらどうなるか
というところから始まり、武田家はどうすればよかったのか、
外交政策の是非、周辺諸国の情勢などについて語り合うスレです
駿河侵攻によって得たもの
・駿河一国(15万石)
・海(ただし、貿易による商業収入は得られなかった説あり)
・更なる領土拡大の機会(徳川家に隣接)
・信玄に逆らう不穏分子の排除の機会
失ったもの
・北条との同盟(後に回復)
・嫡男義信
・飯富虎昌ら甲斐国衆
・織田との同盟
・周辺諸国からの信用
・国内からの信用
ぶっちゃけ織田との仲次第で普通に利益やな
>>5
しかし、駿河取ったら次に狙うところは遠江しかない
武田が狙わなくても徳川が上杉と組んで虎視眈々と武田領を狙ってくるし
織田との手切れは時間の問題だったのでは
武田にその意思がなくても徳川がやる気満々なのがまずい
駿河って15万石しかないの?
貧乏って付き纏うよな
今の静岡県の1/3しかないからね(遠江・駿河・伊豆)
一応、3ヶ国合わせれば50万石近くなってそれなりだけど、そのうちの1/3だから所詮
しかも一番でかい平野部は浜松周辺で、遠江に取られてるし
氏真も中身はそこまでボンクラじゃなかったらしいし
多分普通に家康が勢力を広げられなくて、武田に一度は屈していたと思う
真っ先に長篠が攻撃されて岡崎が標的になるからな
武田と今川のつぶし合い、かつ薩唾峠という天然の要害を突破されて
今川に大きな被害が出て機能しなくなったのは結構でかかった
少なくとも織田はどうなってたか知らんが
家康が江戸幕府を開くのは無理だろう
北条は長篠後の勝頼相手に敗戦するような軍隊。
十分やれただろうに。
それこそ徳川の思うつぼだろ
徳川北条上杉で武田包囲網喰らって滅亡が10年早まっちまう
徳川は普通に攻めてくるし、
信長に仲介頼んでも家康の手前大したことはやってくれなさそう
徳川がいつ攻めたんだ?
武田から攻撃されるまでは軍事的には何もしていないと思うけど
>>18
家康が遠江を掌握した後、
今度は徳川北条上杉ラインで包囲網を敷いて、武田への攻撃開始
徳川方の言い分としては、遠江攻略時に秋山が信濃から遠江に攻撃仕掛けたからだが
実際に徳川が武田を攻め始めたのは遠江の攻略が完了した後だから
領土拡大の大義名分に使われちゃった感じ
徳川としても、今川が滅亡したら家中をまとめるためにも
また次の敵が必要なわけで
その意味では一時的に武田と和睦することはありえても
恒久的な和睦はできない
格好の口実を徳川にプレゼントする武田信玄
ホント外交センスないな信玄
徳川が何年何月武田領のどこを攻めたんだ?
調べても武田から攻撃した事実しか見つからないが。
すまん、攻め始めたという表現が悪かった
敵対を開始した、だな
今川氏真が掛川城を開城した後、
北条徳川で武田を駿河から追い出した後は氏真に駿河を返すという盟約が成立してしまった
そこからは徳川と武田は敵対状態
その後も織田の仲介あってか内心は知らんが表面上は同盟関係
1570年春に家康の上洛祝ってる
武田が仲良くしたがっているだけしょ
徳川方は武田潰す気満々
当時の徳川で、武田を潰すとか家康はキチガ✖だったのか? 武田の侵攻を撃退はできても、徳川から武田にとか正気とは思えんぞ。
徳川だけならそりゃ無理だけど
北条上杉と組めばいける
とイキがっていたが、北条武田で和睦が成立して一転窮地に陥っただけ
今川滅ぼしたら、織田が武田しか回りにないし
地道に内政なんてやってたら、祖父同様家臣に○害されんじゃね?
その辺は信玄と一緒かもな
国力差理解していたから徳川からは手を出さずに織田へ言い訳できるよう武田から殴らせたんじゃ。
>>44
だろうなあ。
信玄ってこの手の外交がホント、ダメだよな、なぜ、家康から殴ってくるように仕向けるかまたないのか。
今川にしても自分が一番泥をかぶるし
普通に自分の年齢体調からくる焦りは理由になりそうやけどな
最近の光秀が本能寺の変を起こした理由の説なんかでも年齢からくる心境の変化をポイントにしとるけど一益が領地要らんから引退したがったとか老いが関連してそうな武将の行動の変化は多い
とはいえ信玄は基本戦に勝てばええやろな脳筋外交が多い事は確か
地道に内政しとけばいいんじゃね?
一説には浅井久政が忍従したから、長政が戦えたとも言うし
戦ばかりだと経済ボロボロになっていずれ滅びる
朝倉はじめボロボロになった大名は多い
でも、皆そんな信玄嫌いだよね
裏切り上等な信玄でないと戦国時代が面白くならない
信長も信玄とガチでやり合いたくないから外交手腕次第では可能性有り
まあ基本力で解決してた名門御曹司の信玄にそんな外交出来るかは疑問やけど
そんな高度な外交テクを持つ家臣がいたならば、長尾や北条、今川との付き合い方から違うと思う。
家臣は家康の事軽く見てるしな。サクッと○害するかも
祖父を○害するし
面倒くさいとかなんとか言ってるけど、結局の所軽く見てるから面倒な事が出来る訳で
となると信玄のとるべき道は遠江駿河は徳川に任せて相模武蔵方面に侵攻しかない
北条が今川攻めを拒否した時点で対北条戦を考えておくべきだったよ信玄は
もちろんその場合北条と絶賛戦争中の上杉佐竹らとの同盟は必須
そんな高度な外交テクを持つ家臣がいない武田家
みんな合戦テクだけに特化していた
徳川が上杉と組んで武田を滅ぼそうとしているから
徳川から攻撃してきたってことで、
武田が先制攻撃したんじゃなくて武田は先制攻撃される前に反撃しただけという理屈かな。
今川が上杉と組んで武田を攻撃?
三河の徳川を放置して?
あり得ないだろ。余りに難癖すぎる
>>30
信長みたいに自分でできるか、義元の片腕雪斎みたいにやり手がいるなら別だけど、武田の場合は完全に戦闘のプロ集団の集まりで、外交や経済に関する奉行が欠如していた。
だから勝頼の時にその戦闘のプロすら居なくなって、外交でも経済でも自滅していった。
そうでもないでしょ
三国同盟なかったら上杉に対抗できない
北信濃を取り返されていたかもしれんし、上野侵攻なんて夢のまた夢だった
娘までどうこうはさすがに気の毒だよ
たんに信玄と家臣に外交能力が欠如してるだけ
二十四将はしょせん、合戦には強いが、それ以外はダメな集団か
上洛して織田に協力するし、
国境沿いを固めるとかもしていない、
織田から見たら徳川には問題ない非がないように見えるだろうな。
徳川が領地広げようと思ったら武田に侵攻するしかないでしょ
あとは織田配下として遠方に飛び地でも貰うか
家康は素晴らしいから戦したくないとでも思ってんのか?
その辺状況に応じて待つこともできる戦略家ってだけの話だろ
すぐ食い付くようなア○なら最終的に天下取るなんて出来ん
大名権力が強化された
待ちを東海の旧領でやってたら、祖父同様○害されんじゃね?
あと、関東に移った頃はもう戦国時代終了でしょ。家康自体が後に大乱起こすけど
何でもかんでも家康すげぇーし過ぎ
美濃も秋山
遠江も秋山
実は武田を滅ぼそうとしていたとか
武田の切り込み隊長的な立ち位置だったんでしょう
しかし、近隣諸国とトラブル起こすとか関羽みたいな奴だな
秋山の行動は必然じゃ?
北条の介入で引くはめになっただけで
同一人物かわからんが
結局武田が徳川攻めた理由は
織田の要請で直接動いたりはしないが
他に攻めるとこない徳川はきっと武田を攻めてくるから武田から攻めたでいいのか?
今川氏真が掛川城を開城した後に、
徳川と北条の間で駿河から武田を追い出して今川に返すという盟約が生まれた
なので、武田と徳川はこの時点で手切れして、敵同士になったというのが正しい
まぁ直接は戦ってないから冷戦ぐらいか
掛川開城後信長が間に入って両者取り持って友好関係に戻しているだろ。
1570年10月に徳川ははっきり武田と断交して上杉と同盟してる
でも信長は信玄に上杉と武田が戦ったら武田に味方すると送っている
その後は2年間、徳川は織田に武田との同盟破棄を主張し、武田は織田に徳川の讒言を聞き入れるなと主張
織田は余裕もないし、中立だけどやや上杉と関係改善
この間、そもそも信長の意向なのか将軍家の意向なのかよく分からない部分もあり
武田は滅んだので信玄宛書状がほとんど残ってないのがよく分からない部分
それより前の秋山の遠江侵攻は実際は秋山が駿河で信玄と合流しようとしたら事故って衝突してしまっただけだろう
その時期既に北条が敵に回ったのが判明して武田が遠江に欲を出す余裕は全くないし、平謝りする羽目になったのに話として不可解
徳川はそれを後年プロパガンダに使った疑い濃厚
徳川と武田の関係悪化の原因は実際は掛川開城が原因
>>64
>その時期既に北条が敵に回ったのが判明して武田が遠江に欲を出す余裕は全くないし、平謝りする羽目になったのに話として不可解
北条は敵に回ったけど、伊豆に留まって暫く動いていない、
12月23日の信玄書状で信玄が掛川に向かうと言っているからその時点では武田には遠江侵攻する余裕自体はあったのだと思う。
(内容は共同で掛川攻めようという徳川への要請)
で翌年正月8日に家康の秋山違背の書状で、10日に謝罪の書状だから、
12月23日から2週間ほどの間に状況が変わったのかもしれない。
伊那から侵攻した秋山は駿河西部と遠江掛川なんかの今川勢力圏に遮断されていて、
情報が遅れて届いていたという可能性もある。
>>64
>それより前の秋山の遠江侵攻は実際は秋山が駿河で信玄と合流しようとしたら事故って衝突してしまっただけだろう
北条と敵対して余裕ないなら敵の勢力圏突破するより遠回りでも甲斐経由して合流する。
また遠江経由じゃ駿河への道はまだ今川領のため戦闘したり場合によっては城を落とす必要もあると思うが
徳川のためにわざわざ戦って手に入れた領地引き渡すとは思えない。
更に共同作戦取るなら徳川との接触には気を遣う筈、余裕ないなら尚更のこと。
信玄も秋山も最初は確信犯だったと思う、状況が変わって低姿勢に出ただけじゃないかと。
今までのことがあるから、武田がどんなに弁明しても信じてくれないでしょうね。
もともと遠江もあわよくばと考えてたとするにも、あんなすぐ謝罪するのも変だよ
だいたい遠江が当初から徳川のものという盟約自体なかったと思うけど
舐められた負けの戦国時代で即謝罪だから
言い訳効かないぐらいに決定的にやらかしたってことだろうな
家康の命なんて祖父同様脆いもんだったんだろうな
たかだか三河遠江の2カ国で、織田と武田が徳川ウザイから潰さねとなったらそれまでだ
家康の絶対条件は領地の拡大と織田か武田は必ず味方してくれるのが必須
信玄よりは家康のが外交能力が高かったんだろう
あと、娘婿か息子の嫁かの違いで信長も家康寄りだったのかも?
もっとも、代替わりしたら当然、妹の婿より自分の嫁のが上に来る
それはないように振舞ってたんだろうけど
自分で信康に切腹命令した時は肝を冷やしたろうな
信康に息子でも居れば良かったけど、娘だけで織田との縁切りに成る可能性もあった
現代で言えば日本と韓国が戦争するようなもんだ、アメリカからするとなぁなぁで済ますしかない
71年の遠江侵攻があったかはまだ研究者でも意見定まっていないが
71年からは冷戦状態みたいなものかと
>>70
まぁ実際、そういう側面もある
我々はその後の歴史を知っているので、
西上作戦で老獪な信玄にボロボロにやられた家康
という印象があるため、それ以前も同じだったのではないかと思ってしまうが
掛川城開城の時点では明らかに家康の方が優位に立っていたからね
実際、一度は信玄は駿河から追い出されているし、周囲は上杉北条徳川と敵だらけだ
>>70
外交に関しては信玄は10分勝ちじゃないと満足できないんじゃないかと思う
でそこを突かれたと
徳川は武田が北条上杉と敵対している時でさえ動かなかったのだから
北条と再同盟後は敵対的中立で放置して上杉に専念してもよかったのに
自分から攻撃しかけてついでに織田にまで喧嘩売ってるからな
まあ敵を上杉に絞ってもこれ以上領地削れそうにないからより弱そうなの徳川を狙ったのかもしれん
織田の仲介で対武田の軍事行動起こせないうちに一気に徳川を削ろうと
諏訪攻めや駿河攻めの成功経験をもう一度といったところだろうか
信用なんかより利害を第一に動いているのは武田だけじゃないし、家康は晩年に限らず生涯ずっと相当な謀略家かつ野心家
律儀だなんてイメージはよくついたものだ
上杉謙信も今川と同盟したはずなのに徳川に頑張れと書状送るわ武田には全く攻撃しないわで適当にも程がある
義将とは一体なんなのか
まぁ上杉謙信が動かなかったのは、
足利幕府(信長)が上杉武田を和睦させようと仲介していたこともある。
これも結果論から言えば武田潰しておいた方が良かったんだろうが、
当時の情勢を考えると東にも味方が必要だったというのも難しいところ
>>72
>家康は本来なら武田と一緒に北条と戦うべきなのに掛川落とすの困難だからって勝手に誓約を破って北条今川と和睦してるからね
軍事的には仕方がなくね、武田主力が撤退した以上
西駿河も今川勢力が再蜂起していて北条が進軍してくる可能性あるんだし
そうなったら掛川包囲は不可能、東遠江すら今川北条の手に戻って武田はより大変なことになっただろうし
ある程度の妥協は仕方がないと思う
武田の心情は無視しているが
>>74
まぁ実際そうだろう
徳川北条上杉と周り敵だらけだし
武田の国力がしょぼい分、信長包囲網よりも遥かにキツい
七年戦争のフリードリヒ二世並の厳しさだ
発端は見切り発車的に駿河侵攻を開始したことだから
完全に自業自得なんだが
なんであんな無謀な作戦を…
信玄「美味しそうな食べごろの餌があるな」
義信「いけません。行儀悪いですぞ」
信玄「うっせーな。食べごろの餌を逃がせるか」
駿河侵攻自体は織田、将軍家との共同作戦でもあり、徳川が寝返らなければ無謀でもないと思う
少なくとも越後と泥仕合続けるよりマシ
結局武田に対しても織田と共に長篠で叩くまでは力でねじ込まれてた訳やし
そりゃ、当時の徳川と武田の間じゃ国力差が違いすぎる
三河と遠江の一部でせいぜい40万石の徳川に対して
120万石の武田じゃ…
むしろ奮戦してたといえる
今川に対しても特に強くもなかったし家康自身で前線に出る事自体少なかった
家康って若い頃に大きな戦の武功ないんだよな
氏真とは一進一退やしなあ
今川氏真は信玄だけは頼らなかったし、信長も信玄の行為に激怒している。
これまでの行為が酷すぎてどんな弁明も最早信じられなくなってたんじゃないか?
>>86
>今川氏真は信玄だけは頼らなかったし、
今川氏真が家康頼ったのは家康が北条と和睦したからだよ
信用関係ない
それも少し違う
最初は家康も頼っていなかった、氏真は北条を頼っていた。
掛川開城したとはいえ徳川は武田とは友好関係に戻ってもいたし。
その後1571年末北条が武田と再同盟結んで北条に氏真の居場所がなくなったため、
その頃には武田徳川間の関係が悪化してきていたので徳川を頼ることになったと。
今川氏真が家康頼ったのは武田が北条と同盟したからだよ
>>88
氏真確か徳川家臣の人質を処刑していたですよね? しかも今川に謀反起こした家康だし。
一つ間違えたら○される危険性もあったはずですが。
同盟破棄してそこの当主を○害した段階で著しく信用は低下してるだろうに
その娘を犯して孕ますなんて、やっぱり信用は出来ないし、民度低いなって思われんだろうな
せめて尼寺に入れてしまうかすればまた違ったかもしれないが
志賀城皆○しの件とか考えると、諏訪の扱いはまだマシな方だからやばい
気心も知れてたから信玄に下るよか遥かにマシ
実際、家康も汚い真似は幾度もしてるが
信玄みたいな意味もなく敵対してると言い切れないヤツを騙し討ちにして抹○するよーな真似はしなかった
氏真の人を見る目は確かよ
氏真はあくまで北条に駿河を譲って一線から引退し、北条が武田と再同盟したからやむなく徳川頼った
好きとか嫌いではなく、単なる保身と生き残り第一で行動しただけで武士はもう懲り懲りだったのだろう
信玄が本当に憎かったら徳川の家臣として最前線で戦い続けたはずだが実際はどこかの城主任されたけどすぐ辞めて蹴鞠の世界に戻っている
その後の掃討戦で前線の城任せた家康はバ○だと言いたいんですねわかりますw
やる気ないのに間接的に内藤討ち取ったり
駿河に何度も焼き働きに出かけたりする氏真は超優秀だったんですねわかりますww
そもそも氏真、信長の前で蹴鞠を披露したんだよね。父親の仇で恨みもあるだろうに。
なのに信玄だけには意地でも頼らない。
仮にも信玄は血の通じた叔父なのに。
騙まし討ちでもないんだし、そこまで恨んではいないんじゃね?
好きか嫌いかでいえば嫌いだろうけど
桶狭間は状況が違えば、信長が討たれた可能性だってあるんだし
そこはさすがに戦国武将だと思う
とはいえ、同盟破棄して攻め込んでくるようなヤツは信用出来なかったんだろ
それよりは、父を討ち取ったとはいえあくまで戦場の事である故、信長の前で蹴鞠したのでは?
家康は駿河に縁のある氏真を対武田の利用価値も含めて養ってる
一方で信玄は実力で奪ったんだから利用価値なし
旧主がいたら担ぎ上げる国衆が出ないとも限らないから害ですらある
つまり諏訪もその理論で○したのか
信長や氏康、元就とはえらい違いだな
この追い出せというのはイコール北条は駿河を諦めるという政治的なメッセージ
そういう経緯があるのに氏真が武田を頼るという展開になるわけがない
氏真の感情なんか関係ないから
氏政もさすがにそこまでは出来ず氏真が逃げるのを黙認したんだが
信玄ひどすぎて草
まぁ戦国時代だからそんなもんだけどさ
普通だよ
北条も初代の早雲が茶々丸執拗に追い詰めて○しとるし
信長もいつまでも龍興に粘着されとるし
○してしまった方が面倒がないのは確かや
旧領回復を狙いそうな旧権威を始末するのはむしろ一般的やろな
敵国の領主を○すこと自体は普通だが、
信玄にとって氏真は甥なんだけどな
まぁ自分の息子も○してるけど
最終的に武田家は一門衆の裏切りによって滅亡するわけだが、
家族に冷酷だった信玄の因果が巡ってきたと考えるべきか
それを背負わされた勝頼は気の毒だが…
>>116
信長は室町幕府を滅亡させた因果が巡ってきた
豊臣は茶々を孕ませた因果が巡ってきた
なんとでも言える
>>117
秀吉に関しては秀頼が生まれたことじゃねーの
アレのせいで他の一門衆が蔑ろにされ、
小早川秀秋の裏切りによって徳川幕府が完成したわけだから
後は秀次事件で貴重な一門衆や子飼いの大名を自ら○してしまったこと
武田に関しては、義信事件により一門衆からの武田を見る目が変わったと思うよ
「あ、こいつ一門でも平気で○すんだ」
って、滅亡する時は「武田家」だけ滅亡してくれよって思っただろう
国人衆の忠誠度は上がったかもしれないけどね
室町幕府が滅んだのは豊臣時代以降なのが今の定説
義信に関しても家臣の密告でクーデターが露見してたから
またかという感じでしょ
義信は家臣の賛同を得られなかったのが原因
第4次川中島の損害から上杉領にこれ以上深入りするより
今川領に侵攻したほうが楽と武田家臣のほとんどは思ったろう
武田の方針は武田家臣の賛同中心だから武田の方針に一貫性がない
義信事件で、家臣の密告とかあるのは軍鑑だけ。
実際は不明。
単に義信が派閥形成していたから、信玄が先手を打って潰した可能性も濃厚。
>>124
確かにそれ(義信が親今川であること)を示す書状(1555年)はあるが、方針で対立したかどうかは一次資料が無いから平山や丸島の推測も入ってる。
そもそも対立したってあくまで意見対立だろ。
義信が武力を行使したあるいは行使しようとした一次資料は無いはずだが。
諏訪や伊奈や北信御三家に対する所業を
それが信繁と言うブレーキ役がおらんなって身内にまで手をかけるまでエスカレートしただけや
一門衆はさぞ戦慄しただろうよ
それが20年後の甲州崩れを招いたわけや
じゃあ義信は意見対立しただけで粛清の対象にされたと?
もし義信が武力クーデターを起こすならやはり今川と組んでやるだろうが今川にもこの事件に関する一次資料どころか二次資料もないんだよな
他の大名なら跡継ぎを些細な意見対立で粛清なんてありえないが
信玄の場合、過去の所業が酷すぎるし何より自分自身が親追い出してるからな
自分も同じ目に遭うんじゃないかと被害妄想に陥ってヤっちまった可能性は高い
んで一度橋を渡ったらもう歯止めが効かなくなる
>>130
>>>128
>他の大名なら跡継ぎを些細な意見対立で粛清なんてありえないが
あり得ないどころか珍しくもない
知識が浅いから珍しくもないことをあたかも信玄だけやったかのよううに語るのが信玄アンチのやり口
謀反の飯富一族の山県昌景が江尻城を任せられたり
独立した別動隊を任せられる武田四天王になったことや軍鑑の内容から
山県が何か密告などの信頼を勝ち得た可能性は高いんじゃないか
義信事件に関しては甲陽軍鑑以外に詳しい顛末が書かれた書物がないから厄介
ただ、信玄と義信の間に何らかのトラブルが発生して、
義信側近とともに粛清されたのは間違いない
で、義信が幽閉されたタイミングが信長との縁談話が進んでいた頃で
義信がタヒんだのが駿河侵攻の直前だったので
この2つとの関係が疑われているわけだが
たまたま偶然こうなったってことがあるか?
逆にその方が可能性低そうだけどなぁ
家康は批判されないどころか、信長のせいとか罪を押し付ける
正妻を軟禁して後に惨○もそう
その辺見ても信玄より家康のが、謀略、外交共に上手なんだろうな
今川を裏切ったのは徳川も一緒だし
同盟破棄という不義理かます為に息子をヤっちまうのは流石に擁護できん
家康の信康粛清は何が原因なのか未だに詳細が分からないし
家康は息子を手にかけたショックで寝込んだ記録もある
信玄にはそういう記録は俺の知る限りでは無い
けっこう大事じゃね?
意見対立ではなく、信康の粗暴か何か、若しくは徳姫とも不仲も書かれ、信康が政治に興味ないのか築山殿が家臣に指示を出してるとも書かれ後継者不適格だったのかもしれない
信康事件こそ意見対立ではない
義信は家臣に担がれた形跡無し
そりゃ側近たちは連座して56されてるが
それに対して抗議抵抗が起こったという話も無し
親今川筆頭だったにも関わらず今川家と連絡を取り合っていたという話も皆無
よって謀反の線は無いと見る
家康は信康を軟禁した後、信康に味方する奴は処断するぞと言ってるからな
明らかに信康を担いで何かやらかそうとしてた輩が居たって事でしょ
実際事件に対する対応は大違い
家康→信康と築山以外はほとんどお咎め無し。平岩とか後年に復帰したのもいる。嫁の徳姫は織田に丁重に送り返し、信康の娘は引き取る。
信玄→飯富、長坂、曽根は斬。義信の80騎も斬あるいは追放。事件の翌年には穴山弟も斬、そして義信も斬。何年か後に追放した奴を何名かは復帰させはしている。
義信の嫁は甲斐に留めて送り返さない。氏真が返せと求めると、なら氏真てめえが武田となおも仲良くすると誓う起請文書けと言う厚顔無恥。さらに義信の娘は嫁と一緒に駿河に送る無責任ぶり。
信玄ひどすぎだろ
新たな婚姻?
当時の氏真に子供はいない。
今川一族にもそんな年齢の娘がいたようには見えないし、そもそも誰に嫁がせるんだ。
勝頼は織田信長の姪と結婚し、すぐ下の仁科は10歳にもならない子供だぞ
本心はどうあれ同盟を続けるふりはしておかないと
徳川とのいざこざが武田滅亡のトリガーになるんだから
皮肉なもんやで
悪事は何時か返ってくると言うが
皮肉なもんやで
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1601785638/
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