【神聖ローマ帝国】ハプスブルク帝国の女帝で16人の子供を産んだマリア・テレジアについて
ハプスブルク帝国の領袖であり、実質的な「女帝」として知られる。
プロイセン王国の国王フリードリヒ2世とオーストリア継承戦争及び七年戦争で争った。
16人の子供を産み、神聖ローマ帝国の皇帝・ヨーゼフ2世やフランス国王ルイ16世の王妃・マリー・アントワネットの母でもある。
もうフリードリヒ2世はぐうの音も出ず。
かかあ天下が欧州を制する。
マリアテレジアってそんなに巨尻だったの?w
俺は、巨乳だったかどうかのほうが気になるなw
ロレーヌ公子フランツ・シュテファン
プロイセン王太子フリードリヒ
スペイン王子カルロス
2度とも失敗してる人
気の毒なご婦人
肝心のシュレジェン自身が新教地域でプロイセンの支配をむしろ歓迎していたというのが一番の気の毒
・・・というのがプロイセン側の宣伝だったが、
シレジアの新教旧教の割合は半々だったので、
その逆の事も同程度に主張できた。
シレジアの旧教徒はハプスブルグの改宗政策によるところも大きかった
だからか最初の占領から領有確定までプロイセン占領地の奪還は成功していない
あと子供が生まれないのでますますやばいことに
二人がタヒんだ後の継承戦争は大変なものになる
君主としての資質はフリードリヒ大王よりテレジアの方が優れてるな
ただ統治した国が旧態依然の多民族国家、国体もゴチャゴチャで、神聖ローマ帝国だの二重帝国だのオーストリア大公ハンガリーボヘミアやら、何か全体的に収拾つかないイメージ、全てにおいてユルユル
そして国境が広い分敵も多いから何時も周囲から虐められてる
今でも中欧のあの辺はゴチャゴチャしてよう判らん
ハプスブルク・ロートリンゲン朝の統治領域に「二重帝国」の異名が付いたのは、
19世紀中期のアウスグライヒ(=妥協)成立後のこと
マリア・テレジア代には、まだその異名は無いよ
小国の公爵に過ぎないフランツ・シュテファンの格差婚
ちょっと逸れるけど
オーストリア継承戦争、7年戦争を通してのザクセンの弱兵ぶりは何?
それなりの領土と軍の動員力あるのに常に敗戦、連合組んでも大抵真っ先に敗走
後のナポレオン戦争、普墺戦争でもプロイセンに凹られまくってるし
プロイセンと何が違うん?同じゲルマンなのに
30年戦争でも弱いなw
上にもあるように辺境伯として侵略に備えたり侵略してたブランデンブルクに
侵略で成り立ったプロイセンなので全般的な社会基盤が違うのだと思う
>>20
30年戦争では新教徒側に付いたり皇帝側に付いたりとフラフラ(まぁザクセンに限らないけど)、ただ安定の連戦連敗
大北方戦争でもカール12世のスウェーデンに連戦連敗
途中までスウェーデンに対し優位だったロシアもザクセンと連合軍組んだ途端大敗
(2倍以上の兵力あっても10倍の損害出して余裕で負けたりする)
元々商業が発達した裕福な所で安定の弱兵ぶりもそうした地域性か
カール12世は許したれw
あいつに負けるのはしゃーない
侵略しないとタヒんじゃう病に罹った獣の血統に対抗できる勢力などめったに居ない。
さすがは女帝陛下。しぶい趣味をお持ちですな。
日本・オーストリア友好150周年記念
ハプスブルク展
600年にわたる帝国コレクションの歴史
政治的権力はいっさい夫に与えなかったが
夫婦としての愛情は深かった。
>>41
マリア・アントニアには、弟のマクシミリアン・フランツがいる
だから、マリア・アントニアは、兄弟姉妹全員としては最年少から2番目で、姉妹としては最年少と言うことになる
>>42
いや、全員ひとりずつ生まれ
https://ja.wikipedia.org/wiki/マリア・テレジア
年中妊娠してた
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1564401999/
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