それと同時に、彼は世界で最も子孫の数が多い人物であるとも言われている。
2015年、イギリスのレイセスター大学のマアーク・ジョブリング教授らの遺伝子研究チームによって、とある研究報告がなされた。それは、アジア人の男性のDNAを分析して先祖のルーツを辿ったところ、現在のアジア人の約4割が、「11人の偉大な父」のいずれかの血脈を受け継いでいるというものであった。
研究は、アジアの127ヶ所から採取された男性5321人のY染色体を分析したものであるという。この分析により、被験者の37.8%に11系統のY染色体配列のいずれかが発見されたというのだ。つまり、数にしておよそ8億人以上のアジア人男性は、11人のいずれかの子孫であるというのである。
研究報告で名前が判明しているのは現在3人いる。一人は、中国明朝後期の部族長ギオチャンガである。彼は清の初代皇帝ヌルハチの祖父としても知られ、150万人の子孫がいると言われている。もう一人は、内モンゴルを支配した契丹(キタイ)人・耶律(ヤリュート)氏の王朝、遼の建国者である耶律阿保機(やりつあぼき)。そして、真っ先に名前があがった人物こそがチンギス・カンであった。統計的には、彼の直系子孫は現在1600万人という桁違いの数が存在していると考えられているのである。
一人の男性が多くの子孫を残すためには、単純に考えて多くの妻を持つ必要がある。そして、多くの妻を持つためには、それ相応の高い地位と経済力を兼ね備えていなければならない。チンギス・カンは30人の妻とその他数多くの愛人が存在していたとも言われている。加えて、移動能力に優れていた騎馬民族であったこともあり、それによって広範囲に遺伝子を拡散することができたのではないかと推測されている。
この調査はアジアに限定しているものの、同様の研究が行なわれた例もある。アメリカのジョン・ホプキンス大学による研究では、イギリスのウェールズ地方に住んでいたとされる「グウィリム」という人物の子孫が、ヨーロッパのみならずアジア・アフリカなど全世界に渡り分布していると報告している。だが、それでも子孫の数は600万人ほどであると推定されていることから、この1600万人という数がどれほど並外れているかがわかる。
さらに、ケンブリッジサンガー研究所によれば、アジア全域から男性のDNAを抽出したところ、その多くが同一家系に属しており、およそ1000年前のモンゴル発祥であると言う結果を導き出した。そこから、チンギス・カンの可能性がきわめて高いこと、さらに世界の3200万人がその遺伝子を継いでいるという計算を割り出したという。
だが、実のところこのDNAがチンギス・カンのものであるかは断定できていない。なぜなら、彼の墓の場所は現在でも謎のままとなっており、実際の彼のDNAが調査できていないからだ。そのため、これらの分析は推察の域を出ていないことには注意が必要だ。
とはいえ、DNAの分析によって少なくとも並外れた種の持ち主が存在していたことは確実であろう。(以下ソース)
2024.04.15 16:00
https://tocana.jp/2024/04/post_263670_entry.html
https://tocana.jp/wp-content/uploads/2024/04/GenghisKhan.jpg
近所のタバコ屋のおばさんそっくりだわ
なんだっけかな500年遡ると
愛媛県くらいの人口の先祖は1人になるとか言ってたな
だから、殆どの人は祖先に侍いると
> イギリスのウェールズ地方に住んでいたとされる「グウィリム」という人物の子孫が、
>ヨーロッパのみならずアジア・アフリカなど全世界に渡り分布していると報告している。
>だが、それでも子孫の数は600万人ほどであると推定されていることから、
>この1600万人という数がどれほど並外れているかがわかる。ジンギスカンのように世界制覇をしたわけでも無いのに600万もの子孫を残す。
グウィリムの方がスゴくない?
たまたま子孫が繁栄したのか生前めちゃ種付け頑張ったのかw
ウェールズの種馬とか呼ばれてたんだろうな
確か張良の子孫が俳優やってたな
現代語だとハンだが当時はカンの方が近いとかで戻された
モンゴルで当時の発音に戻そうという動きがあったからね
中華初の王権の呼び名も殷じゃなくて商と変わってるしな
堺正章が子孫らしいぞ
DNA検査の結果
今でこそ犯罪だけど
本来は民族同士を融和させるための手段
子供から見たらどちらも親だから次世代で民族同士の差別がなくなっていく
今に価値観ではマジ鬼畜っス
それでいてジュチに冷たい。
ノヤンは「春の日、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と答えた。
チンギスが他の将軍のボロウルにも同じことを問うと、ボロウルも同じことを答えた。するとチンギスは「違う」と言い、「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えた。(モンゴル帝国史)
素で悪人でワラたw
こんなのが英雄とか恥ずかしいだろ
チンギス・カン「男として最大の快楽は何か?」部下「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」
こう言ってたらたぶん部下チンギス・ハンに○されてるよな危険分子だって
穏健的なことを言うのは生き延びるための処世術だと思うぞ
肩に☆の痣があるジョースター一族みたいだな
説じゃなくて妄想
ヨーロッパが世界侵略ができたのはそれまで無かった科学力があったと分かるけど、モンゴルにはそういったものはなかった
一説によると気候がモンゴルに味方してあの時代は草がものすごく生い茂ったから沢山の馬を養えたそうだが
それにしてもイスラム教国と戦っていたキリスト教徒が当初モンゴル帝国の出現を敵の敵が現れたと言って喜んだのに
モンゴル帝国はイスラムを破るとそのままキリスト教国に攻め込んでくる展開が結構好きだな、敵の敵は味方ではなかったのだ
あの時代に進んだ情報伝達手段があったらイスラム教国とキリスト教国が手を組んでモンゴル帝国に立ち向かっていたかもしれないな
それでもまとめてモンゴル帝国が踏みつぶしていただろうがそんな歴史を見てみたい気もする
機動力と羊の群れを連れて歩いてることじゃね?
当時の軍は貧弱な兵糧輸送能力を略奪で補ってたんだろうけどそんなもの負けた側が焦土作戦で食料庫を焼いて退散したらあっという間に飢える
途中の国が弱いとか内部に事情抱えてて纏まらなかったとか色々あるよ
てかモンゴルってエジプトで普通に負けてたりもするし
分裂してて弱かった筈の中国滅ぼすのにも何十年もかかってる
日本やベトナムにも撃退された
無敵って訳でもないんだよ
直接戦ってやられた東ヨーロッパの国は弱い国側の方かな
なんかボディビルダーみたい
もっと現実的には戦闘や乗馬etc実用的な筋肉だけで引き締まった
細マッチョ体型だろうよ
ジンギスのときはカンだと思ってました(´・ω・`)
占領した国の妃を犯して
子作りするゲームがあったな
小学生でも普通にプレイしてた
今なら発禁だよ
白鵬も照ノ富士もチンギスハーンの子孫だよね
爺ちゃん九州のドン百姓の生まれだけれど、うちのご先祖は遡っていくと嵯峨源氏の源融なそうな。
壇之浦では平家方でボロ負けして逃げてきて帰農した人が祖先なそうな。
源平合戦の平家の落人で嵯峨源氏とか、ちょっと盛りすぎやよな。話半分だわ。
源氏で国司になり地方に赴任して現地の女と子供ができて、その子供が郡司とかになり土着の武士となり武士団を形成し守護になり荘園の地頭となり室町に守護大名やその家臣となり戦国乱世を生き抜いて各大名やその家臣団となり近代を迎えていく
その過程で次々に落とし種が本家から枝葉の分家となっていく
そして帰農して農民となり名も無き存在になっていく
嵯峨源氏も大いにありえるさ
妻や愛人にあたる女性は
正妻の他はイェスイ、イェスゲンの美人姉妹
他にどのような人物がいたかは元朝秘史に書いてあるのかな?
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1713427439/
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