プロテスタント反乱をきっかけに神聖ローマ帝国を舞台とした三十年戦争について
グスタフ・アドルフ
リシュリュー
スレ立てる時は最低限、この戦争における対立勢力の国家群や兵力をこぴぺしてまとめるべき
スレ主の誠実さや資質が問われていると思いますよ
やめたれw
人々は自らの行為に恐怖した。
→神聖ローマ国体制崩れて、民族分散
→統一国家願望沸々→プロイセンドイツ隆盛、オーストリアのバルカン支配
→→第一次世界大戦→後はご承知の通り…
まとめありがたい
贅沢言わせてもらうともっと詳しく知りたいとこ
登場する国と人間が多すぎて軽く混乱する
あれは被害者かと思っていたが、実は加害者だそうな
反乱軍とはいえ島原の乱で、オランダ
に軍船での原城砲撃を許したり鎖国中の貿易国としたのも、カトリック布教の危険性を三十年戦争の経緯から江戸幕府が感じとったからとする言説があります。
三十年戦争は、オランダの独立戦争と
並行してたも言われてるのでアンチカトリック(スペイン)な進言だったのでしょう。
ネーデルランドなんて「国家」は認められてなかったんだよなあ
自国に有利になるようにドイツに容喙する絶好の機会だったろうに
ロシアとの抗争で忙しかったんか?
前半はスウェーデンとの戦争
それが終わるとロシアとの戦争
あとオスマンとも黒海方面巡って戦争
ドイツでの三十年戦争の終結と入れ替わるように、ポーランドでは「大洪水時代」と呼ばれる悲惨な戦乱が始まった
ここでも、主役となったのはスウェーデン
北欧ヴァイキングの勇猛さは健在だった
わいの中では
三十年戦争=第一次欧州大戦
七年戦争=第一次世界大戦
ナポレオン戦争=第二次欧州大戦
クリミア戦争=第三次欧州大戦
日露戦争=第二次世界大戦
第一次世界大戦=第三次世界大戦
第二次世界大戦=第四次世界大戦
インドシナ独立戦争=第五次世界大戦
朝鮮戦争=第六次世界大戦
ヴェト・ナム戦争=第七次世界大戦
湾岸戦争=第八次世界大戦
シリア内戦=第九次世界大戦
すげー誇張しているけど、規模的には様々な国際的な国が絡んでるからそう考えられると思うのだが……
>>40
スペイン継承戦争が入ってない
「第二次欧州大戦」もしくは「第一次世界大戦」に入れるべきだろう
>>40
七年戦争はオーストリア継承戦争からの一連の戦争だけどね
少なくとも複数の戦争の集合体である三十年戦争を一つとしてカウントする限り
オーストリア継承戦争~七年戦争は一まとめにする必要性が本当はある
それを言うなら、スペイン継承戦争も、オランダ侵略戦争やプファルツ継承戦争と並べて「ルイ14世戦争」とでも一括することになるな
多分その分類の方が正しい
ルイ14世という戦略環境が起こしてる戦争だからな
日本で言えば傾奇者的な趣味?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Landsknechte.jpg
見た目は滑稽だが、民衆から略奪しまくる危ない奴ら
どんな凄腕の脚本家を雇っても、連中が人面獣心の輩であることは隠しようがない。
フランス『プロテスタントに援助するで!』
ハプスブルク『ちょ?お前!』
ブライテンフェルト、リュッツェン、ネルトリンゲン、ロクロワの四つ入り
かつてホビージャパン社が刊行していたシミュレーションボードゲームの専門誌
(後にはテーブルトークRPGも扱ったが)「タクテクス」の1988年6月号に、
「ブライテンフェルトの戦い」が付録ゲームとして掲載されていた。
さらに1989年12月号には、三十年戦争の政治と軍事全体をテーマとしたゲーム
「神聖ローマ帝国」(オリジナルはWWW社)が掲載された。
それ以前には、ハプスブルク帝国に対抗するため、イスラム教徒のオスマン帝国とも同盟してたくらいだからな
スペイン・ドイツの挟み撃ちになるから
ん?スペインはカトリックだから挟み撃ちにはならないよ。
ハプスブルクに挟撃
実際三十年戦争ではスペイン軍が主力で参戦してたくらい
オーストリアとスペインのつながりは強かったわけで
>>53
ハプスブルク帝国と戦うため、その一言に尽きる
ルイ13世自身はユグノーを弾圧するカトリック信者なので、本音は新教側と戦いたかったらしいが
ブルボン朝の初代アンリ大王は、ユグノーからカトリックに改宗したのに結局カトリック信者に暗○されたという人物
国益は宗教に勝るという意識が既に力を持ってきてたんだろうな
それがウェストファリア条約にも結実するわけで
もし戦争絵画を一枚となったらリシュリューのラ・ロシュル包囲戦が欲しい
マンガでも出ていれば日本のライトな歴史ファンにも知られるのだが。
情勢が複雑すぎて難解なので、マンガ向きではない
「イサック」という漫画は三十年戦争を背景にしている。
といっても日本出身の銃の達人をヨーロッパの戦争に参加させるなら
三十年戦争の時代が適当だった、という理由らしいが。
(大阪夏の陣が1615年、三十年戦争が1618年~1648年)
三十年戦争までは、まだスペインが強敵だ
南ネーデルラント(ベルギー)がスペイン領で、ここからスペイン軍が出動するのでフランスにとっては大きな脅威
三十年戦争終結とともにスペインはこの地から撤退し、列強の一角からも消えることになる
つまりフランスは、もともとオーストリアやスペインのような純然たるカトリック国とは言い切れない面がある
もちろんカトリック国なのは確かなんだが、その実態はちょっと怪しい
宗教は王権親授みたいなドイツに対抗する手段であってそれ自体はドイツの弱体化に比べれば糞みたいなもんだろう
実際にカトリックの信心派が母后マリー・ド・メディシスと組んでの叛乱を企てている
だからフランスには常にその牽制役を期待していたため
三十年戦争時に皇帝軍の総大将を務めたティリーもここの出身か。
新教徒側についてたけど,それ以外にも新教国のデンマークが
同じ新教国のスウェーデンと争った際に旧教側がデンマークを
支援してるな。
兵士となってオランダ領ケープ植民地へ派遣された人もいるけど,
その子孫が南アのアフリカーナなのね。
近代哲学の租・デカルトが従軍したことでも有名
デカルト本人は、戦争に参加したかったというより、ドイツ・オーストリアを経由して哲学の本場(当時)のイタリアに渡りたかったらしいが
30年戦争で宿営で寝てるとき天井を蜘蛛が這ってるのをみて座標を発明したらしいね
>>90
三十年戦争のときのスウェーデン国王は、「北方の獅子」こと、グスタフ・アドルフ
いまのスウェーデン国王は、カール・グスタフ
19世紀の初め頃にナポレオン・ボナパルトが立てたベルナドッテ朝の末裔
歴代のスウェーデン国王には、グスタフ電気アドルフという名前の人がやたら多い
区別するため、北方の獅子は「グスタフ2世アドルフ」と呼ばれている
なんで「グスタフアドルフ2世」ではなく「グスタフ2世アドルフ」なのか、それは分からない
グスタフ1世はグスタフ・エリクソンなのでグスタフ2世がグスタフ・アドルフ2世と言う事にはならない
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1539078922/
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