天下無双の傾奇者」上杉家ゆかりの戦国武将・前田慶次の「墓石」建立 供養祭に全国から約400人参列 山形
上杉家ゆかりの戦国武将・前田慶次の413回忌供養祭が山形・米沢市の寺で行われた。
2024年は、これにあわせて前田慶次の「墓」も新たに建立された。
■墓の開眼供養「命を削って」揮ごう
前田慶次は、加賀藩祖・前田利家の甥。
晩年には上杉家に仕え、米沢市の堂森善光寺の近くで生涯を終えたとされている。
堂森善光寺では毎年6月4日に供養祭が行われていて、2024年は新たに建立された「慶次の墓」の開眼供養が行われた。
墓所となったのは、過去の調査の際に、山の中腹を人工的に整形した形跡から「慶次が埋葬されている可能性が極めて高い」とされた場所。
墓石には、慶次のファンとして知られる格闘家・角田信朗さんが揮ごうした。
角田信朗さんは、「本当にずっしりと重い大役でした。命を削って書きました」と感想を語った。
■毎年参列する人も!生きざまが魅力
413回忌法要には、地元の関係者や全国の愛好者約400人が参列し、
「天下無双の傾奇者(かぶきもの)」といわれた慶次をイメージした華やかな服装の参列者も多く見られた。
埼玉県から参加した人は、「ここに来ているうちに仲間と会うようになって、毎年来るようになった。
仲間とずっとここで会って元気で健康でいられるようにと願った」と笑顔で話した。
米澤前田慶次の会・齋藤博人会長は、
「生き様がかっこいいと思うファンが全国に広がっていると思う。今年、墓所もできたので、多くの方々に来ていただければ」と期待を込める。
参列者たちは読経が響く中で焼香し、米沢ゆかりの武将・前田慶次をしのんでいた。
この全国から来た400人ってのは何なの?
事前に情報得てわざわざ来たの?縁もゆかりも無いのに?
>>1を読むと前田慶次の会があるみたい。
今日日、イベントがあればネットで報せるからな。
まあ、アニメで好きになった人もいるだろ。
400人は多いのか少ないのか、判らないが。
アニメキャラの葬儀は、明日のジョーの力石徹、北斗の拳のラオウ、子連れ狼の拝一刀が思い出されるが、全国の熱狂的ファンが参列したっけな。
槍の又左の利家より強かったの?
冷水風呂にぶちこんで逃げたのはガチ
それ後の創作でウソだったって
流石に利家にそんな舐めた事出来るほどの度胸はなかったみたい
原哲夫のおかげで400年後に墓が出来るとか本人もびっくりやろなw
基本利家の後ろ楯あっての振る舞いだし、そもそも利家と比べたらガタイや外見から戦闘力的にも完敗だったと
戦場を離れて歳とった後の晩年の資料も無茶苦茶
新築の家の披露で嫉妬して癇癪起こして斧を柱にぶっ刺したり
碁で和尚に勝てないからって、一回わざと負けて貰った時に気絶するくらい思いっ切り和尚引っ叩いたり
自分の思い通りにならないとすぐに癇癪起こすし人格破綻してる
坂本龍馬挙げてる人いるがよく似てるな
坂本龍馬も道で遊んでる子供が邪魔に感じたらブチギレて怒鳴りつけてたっていうし
二人共後世の創作家によって英雄像作られたが実際は背後(利家,西郷隆盛)が強かったからの人か
【実際の上杉謙信(´・ω・`)】
・十代でアルコール依存症になる
・アルコール依存症から統合失調症と糖尿病を患う
・糖尿病のせいでインポになり子供が作れず
・統合失調症の誇大妄想を患い「神の声を聞いた」「私は神の生まれ変わり」と電波発言を繰り返す
・神の自分に逆らう奴には天罰を降すと粘着攻撃を繰り返す
・手紙にも馬鹿だの愚か者だとのと罵詈雑言を並べ立てる
・自分が優勢になると神の慈悲を与えると敵だった奴にも塩を贈る
・酒乱で酔って暴れ度々家臣を斬り○す
・家臣に面倒臭がられ距離を置かれると「何で俺のことそんなに避けてんの?俺の事がそんなに嫌なわけ!?」というネチネチした手紙を送りつける
・そんな上杉謙信に嫌気がさして部下が謀反を起こしまくる
・「神の自分が圧政に苦しむ民を救う」と近隣諸国に攻め込みその土地を治めず、青田刈りをして自領に戻るを繰り返し民を苦しめる
・戦の決着がつく前に自領に撤退するから勝ち戦も負け戦もほぼ無く引き分けばかり(自称勝ち戦ばかり)
・それに反発した近隣の民を捕まえ奴隷として売り払い大儲け
・糖尿病が悪化して左脚が壊タヒ、馬に乗れなくなる
・トイレで力んだ拍子に脳の血管が切れてタヒ亡
・統合失調症の誇大妄想を患い「神の声を聞いた」「私は神の生まれ変わり」と電波発言を繰り返す
毘沙門天の事か!?
角川春樹「はい」
https://i.imgur.com/AiA2Qrz.jpeg
利家なんて水野勝成レベルで自分で闘ってるからな
こんな絵を伊達や酔狂で描かせてたら笑われるがそうじゃないんだなこれが
利家を過小評価してるの、ジャンプ世代のオッサンだけだよ…w
これ利家の若い頃じゃね?
母衣衆だった頃
だから大河の利家とまつ~加賀百万石物語~では慶次役を及川光博が演じてたんだな
結構良い感じに演じてたよ
あの慶次郎はすきだは
戦国時代のみっちーでやって下さいと言われてたんだっけ>大河
徳川家康さんを祀った東照宮や
上杉謙信さんを祀った春日山神社、豊臣秀吉さんを祀った神社もある。
敬愛の情を向ける儀式的な形として
墓を作るのは金勘定だけじゃないよ。
ヨーロッパでも聖人の命日に花束をその人の記念的場所に供えたりしてたら献花場が整備されたりとかあるよ。
街おこし的要素が多少入っててもいいんじゃない?
北斗の拳作画担当の方の漫画で知名度が上がって、信長の野望でもステータス上がったのは知ってる。
へうげもの以降の古田織部さんもステータス上がってるでしょ。
隆慶一郎だろ
本多忠勝や真田幸村、伊達政宗より強くて、風磨小太郎や大道寺政重と互角の腕前だぞ、剣豪前田慶次なめんなよ。
ゲームの中で?
史実に近いって言われる花の慶次のなかで。本多忠勝殴って怪我させたの前田慶次ただ1人
え?史実??
www
mateのIDが松風で草
戦国最強の傭兵と噂された水野勝成さんの功績
https://i.imgur.com/JJVAS2v.png
個人の武勇と、隊の指揮能力は別だよね(´・ω・`)
先鋒って基本武勇が優れてないとなれないぞ
相手の先鋒とガチ○コして首獲って勢いづけるのが仕事だし
仙石秀久・加藤清正・福島正則・伊達成実・・・こいつらが弱かったと思うか?
信長の野望の初期には名前すら出なかったしな
群雄伝に出てなかったくらいで風雲録には利益で出てるし、覇王伝からは慶次
ツレの奥村も初めて出てきた時は政治戦闘30くらいの雑魚だった記憶
漫画やゲームで無双してるがw
慶長出羽合戦での撤退戦で殿を引き受けて最上伊達連合軍を蹴散らした
信長の命令により病弱だった利久が廃され弟の利家が荒子城主となる
こういう経緯(負い目)があるので利家は慶次に気を遣ってくれた
水野勝成(家康の生母の実家)なんかも似たような生き方をしている
傾奇者なんて言われた連中は周りの気遣いを良いことに好き勝手なことをしてただけのクズ
大阪の陣後にその真似をして狼藉を働く旗本の次男三男が続出して江戸幕府は頭を悩ませた
現代の政治家ジュニアみたいなもんか
クズだな
むしろ代表や旗本の嫡男は周囲のプレッシャー相当凄かったと思うぞ
自分のせいでお家を絶やしてはいけないからな
今の二世政治家とか覚悟が違うわ
次男三男は武士に限らず農民でも下男のような扱いされてたんだし
傾いていられたのは極一部だろう
利家のエピソードパクって慶次がやった事にしてるのが多数
有名なのが、人は落ち目の時こそ友情のなんたるかを知るって奴
>>61
米沢の資料館の甲冑から算出した数値は175
当時にしては十分デカい
ちなみに利家は183
漫画で大物にしてしまったな
1990年 週間少年ジャンプで花の慶次連載始まる
1992年 歴史シミュレーションゲーム信長の野望覇王伝に前田慶次初登場。武勇100で全武将トップ
ということで前田慶次が有名になってからせいぜい30年ぐらいしか経ってない
自分は山田風太郎の小説叛旗兵の前田ヒョット斎として知ってたけど
風雲録にも出てる
戦闘力90教養80くらいだったかな
(´・ω・`)
それリメイク版
ファミコン版にでてるよ
(´・ω・`)
ファミコン版武将風雲録は1991年12月発売なのでいずれにしても漫画より後になるか
能力値は政治32 武力90 教養80 魅力92
意地を通すのは不便なものよな
原作隆慶で漫画用脚本は隆慶の弟子がやってたんだが
小田原を最後に脚本の名前が消えて原作要素は断片的にやるだけになったらグダグダになった
最後だけ原作に戻ったからマシになったが
原は画力は凄まじいんだけど自分で話考えるとダメダメなんだよな
南部馬でしょ
それにしても漫画の影響力ってのはすごいね
よくわからなくなってた前田利益の庵と墓を推定しちゃうんだからさ
1.カルロス
2.大道寺政繁
3.前田慶次
4.竜嶽親方
5.風魔小太郎
こいつなんか創作要素以外なんもねえじゃん
真田は信繁が盛られたっていうか信繁を元に幸村という架空の人物が作られただけであって
史実でも昌幸や信之は割とおかしい事やっとる、一番アレなのは透明になれる魔法の槍を使う矢沢頼綱だけど
上杉北条徳川に囲まれて生き残ったんだもの
兄貴の家はずっと続いてるし
信之は90くらいまで生きたんだってな
実像は反骨精神溢れる自由な風流教養人
決して無能じゃないどころかかなり一流だけど
武勇無双の豪傑ではないね
それもまたよしw
どうせなら、花の慶次の像でも作れば良かったw
本物の前田慶次は草葉の陰で、誰だこりゃってなるかもしれんがw
んーwww
全く違うとは言えないとこがなんとも歯がゆい
努力も根性も教養も覚悟も桁違いだが精神性の根底は
似たような?それとも似て非なる?
今見たいな集団の為に己を犠牲にして自己主張しない「日本人」が
作られたのって戦国終わって江戸時代になってからで
戦国時代は傾奇者がいて下克上の世だった
それが良いか悪いかは現代人の価値観じゃ計れないけど
ギラギラした連中がたくさんいたんやな
持ち物のカラーに対する異常なこだわりとかヤンキーそのものだよな
上杉軍団「新参の慶次だけ勇者の赤い槍を使っていいんすか?え?いいんすか?」
兼続「しょうがないな。じゃお前らも赤い槍使っていいよ」
上杉軍団「やったー!これで俺も勇者だ!」
目立ってナンボ、腕一本でのし上がる世界ではこういうメンタルになるのかも
乗り物をデコレーションするのも好きやでえ
いたけど漫画のイメージはほぼ若い時の前田利家
ほとんどの逸話は作り話
肖像画とか残っていないの?
そもそもそんな地位で働いていない
利家ってとんでもない傾奇者だったらしいな
あまりの酷さにノッブが首にしたらしい
花の慶次では好きな人物は捨丸と尚寧王だったな。心理描写が好き
原作じゃ琉球に行ってないらしいのに想像でかけるのすごい才能だわ
ないない
褒賞で加賀をもらえたのは利家の力
利家が前田家を継がなくても武功を積み重ねて加賀の主になってるだろう
そもそも秀吉のマブダチじゃなきゃ100万石はとても無理よ犬千代は
ノッブ政権下では人物は愛されていても将の器量評価はそこまでじゃない
慶次よりよっぽど武功上げてんのに
この辺は真田の兄弟と似たような感じだな
息子の利家は戦争より政治や立ち回りで他の事で活躍したきれものだよ
馬鹿だったら絶対徳川に潰されてた
いつもイライラ八つ当たりしながらソロバン弾いてるイメージ
前田利家は当時の戦国武将の中で一早く算盤を使いこなしたんだよな。
そのため暗算も得意だから石田三成とかの吏僚派も利家を尊敬した。
福島正則・加藤清正等の武断派と石田三成等の吏僚派の
両方から尊敬を集めて両派の対立を未然に防いでた利家のタヒが
豊臣政権崩壊を早めたんだよな。
豊臣政権時代に越後佐渡と信濃出羽庄内の一部約90万石から会津米沢などの旧蒲生領および佐渡と越後出羽庄内の一部120万石に加増の上、移封された。
関ケ原で西軍に属したため米沢と会津の一部30万石に減らされた。
叔父と叔父の友人の権力をかさに来て好き勝手
してた
織田信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)が有名で教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこちらの肖像画(大徳寺蔵)の採用が増えている
http://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
https://pbs.twimg.com/media/ElauVpeU0AU2VEr.jpg
これは生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したものでより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
あの(長興寺蔵)は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと見られ、他に残る信長の肖像もこれらの模写と考えられる。
また一部で"宣教師が描いた信長"と流布される写真のような「肖像画」は、当時の西欧にこのような画風は存在せず確実に「贋作」であり、まともな書籍には採用されていない。
作品には明治創業の写真館の所有印が残り、信長の肖像画を基にイメージし作成したモンタージュの類いだろう。
なに?この疲れた中間管理職のオッサンみたいな風貌は
こんなんにイキられたら光秀じゃなくても焼くわ
切れたら怖そうな雰囲気ある
いかにも癇癪持ちぽい顔
信長は有名人だからいろんな人が記録残してるけど、直接会って本国に記録送付した1人に
ルイス・フロイスが居て彼の書いた内容によると「背が高く、痩身で、声が甲高く部下を烈火のごとく叱責した。
だが我々を歓待するときは非常にへりくだった態度でねぎらってくれた。」らしい
まぁ南蛮寺を京に建てる許可を簡単に出してくれた贔屓目もあるんだろうが・・・w
「かぶき踊り」のあと、女性だけの「女歌舞伎」や
ショタたちだけの「若衆歌舞伎」が幕府に規制されて
男だけの歌舞伎が残ったからという理由で、特に
上の考証とは関係がない。
かといって時の権力者や有名人に近いほうがイメージ湧きやすいし面白くなるから題材としてうってつけだったんだろ
もともと脚本家だったから引き出しは多かったんだろうけど、
「吉原御免状」「影武者徳川家康」と傀儡師や願人坊主なんかの
差別された一族を扱ってきたあとのこれだからなあ。
まあ純粋に破天荒な生き様が面白いってだけかとも思うが。
秀吉は人を褒めるとき大げさに褒めるから
百万石も百万の兵も他の武将にも言ってた
そ、そうだよね(…知らなかった)
あの人が一番描写上手いのは強敵とのバトルより大勢の敵を倒す無双シーンだし
「花の慶次」でデブ親父だった家康が別作品の「影武者徳川家康」では長身マッチョになってたなw
デブ親父のままの影武者が読みたかった
原哲夫主人公のパターン少な過ぎやねん
モデルは宍戸錠かな
真田信繁は当初長渕剛みたいな顔だったな
家康は勝新太郎モデルって話
浪人中のうらぶれた感が長渕ハマってて笑った
髭剃って具足つけたら別人になってたけど
四井主馬は実在した人物
漫画みたいなマヌケではない
あばれ大名
観てないからなんとも言えないが家康に啖呵切る話し
それをベースに着色したのかね
映画の脚本家は漫画に売れば大儲けできたのに
漫画だと世代が違うみたいな書かれ方してるけどほぼ同年代なんだよな
(細かい出生年は諸説あり)
関東戦国史だけでいうなら
殿様の戦タヒ率は半端なく高い
畳の上でタヒんだやつの方が少ない
利家を水風呂に入れたという話
あとは囲碁の話や足の話もどこかで記憶があった
そのへんのエピソードは海音寺潮五郎も語ってたので
どこかに史料はあるんだろうな
小説があるんだよ確か
江戸時代あたりの
二つくらい載ってるんじゃないか
そもそも昔の人の記録ってそういうのを集めたものばかり
戦国時代とかで何種類もの本に同じ人間が出てくると
具体性が高まる
鎌倉時代なんか平家物語が教科書そのもの
海音寺の随筆読むと色々調べているのがわかる
常陸の豪族が佐竹に攻められ、城を枕に一族自刃
1人の若者が「タヒぬのは怖く無いが、まだ何も成し遂げないままタヒぬのも嫌だ、逃げても良いか?」
逃げ出した様だがその後の記述は無い
ただあるのは大阪夏の陣に豊臣側に名前がある
常陸から逃げ出し戦国末期何をしたか?これを想像することが歴史作家の楽しみ
みたいな事を書いてた
実際はそこまで詳しくわかってない
んじゃなかったっけ?
そこまで詳しく分かっていないからこそ、フィクション化がやりやすかったと言われているようだね。
隆慶一郎ってそういうマイナーな視点から書くのが好きな作家なんだよ
裏歴史マニア
てかあれだと絵柄が若すぎるんだよね
あの漫画のスタート時点で慶次はアラフィフのオッサンなんよ…
つーか慶次郎は利家より年上なんだぜ
別スレ立ってるけど影武者家康の島左近も関ヶ原の戦い時点で60歳であの若さ
利家は大大名
前田利家 1538年生まれ
奥村永福 1541年生まれ
原哲夫はバ○なん?
https://i.imgur.com/cYVRhoy.jpeg
https://i.imgur.com/WxW74Xb.jpeg
わざとやっちゅうの
隆慶一郎は自分で原作書いたんだよ
原作小説書いて漫画の原作も書いた
歴史小説ってのはフィクションなんだよ
坂本龍馬もフィクション
史実に基づいたフィクション
これがわからない馬鹿は読むな
マナー違反
隆慶一郎は小説を書いただけなんとちゃうん?
前田慶次郎を少年漫画らしく慶次としたのは隆慶一郎本人と
漫画の後書きに書いてあるから、脚色に口は出したんだろうと思う
連載が始まる1年前に隆慶一郎は亡くなっている
タヒ者がコメントするわけないだろ
連載が始まってから注文つけても間に合うわけがない
連載前の読み切りのさらに前に許可をとりに行った時の話
そして、記録の表記ブレの中に慶次表記もあるから漫画用に嘘名前を名乗らせたわけでもない
本能寺の頃に秀吉についた腰巾着として当たっただけで
前田慶次とかなんか
大喧嘩の後に参加できずにイキッてた程度の人物だろ
賤ヶ岳の戦いという関ヶ原以上に天下を左右する
第一番の戦いで決定的な役割を果たしただろ。
だからその後秀吉の後押しで大大名になっていくんだよ。
決定的な役割
↓
柴田「おい、働けよ!」
前田(無視)
ちょっとショボいかな
その後も「動かない」ことで家を大きく残したんだから、ようやっとるよ
歌舞伎は出雲の阿国っていう女の人と言われてる
前田慶次は関係ないね
結局何が「史実」かなんてわからないし
一次資料なんて限られてるから
いやだからこそ史実は実証主義という科学的手法で創作とは切り分けて追求せねばならん
それを井沢元彦の逆説の日本史みたいな俗流歴史本は歴史学者は宗教を知らない!とかテキトー抜かしながら妄想を史実として垂れ流しとるけどその割に歴史学の知識は古さが目立ちアップデートには興味がない
呉座勇一先生も歴史創作に理解を示しつつ井沢のような史実と創作を混同させるトンデモ史観には厳しく批判しとる
→諸国を遍歴→武勇の誉高く数々の家に高禄で召し抱えられる
という経歴を見れば利家+慶次っぽい本多政重という奴がいるんだが
原哲夫が描かなかったので有名にはなれなかった
なお直江兼続の婿養子で最終的には前田家家老
しかし家康・秀忠の疑い深い性格を知っているから工芸品とかにしか興味無いですよ
「天下?、何それ、美味しいの?」
まあ演じ切るしか無かった
その滑稽さが慶次に被ったイメージになったのかな?
まあ数奇な運命の武将だな。傑物ってわけでもないが三英傑に近くて嫌われなかったから結果百万石w
でも歴史には影響与えてるしな。関ヶ原の引き金は間違いなく利家のタヒ
いや利家は傑物だろ何言ってんの?
息子も利長はアレなだけで利常のときは回復したろ
漫画に影響されすぎ
利家と北陸の戦いといえば呪いの瓦
生け捕りにした一向宗徒1000人を磔にしたり釜で煎ったと記録されている
信長も「越前府中はタヒ体ばかりで足の踏み場もない、見せたく候」と近衛前久に手紙を送っている
それ近衛宛じゃなくて村井貞勝宛の書状だよ
「府中町ハタヒかい計にて一圓あき所なく候、見せ度候」
あの瓦は残酷さを訴える為のものと思われてたが近年その文章から武威を褒め称えるものとして残されたのがわかった
自分も敬語表現を使用してることから攻撃側である前田方の人間がその功績を誇るために書かれたという説に賛同してる
しかし未だに呪詛を記したものだとする研究者もいるし結論は出てないよ
原作の一夢庵風流記もくそおもしろいから
読んでみるといい
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1717927699/
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