戦艦「大和」の慰霊碑が老朽化で立ち入り禁止。徳之島ノ西方ニテ轟沈シ
太平洋戦争末期に鹿児島県沖で撃沈された戦艦「大和」を旗艦とする旧日本海軍第2艦隊の戦没者を追悼するため、半世紀以上前、徳之島に建てられた慰霊塔の老朽化が進んでいる。
コンクリートが剥がれ落ちる恐れがあるとして、周辺に立ち入れない状態が続く。管理する地元の同県伊仙町は修復費用の確保に向けて、ふるさと納税制度を活用した
「ガバメントクラウドファンディング(GCF)」で協力を求めている。
第2艦隊は1945年4月7日、沖縄での特攻作戦に向かう途中で米軍機の攻撃を受け、大和や駆逐艦「朝霜」「浜風」など4艦が沈没、2艦が航行不能となり、乗組員ら計約3700人が亡くなった。
<徳之島ノ西方二十 哩 ノ洋上、「大和」 轟沈 シテ>
大和の沈没地点は当初、乗組員だった吉田満氏(故人)の著書「戦艦大和の最期」にこう記されたことから徳之島沖とされてきた。
68年には、国会議員らの呼びかけで集まった寄付金で「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦士慰霊塔」が伊仙町の 犬田布 岬に完成した。文
化勲章を受章した鹿児島市の彫刻家、中村晋也さん(97)の設計で、高さは大和の司令塔と同じ24メートル。コンクリート製で、合掌がモチーフだ。
上部の桁6本のうち最も太いのが大和、5本は他の5艦を表現している。
広島県呉市にある「大和ミュージアム」によると、1970~80年代の潜水調査で実際の沈没地点が明らかになり、徳之島よりも鹿児島県枕崎市に近いことが判明した。
同市では95年、平和祈念展望台が建てられ、毎年4月7日に追悼の祈りがささげられている。一方で、伊仙町は現在も毎年、町内の慰霊塔前で慰霊祭を続けている。
■返礼品は町へのツアーなど
GCFの期間は8月1日~10月29日の90日間で、目標額は1億8000万円。11月1日から来年3月にかけて工事を行う予定だ。
コーティングやコンクリートが剥がれた部分の修復などに9000万円、残りは返礼品の費用や老朽化の調査費などに充てる。
返礼品は、黒糖焼酎や和牛といった特産品、伊仙町へのツアーなどを用意している。
9日時点でGCFに約360万円が寄せられたほか、一般の寄付で約220万円が集まっているという。伊仙町の大久保明町長(69)は「慰霊塔は恒久平和の象徴。
世界情勢が 混沌 とする中、若い人にも関心を持ってもらい、協力してほしい」としている。
GCFは「ふるさとチョイス ガバメントクラウドファンディング」のサイトから寄付できる。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20230909-OYTNT50047/
ガバメントクラファンサイト
「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦士慰霊塔」修復クラファン
現在金額:4,077,630円 達成率:2.2% 目標金額:180,000,000円
https://www.furusato-tax.jp/gcf/2234
180万でできるやら
普通に萎えるんだけど
こういうのを認めていかないとみたいな世の中もキモい
外人は外人
こんなの日本代表じゃないじゃん
そんな事言ったらラグビーワールドカップ見れたモンじゃねーだろ
アメリカは旧式戦艦を上陸支援のための艦砲射撃専門で運用したし、開戦後も戦艦の建造も続けていた。日本は艦隊決戦思考で上陸支援のための艦砲射撃は、あまり乗り気ではなかったが、神重徳作戦参謀だけは違って、陸上目標の艦砲射撃に特化した作戦を次々と立案した珍しい人物。

https://i.imgur.com/oZWBeg3.jpg
町で出せる予算内でやりなされ
簡素なものでいい
辺鄙な島に建てるより本土に建てる方が便利がいい
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。 私はその後は仕事になりませんでした。』
この話大嫌い。たぶん2ch系コピペの中で断トツに嫌い。
「大和」って用語必要か?え?つまりコレってもし実話だったら「大和」じゃなかったら自衛官達は起立しなかったの?直立不動にならなかったって事?
聞いた事も無いような名前の軽巡洋艦だったら「へぇ~」って言いながら鼻糞ホジってたって事?
そういう軽巡に乗って撃沈されてタヒんだ海軍兵士の方がよっぽど数多いだろうに、さ。
それとも「大和に乗ってた」って事はエリートだったって事だから直立不動なの?
命をかけて国の為に戦ったって事に敬意を示しているんじゃなくて、あくまでも海自の前身たる海軍のエリート艦に乗ってたってから起立直立不動なワケ?
結局この話を作った奴が「大和カックイイ!最高!みんな大和って聞けば尊敬するやろ!」
的な貧弱な発想の持ち主だったって事だよな?そうだと言ってくれ。
事実じゃないよ、ネットによくある作り話だよって言ってくれよ。
大戦で生き残った日本兵って聞くとスグ「特攻隊で明日特攻って時に終戦を迎えた」的な逸話捏造しちゃうけど、
実際には水木しげるみたいに半分脱走状態で原住民の村で暮らしてたら仲間が「終戦だから帰るぞ」って迎えに来たような奴じゃイカンの?
やっぱそーゆー奴は尊敬するに当たらないの?
仲間が何人も目の前でタヒんで、2度も自分の部隊が全滅して、自分も片腕失って、後方に転身する時に怪我してる仲間や上官を置き去りにして
「行くんか?」
って声に返事もせずにガダルカナルに帰ってきた奴には起立直立不動は必要無いって事か?
コレ作った奴の脳ミソこそ平和ボケで腐ってる。
もし実話なら海上自衛隊が腐ってる。
大和の本も読みたい
冷房とラムネ製造機があったこと
ラムネせいぞうき
やべ久々に途中送信しちまった。
ラムネ製造機は、何か空母とか当時の大型艦の必須装備の中でソレを使ってついでにラムネ作ってただけだったと聞いた事がある。
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1694326563/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません