
明治時代には国家神道の高揚のため数々の大規模な神社が創建された。画像は橿原神宮
明治時代におこなわれた”伝統の創造”がSNS上で大きな注目を集めている。
きっかけになったのは京都府立大学文学部教授で宗教学が専門の川瀬貴也さん(@t_kawase)が投稿した
「そういえば、大学に入りたての一年生を連れて行く遠足で、橿原神宮に行ったことがあるのですが、そこで『この神宮もね、明治時代になって、天皇家の権威を高めるために適当にこの辺りだろと地域住民をどかして創ったものです。京都だと平安神宮もそうだね。
歴史学、社会学では”伝統の創造 invention of tradition”て言うんだけど、要するに近代になって国民国家が形成される時、都合のいい伝統が創られたり持ち出されたりするのは洋の東西を問いません。イギリスの国会議事堂が作られた時代より古い様式なのもそう。
文学部の君達は絶対に押さえなきゃならない学説です』と大声で解説して、そばを通りかかった神主さんたちを渋い顔にさせてしまったが、仕方ないですね。逆に大阪の某神社に行ったときは『うちは神武即位の前から存在してますが』としれっと言われ、精神的にぐらつきましたが(笑)。」
というエピソード。
話題になった川瀬貴也さんの投稿
たしかに橿原神宮(奈良県橿原市)、平安神宮(京都市左京区)、湊川神社(神戸市)などは明治時代になって天皇の権威を高め、国家神道を普及させるために創建されたもの。それらの創建にいたる経緯や歴史的意義はともかく、どういう背景があったのかを知ることは重要なことだ。
明治からはじまろうがいつはじまろうが関係ない栄枯盛衰あるのが通常普通
何を言ってるのか意味不明、町が出来れば寺社仏閣できるのと同じ
それが歴史になっても何ら問題なし、
歴史無いのか失うのか他者のものを欲しがるどこぞのような思考だな。
天皇は2000年日本を背負ってきた
東北の信仰は6000年日本を背負ってきた
東北の信仰は日本その物だよ
ネイティヴ・ジャパニーズとしての縄文人の各種部族の歴史があった。
もちろん、彼らは日本語なんて話してはいない、今の日本人とは別の民族だよ。
日本語の話者としての日本人の先祖は、2500年位前に大陸から移民してきた。
けど、どちらも「日本列島の歴史」だね。
コロンブス以前の時代を、「アメリカ大陸の歴史」というのと同じ。
日本語ってどこから来たんだろうね
原日本語話者集団がどこかにいてまるごと移住してきたというのも考えづらいが、無文字文化だろうから分離したほうが滅んでいてもわからないか
永久に神社仏閣建てちゃいけないのかよ
強すぎる明治政府の捏造は多々ありすぎ
そして現在も創られ続けている
”国技”なんて、まるで公的なもののように
相撲協会も勿論そうだけど、かたや貴乃花の、「相撲復古原理主義」も「本当に昔そうだったんかいな。」っていう怪しさがある。
最近は、相撲はヘブライ語だとか、ユダヤ人と日本人は同じ先祖だとか言ってるけど、どこの学者の説なんだろうか。
>>12
蘇我馬子や聖徳太子の仏教、四天王寺とか聖徳宗は、明らかに意図を持って作られた伝統ではあるだろうし、
信長の保護したキリスト教会や、徳川の東照大権現、豊臣の豊国大明神もそうだろう。
けど、科学が尊ばれる近代化時代の、19世紀も終わりに近づいた頃、あえて人為的に作られ、20世紀の半ばに日本が敗戦する迄、異様な程の権威を持っていた神社群が、明治の国家神道だから。
そこが前近代までの神社とは決定的に違うところ。
まるであるかのような説明だな。
自然に生まれて定着した伝統と、
意図を持って創造された伝統を区別しているわけだが
宮家か皇族というのが正しい日本語。
由緒あると思われているとすれば”伝統の創造”成功だろうけど
どんな伝統でも最初の1回目からあるんだぞ
そもそも国家神道は最初から信仰ではなく統治を目的として捏造されたものであるので、
百年経とうが千年経とうが宗教としての伝統は存在しえない。
政治や統治が目的であろうと別に伝統にならないわけじゃ無い
世の全てのお祭りはもともとそのためのモノだし
最近やっと創建100年経った
コメント
コメント一覧 (1件)
マルクスやレーニンをあがめる赤い学匪のたわごとなんて相手にするな。