沖縄に天下った神はアマミキヨの1柱?それともアマミキヨとシネリキヨの2柱???
それともアマミキヨとシネリキヨの2柱か
神道との整合性を持たせるためシネリキヨを追加した
最初の正史・中山世鑑ではシネリキヨの記述がないが
その後編纂された中山世譜と球陽にはその名がある
おかしい
中山世譜 ・・・ 蔡鐸(唐出身)
の話が伝わっていて、これが正統、と言えるようなものはありません。
そんなわけで、ここでは幾つかの別々の神話を並べてご紹介してい
こうと思います
1:沖縄本島
「アマミコとシルミコって神様が、天から命じられて沖縄の島を
作った」というパターンのものが主流
参考文献
「琉球神道記」 では シネリキュ(男神)、アマミキュ(女神)
「おもろそうし」では あまみきよ、しねりきよ
「中山世鑑」 では 阿摩美久
「混効験集 」 では あまみきょう、しねりきょう 琉球開闢の男女也
「中山世譜」 では 阿摩美姑(女神)、志仁礼久(男神)
「球陽」 では 男ハ志仁礼久ト名ケ 女ハ阿摩弥姑ト名ク
昔、日の神(テタン ガナシ)がアマン神に国作りを命じた。アマン神は
天の七色の橋の上に立つと、大海に土石を投げ入れて天の槍矛でかき混ぜ
た。こうして出来たのが八重山の島々である。
島には阿檀(アダン)の木が生い茂っていたが、人も動物もいなかった。
はじめに、阿檀の林の穴からやどかり(アーマンチャー)が現れた。
次に、神が天から人種を降ろすと、人間の男女が出てきた。
この男女は結婚の方法も知らなかった。
神は、それぞれ反対方向に池の周りを巡るように男女に命じた。
命じられたとおり巡って行った二人は、出会ったところで思わ
ずぶつかって抱き合い、そのまま夫婦の契りを交わした。
波照間島の滅亡伝説。
「人々が背徳的な暮らしをしていたので、神は人々を滅ぼしてしまう
ことにした。けれども信心深い兄妹二人だけは洞穴に逃がし、洞穴の
口を白金の鍋で塞いだ。外には油の雨が降り、大火となって全てを
焼き滅ぼした。
ただ二人助かった兄妹は、やがて結婚して子供を生んだが、それは
魚のような子であった。住んでいる場所が悪いのだろう、と二人は
洞穴から出てその上に転居したが、そこで生まれたのはハブ(毒蛇)
のような子であった。また転居して小屋を建てて住んだ。ここに至
って、ようやく人間の子供が生まれた。女の子で、新たな女
(アラマリヌバー)という。彼女が波照間島の人間の祖となった。
石垣島の話は
まさにイザナギ、イザナミの
神話とそっくりですな。
つい先日、石垣島から
国内最古の人骨が発見され、
日本国や日本史における
沖縄、石垣島の重要性は
いままでよりもさらに高くなっている。
昔、伊仙町の暗河(クラゴー)という鍾乳洞(ガマ)に、夫婦の契り
を結んだ兄妹が住んでいたという。あまりに仲睦まじいので周囲の人
も咎めることがなく、二人は子を沢山生んで小島の村を開いた。
けれども、別の説ではこうである。
昔、兄(イーリ)と妹(ウナリ)がいた。ある日、兄は妹に草履
(サバ)を二つ渡し、「綺麗な方は俺の恋人にやってくれ。
残った方はお前にやるから」と言った。けれども、妹は綺麗な方の
草履を自分のものにしてしまった
沖縄本島の「天女伝説」(察度編)
天女の登場する羽衣伝説の舞台となった場所は、沖縄島中部の宜野湾市
(ぎのわんし) にある森川公園の一角にある。
「森の川で沐浴していた天女と奥間大親(うくまうふや)とが出会い、
一女一男が生まれた。男の子は察度と名付けられ、遂に中山王に就いた」
アマミキヨ・シネリキヨという名称も、ニライ・カナイのようにゴロのいいように繰り返しただけという説もあります
琉球神道記を書いたのはお坊さん
お坊さんが近親相○を文章にするのは明らかにおかしいので
何らかの力が働いて2柱にしたものと思われます
つまり、イザナミ・イザナギ
それじゃ正解を教えてやる
少なくとも江戸以前からって意味だ
だから今では四代か五代は続けて住んでないと江戸っ子とは言わない
おかしいだろ
明治や昭和以降にどっかの半島から移住してきた江戸とも日本とも縁も縁もない奴が江戸っ子とか
>盤古神話のバリエーション
琉球神道とは違う民間伝承には
盤古ぽいものもある。
天人と呼ばれる巨人の創世神話。
巨人伝説は沖縄にもちらほらある。
最高神は海底を宮とする竜宮神
名を君真物またはニレー大主
と解釈してる
中山世鑑以外は日本神話に合わせて省略されたが
阿波海人に伝わった
ナギ・ナミ伝承や紀伊海人の
海中他界感など共通するものが
多くあり、古代琉球が日本本土と
共通の海人文化圏にあったことを
推測させるものである。
琉球神話、南西諸島の神話は
基本モチーフ、構造においては記紀神話と大幅な一致を見せることが
あきらかになってます。
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