現在の中国は「漢民族」が9割占めているけど、そもそも中国の民族ってなんなの?
一体全体、「漢民族」と何なのか?
>>1
漢文系統の文語を共有し、この共通文語から深く影響を受けたシナ・チベット語族の口語を用い、
中華国家の「郡県」に父系の一族の本籍意識を持つもの。
で、どうだろうか。
年末にどん兵衛を食べながら「笑ってはいけない」を見てる中国人なんて日本民族の一部じゃないのか?
そもそも、どの民族も周縁部分、境界部分はあいまいだし、
民族内にサブ的なエスニック・アイデンティティが存在する複核構造だし、
住んでいるところもモザイク状に入り混じっているのが普通なんだよ。
だったらもう民族なんていうあいまいな概念、消滅したほうがよくね?
まじで文化人類学者以外、誰が得してるのかわからん
ロシアからの征服王朝的な。
漢民族の意思が反映されてると思えない
中共とソ連か蜜月だったのなんて建国からスターリン批判までの三、四年だけやん
ほとんど自力で国家運営してるのに征服王朝になるわけ無いやろ
自力でやった結果が大躍進に文革やけども
西欧と日本の中世というとイメージがしやすいが中国史の「中世」がイマイチ良く解らなかった。
京大学派と東大学派でも中世の見方が異なると思うが前レスの博学多識さんの解説がストンと腑に落ちたんでもう一度貼ってみる。
943世界@名無史さん2019/02/18(月) 10:20:47.250>>946
中国史で、春秋戦国の都市国家に君臨する地方有力者を邑の名を付して「〇君」などと呼び、
漢代に地方の郷里共同体社会を侵食して成長してきた地方有力者を「豪族」と呼び、
漢代豪族層から成長してきた魏晋南北朝時代の名門家門を「貴族」と呼んでいるのが、
極めて妥当な認識だと思うんだよね。
漢代の「豪族」は、まさにデフォルトの社会制度を侵食して成長してきた制度外の異物に他ならないけど、
魏晋南北朝の政権にとっては、彼らは社会制度にとってのデフォルトの制度内存在。
だから、中央にいようと地方にいようと、魏晋南北朝では貴族。
日本史でこの手の「豪族」に相当するものを挙げよと問われたら、
9~10世紀に地方の首長制共同体を侵食して成長、伝統的郡司層を没落させた「富豪の輩」、「田堵」、「負名」
と呼ばれ、のちの名主層に成長していく連中だな。
>>23
既成の多くの中国史解説書で「貴族制」時代の中国が
わかりにくくなっているポイントがいくつかあると思うんだ。
ちょっと箇条書きしてみる
・非制度的な「豪族」が漢代の官吏登用制度の隙をついて「名門」性を帯びていっている
・三国時代~五胡十六国時代の華北社会の混乱による華北人の「武装難民化」で
「名門豪族」が彼らの指導者に押し上げられ本格的に「貴族」化している
・華北に南下してきた遊牧民の社会そのものがもともと「貴族制」社会であったのが、
北魏の漢化政策で遊牧系貴族家門が漢姓を名乗るようになって外見上彼らが漢人貴族に埋没している
・江南の六朝政権は華北から南下、江南を武力侵略した武装難民軍閥の連合政権なのだが
この指導者層が精神的支柱の名門貴族と軍閥としての軍事指導者から成っており、
後者の存在が前者の陰に隠れがち。
・魏晋南北朝隋唐という長いプロセスを経て漢人貴族の豪族性、北族貴族の遊牧指導者としての性格が薄れ、
いずれも在地に根差した性格が喪失に向かって官僚貴族化への道をたどっている
・血統貴族の在地性が失われるのと並行して在地社会では比較的短いスパンで興亡を繰り返す中小地主経営が台頭し、
それが科挙官僚の供給源になっていく
・安史の乱以降、乱の参加者から帰服した北族系軍閥が胡漢混成集団化しつつ在地軍閥化していく
こうした事がはっきり起きているのだが、その具体的プロセスに未解明の点が多いため、成書であいまいにぼかした表現で
書かれているという印象があるんだよね。
都市戸籍の人間で北京語で意思疎通できる人間だけが、
漢民族じゃないの?
マジで都市戸籍の連中は農村戸籍の連中を信用していないみたいだし、
中国共産党が根絶した士大夫母体の「卿紳」って旧中国のエリート階層は
農村を基盤にした勢力だったけどな。
北宋はそれまでの「中国」を大改造した異質な王朝。
>>44
宋から、新儒教の巻き返しと、仏教の衰退が始まった
でも、それでいて、宋は最高レベルの禅僧を輩出した仏教思想の頂点でもある
>>45
北宋~元代は、知識人としての最低教養は「儒教・禅宗・道教」の三つに通じている事、
という認識だったらしい。
唐代までの仏教は、その真の教理とは別に、国の支配階級向けのサービスとして、
「方便」ではあるが、「神通力」を有するとして祈祷や呪術の類をやっていた。
これは、日本の天台宗や真言宗と同じ現象。
ところが、宋代には禅宗が台頭。
禅僧は旧仏教の僧侶と違って、支配階級の心の苦悩と向き合って、対話による
一種のカウンセリングをサービスとして行うことに心を砕いた。
それチベットと清朝の関係そのものだよね
ビンゴ!
正にその通り。
>>46
そう、そこも見落としがちなポイントの1つだろう
日本の平安時代が、なにかといえば「怨霊の祟りじゃ」といってビビっていた迷信深い時代なのはよく知られているし、西欧は近世に入っても魔女狩りをやっていた
唐朝も、ここまで迷信深いかどうかは別にして、国を挙げて加持祈祷に狂奔した時代
新儒教は、それに対する啓蒙思想という面もある
なにかにつけて現世志向が強く、インド人や西洋人に比べて「あの世に興味が無い」という、際立った特徴を持っていた中国人
漢代には盛り上がらなかった仏教が、なぜ魏晋南北朝から隋唐にかけて、急に極盛期を迎えたのか?
これについて、よく言われるのは、
「中国人が仏教に染まったのではない。
仏教を好む異民族が、中国に移住してきたのだ」
ということ
実際、宋で衰退した仏教は、モンゴル帝国の宮廷で盛り返したし、明で衰退した後も、清の宮廷で篤く信仰された
漢民族が完成したのは宋代からか?
欧州で言うとカール大帝が「西欧」を作り出したような感じで。
>>61
そのあと、モンゴル帝国による、人種のルツボ状態が来るからな
中国全土はともかく、北京に限って言えば、新しい民族の形成期
漢民族の「完成」は現代
中国共産党が「かつて漢人の土地だった領域の回復」とか言ってるように
周辺民族を全部漢族と設定した時でしょ
「民族」の定義は別にして、
少なくとも「中華」の歴史というのは「周縁」を「中心」に巻き込み、繰り込んでいく歴史の
繰り返しと言ってもいいんじゃなかろうか。
周代~漢代は邑という華北の多民族都市国家社会をひとつにしていく歴史で、
魏晋南北朝~清代はモンゴリア、江南を華北のシステムに統合していく歴史。
さて、民国・人民共和国以降はどういう枠組みで語れる歴史になっていくのだろう。
>>64
中華史観というイデオロギーでは、そういうことになるな
実際には、ド辺境の北京が全国を征服して新たな中心となり、かつての中華と呼ばれた地域は周縁となって従属しているのだから、それは現実にそぐわない
本当は、「かつての中華は衰退して、別の地域が台頭した」というのが実情
広く東アジア全体を見渡してみれば、日本もそうだ
かつては北京や上海と同じく周縁だったが、今はどう見ても最先進地域
>>65
周縁としての北京(燕)の台頭というのは、「北方」の軍事力のどこが中華という生産力を押さえるか、という
重心の移動ともとらえられる。
周代や秦代、隋唐では北方からの軍馬導入、さらには軍事集団の参入のゲートは西の方にあった。
その時代の華北の軍事センターが渭水平野、関中盆地の長安。
ところが、北方の軍事力の重心は次第に東モンゴリアやマンチュリアに移動。
その象徴が、
・東モンゴリアとマンチュリアの移行ゾーンに台頭した契丹遼帝国
・マンチュリア本国に台頭した女真金帝国
・東モンゴリアから台頭した大モンゴル国
・大モンゴル国の西マンチュリアに封建した東方三王家を権力基盤に勃興したクビライ王家大元ウルス
・マンチュリア本国に台頭した大清国
という流れ。
この時代の華北における北方騎馬軍事力のセンターが北京(燕)。
華北はしばしば東西分裂して抗争している(殷と周、北斉と北周)が、北方そのものの東西対立、
という背景を想定してみても面白いかもしれない。
その好例が、拓跋鮮卑(代~北魏)と慕容鮮卑(三燕)の対立抗争に現れていると思う。
他スレで「唐までは、西が東を征服してきた」という話をしたところ、なぜか怒りだした奴がいて、スレが荒れた
参考までに、その怒り出した人はどういう論理で反論していたわけ?
>>74
「唐は西じゃない、山西省だから北だ」とか、そういう感じ
たしかに出身地はそうなんだが、隋末の群雄割拠地図のなかでは、長安の唐であり、洛陽の王世充や河北の竇建徳を滅ぼした西の勢力のはずだ
あと、「曹操は西で、袁紹は東」というのに、やたらカミついてきていた。
正しくは、「曹操は南で、袁紹は北」なんだそうな。
たしかに、そこは微妙なとこだった。
でも、「周と殷」とか、「秦漢と斉とか魏とか」とか、「北周と北斉」とか、明らかにそうじゃんかよ?・・・と思ったが
>>75
これは、グーグルアースの自分のアカウントでやってみて驚いたんだが、
殷周~春秋戦国時代の主要な大国の大邑の今わかっている遺跡の緯度経度の情報を
Wikipedia諸言語版なんかを駆使して集めてプロットしていくと、
そのほとんどが関中盆地を扇のかなめにして、華北平原を扇の本体にする、
扇型の狭い領域にほとんど集中しちゃう。
これを既存の専門書の植生域の文献に当てはめると、
「温帯落葉樹林」を潜在植生にする領域とほぼ一致するんだ。
これをもう少し精密に表現すると、華北の世界ってのは、面としてビラっと広がっているんじゃなくて、
・陝西:関中盆地(渭水平野)
・陝東:中原+汾水流域盆地(晋)+華北平原
の二重構造で、この両者を合わせた扇型領域以外はほぼスカ○カなんだ。
そして、殷周抗争以来、陝西と陝東の武力抗争というのは時代を超えた通奏低音みたいにあって、
おそらくその背景に北方の東西対立、考古学で検出されているザバイカリエとプリバイカリエの世界の対立がある。
そこに、さらに、華北と揚子江流域の対立ってのが絡んできて、東アジアの地域対立の構図が浮かび上がってくるんだと思うんだな。
あと、華北と揚子江流域の対立で勝敗を決める「キャスティングボート」みたいな地域があって、
それが四川盆地(巴蜀)。
「陝西」つまり渭水平野勢力が「巴蜀」を制すると、一気に陝東と長江流域の制圧がタイムテーブルに登ってくる。
>>76
要するに「山裾」なんですよね。太行山脈の山裾。といっても、山麓から100kmぐらいは余裕であるけれど。
山裾といえば、山東の泰山山塊にも山裾があって、南側に残丘というか微妙な丘が点在してる。
ここももう一つの人口密集地。
理由は植生というより、黄河の氾濫コントロールがどうしてもできなかったからで、
黄河の洪水が直撃する華北平原真ん中の氾濫原は、かなり後になるまで意外に人口密度が高くない。
漢民族(華夏族)って意外に山好きっぽいところがあって、
洛陽盆地のような、平原の終点のちまちました盆地に、まず拠点を築いた。ここが一番水害に対して安全だったから。
>>85
漢民族と華夏族を同じ存在と定義しちゃダメでしょ
華夏族って仮定の存在で過去に存在した中原の民族という話だけど
春秋時代に至ってなお各地は夷狄等と呼ばれた諸民族の雑居になっていて
そこから漢代に漢人という概念が立ち上がっていくんだから
仮に華夏族という存在がいたとしても漢民族を構成する一要素に過ぎない
客家の鎮が山岳地にあるから漢人そのものが山好きの可能性は確かにある
とは言え、客家が山岳地に住んでたのって既存の住人が平地に陣取ってたから
山岳地に住むしかなかったという面もあるんだけど
>>85
山裾っていうのは、黄河の氾濫を避けているのに加えて他にも要因がある。
まず、黄河のような大河川より、
渭水、汾水、洛水みたいな中規模河川の方が灌漑の取水がしやすいし、
水運路としても使いやすい。
次に、山裾からアクセスできる山腹には木材資源がある。
さらに、山脈には、木材の他に鉱物資源がとれる鉱山もある。
だから、黄河流域の低地だけではなく、黄河の氾濫の届かない黄土高原の真っただ中も
人口密度が低くなっている。
>>71
まぁ、あの時代の「中世イングランド王国」はフランス王国西部の大諸侯の属国というのが実態だからな。
薔薇戦争を経てウェールズ系の支配者層を戴くようになった「近世イングランド王国」になってはじめて、
イングランド王国はブリテン諸島の島嶼国家になった。
第一次英仏百年戦争なんて、実質、羊毛利権で緊密に結びついたアキテーヌ公国(+属国イングランド)
とブルゴーニュ公国が、フランス王国の中央集権化に抵抗して結束した「反中央集権化闘争」じゃないか。
盆地は、周囲の山から水が流れてくるから、古代人にとっては農耕がやりやすいんだよなあ
日本でいえば奈良盆地がそれで、地図で見ても、なんでこんなところが日本で最初に開けたのか分からないが、夏に行ってみると蒸し暑くて稲作に最適
湿地帯は天然の水田だった
ただ、盆地ったって、四川盆地なんかはメチャクチャ広くて、日本人の感覚だと広大な平野だな
長江下流の江南に次ぐ、中国大陸でも最良の地のひとつ
ヤマト民族と日本民族みたいなもんか
アイヌをヤマト民族に同化し終わって日本民族になったとか。
漢族と中華民族は全く別の概念で今も両方実在するよ
琉球はもとから一民族というよりは漢族の中の客家人みたいな族群だろう
と混血の俺は常々思う
あ、いや琉球が漢民族に入るっていう意味じゃない
漢族の中の一支族として客家人があるみたいに、大和の一支族として琉球があるって言いたかったの
客家は初めは中共が民族に認定しようとしたけど、客家側が猛反発して漢族(客家人)っていう表記に落ち着いた
琉球も同じ立ち位置でいいと思う
少しコトバの整理をしておきたいが、まず「中華民族」というのは孫文あたりが創造した新概念で
漢民族も満州民族もウイグルもチベットも内モンゴルもひっくるめて中国国内に住む住人をまとめて
総称した政治スローガンである。本来は「中国国民」と称すべきところを「○○民族」にしたのは
分裂状態の自国をまとめる方便であろう。そこで本来は独立した民族であるチベットもウイグルも
民族の下位カテゴリである「〇〇族」に格下げされた。(よって民族自決は認めん!と。)
「中華民族」という言葉はアメリカ民族 ソビエト民族 カナダ民族 という位のアフォな名詞。
ここを理解してない奴が1人2人いる。
少し置いておくが、
遺伝子的にも言語学的にもヤマト民族と近縁で大陸の漢民族とはほとんど関係が無い。
ここもしっかり押さえていない奴がおる。
国民国家には必ず存在する概念で、何もおかしいことは無い
「民族の下位カテゴリの○○族」なんて全くもって意味不明
民族に関する概念は台湾が盛んに研究してるから王甫昌の『族群』あたりを読んで勉強すればいいよ
という話。
日本民族にはアイヌ人は入らないし、ベトナム民族なるものは存在しない。
日本にいる香港出身者と大陸出身者は日本語で会話するからな
高校の時にクラスにいた大連人と広州人も日本語だったな
でも言葉と民族は関係無いぞ
言葉が通じないからって薩摩民族と大隅民族に分ける必要は無かろう
現代において漢民族の存在を疑う理由なんか何も無い
そのたとえをするなら薩摩と大隅じゃないだろ
じゃあ薩摩と津軽にするか?
どっちにしても方言差が大きすぎて通じないことは一民族の存在を否定する理由にはならん
>>183
言語と民族は関係ないわけじゃない
ただイコールじゃないだけだ
おそらく別民族扱いされてただろうな
そう考えると、国家の存在が大きいのか
とはいえユダヤ人みたいに語族レベルで違う民族固有言語を複数持つ「民族」までいるし….
一千万人を軽く超えるチュワン語話者集団が漢族入りを望んだけど、最終的にはスターリン的な唯物主義で「客観的に」区分した
その結果フランスやら西欧からはありもしない民族をでっち上げたなんていう謂れのない非難を浴びたりもした
その一方でチュワン語に近いオンべ語を話す海南島の集団は激しい抗議活動の結果漢族入りを「勝ち取ってる」
結局漢族(臨高人)という注記を入れることで妥協したとか
>>236他
彼らが主張する「わしらは【漢族】」というのは、文明人というほどの意味なんだよね。
エスニシティとは、かなりのズレがある。
ところが、その「文明人」には伝統的に、エリート層の文言(古典中国語。いわゆる漢文)習得がもれなくついて来た。
そして、彼らは顕著な「言語連合」を形成していて、言語系統とは関係なく、音韻と文法が中国語と似てる。
そうすると、何世代も経つうちに、母語に中国語が侵入してしかも【gdgdに溶け始めて】しまう。
これで、気がつくと中国語圏になってしまう。
広東語なんかは、どこをどうみても、チワン語に近いタイ系の言語がこのルートでシナ化した言語そのもの。
北方では、母語と中国語で音韻構造と文法に決定的な差異があるので、このgdgdに溶け合う過程はとらない。
日本語、モンゴル語、満州語などはもちろん、朝鮮語ですら中国語に溶けてしまうことはなかった。
そうすると、古典漢文の祖型を提供した言語は南方系の要素が非常に強い言語だったんだろうか。
古いチベット語が、古いミャオ語またはタイ語の影響を受けて単音節化したのが、中国語(シナ語派)だろうと思う。
この過程はすなわち孤立語化の過程でもあるから、
情報論的にチベットビルマ系の能格性を維持できず、対格言語に化けた。
語順だけで能格を示すのは大変に難しい。対格なら簡単。
今の漢字熟語の基本法則である、SVとVOの語順原則がここで成立した。
客家もまた民族識別工作の時に客家族認定を持ちかけられたけど強烈に反発して漢族(客家人)の表記で妥協した
どこにある言い回しなのか知らないが、
漢籍に散見する日本は太伯の末裔だという記述に基いているのだろう
周の古公亶父の子・太伯は呉の祖であり、
呉が滅んだ後にその姫姓の王統と血統は日本に継がれたことになる
>>326
明代までは四川民族もいた
だが、張献忠が四川人をつかまえて挽き肉にして兵隊の食糧にしたおかげで、ほぼ絶滅した
民族は同じ漢族だから分ける必要は無いけど、~民系っていう概念が実際にある
閩方言を話す人が閩系人、粤方言を話す人が粤系人だ
まあ客家人っていう概念の延長じゃないかな
外省人が勝手に独立政府を作ってしまったからだしな
台湾は独立していないし、
外省人の蒋介石一派は「台湾独立政府を宣言した」のではなく
「中華民国政府による台湾の統治を宣言した」のだ
中華人民共和国の成立はその後のこと
ただ、言語の差を、異言語レベルとするか方言レベルとするかは、かなり政治性が入ってくる。
言語学的にはオック語とオイル語は同じロマンス語派でもかなり差があって、
前者はむしろイタリア語に近い言語だが、フランス政府の見解は両者は方言の差に過ぎないというもの。
東洋においてはそんなもん重視されない
与那国族と八重山族と宮古族と沖縄族と奄美族を分ける必要なんか無いのと同じ
北京と広東なんてヨーロッパの南北より離れてるわけだし
そうでもない
少なくとも満州語やモンゴル語には全然似ていない
語彙も音韻も文法も、結局似ていない
岡田英弘が橋本萬太郎を真に受けて極端な説を唱え、
それをネトウヨ系のライターが針小棒大に広げただけ
また黄文雄みたいな台独派の文化人の場合、
北京語と北方文化を謗る感情的な非学術的プロパガンダをふんだんに混ぜている
その古代漢民族を滅亡させ、新たな支配者となった北方異民族が定着して隋唐の根幹をなした新たな漢民族を形成した。
漢民族意識は、前漢武帝のころには形勢されていたらしい
漢ができたころはまだばらばらだったが、漢が地方を圧迫したり潰したりして
強力中央政府と文化を行き渡らせた結果か
ローマ帝国やアメリカ、日本の場合もそうなのかな
共通文化が帰属意識を作る(洗脳する)
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1550497137/
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