【大阪】「部落差別はもうないんじゃない?」「周りにいないのになぜ学ぶ必要があるの?」 水平社創立100年、若い世代は今
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(中略)
日本初の人権宣言である水平社宣言は、日本の人権運動の淵源(えんげん)である。この宣言には<万国のプロレタリアよ団結せよ>で有名なマルクスの「共産党宣言」の影響がうかがえるが、日本の労働運動が部落問題を含めたマイノリティー問題にしっかり向き合ってきたとは言い難い。無知な私にメッセージを寄せる資格があるのか、と何日も考えこんでしまった。
だが、「知らない」を言い訳に差別問題から目を背けるのもマジョリティーの特権だろう。だから、部落差別を学びたいと思った。解放同盟に勉強会の開催をお願いし、12月中旬、大阪府箕面市の北芝地区を訪れた。
NPO法人「暮らしづくりネットワーク北芝」の事務局長、池谷(いけがや)啓介さん(48)に案内してもらったのは、法人が運営するコミュニティースペース「芝楽」。空き地を活用しようと住民らとワークショップを重ね、地域の人が集える場として04年に誕生した。広場に置かれた二つのコンテナには総菜と弁当の店、駄菓子屋などが入る。整備当初から同法人でまちづくりに関わる北芝出身の埋橋(うずはし)美帆さん(39)は「芝生を植えたりイベントを考えたり、自分たちが主体になって場をつくってきた」と語る。
(中略)
北芝はいわゆる被差別部落で、今も200世帯ほどが暮らす。池谷さんによると、この地域は、20代から30代を中心とした「コミュニティー・ディベロップメント」という住民参加型の新しいまちづくりの手法で注目を集めてきたという。そのような試みの背景には、部落解放同盟をめぐる状況の変化がある。
かつては同和対策事業特別措置法を基に、改良住宅整備や修学・就業支援などが行われてきた。ところが、02年に特措法の期限を迎え、公的援助は打ち切りに。大阪市では、各地区にあった隣保館や人権センターなども統合・廃止され、地域交流や学習支援も弱体化しているという。
別の問題もある。就職支援などの成果で若い世代の一部の経済状況が改善する一方、1996年の公営住宅法改正で、収入に応じて家賃を決める「応能応益家賃制度」が導入されて公営・改良住宅の家賃は上がり、転出者が増加。代わりに外から入居してくる人々は生活困窮問題を抱えており、地域活動に参加する余裕はない。いわば取り残された高齢者と困窮者が貧困の連鎖を生み、地域の弱体化に拍車をかけている。
こうした中、立ち上がったのが北芝の若者たちだった。広場の運営だけでなく、コミュニティー農園を開いたり、引きこもりの就業支援をしたり。これまでに積み上げてきた相互扶助や自治、生活困窮者や就労支援のノウハウを、今度は、外国人や高齢者、障がい者といった人々の支援にもつなげていくことを目指したまちづくりが始まっている。「外に開かれた場所をつくり、周辺地域に還元しながら、一緒にまちをつくっていきたい」と埋橋さんは抱負を述べる。
そんな北芝が参考にした一つの地域が、大阪市住吉区の浅香地区だという。実は私の勤務する大阪市立大のそばだ。桜並木の奇麗な公園があり、子どもとよく遊びに行く。けれども、そこにはかつて地下鉄御堂筋線の車庫があって、大学、車庫、そして大和川にはさまれる形で部落が存在していた歴史を、5年前に東京から来た私は知らなかった。「ここが集落でした」。社会福祉法人あさか会の山本周平さん(42)に案内された場所は、川の土手であり、数年前の台風では浸水した場所で、目を疑った。
(中略)
差別をなくす手段として、地域との交流を深めていく方法は、差別に対する抗議や糾弾というかつての社会運動とは違う、若者らしい発想なのかもしれない。「『自分たちだけよくなればいい』ではなく、新しい価値観を築きたい」と山本さん。「差別をはね返せるくらい自慢できる、すてきなまちをつくりたい」とも話し、率直な言葉が胸に響いた。
もちろん、差別への怒りがないということではない。就職や結婚だけでなく、ネットのヘイト動画や、本人の同意なく暴露する「アウティング」といった差別は今も続く。勉強会では、学校の人権学習の場でさえ「部落差別はもうないんじゃない?」「周りにいないのになぜ学ぶ必要があるの?」といった声に直面することもあると報告された。そのような無知の開き直りに対する怒りは当然あるのだ。(続きはソース)
毎日新聞 2022/2/6
https://mainichi.jp/articles/20220206/ddm/014/040/020000c?inb=ra
★1:2022/02/10(木) 23:18:41.28
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1644574284/
無理やり差別を顕在化して利益があるのは被差別特殊部落民。
彼らは差別を風化させて無くしたいのか?
それとも無理に顕在化させて未来に差別を残したいのか?
君たちの子供たちの未来の為に風化させるべきではと問いかけると、子供たちの為に差別を残しているのだと言い返されそう。
差別に関する研修で「部落差別を何故教えるのか?教えなければ忘れさられて差別が起きないのでは?」という生徒の質問に対して、講師が「知らないと(悪意ある)他者に利用されてしまうから」と言っていたことを思い出す。
昔話として話すんなら「そんな時代も有ったのね」で済ませるんだがな
旧被差別部落に移住しても「部落利権」の恩恵無いのに旧住民は「部落利権」手放そうとはしないね
部落部落いっておちょくってたけど
バレンタインにチョコ貰うくらいに仲良かったな
そんなもんよ
まさに手紙の世界だな
俺もそう思う
京都駅横の一等地の3LDKマンションに月数万円で一人暮らしして刺○された女の子とか
関電を恫喝&金を握らせて支配してた助役とか、まだまだ部落差別はなくならないでしょ
犯罪者になりやすい激高しやすい性格の家系が混ざってるから地雷はあるとは感じてるけど
そんなん部落とか関係なしにどこにでも紛れ込んでるんでやっぱりだから何?って感じ
差別も見かけないし部落利権にどっぷりつかった奴らが活動してるんと違う?
なんて言ってくる面倒くさい人と付き合わなくていい権利ください
無くなったら困る奴らが沢山いる
部落民ってだけで世襲で金儲けができる
そのための教育だよな
ガキの頃はあまり分からないかもだが社会に出ると土人みたいなやつと関わることも多くなるし痛い目見る前に知っておいた方がいいよ
日本全体に差別があるというなら海外行ったっていいんだし
同級生の友達が何人も住んでて散々遊びに行ったけど
親、先生、他地区友達など誰からも何も言われたことはなかった
大人になってからふと気になって検索すると
部落を意識した事など一度も無いし、公民の参考書に「エタ、ひにん」と落書きされた上履きの写真が載ってたけど、過去の出来事としか感じなかった
授業で取り上げられたこともゼロ
ところが社会人になってから関西出身の人と話して、同和教育があるのが当たり前で、親も周りの大人も皆、どこの地域が部落か知ってて当然と聞いて、びっくりした
全人類を全て同一DNAのクローンにする
もうひとつは全ての人間の全情報をシークレットにしたまま物理的接触を断絶しアバターで生活する
差別するやつ居るとしたらどうかしてるって
あれも利権で無理矢理学校や施設に売りつけてた
日本でも大阪だけは部落差別があることになってるってだけだろ
子供の頃から蔑まれ、必タヒのぱっちで勉強して弁護士になったのに
大企業の顧問にはなれず、なんとか場末の女郎屋に雇われる。
これを差別と呼ぶか区別と認識するか?人間は猿を差別しない、区別はする
被差別部落が出来るのは、大規模集落外縁部。概ね半径3km~6kmの位置だ。
ところが都市化によってこのエリアは外縁どころか中心部に属することになり、部落民は土地で大儲けしたか、逆に家賃高騰で住居を維持できず離散したかのどちらかになり、部落は消滅する。
社会人になって驚いた。
部落と被差別部落って別だからな。
北日本でも西日本でも、田舎は集落や地区のことを「部落」と呼ぶから。
そもそも、被差別部落で対抗運動会出来るほど数があったら供給過多になって早々に潰れてしまうわけで。
どこもそうだろ。
「特殊部落」と言ってて、特殊が消えたのさ。
で、普通の部落は「集落」とか「地区」とかに。
970年代だな。
例の集団が八○高校事件を起こしたあたり
ほぼ全国に点在してるのに、東北北海道だけは
真っ白けだから。
大阪と違って沖縄には部落はないよ
王族=華族、あとは士族と兵民なんで、
近畿だけ
逃散農民が村の外れに流れてきて住み着いて、
村落の手伝いしないのは。
これが村八分ね
火事と葬儀だけ村人は手伝ってやるが、
田んぼは手伝ってもらえる広さがない
島人差別があるやん
島人は知事や国会議員になれないと
八重山で聞いたぞ
差別されたと主張したい人たちなんじゃない
今は誰も気にしないだろう
よい世の中になったのかな・・・
マンションが建てば地方出身の小金持ちが
「23区だぁ」って喜んで住むからね
同和なんてもう解同以外は気にして無いんじゃね
墨田区の、荒川べりの分譲マンションとかな
台東区では、知らずに決めて上京したと思われる親子がウヘェってなってるのをたまに見るよ
箕面市北芝なんて来年度に北大阪急行が延伸され
終点の箕面萱野駅すぐ近くになるやん
新大阪、梅田、難波、天王寺、なかもず、
一本で座って行けるようになるし
周辺最強に便利な所になるで
に対する答えが読めるのかと思ったら違った。
今から30年前、北東北で毎日のように法務局に行く仕事をしていたが
「えせ同和」が云々というポスターが年中貼ってあった
当時はそれが何だか全く意味が解らなかったよ
ネットが普及して初めて理解できた
いまでも北のほうの人達は「えせ同和」の意味を知らない人たちが多いと思う
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1644745309/
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コメント一覧
元々被差別部落って激しかったのは瀬戸内海周辺を中心とした地域だけだったのに、
同和教育で他の地域の部落まで同様に考えられて被害拡大した面もあるんだよな。
東日本や南九州だと単に集落の単位