【京都新聞】信長からローマ教皇の手に渡って行方不明の安土城を描いた屏風、滋賀県が探索に乗り出す
安土城は信長が1576(天正4)年に築き始めた。79年に天主(天守)を完成させて移り住んだが、本能寺の変直後の82年6月に天主と本丸が焼失した。
近江八幡市安土町の城跡には多くの観光客が訪れるが、当時の外観を伝える史料は乏しく、内部構造も諸説ある「謎の城」で、屏風が見つかれば重要な手がかりになる。
安土山図屏風は、宣教師の記録から、安土城と城下町を忠実に描いているとみられる。日本に来たイエズス会巡察使に信長が贈った後、天正遣欧使節に託されてローマ教皇グレゴリオ13世に献上された。バチカン宮殿(バチカン)に1592年まで存在していた記録があるが、その後約400年以上、行方不明になっている。
…続きはソースで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/94f315140b04a794e1be893883f4dcb54148107c
2021年11月25日 10時31分
売り飛ばしてるからあるわけがない
よくCGとかで再現してあるような「安土城天主」って、デタラメだろ!
現地を見学すればわかるけど あんな小さな土台で6層7階建てなんて造れるかつーのw
信長ファンの歴史妄想(誇大妄想)が非道すぎると思う。
もう朝鮮人並の発想ですわ。。
安土城天守は一度倒壊して再建したという説もあるから、最初に無茶なの造ってブッ壊れた可能性はあるw
でも天守台は実際に行ってみると意外と狭いよね
基本は普通に四角い天守で、1階(2層目)だけ天守台に合わせて不規則な形で囲う、ってあたりじゃないかと思ってる
地下部分の四角いのがそのまま上に伸びる感じで
信長「ここが、こーこうで、こーなってんやねんてー!」
http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/wp-content/uploads/2020/11/6842.jpg
↓これって、今回の「例の屏風を探しとります」っていう滋賀(県庁)作の公式チラシなの?
https://pbs.twimg.com/media/FDQzB8JaUAA6–R.jpg
あれは背が高すぎる
おそらく半分ぐらいの高さ
度重なる戦争でとっくに焼けてるわ
ローマ市が廃墟になるほどの戦乱は16世紀初頭の神聖ローマ帝国軍による放火略奪が最後じゃなかったか?
大坂城図屏風みたく、どこか意外な場所に保管されてる可能性はあると思う
遠近法が空の雲で表現されていた時代の絵だし
色はともかく形が正確に描いてあるとは思えない
当時ルネサンスでヨーロッパ芸術が最高到達点に達してる時代に日本の漫画みたいな絵柄の紙の屏風なんてイタリア人からしたらファーwwwだったんじゃないかな
所が逆なんよ
アジア人が西洋に対して憧れてたように西洋人は東洋に憧れを持ってたんよ(オリエントと言うやつ)
絵なんかも自分たちの使ってない技法で描かれてるから向こうの人には斬新だった
歌舞伎絵がゴッホに大きな影響を与えたのは有名な話
1600年代と1800年代は価値観が全然違う
南蛮貿易の輸出品の中に蒔絵細工や
螺鈿細工の漆器があったそうで
西洋で漆器に似せた塗装技法を
「Japanning」と呼ぶようになった
江戸時代の『店主指図』に拠るが、江戸時代の大工の創作である可能性があり、
また構造力学的にも不可能と言われている
うろ覚えだが、確かこうだったな
本当の姿に近づけると思うと楽しみだが;
信じられんなと思った。湖水なんてもう跡地周り微塵もないからなw
干拓されちまったからな
今さら探したところで見つかるわけないだろ
キン肉アタルが埋めてしまったそうだがw
大喪の礼から2日後だ、この日時はよく覚えている
当時は信長ブームの前だったせいもあってか城跡は閑散としており、登城の最初から最後まで誰にも会わなかった;
今は閉鎖されてるが昔は八角平まで見学できたな
天主台の北側や伝三ノ丸も自由に見学できた
残ってたらヨーロッパでは目立つだろうししかも40年前にも探してるんだよね?
単なる何かのキャンペーンなんだったらガッカリしちゃうからやめてほしい
それが結構あるんだよな
例えば送られた前後に臣下?部下?が地元に保管してたり、蔵に放り込んでたり
教皇の代替わり?の時の大掃除でどこかにしまい込んだり、担当者が持って帰ってしまったり
当時の教皇はもちろん王族の出身者だから、公的、私的、色んな状況が考えられる
こういう由来のある宝物は案外捨てられたりしないもんだよ
日本の有名な寺社でも
今になって門の上とか屋根裏から遺物が見つかりましたとかあるもんな
あれ返す気があるの?
ゆーても保存できたのはブリカスのおかげやし
滋賀観光の目玉になりそう
彦根城じゃ地味過ぎるからな
やっぱエレベーター設置すんのかねえ
信長は好きそうだな
確かにw
管理に失敗して駄目になったんじゃないかて説があったよな
おそらく初期の天守は壁もないような質素なもの
全く何も残ってない山だと思ってたらしい
大手道を上りながら何でメジャーな観光地になってないのって
まあ確かにその時は他に誰も居なかったけどさ
細かい部分は記憶違いもあるかもしれんけど太田牛一自ら天守に入り内部を見てるってのが何より大きい
バチカンに代々伝わっているということはない。
もし残っているとしたら、当時の教皇の一族の子孫あたりだろうけど
存在する可能性は低いだろうな。
四層(4階に見せる)にしたのは3階建ての金閣を一階でも上回るため。
ほんと歴史家は嘘八百の御託並べて飯食えてええなーw
コンクラーベやって新しい教皇が生まれてパレードに少年使節の4人のうち3人が参加して
みたいな感じでドタバタしたから屏風の存在が宙ぶらりんになってそうではある
仕舞いこまれて引越しの時にでもなくなったか
模写をもとにした木版画なら現存している
ほんの一部分の断片模写で、出来も余り良いとは言えないけど、それなりに注目はされていたようだ
そこに描かれているのは16世紀侍チャンピオンの失われた名城
美術品は寝かせとけとはいうが学術的価値も日々いや増し
いよいよ公開の圧力が強まる
教皇「出したらええやん」
執事「それがその・・・」
元の本拠地の岐阜と京都の中間だからそんな変でもないだろ
それが、その後キリシタン弾圧が始まったから
カトリックにとって信徒が迫害されている布教の最終目的地になって、メチャクチャ興味持たれてたらしい
幕末の「信徒再発見」は、ヨーロッパ中の大ニュースになった
その昔
ビートルズを悪魔と言ってたんだぞ
あんな奴信じるかっつうの
当時のビートルズ人気が分かるエピソードだなw
これのことかね?
↓オーストリア(墺太利)のエッゲンベルグ城の壁画に描かれた豊臣期大坂城は。
https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/tips_pict/16/31/07/650x450_16310793.jpg?
updated_at=1552400611
何も知らんだろう
でもバチカンは歴史的に宗教的に確立したままだから
他国に占領され宝物庫が荒らされたという記録はないから
普通に転がってる可能性もあるよ
飲食土産の城下町っぽい横丁で300億らしい
滋賀にそんな金出す地元企業ないからな
滋賀といえば西武グループ発祥の地なんだがなあ
コロナ騒ぎもなく、映画をやれて世界的で人気となり
弥助だけでなく、織田信長や安土城なども有名になったら、資料見つけやすくなったろうに
実際に発見出来て、忠実に再現が可能になった場合
クラファンで、世界中から金集まり、ガチで安土城再建できたかもしれんのになあ
落成セレモニーには、織田家の子孫やYASUKE関係者や高額出資者も招待されてよ
拝観料徴収する信長やその家臣のパフォーマンスもやる
ヒトラーは美術品集めまくってたからなぁ
スイスも噛んでそうだし
なんにしてもヨーロッパ人の協力がないと
日本なら間違いなく正倉院に保存するだろうに
>>177
そりゃあ探すのは現地の学芸員とかでしょ 県の職員が現地行くの?
金が掛かるでしょ
県の学芸員を1~3人ぐらいローマに派遣して手伝わせるでしょ。
ただし、その学芸員に同行して指導する県のお偉いさんや県議が50人ぐらい
とかになりそうだけど
400年以上前に欧州で失われた屏風を求めて、
知事の特命を受けて県の職員が派遣される、みたいなさ。
(や、本件ではそこまでやるような話じゃないけど、創作ネタとして)
ストーリーとしては歴史ミステリーに同時代のサスペンスとか
国際陰謀劇とか織り込んでさ。貴族とか司教とか枢機卿とか美術シンジケートやら
世界的大企業とかマフィアやスパイとかニンジャとか出してさw
ただの役人が世界を揺るがす宗教的、歴史的、政治的な権謀術数の
陰謀の世界に容赦なく巻き込まれて云々かんぬんとかやると興趣がある。
主人公が役人で同行するヒロインが説明役の学芸員とかだといいのかな?
我ながらちょっとベタすぎる気もするけど。80年代ならいけるが、今のセンスじゃねえなw
ま、ヨタはともかく、どうだろ。見つかるかな。
しかしバチカンの文書庫とか美術倉庫ってのもいかにもすごそうだなあ。
そして教皇ルートの鶴の一声で司書とかが探索すれば…とまあ見つかればいいよな。
まさに同時代の洛中洛外図屏風じゃないけど、
確かにああいう鳥観図はいろいろ示唆に富んでるからね。見ていて面白いし。
仮に実在して本邦に寄贈されたら、そりゃ国宝モノだろうなあ。
信長が謙信にプレゼントした洛中洛外図は国宝でしょ? 確か。
それだけのリスクを冒して屏風探しというのはいかにも弱い
当時の安土城の構造に信長公の埋蔵金のヒントが隠されていることにしようぜ
遠くにだけど安土城がちゃんと描かれてるけど
ローマにあるのはもっと大きく安土城が描かれてるのかな?
ちゃんと管理して保管してないなら屏風の絵はカビだらけの予感がする
安土の代官所に有った物を明治に模写したものだった気がする
昔からの寄贈品展示もしてるけど数百年間分だから大変だろうね
でも歴史がひっくり返るようなものまで出て来そうだからなー
タイムマシンとかあるかな?
近年の真面目な歴史研究の書籍ではこちらの肖像画(大徳寺蔵)が採用されてきている
http://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
https://star.ap.teacup.com/tensi/timg/middle_1308435680.gif
この肖像画は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したもので緑のものより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
有名な緑色の肖像画は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、
他に残る複数の肖像画もやはり(大徳寺蔵)やその模写を基に描かれたとされる。
それ後から表情や装束が手直しされたって報道されてたね
スペインポルトガルから遠いのと、武士っていう戦闘集団があって良かった。三英傑も頭良いしな
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1637977690/
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家康の甲冑がインド製になってほっとかれてるのが西洋のジャポニズム(笑)だし