東ローマ帝国の歴史について議論しようじゃないか
「最低最悪の国」
塩野七海
「ギリシャ語化してるからローマじゃない」
>ネットだと東ローマ帝国=ビザンツ帝国みたいな用法も多い、Wikipediaのせいだろうか?
学界も東ローマ帝国=ビザンツ帝国よ
マルクスも塩野も歴史学者じゃないしな
最近でた中谷功治『ビザンツ帝国』の冒頭最初一文は
「20世紀を代表するビザンツ史家オストロゴルスキーは、ビザンツ帝国を次のように定義した
「ヘレニズム的東方に位置する、キリスト教化されたローマ帝国」。言い換えるなら、
コンスタンティノープルを首都とし、キリスト教を国教とするローマ帝国の継承国家」とある
マルクスとか塩野とか時代遅れの通俗本しか読んでないから古い通俗史観から脱皮できないんだろうね
ビザンツディスりをする連中が古い通俗史観でしか語ってないことがこのスレでもよくわかる
「古代ローマとは異なる文明から生まれて古代ローマを模倣した古代ローマとは異なる帝国」
「勝ちたければ、異民族兵士を使え」
古い歴史館だろ
それ偉大なローマと結びつけたくないと言う西欧の感情論から出た国名だし
ローマとの連続性を認めている学者自体が名前だけはビザンツを使い続けるのは
予算配分とかに直結するディシプリンの問題もあるのだろう
ギボンのローマ帝国衰亡史の売上でも後半部の売れ行きは前半より少なそうだし
中世ローマ帝国にしちゃうと本の売り上げ減りそう
東ローマ帝国なら少しは売れるかもしれんが
最近ではローマからビザンツの移行期を後期ローマ帝国とか古代末期とか呼ぶようになってきて
「古代末期」で学会や学科が成立するようになってるのもこうした大人の事情もあるのだろう
> 最近ではローマからビザンツの移行期を後期ローマ帝国とか古代末期とか呼ぶようになってきて
最近と言うには既に1世紀以上はたってるような
あるいは昔は後期ローマとビザンツが移行ではなく別物とされてたことに対する指摘なのか
すまん
「最近は日本の一般向け書籍でも」と書けばよかった
100年前のビュアリの後期ローマ帝国の歴史は日本語訳が出てないので日本では
一般かしてないし、ブラウンの議論も日本では専門家以外に知られるようになったのは
21世紀になってから
ということで最近では、と書いてしまった
貢納金を支払って身の安全をかったり
多額の金を送って第三勢力を味方にすると言う事何度となくやってるが
いったいどこからそんな金が出てくるのか謎だ
絹は華奢品で売れたと言うのは知ってるが
領地はスラブ人の侵入で荒れ果てていただろうし
エーゲ海から塩でも大量に入手して
塩でも売ってたのか
オリーブオイルが西欧に大人気だったのか
「ましな徳がある皇帝はヨハネス2世ぐらい」
ギボンは古代の皇帝も悪口が多い
「ギリシャ人を信じるな
嘘を言うために生きている」
つまり西洋キリスト教文明の起源はビザンツの方だとも言いうるのだ
> もともとキリスト教はギリシアから来たんでローマ側はキリスト教の後進国だし
皇帝なんかより古い家系を誇る元老院家系がキリスト教化に抵抗して古代ローマの伝統を残そうとしてたのは分かるが、皇帝直属のはずのゲルマン人が元老院と一緒になって古代ローマの主要な継承者だったのは不思議よな
なぜかコンスタンティン2世やウァレンスのアリウス信仰もゴート人の方が長続きしてるんよな
イスラムの拡散を許した
スラブ人に負けて
バルカンのスラブ化を許した(ひいてはこれが第一次世界大戦の遠因となった)
内戦でトルコ人の力に頼りきりとなって
ヨーロッパの土地を与えてオスマン帝国拡大を許した
結局世界史の毒にしかなってないんだよね
この国
それこそウィキの捏造じゃん
> >>23
> それこそウィキの捏造じゃん
それウィキのどこに書かれてるの?
今書いてないが
ローマ帝国一覧表に
オスマンのスルタンの名前も書かれていたことがあった
突厥とか鮮卑とかも
自分は中国人だの
天に選ばれた皇帝だの言ってるのいるけど
異民族ほど自分が滅した国の後継だと思いたがる
> 突厥とか鮮卑とかも
> 自分は中国人だの
> 天に選ばれた皇帝だの言ってるのいるけど
それは中国の思想としては普通なんだがなあ
ちゃっかり天命を受け継いだとか言ってたし
その秦人は周人を、周人は商人をそれぞれ滅ぼしつつ、天命の後継者名乗ってたね
漢人は鮮卑他いくつもの民族に以下略だし
防御に適したアナトリアをトルコに明け渡したのは許しがたい
東ローマは会戦で大負けしすぎ
領地を簡単に奪われすぎだ
636 アラブ人に負ける
680 708 792 ブルガリアに負ける
797 803 806 アラブ人に負ける
811 896 917 ブルガリアに負ける
1042 アルメニアに負ける
1042 セルビアに負ける
1071 1176 トルコに負ける
1190 1194 ブルガリアに負ける
1204 十字軍に負ける
1230 1279 ブルガリアに負ける
1305 アルモガバラスに負ける
1453 トルコに負ける
1897 トルコに負ける
1918 ブルガリアに負ける
1922 トルコに負ける
1974 トルコに負ける
勝った方を書かないのはフェアじゃないだろ
東ローマだけで何回戦が起きてんだよ
東ローマに雇われたノルマン人は元々海賊だったが、ギリシャ人自身が元々海賊でエジプト王に
雇われていた
中世から現代までの負け戦だけ列挙する意味は何?
勝った方は大体みんな
バリャーグやアルメニア人やクルド人といった異民族傭兵のおかげで
ギリシャ人の弱兵部隊は糞の役にも立たなかったからなあ
東ローマの主力っていつからラテン人から
ギリシャ人になったの?
「勝利は偶然のものに過ぎない」
ノルマン朝がテッサロニキを破壊したが
その後の会戦で負けたのは疫病がはやってたからだし
こんなのばっか
ニカイア帝国がセルジュークに勝った時だってラテン人傭兵のおかげだったし
第4回十字軍を見るとその評価は正しいなと思える
ラテン系なんだろ?
ラテン人の位置付けはある時期からイタリアの
外国人になってきたんだよな?
ローマ帝国の片割れではもうなくなった
むしろ西側ではゲルマン人が減ってラテン人が息を吹き返してきたせいで西側が衰退した
ローマ以前からある帝国がローマ化した状態こそがローマ帝国
それがビザンツの流儀
>imperium romanum の定義を知らんのか
時代と地域ごとに詳しく
どうぞ
www.jstor.org/stable/300484?seq=1
よってビザンツがローマ帝国であっても矛盾はない
そんなあなたにはこちらもどうぞ
www.jstor.org/stable/642483?seq=1
そもそもからしてimperium romanum を
帝国と訳すことが正しいのかどうか
帝国という用語は近代日本で成立した用語だし
平安時代の日本と江戸時代の日本は全く違うから
江戸時代の人間は日本と自称してるだけの自意識過剰国家だな
> ローマ帝国の厳密な定義がどうであれ、それでもビザンツの自称と自意識はローマ帝国だから
>>68 返信:世界@名無史さん[] 投稿日:2021/05/16(日) 15:32:03.20 0
>>60
> 平安時代の日本と江戸時代の日本は全く違うから
> 江戸時代の人間は日本と自称してるだけの自意識過剰国家だな
ビザンツ帝国がローマ帝国と自称してローマ帝国を自認していたことにまで噛みつく奴がいるのか
これだからビザンツディスり病患者は……
キリスト教の戦犯国家」
歴史を一言でいうならこれ
弱兵な上に
勇敢さも見られず、相手に勝つには傭兵頼み
怯懦なうえに卑しさが垣間見えるから嫌になる
オスマン帝国拡大の戦犯国家でもあるし
土木技術が中世には失われてる
山の水源から水引いてくるなんてすでに無理
正教はプロテスタントやシトー会のような労働を奨励するような派閥じゃない
そういった文化的な面から井上センセや南川センセらは「ビザンツはローマじゃねぇ」って言ってるな
平安時代と江戸時代の日本じゃ文化がまるで違うが
江戸時代は日本じゃないの?
ロシアですら一人当たりGDP低いし
戦争おこったらポーランドは一週間以内に征服できるそうだが
重税を市は割らなくて済むようになるといって
ノルマン軍に自ら首を垂れた
現地人にとっては実際ノルマン人に征服された方が
政治も経済繁栄も向上していた可能性高い
当時シチリアは北イタリアよりも繁栄してた
コルフ島は、ナポリ王国のアンジュー家の支配からベネチアに移行する時も住民が自発的に帰順してるんだと
ほいほい支配者を変えるのは住民気質じゃないのか
そりゃアンジュー家が圧政でも敷いたんだろう
じゃあクレタはヴェネツィアが圧制を引いたの?
コルフ島はそうだったのかも知れんが
クレタ島を統治したヴェネツィアはニケーア帝国やその後のビザンツ帝国の
介入がなかったにもかからわず現地住民による無数の反乱に苦しめられ
統治が安定するのはコンスタンティノープルが陥落してオスマン帝国の脅威が
迫ってからだった
しかもヴェネツィアの支配は現地経済の発展を促すことはなかったのは上の方に書かれている通り
ビザンツが古代ローマの伝統儀式にこだわったのもこれだね
ラテン人国家があった地域は
製造業といった各種産業が発展してたそうだな
だから50年ぐらい存続していた
パレオロゴスでなく西欧のフランス人に支配されてた方が
現代のバルカンは発展してたかもしれない
古代から連続して続いている国だし外敵に征服されて滅亡したわけでもない
同じ国だ
逆に自分たちはローマではないともし言い出してた方が異常だ
言うのは
本当は違う、別の国名で呼ばれるなければいけない
ローマ帝国ではないと思い込んでるから
そんな「自認してる」なんて言ってんだろ
中世のイギリス人からの後裔を「自称」しなければいけない存在か?
江戸時代の日本人は
「日本人と自称」しなければいけない存在か?
違うと思うけどね
各種街道や治水が整備されて
経済と産業の発達に使われて
景気向上していたら民衆も満足したんだろが
重税は首都の華奢品とアラブ人への貢納金
もしくは傭兵の支払いに消えていた
民衆の懐に還元されなかったため
民衆は自分たちが奴隷であるように思った
案外善政だったのかもしれんな
経済的には民衆にとって悪くなかった
ラテン人国が存続してたら
フランス語とギリシャ語が混ざったような言語ができていたかもしれん
正教圏は経済発展を阻害し
重税と圧政を黙認する教えみたいなのがあるかもしれん
西欧はユダヤ人が多かったからなのか
金融が発達してたのがよかった
西欧というかイタリアだが
フランドルという先進地域も存在してたのが大きい
別にあの戦いは軍の全部が崩壊したわけでもないし
アナトリアの住民も全部がタヒ滅したわけでもない
失うのは一瞬
取り戻すのは何十年もかかる
もしくは永遠に取り戻せない
ブルガリアも山脈地域を一瞬でとられた
アフリカも一瞬ではないが取られた
アナトリアのトルコ化も進んだのも帝国がだらしないせい
〇ブルガリアにもバルカンの山脈地域を取られた
でも後のサムイルとの戦役では
このバルカンの山脈戦に苦戦して
役30年もかかっている
当時のギリシャ人は
シェークスピアの戯曲に出てくる
サー・ファストロフのような
すぐに逃げ出そうとする卑怯者揃いか
すぐにぶっ○される雑魚キャラしかいなかったんだろうよ
すぐに逃げ出すってのはあってるかも
バリャーグ隊もギリシャ人兵士のふがいなさが原因で編成されたもんだし
放漫財政で破たんしてトロイカから緊縮要請されたら
逆切れして
ドイツにいまさらナチス時代の賠償金を請求しだした卑しいところがあるのがギリシャだが
そういう卑しさは当時からのものかもしれない
今のギリシャ軍も戦争したらきっと負けるだろう
数々の敗北の歴史も都合よく目を背けられたり
したんだろうよ
弱兵で臆病な癖に
偏狭的なナショナリズムだけはあったから
劣ってることを認められず
抜本的な改革は行われなかった
例えばペチェネグ族を滅ぼしたのは
東ローマ帝国だが
アレクシオス1世時代の勝利の要因は
人数的にもクマン人のおかげだった
ヨハネス2世の勝利も最後に戦況を決定づけたのは
バリャーグ隊だった
勝利の要因も異民族の援軍や傭兵のおかげだったのに
おそらく「自分たちが強いから勝った」とでも思い込んで
軍勢の本当の強化や軍事制度や訓練も改善されなかったんだろう
安易に異民族兵士に頼る悪癖はついに抜けなかった
傭兵を使うのはどの国でもありふれたことだが
傭兵と自軍の戦力差が大きすぎたことが問題
そもそもニケフォロス2世のマニュアルですでに
異民族の兵士を使えて書かれてるからな
ヴェネツィアやジェノヴァの設立にすでに追い抜かれてたってオチはなしだぜ
工業面ではフランドルに最初から負けてるだろう
そもそも印刷技術があった形跡がない
別にフランドルが印刷もってたとか
そういう意味ではない
2・まだ未開人のスラブ人にバルカン半島を明け渡しそこの文明を崩壊させた
3・イスラム教徒にまけて現在の世界の混迷の原因を作った
4・アナトリアをトルコ人にくれてやってバルカン半島にも進出路を与えた
ヨーロッパのがん細胞じゃん
すでに十字軍時代から銀行業みたいなのはイタリアであって
商工業の発展がみられた
東ローマではそれもない
銀行もないから資本の蓄積もビジネスの発展もない
そういうのがない
戦闘面でもそういうところが間接的に影響して
防御に適してるはずのバルカン山脈やアナトリア高原を一瞬でとられたってのもあるだろう
西欧人やトルコ人のほうが
虚飾ばっかりで無意味な技術には目もくれず
必要な戦術や兵器や実用的な技術に貪欲だった
失敗だったとしか思えん
ローマ軍で働くためのエサがなくなったんでそれこそ
金目当ての傭兵や信用ならない異民族兵士しか軍に来なくなった
全住民が市民になるどころか
実質的には奴隷になったようなもんだった
奴隷的な兵士は弱いんだよ
誠実
質朴
正直
勇気
謙遜
兵士としてはダメそうだな
トルコの王
「私の舌は一枚だけだが
そなたらは舌は10枚あるな」
労働を怠けたり
基礎研究や技術の発達を阻害する作用があるのか?
俺もそう思ってたことがあった
プロテスタントは近代文明をもたらしたのだと
しかし今やアメリカでプロテスタントが多い地域はトランプの票田で
ローテクであり州の一人当たりGDPも平均寿命もブルーステイツより低下
民主党の票田の西海岸と東海岸はカトリックが最大多数で一人当たりGDPも高く
平均寿命も長い
結局福音派みたいに宗教的に頑迷で産業構造の変動などの変化を嫌うのがダメなんだと思うね
新しい技術革新や大企業の発展を妨げる何かがある
経済発展しないのは正教に問題があるのだと合点がいった
しかしその後イタリア史を学ぶにつれて中世後期に北部による南部の
モノカルチャー開発が行われ、これがその後の大西洋での植民地経済のモデルと
なっていったことを知った
正教という要素がゼロとはいわないがそれだけではないと思う
シトー会のような勤労に精を出す所や
資本の蓄積を容認するプロテスタントのようなことは正教は言わない
もしかしたらポゴミル派が幅を利かせてたら何か変わったかもしれん
革命が成功してたら
もっと発展的な滅亡ができただろう
トルコ人に征服などという恥はなかった
帝政から共和制への回帰
騎士に対抗するハンドワゴン
銃、大砲は
皆他のヨーロッパで考え出されたかか改良されたもの
ギリシャ火炎もほんとはシリア人の発明だし
しかもこの液体火薬はヴェネツィアに対策された
新しい発展というのがなくなった
ハンドワゴンのみならず
チェコ人はヨーロッパでも一番の先進的な民族だろうな
一方ギリシャ人は後進になった
そっちの方があの地域の住民にとっては良かったかもしれないが
強いものに巻かれやすい
卑しいギリシャ人気質だろ
オスマン時代も
スルタンの尻をなめて
代官となって他民族を抑圧するギリシャ人がいた
十字軍の支配も
60年以上受け入れていた
今頃フランスの海外県になってたのかなあ
フランスの傀儡国みたいなのができていたのか
引用元: ・東ローマ帝国の歴史
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