【岡山市】江戸時代に流行した感染症に対応した看護師の記録など「災害の記録」を伝える展示会を8月30日まで開催
江戸時代に流行した感染症に対応した看護師の記録など「災害の記録」を伝える展示会を開催 岡山市
過去に起こった「災害の記録」を伝える展示会が岡山市で開かれています。
岡山シティミュージアムには岡山市内で過去に起こった「災害の記録」79点が展示されています。
※略
また、当時各地から寄せられた義援金やその配布にかかわる文書も展示されています。このほか、江戸時代に流行した感染症に対応した看護師の記録なども残されていて、災害から立ち直る当時の人の姿がうかがえます。
「災害の記録」は8月30日まで開かれています。
※全文はソースからご覧ください。
https://www.ksb.co.jp/images/newsweb/202008/Newsweb120321.jpg
https://www.ksb.co.jp/newsweb/index/18381
2020年08月22日 10:12 KSB
最近、描かれたような冊子だな おぃ!
古さを感じない
ナイチンゲールとか江戸時代だろ
あの人も何故か
清潔第一を知っていた、とかなんとか
当時は知識としてなかったらしくて
センメルヴェイスの不遇とか、今では信じられんよね
でも綿の代わりを髪の毛がしてた時代だし
どう見ても昭和くらいの資料
江戸時代は看病中間
まともに展示できるのあるかな
咲みたいな?
しかも、感染症って種痘以外、感染症治療の方法は無かったはず。
コレラもコロリと言われて為す術もなくタヒんでいた。どんな治療をしていたんでしょう。
鉄矢
じゃなかった、緒方洪庵が
書いた本にですねー
感染症にたいし今からだと不十分だけど経験則から把握していたと思う。
非科学的差別を伴ったこと含めて。
>>33
皆、思い思いに治療法思いついたり、そそのかされたりしてやったんや
結局、「○○の黒焼き」などを試した人は、活性炭の効果と類似のものにより
菌を○すことなく体外に排出できて生還率高くなったはず。
綺麗な水を飲める日本は伝染病にも基本的に強かったんやで。その分で個人の免疫が超弱くなっている。
世界にはいろんなコレラ菌が居るが、インドネシアやインドでは現地人は不感症で日本人だけかかるコレラ菌の地域種が多い。
「看護人」くらいにしとくべきだよなぁ。
現代の職名に置き換えて記述しなきゃならん情報だろうか?
大名を県知事、市長と表記するようなもんだぜw
マスコミって読者の知的水準を↓に設定しすぎなのかな?
疱瘡だって芋洗稲荷で祈願してから水で清めるのが関の山だったしな。
ちなみに芋は天然痘の事。
疱瘡神は赤色が嫌いだから、福島の赤べこみたく赤い玩具が多く存在するんだよな。
赤い郷土玩具の多くは疱瘡除けだったらしいね。
ハンセン病に掛かったら非人身分で放逐されていたはずだが・・・。
伊勢乞食なんかのルーツとも言われてるわな。
つか、江戸時代の感染症なんてほとんどが仏罰だの神罰って考えられてなかったか?
ほんとに感染症の認識あったんか?
科学的な解明、知識はなくても経験則はあるだろ。「風邪をうつす、うつる」は
普通に認識していたと思う。
何の参考にもならんわ
GOTOしたら岡山県知事に来るなとか言われそうw
江戸時代に体温計合って37度未満が平熱的な知識あったのか
>>59
>>江戸時代中期の蘭学者、平賀源内(1728~1780年)が製作した温度計の目盛板には、
>>日本語表記で、極寒、寒、冷、平、暖 等の文字が記され、そのとなりには、数値も併記されており、
>>その値から、その温度はファーレンハイト度であった推測されている(1765年、江戸幕府第10代将軍の頃)。
>>また、江戸幕府が、オランダから購入し、幕末の箱館戦争(函館戦争)で沈没した軍艦が20世紀末になって
>>引き上げられたが、そこに設置された温度計には、ファーレンハイト度とレオミュール度の二つの温度が
>>併記されていたという。まだセルシウス度の痕跡がない。
>>摂氏が採用されたのは明治
だから、もし万が一記載があっても37℃ではなく記号はF(華氏)、つまり100?ぐらいであるはず
俺アルチンゲール
患者の家のお手伝いさんの仕事では?
つ小石川療養所
入院施設が有った(定員40人)
歴史に残るくらい有名だという事は詰まる所他には病院に相当する施設に乏しかったので
目立ったせいだとも言える。
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1598094492/
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