太陽暦だけじゃない!世界中の暦と暦の歴史についてまとめ

2019年10月24日

1: 2019/09/15(日) 20:51:59.17 0
世界には様々な暦があり、それぞれの暦が現在の姿になるまでには色々な歴史があります。
そういったことを語りましょう。

26: 2019/09/22(日) 05:12:52.03 0

曜日はここがまとまっててわかり易かったです

>>1

暦からわかる世界の不思議
http://www2.ttcn.ne.jp/~teatom/Japanese/youbi.html

曜日の呼び名の分布
http://www2.ttcn.ne.jp/~teatom/Images/koyomi/youbibunpu.jpg

曜日の伝播
http://www2.ttcn.ne.jp/~teatom/Images/koyomi/youbidenpanzentai.jpg

 

2: 2019/09/15(日) 21:32:10.10 0
ポーランドの中で帝政ロシアに組み込まれた地域はグレゴリオ暦から
ユリウス暦へ変わったん?

 

3: 2019/09/15(日) 22:20:40.59 0

1811年、ロシアのゴロウニンは函館に幽閉された。世に言うゴロウニン事件である。
そこに間宮林蔵が面会に来る。

間宮 「我が国は寛政暦ですが、その精度はまだまだですな」
ゴロウニン 「我がロシアは、今だユリウス歴ですよ」
間宮 「イギリスやフランスはグレゴリオ暦ですが、これもまだまだですね」
ゴロウニン 「ほう、どうしてですか?」
間宮 「もっと良い補正の方法があるのに、それを採用していないからです。今のままでは3千年後には1日の誤差がでるはずです」
ゴロウニン 「なるほど」

ゴロウニンは、間宮はいけ好かない人間だけど、知識量は凄いと『日本幽閉記』に書いている。

 

4: 2019/09/16(月) 20:09:05.85 0
完全太陰暦のイスラーム暦より
よっぽどシュメール、バビロニア、エジプトの方が進んでたのに
何で劣化させたんだか

 

8: 2019/09/19(木) 13:49:08.70 0
>>4
イスラムは砂漠での交易がメインだし、その為には月齢の把握が重要だから。

 

21: 2019/09/21(土) 16:09:30.89 0
>>4
俺の想像
砂漠は一年中同じ気候で昼間は暑くて外に出られない
よって外に出るのは太陽が沈んだ夜からとなるが、そうなると月が外に出ている
よって月で暦を作った方が生活に便利となる

 

24: 2019/09/21(土) 21:22:56.99 0

>>21
なるほどね
それだと、メソポタミアやエジプトみたいな穀倉地帯に所信が広がると
預言者が想定していなかった事になって、信者は困るんだけど
だからという訳じゃなく、別の可能性を考えてる

ムハンマドは教義上文盲だったらしい
そうだとしても、商人としてエジプト人やビザンツ人、ペルシア人と交渉したはず
そうすると、商談で納期の折衝もしたはずで
太陽暦や太陽太陰暦の事も、承知してたと思う

トルコ国旗を見れば分かるように
中東一帯には太陰信仰があった
ttp://rank119.gozaru.jp/img/roma/img73/06.png
だから、アラビアに元々あった月神崇拝の名残じゃないかと

 

28: 2019/09/24(火) 02:14:33.70 0

>>21

なに 適当に言ってるんだよw

太陽暦に比べて 太陰暦の方が 『月の満ち欠け』を見て 今が今月の何日?が判りやすいんだよ
月の満ち欠けの周期は約29.5日
満月から満月まで 数えれば 約30日 満月から新月が 約15日

https://i.imgur.com/NKkFOQM.png

大昔で 庶民がカレンダーを持ってない時代とかには 『月の満ち欠け (月齢)』を見れば
月の頭(新月)だな 三日月なので 月の3日だな 月のなかばだな(満月)と言うのが
月の満ち欠けで おおよその月の日数30に 満ち欠けの形で 判るようになってた、
ア○な庶民でも月の形をみれば おおよその暦が判るので 天文観測を重視しないなら
太陰暦の方がアバウトで勘定がしやすい

月の満ち欠けの 運行を 元にすると 29.5日なので
29日の月と 30日の月 x12月で 一年は 354だと 一年周期に11端数が出る、なので
3年に一度 プラマイ修正として 12月の次に うるう月を入れる。これが太陰暦。
庶民はこれでよかったが

一方で 月齢のままの太陰暦だと 実際の二十四節気(春夏秋冬など)とズレが生じるので、
実際の二十四節気に 出来るだけ合わせるように 大の月 小の月を調整するなど
暦を作る側が毎年難儀してた 暦を作る方は大変

中国の太陰暦では 一年の起点は 冬至を起点としてたので
理屈の上では 太陽暦と太陰暦も そうズレは起こらないはずだが
天体観測の測量機器が中国日本は 欧州に比べて遅れていたので 冬至がうまく予測できてなかった。
幕府の面子は まる潰れであるw

 

32: 2019/09/24(火) 20:09:21.67 0
>>4>>29
太陰暦なのに4年に一度
閏年を入れてるのは正しいんだろうか
これは気になってまいりましたww

 

34: 2019/09/24(火) 20:29:13.03 0

これは間違い
>>32

30年に11度の閏年で
月の位置とはあうそうな
入れ方はどこが決めてるのだろうか、、、

 

5: 2019/09/16(月) 21:20:47.52 0
なんでロシアはビザンツの世界創世暦じゃなくてユリウス暦だったの?

 

22: 2019/09/21(土) 16:20:18.39 0

これもおもしろいですね

>>5

世界創造紀元

世界創造紀元(せかいそうぞうきげん)は、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)で公式に使用された紀年法。ビザンティン暦(英語:Byzantine calendar)とも呼ばれる。
988年に皇帝バシレイオス2世により導入され、1453年の帝国滅亡まで使用された(それ以前のレオーン6世の時代から一部では使用されていた)。

ロシア正教会の歴史

ウラジーミル1世の受洗とキエフ府主教座の設立

正教会の伝承によれば、ルーシの正教伝道の歴史は12使徒のひとりであるアンドレイにさかのぼるとされるが[2]、
本格的な正教伝道の試みが歴史的に確認できるのはコンスタンディヌーポリ総主教フォティオス(在位:858-861? 878-886)によるものである。
また954年にはキエフ大公ウラジーミル1世の祖母であるオリガがキリスト教(正教会)[注釈 1]の洗礼を受け、ルーシにおける正教のさきがけとなった[6]。

まとまった形を伴ったルーシの正教会の歴史は、988年、キエフ大公ウラジーミル1世が、東ローマ帝国皇帝バシレイオス2世の妹アンナを妃とし、
公式に東ローマ帝国の国教である正教会の洗礼を受けた時から始まるとされ、この年がロシア正教会の歴史の基点とされることが多い[7][注釈 2]。

府主教座は当時ルーシ[注釈 3]の中心都市であり、キエフ大公国の首都であったキエフにおかれた[注釈 4]。

発足当初から長期にわたってキエフ府主教はコンスタンディヌーポリ総主教庁の監督下にあり、コンスタンディヌーポリ総主教がキエフ府主教を任命した。
当初は府主教も東ローマ帝国から派遣されたギリシャ人だった[8]。
なお初期の府主教の称号は単に「キエフ府主教」であり、「キエフ及び全ルーシの府主教」の称号は後代になって使われるようになった
(13世紀から使われ始め[9]、恒常的に使われるようになったのは14世紀[10])。

キエフには後にキエフ・ペチェールシク大修道院に成長する洞窟修道院が、アトス山の修道院から出身地ルーシに戻ったアントニイによって1051年に創始された[11]。

 

71: 2019/09/28(土) 09:23:35.87 0

>>22

ふむぅ、、、
錯綜しすぎていてよくわからんww

世界創造紀元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E7%8C%E5%B5%E9%A0%E7%B4%E5%83

東ローマではいわゆる「西暦」は使用されておらず、当初は古代ローマ時代からの伝統を受け継いで、その年の執政官の名で年を呼んでいた。
しかし、541年に官職としての執政官が廃止され名誉称号になってしまうと、15年周期の会計年度であるインディクティオを使用するようになった。
ただし、インディクティオは15年周期であるために単に「第3インディクティオ」などとすると、どの年のことなのか分からなくなってしまう可能性があった。
そこでこの世界創造紀元が導入されたのである。

4755年 (紀元前753年) :ローマ創建。
5838年(330年):コンスタンティノポリスがローマ帝国の都となる。
6045年 (537年) :ユスティニアヌス1世が勅令で世界創造紀元による年代表記にインディクティオの使用を義務付ける。
6496年(988年):世界創造紀元がはじめて公式に使用される

東ローマ帝国の国教であった正教会では、この紀年法が帝国の滅亡後も長く使用された。ロシアでは西暦1700年まで世界創造紀元を使用していた。

インディクティオ

最初は3世紀後半のエジプト属州で農業や地税の記録で使われていた。
287年に始まった時点では5年サイクルで318年で26サイクル目に到達した。
しかし314年までには15年サイクルが現れている。

ビザンチンの年代記"Chronicon Paschale"によると最初の年は312-313年、933年のコプト文書には1サイクル早い297-298年と書かれている。
4世紀後期までには地中海世界全域で文書の記録に使われていた。

 

6: 2019/09/17(火) 16:08:16.42 0

グレゴリオ暦(とユリウス暦にも関係するかも?)に関して一つ疑問があります。

それは、「どういう理由で、新年つまり1月1日を現在の時点(地球と太陽との位置関係)に選んだのか?」という疑問です。

新しい年が始まる1月1日を、例えば冬至とか春分(もちろん夏至や秋分でも)といった太陽と地球との位置関係が特別な日に選んでいるのならば
何の不思議でもありませんが、現在のグレゴリオ暦の新年は冬至からも10日前後ズレた非常に中途半端な時点を選んでいます。

何故、こんな中途半端な時点を年の始まりと言う1年の起点に選んでいるのでしょうか?

何か特別な祭礼の日付をユリウス暦と同じにする都合というのが上の問の答えでしたらば、
ユリウス暦が採用された最初期での新年の時点(地球の公転軌道上の位置)はどうだったのでしょうか?
そしてそれがグレゴリオ暦と同じく中途半端な時点であるのならば、何故、そんな中途半端なのが選ばれたのでしょうか?

どなたか御存知でしたらば御教示くださると幸いです。

 

7: 2019/09/19(木) 13:32:06.69 0

>>6
気になるね
古代ローマで、一年の始まりは三月で
(だから閏日は二月末だし、九月が「7」に由来する September)
これでも春分とずれるし

ユリウス・カエサルがモデルにしたエジプト太陽暦
(これ、クレオパトラが伝えだんだか?)
エジプト暦はどうだったか、分かればヒントになる
同様にエジプト暦が元になった、コプト暦やエチオピア暦も

 

17: 2019/09/21(土) 14:13:40.88 0

>>7>>6

おいらもローマの暦はめっちゃ気になります
特にユリウス暦への改暦と、7妖精への移行
はちゃんと調べてみたいですね

おっしゃるようにエジプト歴がどういった状態になっていたかと
当時のカエサルの状況と
その二点を調べてみたいと思います

 

18: 2019/09/21(土) 14:20:14.29 0

>>17

紀元前45年

紀元前45年は、ローマ暦の709年である。ユリウス暦が施行された年である。

できごと

ローマ
1月1日よりユリウス暦施行。
執政官はガイウス・ユリウス・カエサル単独であった。
ローマ内戦
3月17日 – ムンダの戦いでティトゥス・ラビエヌスとグナエウス・ポンペイウス・ミノルを破り、内戦は終結した。
ラビエヌスは戦場でタヒ亡し、ポンペイウスは処刑されたが、セクストゥス・ポンペイウスは大西洋岸まで逃亡した。

ユリウス・カエサルが編成した第10軍団エクェストリス及び第13軍団ゲミナは解散した。第10軍団の退役軍人はナルボンヌに移住し、第13軍団の退役軍人にはイタリア近郊の土地が与えられた。
ユリウス・カエサルが終身独裁官に指名された。
ユリウス・カエサルはおそらくこの年にCommentariesを執筆した。

誕生
ユッルス・アントニウス、マルクス・アントニウスとフルウィアの息子(+ 紀元前2年)
王莽、新朝の皇帝(+ 23年)

タヒ去
2月 – トゥリア・キケロニス、マルクス・トゥッリウス・キケロの娘(* 紀元前79年/紀元前78年)
3月17日 – ティトゥス・ラビエヌス、共和政ローマ期の軍人(* 紀元前100年)
3月17日 – プブリウス・アッティウス・ウァルス
4月12日 – グナエウス・ポンペイウス・ミノル、グナエウス・ポンペイウスの息子(* 紀元前75年)
12月31日 – クィントゥス・ファビウス・マクシムス

 

19: 2019/09/21(土) 14:22:30.41 0

>>17

紀元前46年

紀元前46年は、ローマ暦の最後の年である。暦の調整のため、445日間あった。
この年にユリウス暦が導入されたが、適用されたのは紀元前45年からである。

できごと
ローマ
執政官 – ガイウス・ユリウス・カエサルとマルクス・アエミリウス・レピドゥス
ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)
1月4日 – ルスピナの戦いでティトゥス・ラビエヌスがユリウス・カエサルを破った。
4月6日 – タプススの戦いでユリウス・カエサル軍が元老院派軍に勝利。
4月 – カエサルはマルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシスが守備するウティカを攻撃。カトが自○。
4月 – 元老院派のクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカなどが敗タヒ。
9月26日 – ファルサルスの戦いでの誓いを果たすため、彼の神話上の祖先ウェヌス・ゲネトリクスに神殿を奉じた。
11月 – 抵抗運動の発生を抑えるため、ヒスパニアに向かった。
カエサルがローマ暦を修正し、ユリウス暦を作った。過渡期のこの年は、調整のため445日となった。1582年にグレゴリオ暦ができるまで、西洋では1600年以上も標準的な暦として使われた。
カエサルは甥のオクタウィアヌスを後継者として指名した。
ウェルキンゲトリクスが処刑されると、カエサルはガリアでの勝利を祝った。

ヌミディア
タプススの戦いで元老院派と共に敗北。ヌミディア王ユバ1世は敗タヒ。
ユバのタヒによってヌミディア王国は断絶して、ヌミディアはローマ属州となった。

タヒ去
マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス、ローマの政治家(* 紀元前95年頃)
クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ、ローマの政治家(* 紀元前100年/紀元前98年)
ユバ1世、ヌミディア王(* 紀元前85年頃)
ウェルキンゲトリクス、アルウェルニ族の族長(* 紀元前72年頃)

 

23: 2019/09/21(土) 19:00:07.48 0

>>7

コプト歴はこちらでした

ディオクレティアヌス紀元

ディオクレティアヌス紀元または殉教紀元(じゅんきょうきげん)は、4世紀から5世紀頃、キリスト教徒の間で広く用いられていた紀元。
ローマ皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教徒迫害によって多くの殉教者(致命者)が出たことを祈念し、ディオクレティアヌスが即位した年の年初(ユリウス暦284年8月29日)を紀元とする。
現在でもエジプトのコプト正教会が用いている。

ディオクレティアヌス紀元の普及

アレクサンドリア教会での復活祭の計算方法に用いられており、そのアレクサンドリア方式が第1ニカイア公会議で採用されたため、キリスト教世界全体に広まった。

325年におこなわれた第1ニカイア公会議は全教会で復活祭を同じ日曜日に祝うことを決定し、アレクサンドリア方式を採用した。
アレクサンドリアの教会では、復活祭は「春分の日以降で最も早い太陰暦の14日(満月の日)の次の日曜日」に祝っていた。
このとき、春分の日も当時のユリウス暦では3月25日であったが、アレクサンドリアでの春分の日に基づき、3月21日とされた。

>>17

いつも確認するサイトだと
http://www.vdgatta.com/note_fasti.html

七曜制
1週間を7日とするのは、紀元後2世紀からであり、曜日の名称はさらにあとのことである。

これをもちょっと具体的にしていきたいとこです

 

112: 2019/10/04(金) 00:12:41.17 0

>>100>>101

実際問題として
どう観測してどう定義するかには
少しの自由度があると考えますね

翻訳のせいもあると思いますが

>>23
こちらはどういう方法で編年されているのかしら、、、

『教会史』と『年代記』の執筆

290年代に入るとエウセビオスは、イエス・キリストに始まりからコンスタンティヌス帝時代に至るまでの教会とキリスト教徒の説話体の歴史である、『教会史』の執筆を開始している。
同時期に天地創造からエウセビオスの同時代に至るまでの世界中の出来事を綴った『年代記』にも取りかかっている。
300年までには、『教会史』と『年代記』の初版をエウセビオスは完成させている[32]。

 

113: 2019/10/04(金) 00:28:27.45 0

>>112
これで統一されていたのか
集めた資料別でバラバラに表記したのか
それすらもわかりませぬ、、、

http://www2u.biglobe.ne.jp/~dnak/silkroad/seleucus.htm

アレクサンドロス大王配下の武将セレウコスが建国した王国。大王のタヒ後、セレウコスは
実力者のペルディッカスを○害、前321年のトリパラディソスの軍会でバビロニア総督と
なった。その後、ディアドコイの中で最有力となったアンティゴノスにバビロニアを逐われ
てエジプトに亡命したが、前312年のガザの戦いでアンティゴノスの子デメトリオスを破
り、バビロニアを奪還した。
この年がセレウコス暦元年とされる。翌311年にはアンティ
ゴノスを破り、ユーフラテス川以東の広大な領土を獲得した。

 

12: 2019/09/19(木) 18:45:32.81 0

>>6

ローマ暦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%AD%E3%BC%E3%9E%E6%9A%A6

これのヌマ歴とその改暦を読んで
さらに疑問がわきますかね?

ヌマ暦

紀元前713年、ローマ国王ヌマ・ポンピリウスによって改暦が行われ、現在の1月にあたるJ?nu?rius、2月にあたるFebru?riusがつけ加えられた。
このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変えた。平年の1年の長さは355日になる。

2年に1度、2月の日数を23日に減じ、2月23日の翌日に Mercedinus(メルケディヌス)という名の27日間または28日間の閏月を挿入した。
この時期はまだ年始は3月1日であった。この暦法は、布告した王の名をとりヌマ暦と呼ばれる。ほとんどの月の日数を29日と31日にしたのと、
1年の長さを月の運行に合わせた354日にしなかったのは、ヌマの信仰が偶数を嫌ったからだとされている。

紀元前153年の改暦

この後も数度、改暦が行われた。最も大きな改暦は紀元前153年1月1日に行われた。
この年から[要出典]、 年の始まりが3月1日(MartiusのKalendae)ではなく、1月1日(J?nu?riusのKalendae) に移った。
このとき、月の順序と月名との間にずれが生じた。

 

13: 2019/09/20(金) 01:29:11.92 0

>>12
情報有難うございます

なるほど、ローマ暦のような誤差の大きな暦では使っている間に暦年と太陽年とのズレがどんどん蓄積してしまい
最初期に公転軌道のどの位置を新年に選んだのか、この説明だけではほぼ逆算不能ですね

つまりローマ文明は暦というか春分・夏至・秋分・冬至といった精密な太陽観測の蓄積に関して無頓着だった、
あるいはローマ文明は余り天文観測や太陽観測を長期的かつ系統的に行う文化を有してなかったということになるのでしょうか

ずっと以前の世界の様々な文明は天文や太陽観測で春分などの地球公転上の特別な日を特別な日として認識していたのに
西欧文明の礎であるローマ文明はその認識を持っていなかったということでしょうか

 

15: 2019/09/20(金) 19:43:51.74 0

>>13
いえ、その続きにあるように
ユリウス暦になるときに日数を調整しているので
なんらかの意図があったと思われますね

おいらは後の太陽神信仰との絡みもあり
冬至日はかなり重視されたのではないかと
考えております

またその後の千年ぐらい
世界の天体観測をリードするプトレマイオスさんが
ローマ文明の中の人ですね

 

16: 2019/09/20(金) 23:30:14.82 0

>>15
> またその後の千年ぐらい
> 世界の天体観測をリードするプトレマイオスさんが
> ローマ文明の中の人ですね

あっ、そうか、西欧の天文学の祖とも言うべきプトレマイオスは古代ローマ人だったのですね
何か古代ギリシャかどこかだと思ってました、無知蒙昧を反省しています
有難うございました

>>14
> 春分・夏至・秋分・冬至
> 赤道に近くなるほどそういうのははどうでもよくなる

ローマを始めとしてヨーロッパは結構、緯度は高いですよ
(暖流のメキシコ湾流のお蔭で西ヨーロッパは緯度の割にとても温暖ですが)
なので、古代でも春分~冬至は結構はっきりと認識できていた筈です

 

47: 2019/09/25(水) 07:37:57.87 0
>>16
>古代でも春分~冬至は結構はっきりと認識できていた筈です
春分・秋分ははっきり認識できるけど、冬至・夏至はどうかな。
冬至・夏至の前後の1週間ほど日の出日没は1分以内。
日没が最も遅くなる日は冬至から半月後、日の出が最も早くなるのは夏至から半月後だし。
むしろ春分・秋分が決まってその中間の日を冬至・夏至としたんじゃないのかね。

 

51: 2019/09/25(水) 10:14:10.34 0

>>47
> >古代でも春分~冬至は結構はっきりと認識できていた筈です
> 春分・秋分ははっきり認識できるけど、冬至・夏至はどうかな。

古代では、日の長さという事よりも、黄道での太陽の移動する位置で 、
天球面で 360度1週するのを一年の周期とみなして
地球から見た 太陽の周回基準で 太陽年(太陽暦)が出来てる。

太陽年は およそ 365.242189日 (平均値)

天体観測(天文学)からの成果だと思います。

 

27: 2019/09/24(火) 01:26:17.61 0

>>6
> グレゴリオ暦(とユリウス暦にも関係するかも?)に関して一つ疑問があります。

ユリウス暦を採用してたが、
教会的には 復活祭(イースター)を春分の日に規定してた、
太陰暦と違って 太陽暦で 年間日数を数える場合は1年の正確な周期と 端数を計算して、
うるう年に うるう日を挿入する事で 365日で進行した場合のズレを数年ごとに挟むことにした、

春分が規定されたことは 同時に秋分も決まり (昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなる節)
夏至と冬至も 定まる、 あとは春分の日から カレンダーから逆算すれば 1/1が定まる。

ユリウス暦でも まぁそれなりに精度はよかったんだけど、この上記 春分の日が ずれてたので
(3日ほど 実際とはズレてた)

4年に一度 うるう日を入れてた ユリウス暦が 400年で 3日誤差がでたので
4年に一度 うるう日を入れるが 00の年にはうるう日を入れない で 解決することにした。
( 400年で 100回 うるう日が入るのを -3の 97回に修正した)

これが グレゴリオ暦

 

42: 2019/09/25(水) 01:30:21.47 0

>>27
> 教会的には 復活祭(イースター)を春分の日に規定してた、

つまり、次のようなことだと理解すれば宜しいのでしょうか?

1.復活祭の日付は聖書か何か古い言い伝えによって決まっている
2.教会はこの復活祭は春分の日であったと考え、そう定めた
3.つまり春分の日は古からの言い伝えの復活祭の日付と定義された
4.この春分=復活祭の日付から1月1日を逆に決めてこれをユリウス暦の新年とした

ずっと疑問に思っていた謎が解けてとてもスッキリした気分です
御教示、本当に有難うございました

 

45: 2019/09/25(水) 05:01:08.53 0

>>42
復活祭は 春夏秋冬の季節の移り変わりの 『冬(タヒ)~春(生)』と、
静寂のタヒから 春の芽吹きの変化を キリストの復活になぞらえて、
春を迎える節を 『復活』として 自然発生的にいつしか広まってた。
(キリスト教の浸透と 説話の理解が広まるのには ここがいつ?という境目はないと思う)

『復活祭の日』は春の訪れの日 としても、 困るのは教会側、
ユリウス暦の頃には キリスト教にも既に各宗派が存在していて各事情が有った、
第1ニカイア公会議 と言うのを 325年に行い、
各宗派ごとでの問題を討議して 「復活祭の時期」も合議で決めて、
公会議で 毎年決めて それで 復活祭の日が決まるように してた。

各宗派が合議出来てた頃はいいんだけど しだいに形骸的に…。

グレゴリス暦は
カソリックのローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を検討させた成果な訳で、
プロテスタントの国は承認せず 正教会も承認しないなど
ヨーロッパでも グレゴリス暦の導入時期はかなり遅れたり 今でも導入してない地域もある。

なので、
> 教会的には 復活祭(イースター)を春分の日に規定してた、

は グレゴリウス暦(選定時)での根拠であって、
グレゴリウス暦を採用してない地域もあるから絶対的根拠ではないないです。

 

54: 2019/09/25(水) 22:33:46.11 0

>>45
暦法は基本的に権威と絡んでるからね

独自の元号「大化」を導入したことや
朝廷の陰陽師が取り扱ってきた暦を
武士が改暦した事には
革命的な意味がある

個人的に常用暦は重宝してるな
4百年周期で、4百年の日数が7の倍数だから
古代中世の出来事の曜日が、エクセルで分かる

>>35
理屈で考えて、最も整然としてるけど
定規教とか、理知教とか
また別の教権支配の風情が

 

104: 2019/09/29(日) 19:07:19.51 0
>>27 >>42
復活祭の日はもともと太陰太陽暦のユダヤ暦で決まっていた。
その日を太陽暦に直すために春分の日付(3/27)と月齢を使ったということ。
実際には大人の事情でユダヤ暦とは一致しないらしいけど。

 

105: 2019/10/01(火) 02:19:16.44 0
>>104
今の1月1日が中途半端な位置にある裏側にはユダヤ暦まで遡るそういう複雑な事情があったのですか
しかも大人の事情まであってユダヤ暦とは一致しないとは (@_@;
教えて下さり、どうも有難うございました

 

9: 2019/09/19(木) 15:29:41.82 0
エジプトでナイルの氾濫を新年とする暦が作られたので
それにあわせてローマでも英語のMarchに当たるMartiusを新年としたわけだ
だけど本来11月を表すJānuāriusが扉や入口の神であるJanusにちなんでいるので
こっちの方が新年にふさわしいとされ2ヶ月ずれる事になった

 

11: 2019/09/19(木) 18:36:14.72 0
ユリウス暦で少しずつずれてゆき、
「よし、ここでこれ以上ずれない新しく計算した暦に切り替えよう」
と実施した年が現行の12月22日冬至の暦だったんじゃないの?

 

14: 2019/09/20(金) 07:31:03.86 0
>春分・夏至・秋分・冬至
赤道に近くなるほどそういうのははどうでもよくなる

 

20: 2019/09/21(土) 14:49:35.61 0
このスレに気づかなかったものですでに質問スレにも書いたのですが
大航海時代16世紀の航海士たちの一日の定義とはどういったものだったのでしょうか?

 

68: 2019/09/27(金) 20:39:04.02 0

>>20
> このスレに気づかなかったものですでに質問スレにも書いたのですが
> 大航海時代16世紀の航海士たちの一日の定義とはどういったものだったのでしょうか?

一般的ではないが、天文学での慣習では 一日の始まりを 12時の正午にしていた、
(夜中に日付が変わると 1晩での観測日付がまたがる煩雑さを回避する慣例)
海上で 正確な経度を測定するのはまだ困難で
緯度は 比較的に容易ですが星座と北極星観測する天文学的知識が必要でした、
一流の素養のある航海士は 天文学での慣習にしたがった 日付を公開日誌を書いていました。

経度が正確に判るようになるにはクロノメーターの登場を待つことになります。

太陽の角度などで(夜は星座の位置)おおよその時刻は判りましたが、精度は よくなかったようです。

時計の精度がまだ充分でなかった頃は時刻を知るのに砂時計を使う場合もあったようです。

 

111: 2019/10/03(木) 18:13:22.48 0
>>68
18世紀の帆船が太陽時を用いたとする本がありました。
ウィキの太陽時のなかの天文時ってのが正午に日付が変わるとあり
>一般的ではないが、天文学での慣習では 一日の始まりを 12時の正午にしていた、
のとおりですね。また、
>日は、正午から次の正午の間の時間である。
と「時間と時計の歴史」という本に載ってました。
アメリカ人が書いた本ですがアメリカがそうだとは聞いたことがないですね。

 

25: 2019/09/21(土) 21:50:13.92 0

エジプトの戸籍調査は14年毎という情報をみかけましたが
なんでローマは15年にしちゃったのかなぁ

エジプト式の方が都合良さそうなんですが

 

29: 2019/09/24(火) 02:30:10.10 0

古代エジプトでは ナイル川の氾濫の時期を 星座を観測して
シリウスの緯度経度で 季節の巡航を把握してたそうだから
(土地が痩せることなく ナイル川の氾濫で 栄養に富んだ土壌を定期的に得られた)

チグリス ユーフラテス河も 洪水が起きた時への建造物(ジグラット)で対応してたから、
星読みが農耕と密接に関係していたのだと思う
これらの地域だと バビロニアからの60進数で天体観測した方が正確なので、
月齢よりも 太陽の運行(星座)を観測した方が重要だったのだと思う

イスラムも航海術などは発達してたので天体観測はしてたと思うのだが(実際そうだし)
なんで 太陰暦なんだろうね 判らぬ

 

31: 2019/09/24(火) 19:50:52.30 0

>>29

イスラム歴はほとんど知らないけど
たぶんコーランかシャーリアの絡みで
使ってるだけかと思いますが
なんかおもしろいところに繋がるんだろうか

>>30

基本のとこエジプト式なんですよね
昼と夜を12分割するとこ以外は

これを何処から引っ張ってきたのかは気になりますね

 

30: 2019/09/24(火) 18:54:47.36 0

暦といえば面白いのがフランス革命暦

1年は365日で、革命政府が指定した年が別に閏年となった。
1年は12か月、すべての月は30日で、あまった5日(閏年は6日)は年の終わりに置いて休日とした。
さらに1か月を10日ずつ3つのデカード(décade。週・旬とも訳す)に分け、従来の週 (semaine) と七曜を廃止した。
1週は10日、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒とすべて十進法が使われた(十進化時間)。

 

33: 2019/09/24(火) 20:13:47.97 0
>>30
結構便利そうだな
月の日数が統一されてるのがいい

 

35: 2019/09/24(火) 22:04:20.14 0
>>33
現実は従来の暦とかけ離れてるせいで農作物の収穫時期がわからず大不評
結果すぐに元に戻った
宗教的支配からの脱却という着目点は革命らしいけどメートル法のようにメジャーにはなれなかった

 

41: 2019/09/24(火) 23:50:32.87 0

>>30>>31

共和暦とも呼ばれる。国民公会によってフランス革命中の 1793年 10月 24日に施行された暦法。
92年9月に王制廃止の宣言が出されたが,翌年国民公会は西暦を廃止し,カトリック的色彩を一掃するために,
公共教育委員長 C.ロンムに改暦をまかせた。 G.モンジュ,J.ラグランジュらの数学者,F.デグランティーヌらの文学者を含む委員会は,
原案として,以前に古代エジプト暦やペルシア暦をもとに案出されていたマレシャールの暦法 (1788) を審議し,
ほとんど変更なくそれを採用した。第1年はフランス共和国の成立した 92年9月 22日 (共和政成立の日) から始る (第1年は実際には存在しない) 。
1年を 12ヵ月,1ヵ月を 30日とし (12× 30=360日) ,年間5~6 (閏年) 日の残り (太陽暦に比べて) は,年末におき,「サン=キュロットの日」として共和政祝典の儀式にあてた。

 

44: 2019/09/25(水) 03:14:27.25 0
1年が12月なのは、一年に月がまあ大体12日満ち欠けするってことから来てるんだろうけど
なんで1月が西洋でも東洋でも冬なの?冬至でもないし

 

46: 2019/09/25(水) 05:18:50.33 0

>>44
バビロニア暦では 三月か四月の春が 一年の始まり、

古代エジプトの暦法に由来するコプト暦だと 8月から9月ごろ
ナイル川が増水する時期

古代ギリシャも 夏ごろが新年

ユリウス暦の前身のローマ暦で 1月1日を新年の始まりとしているから、
1月1日を新年の始まりとしているのは 古代ローマの流れだと思います。

 

52: 2019/09/25(水) 18:39:54.56 0

>>46
前153年の改暦の目的が
執政官を戦場に送るためだったそうな
春まで待てなかったらしいです

この現実と制度の狭間で
現実側を曲げて認識の向こう側にいくやりかた
おいら大好物ですね

 

50: 2019/09/25(水) 10:03:23.76 0
>>44
由来のJanusが始まりを表す神だったので
本来11月だったJanuariusが1月にスライドして2ヶ月ずれた

 

53: 2019/09/25(水) 19:02:18.78 0

>>44

正月と太陽冬至の差のせいかと思いますね
基本的に冬至がいちばん観測でわかり易かったからかと思いますが

三正
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E6%AD%A3

三正(さんせい)とは、中国戦国時代に唱えられた、中国暦の年始をどこに置くかについての3種類の考え方である。

夏正(かせい)・殷正(いんせい)・周正(しゅうせい)の3つを総称したものであり、夏王朝・殷王朝・周王朝における暦(夏暦・殷暦・周暦)で用いられていたと主張される。

12か月に十二支を配当したものを月建と呼び、冬の真ん中である冬至を含む月を建子の月とした。
したがって、春が建寅・建卯・建辰、夏が建巳・建午・建未、秋が建申・建酉・建戌、冬が建亥・建子・建丑の月となる。これには夏正・殷正・周正の違いはない。

夏正では建寅の月を正月とし、殷正では建丑の月を正月とし、周正では建子の月を正月とした。
年始はその月の朔日である。

 

56: 2019/09/25(水) 23:28:31.29 0

ググってたら 判りやすいサイトがあった 子供向けの解説だが要点の解説がgood

1年が約365日だと発見したのはどこの人? ★ 時のハテナにせまる!! ★ キッズタイム ★ 時と時計を楽しくまなぼう
https://www.jcwa.or.jp/kids/hatena-3-4.html

https://www.jcwa.or.jp/kids/images/illust_hatena-3-7@2x.jpg

ユリウス暦の改良ヒントは 古代エジプトの暦のから閏年の概念を導入したそうな、

ユリウス暦の導入年度は ズレまくってた誤差の修正の為、
一年の長さが400日以上になった。一年の長さで最長記録だと思うw

 

58: 2019/09/25(水) 23:41:37.46 0

古代バビロニアの バビロニア暦が 太陰太陽暦で判りにくいんだが、

古代エジプトの暦の考え方が めっちゃシンプル

https://www.jcwa.or.jp/kids/images/illust_hatena-3-8@2x.jpg

一年が 30日の月 12月で 360日+神様の祝日として 5日、
シリウスの位置が起点日、
が この方法にも問題があった、 太陽の運行からすると 1年は 365.24日ほど、
0.24日の端数があるので 4年で1日 ズレていく、
古代エジプトでは 4年に一度 閏年に 1日加えて修正することにした。
この考えがナイスだったので カエサルがユリウス暦として導入した。

 

60: 2019/09/26(木) 00:14:59.02 0

ヌマ暦 めっちゃ適当やなw 太陰暦なのに 29日 31日が周期的に出てる、

太陰暦なら 月齢(約29.5日)に合わせる為、 小の月 29日 大の月30を交互に出して、
月の運行に合わせて 各月を運行するのに
『偶数が嫌い』って言う理由で 29日や31日で布陣、まぁでも 後世に影響残してるなぁw

これは勉強になるわぁw 中国の暦の歴史よりか面白いwww

 

65: 2019/09/27(金) 02:19:59.81 0

気になっていて調べてみたいことをメモ

【春分、秋分について】
①春分、秋分の日の昼夜の長さが等しいとわかったのは何時か
②その記録が文章に記載された初出はなにか
③それを考えるにあたってどういう仮定や前提を必要としたか

【冬至、夏至について】
④冬至、夏至のどちらかのみを記録や予想していた文明はあったか
⑤北回帰線と南回帰線の間を発祥とする文明において冬至、夏至がどのように扱われていたか(特に夏至)
⑥古代極地方において白夜と極夜は天文現象と絡めてどのように認識されたか

あと歴史上の日時計の取り扱いや
実際の運用がどのように行われたか
いいサイトがないか探したいところですね

 

66: 2019/09/27(金) 03:29:40.29 0

>>65
春分や秋分とかにこだわるのは あんまり意味がないと思うよ。
黄道座標系で太陽の位置(実際には地球の公転の位置)で
『一年』を古代のひとが発見したのだと思うし、
円周を360度と考えて 分割して考えた結果だと思いますがね。
(この意味では 60進数を考え出した バビロニアのひとは凄い)

地球を測定したひと
エラトステネス(BC276~194)は 当時のエジプトの首都アレクサンドリアの博物館の館長でしたが、
夏至の日に エジプトのシエネの町の井戸が 井戸の底まで太陽の光が届くことから、
これに着想して
アレクサンドリアでの 夏至の正午に 太陽陽がさす角度を求めて、
シエネの町からアレクサンドリアの距離から 地球の球体の大きさを計算しました。
(本筋ではないで 詳細には書きません)

夏至や冬至を知ってる古代人が 春分や秋分を知らないとするのはおかしい訳で、
現代に通じる定義をどのように定めたのかになりますから、
天文学(暦の作成)などの歴史になると思います。
天文観測機器はなかなか発達しなかったので 正確な定義はかなり後代だと思います。

 

69: 2019/09/27(金) 23:44:37.56 0

>>66
ふむぅ、、、、

天文観測の装置の精度があがったとして
どうやったら昼夜の時間が等しいと確かめることができるんでしょうか

エラトステネスさんのやつも太陽が点として見えてるのに
どういう理由から角度の差だけで求めることができるとしたんだろうか、、、

おいらのオツムが弱すぎるせいで
疑問だらけでございますww

 

70: 2019/09/28(土) 00:03:07.87 0

>>69

このサイトによるとエラトステネスさんの中の人は
次の順番で論証を進めていましたね

http://james.3zoku.com/kojintekina.com/physics/physics090501.html

1.地球の大きさを測る
2.月の大きさを測る
3.月までの距離を測る
4.太陽までの距離を測る
5.太陽の大きさを測る

これは途中までで循環している気がしますが
ほんとにそうだったのかなぁ

 

78: 2019/09/29(日) 04:01:09.95 0

>>65
> 気になっていて調べてみたいことをメモ
> 【春分、秋分について】
> ①春分、秋分の日の昼夜の長さが等しいとわかったのは何時か

>>69

> どうやったら昼夜の時間が等しいと確かめることができるんでしょうか

ウルムル氏の考察の前提事項が間違ってます。
よく 『昼の長さと夜の長さが等しくなるとされる日』とマスコミも言っていますが、

https://i.imgur.com/YNAEDlZ.png

実際には
春分の日は 「昼の長さと夜の長さが『ほぼ』等しくなるとされる日」です 逆ではありません
「昼の長さと夜の長さが 等しくなるとされる日」が春分(秋分)では ありません。

昼の長さと夜の長さは 『ほぼ そうなるであろう』と されてきましたが 実際には違います。
(検索すれば なぜ違うのか 色々説明が出てきます)

 

80: 2019/09/29(日) 10:54:52.31 0

>>78>>79

ふむぅ、、、

そしたら天体観測から昼夜の時間は
絶対にわからないという結論でよろしいのでしょうか?

いまはマスコミが言ってるとして、それを言い始めたのは誰なんだろうか、、、

ちなみにおいらとしましては③で実際に検証可能と考えております。

 

83: 2019/09/29(日) 11:51:27.67 0

>>80
春分・秋分・夏至・冬至などの二十四節気は、
太陰暦とは別に 1年を春夏秋冬に4等分して
更に 12等分や24等分にして区分する方法が考えられた。
中国の春秋戦国時代に考えられた区分法らしいが
その当時に正確な一年の日数は判らなかったし 区分法としては 四季を細分化する手法。
旧暦(中国・日本の太陰暦)では 特定の日にはならず 毎回変わる。

春分などの定義は 天球黄道面 360度を24等分して
天の赤道と 黄道が交わる点を 0度として そこを黄経 0度として、
黄経0度の点に 太陽が位置する瞬間を 『春分』と 天文学的には定められています。
(270度過ぎた点が 冬至、 90度以前の日とも 言える)

https://i.imgur.com/9QUjYPx.png

「春分の日」で ググれば 明確な日時は すぐ出てきますが、
春分の訪れる時間と 暦での「春分の日」は 春分のは6時間ごとズレていき
最大で 18時間ずれますし その「春分の日」でも
大気の歪み や 理想的な地平線の有無でも 昼と夜が等しい日にはなりません。

ですから 上記の 「黄道面での 黄経0度の点 ~」と言う難しい定義よりも
「昼の長さと夜の長さが『ほぼ』等しくなるとされる日」と いう それっぽい説明の方が判りやすいので
説明でよく使われるだけで、
「昼の長さ 夜の長さ」と言うのは厳密な定義とは無関係です。

 

85: 2019/09/29(日) 12:15:46.41 0

>>80
> そしたら天体観測から昼夜の時間は
> 絶対にわからないという結論でよろしいのでしょうか?

時計の無い時代では 推論は出来ても 実際の観測値で実証ができない、
グレゴリオ暦の時代(16世紀)には もうすでに 『昼長さ 夜の長さ』と言う定義ではなくなっている、
(ユリウス暦の時代に 『春分点』と言う 天球での黄道面での位置に定義が変わっている)

ですから、
古代では 『昼夜の時間の長さは 計測機器がないので不可能』
計測機器の登場した時代には もう定義じたいが変わっていたので そういう考え方は捨て置かれた。
というのが実情だと思います。

 

87: 2019/09/29(日) 12:50:43.89 0

>>84>>85

時計の発明を待たねばならない
のではないかというのは
おいらの推定でも同じなのですが

古代から時計自体は発明されておりましたので
幾つかの仮定をおけば
昼夜の長さが同じになることは推論できると思いますね。

おいらがずっと思ってるのは
『昼長さ 夜の長さ』と言う定義がされたこと自体が
一度もなかったのではないかという推測と
おそらく地動説が広まって以降で
ある意味で近代的な『昼長さ 夜の長さ』という説明を始めた人がいて
その人がどういう人たちだったのかが知りたいということですね

だから>>85に関しては全く逆の発想です

 

88: 2019/09/29(日) 13:13:41.37 0

>>87
ですから それはウルムル氏の個人的な考え方であって、
歴史的にどうであったか と言う史実での記録を示さないと 単なる個人の推論でしょう?
少なくとも自身の推論を推し進めるのならば ご自身が歴史的根拠を示すべきだと思います。

私は他の方が調べても判るように歴史的な推移や定義などを書いています。

>古代から時計自体は発明されておりましたので
>幾つかの仮定をおけば
>昼夜の長さが同じになることは推論できると思いますね。

ここは歴史板ですので 貴方の推論の場所ではありません。

○○の時代の××では昼と夜の長さを水時計を用いて記録して示した、
などの歴史的な事例などを示しつつ 持論を展開すべきです。
そうでなければ 単なる個人的な疑問の列挙ですので 質問スレに書くべきだと思います

 

91: 2019/09/29(日) 13:57:16.10 0

>>88
ウィキペディア先生によりますと

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%E8%A8%E3%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
紀元前3500年から紀元前500年頃

1日の時刻の測定に使われた初めての時計は日時計だった[10]。
最も古いタイプの日時計は古代エジプトで作られており、緑色片岩を加工したものだった。
紀元前3500年頃に作られたオベリスク(方尖塔)もまた日時計の役割も果たしていた。
パリのコンコルド広場にあるルクソール神殿から移設したオベリスク

エジプトでは日中を10に分けていた。オベリスクはそれに合わせて作られており、
エジプトの人々は午前と午後を、あるいは季節を読み取ることができた。
紀元前1500年頃には日時計の影を作る部分がT字型になり、その形の歪で時刻の補正ができるようになった[14]。

ただし、形をどれだけ工夫しても、日時計は曇りや夜など太陽が見えていない時には使えない。
そこでエジプト人は、水時計、砂時計、天体図などを使って時刻を知ろうとした。
水時計に関して残っている最も古い文献資料は、紀元前16世紀のアメンエムハト(Amenemhet) の墓碑銘で、
この内容から彼が水時計の一つを発明したと考えられている[16]。
いろいろな水時計が考案されており、中には非常に複雑な構造のものもあった。
その一つは容器の底に小さな穴が開けられたもので、水面の高さから時間変化を読み取ることができた。
有名なのは古代エジプト第18王朝の第2代ファラオ、アメンホテプ1世(1525-1504 BC)の墓で見つかったもので、
おそらくこれが古代エジプトで初めて作られた水時計である。

砂時計も古代エジプトで発明されたものと考えられており、その原理は今のものと同じ、2つの容器を細い管でつないだものであった。
水時計と砂時計の大きな違いは、水時計は流れる水の速度が水面が低くなるにつれて次第に遅くなるのに対し、
砂時計はほぼ一定速度で砂が落ちることである。
この砂時計は逆さにすれば再び時を測ることができるものであった[15]。
このほか、星を観察しての時刻測定も行われた。
たとえばメルケット (merkhet) と呼ばれる鉛直線を求める装置や、紀元前600年頃になると北極星から南北線を見つける装置を使って、
鉛直線や南北線と星との位置関係から時刻を割り出すようになった。

 

92: 2019/09/29(日) 14:10:48.38 0

>>90

>>91の説明だけでも
太陽の変位置、星の変位置
それとは別の時計がありますので

昼と夜が同じ現象の別の側面であることを推察できれば
古代でも特定の日に昼夜の長さが等しくなるというのは
じゅうぶんに認識可能ですね。
ほとんど飛躍はないかと思います。

>>79でいうような
日の出入りの時刻を観察する必要はそもそもないので
そこに上がっている

日の出と日の入りの定義
大気の屈折率

この二つは基本的に考慮する必要すらないですね

 

93: 2019/09/29(日) 14:22:34.36 0

あなたが >>65

> 【春分、秋分について】
> ①春分、秋分の日の昼夜の長さが等しいとわかったのは何時か

こう書いているので、実際にはそうでないですよ。
今の 「春分」の定義はこうですよ
また、春分は 「昼の長さと夜の長さが等しくなるとされる日」ではありません、
実際の観測では こういう理由で 昼の方が長くなる との説明です。

>>92

> >>79でいうような
> 日の出入りの時刻を観察する必要はそもそもないので
> そこに上がっている
> 日の出と日の入りの定義
> 大気の屈折率
> この二つは基本的に考慮する必要すらないですね

それに対して こういう風に書くのはアンフェアではないですか?
不愉快です

 

96: 2019/09/29(日) 15:16:46.76 0

>>93>>94>>95

アンフェアという意味がよくわかりませんが
おいらは>>65を書くにあたって
そもそも時刻という言葉をあえて避けて書いたので
時刻に固執されると困ってしまいますね

まずもって調べてみたいことを書いているのに

>またどのように測定されたのか史実で述べて欲しいです。
>歴史の痕跡や 歴史上でだれが述べたとか観測したとか そういう史実を示すべきです、
>などの歴史的な事例などを示しつつ 持論を展開すべきです。

ここらへんのご意見をいただいても非常に困るのですがww

 

95: 2019/09/29(日) 14:48:09.98 0

>>91
日時計は 6000年前ぐらいから使われていますが、分単位での時刻は正確には示せません、
また 季節によって 日の長さ 陽の高さが変動しますので、
日時計での時刻は 基本的に 不定時法になります。
日の出から 日の入りを 12等分すれば 夏は 1刻が長く、冬は 1刻が短くなります。

季節によっての時刻の変動を修正する日時計が考案されたのはアラビアです
(いつの時代であったのかど忘れしました 調べ直してきます)

日時計では ほぼ正確な正午が判りますが 夜の正子(0:00)が判りません、
ですから 正子(0:00)が判るようになるのは 機械時計の発明を待たねばなりませんでした。

正確に分単位の測定が出来るようになるのは機械時計の誕生を待たねばなりませんでした。

ウムウル氏の言う 古代での昼と夜の長さの測定は誰がやったのか、
またどのように測定されたのか史実で述べて欲しいです。

 

90: 2019/09/29(日) 13:52:05.34 0

>>87
> 時計の発明を待たねばならない
> のではないかというのは
> おいらの推定でも同じなのですが
> 古代から時計自体は発明されておりましたので
> 幾つかの仮定をおけば
> 昼夜の長さが同じになることは推論できると思いますね。

古代における時計って水時計とか砂時計とかでしょう?(線香とかもありますが)
それに 時間や時刻の定義は各文明でまちまちで
昔の江戸時代だと 不定時法 季節によって 1刻の長さが変化してます。

定時法が定まったのはかなり後代、
定時法の考え方の源流は古代にもあったが その頃には 1時間などの定義がなかった。

> 幾つかの仮定をおけば
> 昼夜の長さが同じになることは推論できると思いますね。

これを持論で展開するのならば、
歴史の痕跡や 歴史上でだれが述べたとか観測したとか そういう史実を示すべきです、
そうでないとコンセンサス(意見の合意)は得られ難いと思います。

 

84: 2019/09/29(日) 12:06:46.93 0

>>69
> 天文観測の装置の精度があがったとして
> どうやったら昼夜の時間が等しいと確かめることができるんでしょうか

昼と夜の時間の長さを測定するのに 時計の発明を待たないとダメでしょう、
16世紀以降の振り子時計の登場と、
グリニッジ天文台からの グリニッジ平均時、
場所の 緯度経度 (測定する場所の正確な位置) 正確な暦

ウルムル氏が言う 昼夜の時間を正確に測るには これらの要素が必要、
特に 時計の無い時代では 測定出来ないので 推論から実証ができない。

 

86: 2019/09/29(日) 12:38:53.42 0

>>65
> 冬至、夏至のどちらかのみを記録や予想していた文明はあったか

冬至を天体観測での起点日にしてる文明の方が多いような気がします。

古代中国では 冬至を重要視してますね、ただし暦は太陰暦でしたので、
暦上での冬至が変動してましたので 天文学以外で実生活に影響してたのかはよく判りません。

古代文明などの遺跡から考察すると、
冬至 夏至 春分 秋分などの予測はしていたみたいです。
ピラミッドはシリウスの見える方角と角度 (夏至から3か月ほど後)の時期を
みる観測義とも言われていますし、
ストーンヘンジも天文観測装置ではないかととの説があります。(でも結論がいまだ不明)

 

89: 2019/09/29(日) 13:34:59.43 0

正しくは ウムウル氏ですね コテハン名間違えてすみませんでした。

>>65 ですが 興味深い点と 的外れな点が混在してます。
いつであるのか と疑問に思うのでしたら もう少し自分で調べて欲しかった。

> ③それを考えるにあたってどういう仮定や前提を必要としたか

仮定や前提を必要としたか と言う書き方よりか
『古代ギリシャの○○は ××~と述べ ◎◎の考え方が以後広まった』と言う風な
歴史の流れで ご自身が展開して欲しかった。歴史板ですので

> ④冬至、夏至のどちらかのみを記録や予想していた文明はあったか

冬至の方が 北極星が天球の極点として 認識されやすかったので、
北の星座や 北極星の位置で観測基準になりやすかったのではないかと思います。
あと 冬は農閑期などですので、新年の区切りになりやすい、

 

115: 2019/10/04(金) 20:53:43.96 0

>>65

主にマヤの方の認識が気になっておりましたが
やはり嬉しいことがありました
そして新たな疑問がわきました

冬というのはどういうものなのだろうか?

エルサルバドルのマヤ族、世界の夏至祭
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4468/

中米エルサルバドルにある古代マヤ文明遺跡タスマルで、6月21日の夏至を前に祈祷するマヤ族の人々(6月19日撮影)。
祭司のホセ・エレネスト・カンポス(Jose Erenesto Campos)さんによると、
母なる地球のエネルギーバランスが保たれ、豊作が訪れるように、マヤ族は毎年夏至の日に儀式を行う習慣があるという。

ただし、熱帯に位置するエルサルバドルでは6月の至日(しじつ)を“冬至”と呼ぶ。
5月から10月にかけて雨季を迎え、現地の人々は冬と見なしているからだ。

隣国のグアテマラでは最近、長らく地中に埋もれていた古代マヤの都市から天文台の遺構が発見された。
遺跡の建物は、年2回の至日の太陽と一直線に並ぶように配置されている。
当日は都市の住民が天文台に集まり、天に命を下す王を見守ったと考えられている。

 

117: 2019/10/05(土) 02:40:59.63 0

>>115
それ マヤ暦で夏至を観測してたんじゃなくて、
単に現代のマヤ族が 現代の暦で夏至祝ってるJだけだろ…

マヤ文明は統一的な国家ではなく各都市群ごとに独自の文化を持ち、
段階的に滅んだ、
スペイン人の侵入もあり 重要な文化の語り部の大半が焼失した。

碑文(遺跡の刻まれている僅かな絵文字のようなもの)文字と言えるような言えないようなもの
口伝による民族の語り部(ほとんどが失われたらしい)

具体的なマヤ暦での夏至の求め方が判ってないのに、
マヤ文明が古代から夏至を祝っていたような錯誤するような書き込みはよくないですよ

 

67: 2019/09/27(金) 04:01:32.67 0

中国の暦だと

冬至を起点にしてて 冬至を迎えてから 次の朔(三日月)を新年にしてた、
夏正・殷正・周正があるが 春秋時代-秦-漢 改暦などがあるので
まぁそこは深く調べなくてもいいと思う

旧暦では 冬至は 10月前後
太陽黄経が270度のときで グレゴリウス暦で 12月22日ごろ、
旧暦の新年が グレゴリウス暦で 1/20頃 (閏月などで変わる)なので
暦の修正には冬至の観測の時期が便利そうではある。

二十四節気は 中国の春秋戦国時代の頃に考案されたそうだが、
太陰暦の季節からとは無関係だから 暦にどの程度重要視されてたのかは不明。

 

72: 2019/09/28(土) 13:56:27.84 0
西暦をやたら持ち上げ、全世界これで統一すべきだ、と主張している人は
「紀元前」記数の不合理をどう考えているのだろうか。
紀元前何年などと逆走せず、ローマ紀元やエジプト紀元などで前は数えよう
とは思わなかったのだろうか。

 

75: 2019/09/28(土) 18:55:50.51 0

>>72
エジプト紀元って
ソティス周期のやつですかね?

これを起年とする暦ってあったのでしょうか
なんとなくサイクルの気がしてますが

>ソティス周期
紀元139年にこの一致をみたので、逆算すると、紀元前4241年、または、紀元前2781年にソティス暦(太陽暦)は始まったと考えられている。

 

74: 2019/09/28(土) 15:05:06.41 0

正教の世界創造紀元
今年は7528年
これだけ長かったら紀元前を使う必要ほとんど無いで

ユダヤの宇宙創世紀元も今年は5780年やから紀元前を使う必要ほとんど無いのは同じ

 

76: 2019/09/29(日) 00:35:32.22 0

普通の暦だと、紀元前と紀元後の計算は面倒になる。

紀元前5年から紀元後6年までの年数は… 6-(-5)-1 = 10年間になる
何とも-1が邪魔だ。

ところが、インドの暦は紀元0年から始まる。だから
紀元前5年から紀元後6年までの年数は… 6-(-5) = 11年間になる
合理的だ!

 

77: 2019/09/29(日) 02:04:51.98 0
インドの暦は何を紀元にしてるの?

 

81: 2019/09/29(日) 11:13:55.15 0

>>77>>76

どうもサカ暦の紀元前1年を紀元にしてるような気がします

おいらの記憶だと勝った記念と追い払った記念だったのですが
両方ともよくわからんらしいですね

 

82: 2019/09/29(日) 11:18:46.39 0

>>81
失礼いたしました

インド国定暦はサカ紀元と一緒になってますね

 

79: 2019/09/29(日) 04:57:19.03 0

春分の日の
日の長さは 実際には 『12時間と 7分ほど』
夜の長さは 『11時間と 53分ほど』になります。昼の方が やや長くなる

日の出が 太陽の中心点ではなく 太陽の極端(端っこが出た瞬間)、
日の入りが 太陽の中心点ではなく 太陽の極端(完全に沈み込んだ状態)になりますので
太陽は 点ではなく 見かけ上の大きさがあるので 太陽の大きさによる観測誤差、と

地球には大気がありますので、大気の屈折率により、
地平線よりも 数度上に 地平線際のものは実際よりかは見えます。

ですので、「昼の長さと夜の長さが『ほぼ』等しくなるとされる日」説明されています、が
昼の長さと夜の長さと言うのは 説明上での要点にすぎず、
現実上での定義ではありません。

 

94: 2019/09/29(日) 14:25:29.67 0

ご自分が 『昼の長さ と 夜の長さが等しい日』とか書いておきながら
『日の出入りの時刻を観察する必要はそもそもないので』とか 矛盾してませんか?

日の出と日の入りを観測しないのならば 貴方の考え方は無意味です。破綻しています。

 

98: 2019/09/29(日) 15:41:13.54 0

春分、秋分について

春分、秋分の日の昼夜の長さが等しいくないのが現在では判っている、
(実際には昼の方が少し長い)
また 昼の長さ 夜の長さなどで 春分の日は決められていない

 

99: 2019/09/29(日) 15:56:09.72 0

時刻の正確さが判らなければ、『日の出の時刻』 『日の入りの時刻』も記録できないし、

>春分、秋分の日の昼夜の長さが等しいとわかったのは何時か

昼夜の長さが等しいと言う事が観測できません

>日の出入りの時刻を観察する必要はそもそもないので

日の出 日の入りの時刻を記録しないと意味ないと思いますが。
正確な測定具 クロノメータとかの登場を待つと思いますが
この時代では 時刻も記録しいると思います。

 

107: 2019/10/01(火) 11:12:05.54 0
暦といえばマヤが有名だが
マヤ暦って実際どれくらいのレベルなんだ?
同時代の西洋(地中海)や中国より進んでいたのか?

 

108: 2019/10/02(水) 09:30:10.18 0

>>107
> マヤ暦って実際どれくらいのレベルなんだ?
> 同時代の西洋(地中海)や中国より進んでいたのか?

天文学で言うなら
星や星座の観測や記録とかは圧倒的に西洋(ギリシャ・エジプト・バビロニア)の方が格段に上。
バビロニアの60進数の考えかたが 古代エジプトに伝わり、
エジプトの文化はギリシャにも伝わった。
60進数の考えかたは分数を示すのに判りやすく、
( 6/60= 1/10= 0.1などのように分数や小数点以下の値を記すのと約分などの計算がしやすかった)
天文学や占星術など 星や星座の位置を示す角度の単位(分 秒)など
中世以降までギリシャやバビロニアの記述法が支配的になってた。

マヤ暦は文字での記録が圧倒的に少なく他の文明にほとんど影響を与えていない。

 

114: 2019/10/04(金) 20:29:53.98 0

なんでこんなに特定の時代に集中するのかしら、、、
全地球的な共時性を感じますね

>>107

長期暦

長期暦(ちょうきれき、英: Long Count, 西: cuenta larga)とはメソアメリカ文明でおそくとも紀元前1世紀頃から使用されはじめた暦である。
周期が非常に長いために、実質上循環しない暦として利用できる。碑文に長期暦が記されている場合にはその絶対年代を知ることができるために重要である。
マヤ諸都市の石碑に刻まれていたことでひろく知られるようになったためにマヤ暦とされることもあるが、
マヤ以外の土地で古くから使われており、マヤ文明に起源するわけではない。

起源及び最古の資料

長期暦の最も古い資料は7バクトゥンを表すもので(cycle7の資料と呼ばれる)、
7バクトゥンのはじまる紀元前354年頃から紀元前30年くらいの時期にcycle7の資料が集中する付近に住む
チャパス州北部とタバスコ州に住む先住民ソケーやオアハカ州北東部に住む先住民ミヘーの人々によって発明されたと推察されている。
ラ・モハーラやトゥシュトラの小像に刻まれている碑文や銘文がかれらの言語を当てはめると解読できると主張する学者もいるからである(ラ・モハラの文字を参照)。

 

116: 2019/10/04(金) 23:34:44.14 0

>>107

方角に色がついてるのが
そっくりでおもしろいですね

東→赤
南→黄
西→黒
北→白
中→青・緑

マヤ文明の起源は200年古かった – 日本人研究者らが定説を覆す大きな発見
https://news.mynavi.jp/article/20130430-mayan_civilization/

「グアテマラ共和国セイバル遺跡の初期祭祀(さいし)建築群とマヤ低地におけるマヤ文明の起源」(発表論文のタイトルの邦訳)と題した発表が行われた。

その結果、自然の地盤の上に先古典期中期の前半(紀元前1000年~紀元前700年)の紀元前1000年頃に建造された中央広場(画像25)と、
その東と西に面する公共祭祀建築(画像26)の基壇が出土した(画像27・28)。
さらに、セイバル最大の神殿ピラミッドを頂く大基壇の発掘調査によって(画像29・30)、
先古典期中期の前半に建造された幅が34mを超える大きな基壇が検出された。

夏至→春分・秋分→冬至

この矢印の間にさらに幾つかの構造物がみえますが、なにかの役割があるのでしょうか
交点をピラミッドの階段の途中で結んでいるのも気になる部分ではあります

 

120: 2019/10/06(日) 14:33:15.58 0
南西諸島・北海道以外の日本列島だったら夏至は梅雨の真っ最中
曇ってて当然

 

130: 2019/10/08(火) 16:42:26.77 0

建物の階数でも英国式が合理的。グランドフロアーがあってそれを0階と解釈すれば、計算が楽。

日本やアメリカ式だと

地下5階から地上3階までの階数は  3-(-5)-1=7 階だ。
-1がなんとも気になる。

ところが、英国式だと

地下5階から地上3階までの階数は  3-(-5)=8 階となって合理的。

 

131: 2019/10/08(火) 16:46:55.84 0
満年齢だと人間は0スタートなので、20から20代だが
暦は1スタートなので91年から90年代 90年は80年代

 

136: 2019/10/22(火) 06:21:00.88 0

暦は赤字にも赤丸にもなっていない今日22日は、緊急祝日。
しっくりこない。

けど、休まない会社、多そうだなー・・・

 

引用元: http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1568548319/