【考古学】出土した「サビの塊」を9ヶ月磨いたら2000年前の古代ローマ戦士の「銀」の短剣だった
→ドイツの遺跡で、古代ローマ戦士が使用した2000年以上前の「短剣」が発見される
→当時、武具が遺体とともに埋葬されることはなかったため、今回の発見は貴重なもの
ドイツの考古学研究チーム・Westphalie Departmentにより、約2000年前の古代ローマ戦士が使った「短剣」が発見されました。
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短剣が見つかったのは、紀元9年にゲルマン諸部族との戦いで命を落としたと思われるローマ人兵士の墓地内です。
研究主任のべティナ・トレンメル氏は「古代ローマ戦士の遺体は、通常、生前に使用していた武具を一緒に埋葬しないことで知られていました。そのため、今回の発見は異例です」と話しています。
発見当初、短剣はひどく錆びついた状態にあり、単なる「錆の塊」と思われていました。しかし、9ヶ月におよぶ錆の除去・研磨作業の末、豪華に装飾された見事な銀の短剣へと復元されたのです。
■「錆の塊」は2000年前の短剣
短剣自体は、2019年4月、当時インターンとして発掘に参加していた学生のニコ・カルマンさん(19)によって発見されていました。
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ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州にある遺跡「ハルターン・アム・ゼー」で、錆に覆われた短剣と鞘、ベルトが同時に発掘されました。
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ハルターン遺跡は、紀元前27年〜紀元後14年のアウグストゥス統治下の時代において、ローマ人兵士とその家族の駐屯地として使用されていました。
1900年の発見以来、同地では考古学的な発掘調査が進められています。
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しかし、トレンメル氏によると、同地に駐屯したローマ兵士たちは不運な運命をたどったようです。
紀元9年に、ローマ人とゲルマン諸部族との間で、大規模な戦争(トイトブルク森の戦い)が勃発しました。
当時、三個のローマ軍(一個5000人)を率いた将軍かつ政治家のウァルスは惨敗を喫し、軍はほぼ全滅。もちろん、この中にハルターンに駐屯した兵士たちもいました。
今回発見された短剣は、その際に命を落とした兵士のものと考えられます。
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ローマ人たちがハルターンに駐屯したのはわずか15年ほどで、また、武具が遺体とともに埋葬されない習慣から、こうした短剣が見つかることは極めて稀です。
修復の結果、短剣や鞘、ベルトの全貌が明らかになっています。
鉄製の刃は、持ち手近くでくびれており、中央で幅広く、その先は鋭利に尖っていました。
鞘は赤色のガラスや銀、エナメルなどで豪華に装飾されています。両側には4つのリングが付いていますが、これはベルトとつなぐための留め具です。
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短剣は、軍の歩兵や将校が常に身につけていましたが、実際の戦闘で主に使われる武器ではなく、長剣や槍が紛失したり損傷した際に、予備として所持されていたものです。
また、武具の紛失に対する罰則は非常に厳しかったため、各々が厳重に保管していたことが知られています。
結局のところ、なぜこの短剣が兵士とともに墓地に埋葬されたのかは分かっていません。この兵士に何か特別な理由があって、武器の埋葬を許されたのかもしれませんね。
銀の探検って・・・ウェアウルフかシェイプシフターを狩ってたのかな
この頃の銀ってかなり高価だろ。数年分の年収くらいじゃね?
Ag が錆る・・・?
誤解される良くない記事タイトルだね
記事を読みすすめると銀(色)の短剣であって鉄製だとさ
銀すげーな
研究員の中に優れた彫刻家が紛れ込んでいたのでは?
あまりデザインはよくないね
え?
どう見ても良いよ
宝石じゃなく赤色ガラスと黒のエナメルとか凄く良い
2000年前にも中二病っていたんだな。。。
カッコいいね。
紀元7年、、、イエス・キリストが7歳の時か?
イエスの生年は紀元前7年 – 紀元前4年頃とされている。
wikiより
磨いたら短剣だったのなら、元は「サビの塊」でなく
「さびた小さな塊」だったんじゃなかろうか。
9ヶ月も磨く根気に対しては研究者の人を尊敬するわ。
俺なら3ヶ月がいいとこ。
…科学ニュースに相応しくないコメントですまぬ。
3ヶ月でもすごいよ
プレイしたなぁ~
(実はキリスト教ではなかった
過去に兵舎のあった場所なら、ほぼほぼ間違いないんでないかな
宝剣の類じゃないのか、太陽の短剣
たくさん出てくる
武士の刀
槍も
兜もでるな
川中島も
関ヶ原を掘ると川中島が出てくるのかと・・・
はぁ・・・ふつくしい・・・
武器に柔らかい銀を使うとは思えないから宗教的儀式用か?
とか思ったけど刃は鉄って書いてあるじゃん・・・
誰だよ銀の短剣とか言ってるの
映画とかでもスパイとか暗○者が肉弾戦になった時にナイフを独特の持ち方で構えて倒すみたいな
>>32
五指剣と形は似てるけど、刃の部分に折れないように
溝を掘ってるんだよ(刺突後ベキーンと折れないようになってる
これはちょっと違うっぽいすな
ただ形は似てる、ローマの刺突ナイフだなぁと分かる
オルドス式短剣・燕山地方式短剣
鋳型に彫られた短剣は柄頭にある双環など中国の春秋戦国時代
(紀元前770~紀元前221年)のオルドス式と似た特徴がある。
協会によると、上御殿遺跡は日本海まで約30キロと近いことから、
九州を経由せず、日本海を通じて大陸と交流した可能性があるという。
http://doutaku.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/01/29/photo_13.jpg
滋賀県高島市・上御殿遺跡 双環柄頭短剣の鋳型出土
http://doutaku.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/01/29/photo_11.jpg
銀に赤いガラスと黒のエナメル華やかでシブい
2000年も前にこれを作った職人凄すぎる
技術力も美意識も高い
刺したときに血が流れ出すようにするため、とか
刺した刃を引き抜きやすくするため、などと聞いたことがある。
日本刀はそんなことないってことなんかな
は?
日本刀にも無論あるぞ
樋っていう凹みは日本刀の特徴
バイキングの剣だっけか
この短剣と同レベルの品を作れと言われて、作れる人間が何人居るんだろう。
>>59
今いきなり鉱物渡されて作れって言われたって無理だが、
そんなの当時のローマ人だってそうだよw
みんなで役割分担して、一人一人に必要な訓練を施せば今の人間でもできる
TOKIOだって似たようなことやってんだろ
お前はお前が思っている以上にすごい存在なんだぞ
今の日本人が縄文式土器を作れんのかと憤慨していた岡本太郎みたいな物言いだな。
厚手の手袋とかするだろうしこんなものでは
柄の真ん中の突起した部分は滑り止めかな?
なるほど手袋忘れてた
日本刀でも柄の真ん中に目貫って金具を付けて握りやすくするね。
ハンドルには革紐を巻いてたんじゃないかな。
腐って跡形もなくなってるけど。
でも現実の物なんだねぇ
素晴らしい
電気によるサビ落としからのサンドブラストで完璧????
X線CTのような装置で、きちんとしたデーターをとった後で
ないと、もったいない。
銀食器とか黒く錆びるぜ
多分、この場合の被葬者は貴族出身者で短剣は私物だったんだろう
引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1583480860/
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