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後漢王朝が生き残って三国志の時代にならないようにするにはどうすれば良かった????

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1: 2007/03/26(月) 16:31:02 ID:ee07ze5/0
 黄巾の乱の後、後漢王朝最後の皇帝となってしまった劉協。

彼はどうすれば、後漢王朝を滅亡の淵から救い上げて、三国時代の到来を阻止し、
中興の祖となることができたでしょうか?

274: 2010/12/25(土) 23:55:23 ID:p5JkHiSV0
>>1
劉協は、生き延びて、山陽公として封じられ、
準皇帝みたいな立場で、
西晋時代まで数代子孫が続いてるし、子孫も沢山残してるじゃん。
いつかは奪回する気満々だったと思う。
系図上は、日本にも子孫が沢山いるはず。天皇家にもちょっと入ってるし。
298: 2015/04/14(火) 00:04:59.18 ID:FDe7bHtIO
>>1
足利義輝みたいに剣学んで、少なくとも自分の身を護るか一矢報いるくらいあれば伝説になった。
やることは翻弄されて暗○ばっかだし
305: 2021/04/26(月) 08:08:46.48 ID:QUzGOJoS0
>>1
彼では手遅れ
何進が董卓を呼ばなければ、あるいは宮中に行かずに暗○されなければしかない
3: 2007/03/26(月) 18:47:51 ID:rp498KJm0

匈奴の単于の下に逃げ込み、機会を待つ
4: 2007/03/26(月) 19:19:43 ID:5cetSgf/0
宦官の専横を許した時点で滅亡まっしぐら。
5: 2007/03/26(月) 20:26:55 ID:8Prhfo0Y0
マジレスするなら、章帝以降の皇帝が揃って若タヒにしたせいで、本来なら
代を追って強化されるべき帝権が弱いままだったのが、衰退の大きな理由だと
思う。
「皇帝が若タヒに→必然的に次代は幼主」
になったために、皇太后による臨朝称制が常態化しちゃった(=政治が
外戚に左右されてしまう、代替わりのたびに政権抗争が起こってしまう)
わけだから。
特に問題だったのが、安帝時代の鄧太后ですかね?
「自分は女だから、士人(男)を近づけると倫理上まずい」
ことを理由に、中常侍を宦官から登用しだしたのが、宦官専横の原因に…。

…結局、後漢末の混乱って、宿痾化した負の積み重ねが招いたものであって、
どうあがいても不可避だったと思うのですよ。
それこそ、チンギス・カァン(ハーンと言うと杉山がブチ切れるらしい)が
この時代に降臨したとしても、天下再統一は不可能でしょう。

23: 2007/04/22(日) 12:52:11 ID:KtebAxSG0
>>5
>>11
>>22
なにか、こういう考えにも一面的というような違和感を感じる。
漢王朝に忠誠を誓っている家臣もいたし、
(今の日本の天皇家にも忠誠を感じている人がいるのに)
また、漢王朝が存続した方が利益が多いと思う豪族や名士、外戚もいたのだから、
献帝や劉虞の方が少なくとも劉備や呂布よりは出発点は好条件だし、
彼らがチンギス・カァン並の才能を持っていたも、存続は不可能と思えるほど、
状況は悪いかな。トップに立つ個人の持つ力量を軽視し過ぎじゃないか。
本人じゃないとはいえ、光武帝は再興しているし。
劉備も本人が帝位につくと抵抗があるから、実権だけ握ることにする可能性の方が高いと思う
一応、一族と認められているので王位につくことも抵抗ないし、
献帝の方から誅○を試みて、廃位される危険をおかすことはないかも知れない
禅譲は曹丕がやったから先例となり、そのまま踏襲されただけで
ここで漢王朝が続いたら五胡の襲来、ひょっとしたら、モンゴルの襲来まで
続いたかも知れないよ
8: 2007/03/27(火) 23:03:24 ID:ZtyCdL9v0
蜀に割拠するw
10: 2007/04/01(日) 12:00:19 ID:SS0ilgi20
江戸時代の朝廷のような存在になる
のは無理か
11: 2007/04/01(日) 15:33:53 ID:eHtvJouI0
無理っす
12: 2007/04/01(日) 23:52:50 ID:u0s7QLxJ0
春秋時代の周朝は?と思ったが、
誰かが統一してしまったら、やばいな。
22: 2007/04/22(日) 11:51:19 ID:PUJBkvJ00
仮に劉備が曹操を排して天下を統一しても、
やはり禅譲を迫っただろうね。

劉備は劉氏だから国号を変える必要がないし、
曹父子よりはるかに抵抗が少なさそう。

25: 2007/04/22(日) 13:34:22 ID:69IhdvJmO
献帝に光武帝どころかテムジン並の才能あったとしても兵も権力もなかったからな
如何ともし難いのが現実だろう
あと漢の皇帝に「傀儡として」存続して欲しかった大臣や名士や群雄はいても、献帝の命に服すという意味で忠誠を誓うような奴がどれだけいたかね?
皇帝は群雄の囚われ人でしかなく、各地に自称皇帝や自称王が生まれ、袁紹や曹操ら有力群雄に漢への忠誠は無く、皇帝の自由になる軍事力も無い
献帝の代に至っては誰が禅譲を迫るか程度の問題で、漢はもう詰んでるんだよ
多分生き残る最後のチャンスは宦官○戮
あれが無ければ皇帝の権力・権威はああまで無惨に失墜はしなかったはず

孟子が代表的だけど、中国では革命を肯定してる(むしろ、一つの王朝による支配には期限があると考えてたらしい)から、日本の天皇のようになることはまずあり得ない
天下の混乱が落ち着けば、必然的に漢は終わるんだよ

26: 2007/04/22(日) 14:50:04 ID:KtebAxSG0
>>25
高論ありがとう。あなたの言われることは良くわかる

ただ、テムジン並の才能があれば、個人的には王允や呂布、董承、楊奉などを心服させ、
李カクらを打倒し、その兵力を奪い、再興も可能であると思うがこれは空論
なのでやめておく。(もちろん、政治・行政にも大改革を行わねばならないだろう)

しかし、
>献帝の代に至っては誰が禅譲を迫るか程度の問題で、漢はもう詰んでるんだよ
>天下の混乱が落ち着けば、必然的に漢は終わるんだよ

これは言い過ぎなのでは? 自称皇帝の袁術はあれほどの大勢力なのに、
皇帝を名乗ったばかりに群雄から叩かれまくって滅亡したし。
曹操も漢から禅譲を受ける下準備でかなりの時間を割かれたようだし
劉備の漢中王はむしろ漢王朝の権威があると、少なくとも蜀陣営では
信じ込まれたいたことを裏付けるものだし。
それに禅譲が行われたのは神話の時代であり、周、秦、新(これもやったけど)は
みな新しい王朝に討ち滅ぼされている。
(王莽の真似などやりたい奴などおらん。かえって不吉だ)
直前まで臣下の礼をとっていた人間がいきなり無力な主君の家を滅ぼすのは
不自然だし、(周、秦、新はこの例に入らない)
日本の藤原氏のやり方の方が無用な責任や義務が生じにくいのでこっちを採用すること
もあり得ると思う。
天子の儀礼は政治家としては時間のロスが多すぎる。他人に預けた方が楽だ。
漢王朝は後代の他の王朝とは権威が違う。一度、復活をとげ、それから200年経っている。
ここで生まれた人間は全て漢王朝の臣下であった。
孟子の時代と違い、禅譲や放伐はおとぎ話に近かったはず。
王朝が変わることには心理的な抵抗がかなりあるはず。
政治システムを変えることに成功すれば(現実には無理な仮定だろうけど)
存続は可能だったのではないだろうか?

32: 2007/04/22(日) 15:18:01 ID:69IhdvJmO
>>26
レスありがとう

曹操・曹丕の禅譲は完全に新のパクリだよ
帝位が禅譲されうることは先に王莽が示してるわけだ

荀イクは漢の皇帝を単なる傀儡とみなし、魯粛に至っては漢を完全に見捨てている
曹操と袁紹は若い頃に天下取りの方策を語り合い、劉備は子供の頃から皇帝になることを夢見ていた
「漢はもうダメ」はほとんど当時の群雄や名士の統一見解に近い

ただ袁術の末路に象徴されるようにすぐ取って代わる勢力が出なかったのは、新たな王朝になる側に天下を治める資格(具体的には天下の統一)がなかったから
だから天下の混乱が収まれば漢は終わる、と条件を付けた

34: 2007/04/22(日) 16:19:11 ID:KtebAxSG0
>>27
>>28
テムジンというのはただの例だよ。別に光武帝でも曹操でも劉備でも袁紹でもいい
ただ、テムジンと東洋第一の英雄なのであげただけ
無意味な仮定だけど、自分は英雄の才能はどの地域、どの時代でもある程度互換性は
あると思っているから。
(これまた無意味だが)献帝が軍事的天才ならば、呂布などを皇帝という権威もあって
心服できたかも知れないと思っただけ。そうならば、兵力も手に入るし、再興は可能と。
これは現実に起こってみないと分からない。
空論だからここまでにしよう
でも、
>献帝は守成の素材としては十分すぎるのだ
には完全に同意。凡人よりかなり上の才能だろう。
偶発的な血筋で、皇帝に就任する人物にこれ以上期待するのは無理だろう。
だから、
>>32
のいう通り、「漢はもうダメ」はよく分かる。
だが、魏は漢に完全にとって代われたかというと必ずしもそうではない
かなり権威は落ちる。駄目な漢より魏の方がとって代わられる時の抵抗は
はるかに少ない。
自分はまだ400年の余光は残っていたと思う。
(魯粛はともかく、曹操・袁紹・劉備は漢の実権を握ることを夢見ていたような
気がする。劉備のアレは「劉邦・劉秀になりたい!」程度の意味じゃないだろうか)
自分は王允、呂布を手足として使いこなし、政治改革をある程度できる
ぐらいの才能が献帝にあれば、漢王朝再興は可能だったと思うのだが
(呂布が本当に裏切らないかどうかは問わない。あくまで仮定だから
また、現実にこれほどのことを行うのは公孫サンや袁術クラスでも難しいだろう
上記にあげた人物の才能が献帝に宿るのは天文学的確率なのだが)
35: 2007/04/22(日) 17:36:14 ID:UpfAOMqb0
>>34
曹操は結局未遂だが、
献帝の保護を拒否した袁紹と、帝位を僭称した劉備はアウトだろ。

俺は英雄は状況が創り出す者と思う人間なので、
英雄に相応しい人間が常に英雄として認められるラッキーチャンスを掴めるとは思わん。
だから、献帝が>>34で求められたような厨パワーを手にしても、霊帝以後では発揮自体が難しい。
仮定を重ねて、統一したとしても、煬帝や崇禎帝みたいな何処か無理のある男になるだけ。
その改革は一代で引っくり返されるだろう。曹操が息子にやられたみたいに。

27: 2007/04/22(日) 14:51:44 ID:UpfAOMqb0
蒙古族と漢族を同列に並べるな。
蒙古兵が遊牧民の風俗上、軍隊というハードとして異常に強かったのであって、
それをジンギスカンというソフトのスペックに直結するのは理不尽。
東洋最高の英雄はジンギスカンで俺も異論はないが、
支那のトップとしての互換性は薄いだろうが。
28: 2007/04/22(日) 15:00:07 ID:UpfAOMqb0
また英雄といっても所詮は一個人。
親の七光りや資本の背景無しに英雄たる個性を維持することは容易ではない。
(ジンギスカンは窮極の逆境から頂点に立った最強レベルの個性だけど、それが支那でそのまま通用するとは限らん)
29: 2007/04/22(日) 15:06:55 ID:UpfAOMqb0
そもそも献帝は守成の素材としては十分すぎるのだ。
生まれた時代が水に合わないと考えるべきだろう。
だから、必然的に軍人として台頭してきた劉備が劉氏代表としての再構成の期待を背負うのも無理は無い。
仮に統一が為ったとして、建国の功臣の末路はどうなるかな?
玄武門の変が400年早くなるだけだろうよ。
30: 2007/04/22(日) 15:11:09 ID:mpAgslZN0
日本などとは違って、中国の民衆はちからづく、という言葉を良く知っているし体現もしている。
日本はどういうわけか、政権が悪政を敷いていても、地域的な反乱(というかブーイング)
はあっても、政権それ自体をどうこうしようという発想はなかったようだ。
そういうことをやったのは、ある程度権威をもった階級のものがやっているにすぎない。

中国では知識階級ナニソレな人種が多く流入できる土地柄(地続き)だから、矛盾の多い政権末期には
内部から民衆の怒りが爆発するか、遠からず他国から圧迫されて終る。
日本は引き篭もりてきに、なぁなぁで維持して来たに過ぎない…(とさえ感じるくらい)
それに儀礼というものは、国家が大多数の民衆を支配するためにはかかせないパフォーマンスであり
現代のような政治と混同してはならない。
というか、今の政治化だって見え透いたパフォーマンスはよくするし、それによって人気をとろうともする。
多少、表現が近代的なだけで、メンタリティはそう変わるものではない。

31: 2007/04/22(日) 15:17:34 ID:UpfAOMqb0
「徳無き恐怖は忌まわしく、恐怖無き徳は無力である」とロベスピエールは言った。
黄巾の乱から何十年の戦乱か知らないが、社会基盤が完全崩壊してるのは間違いない。
そのような暗黒時代の収拾において求められるのは、唐太宗のような「徳と恐怖を両全した絶対天子」だ。
徳無き恐怖の権化である曹操と、恐怖無き徳として御輿に奉られた献帝の二頭体制で上手くいったのは袁氏勢力の消滅まで。
あとは曹操自身が簒奪の最右翼だった。
劉備は曹操より小粒だが、補佐さえマトモなら十分すぎるほど「徳と恐怖を両全した天子」として機能する。
まあ劉備タヒ後は後漢以上に脆い政権が出来上がるだけだろうがな。
33: 2007/04/22(日) 16:06:57 ID:O0RqGdlf0
やっぱり一番可能性があるなら遠い皇族から劉秀のような英傑が出て漢の名を継ぐしかないんじゃね?
劉備もそれを狙ってたんだろ
前漢と後漢は皇帝が遠い親戚ってだけで中身はかなり別物だし
37: 2007/04/22(日) 21:48:33 ID:gE121Eed0
正直献帝のときにはもう手の施しようが無かったと思う。
跋扈将軍の専横などかなり前の段階で後漢王朝は既に有名無実化していた。
つまり後漢王朝を延命させるにはもっと前の段階で手を打たねばならないと思う。

光武帝は建国の功臣のうち、豪族出身者の者には実職を与えないというやり方で豪族の力を抑えようとしたけど、
息子の明帝や孫の章帝等の優秀な皇帝が位にあるうちはそれで良かったが、それ以降は結局豪族達が外戚化し後漢王朝は形骸化していった。
後漢王朝を延命させるには光武帝が、明の洪武帝のように功臣連中を徹底的に粛清しておくしかなかったと思う。

38: 2007/04/22(日) 21:53:26 ID:mGjwh7UU0
いっそのこと高昌国みたいにってのはどうよ
39: 2007/04/23(月) 01:37:55 ID:mJMitn2v0
粛清したところで効果があるとは思えない。
外戚の弊害は独裁制が完成を迎えるまで続いたし、完成しても別の問題が出た。
宦官に至っては辛亥革命まで取り除くことは不可能だった。
まあ後漢は最初の三代の遺産で続いたようなものだ。
あの時代までもったこと時代が既に凄い。
40: 2007/04/23(月) 09:28:47 ID:K3fpI6sg0
粛清粛清ってなんかすごいなw
41: 2007/04/24(火) 10:57:37 ID:ZYx+J5s+0
後漢の不幸は4代目以降が全部赤子同然の幼少や20台いかずにタヒんでるところが不幸すぎる
普通の皇帝が続いてたら長持ちしたかも
42: 2007/04/24(火) 12:17:06 ID:Mr8V9DZPO
霊帝は売官などで得た金で中央軍の強化再編を行っていた(西園八校尉のこと)
地方の混乱自体は抑えようがないとしても、この再編された中央軍が皇帝の元に機能すれば、地方軍閥が乱立しても漢の皇帝は自前の軍事力で独立を保ち天下に号令をかけることも出来たのではないか
霊帝の若タヒと、それにより西園軍を指導すべき宦官と外戚何氏が共に滅んだのが痛い
44: 2007/04/25(水) 09:27:33 ID:ag+Vf7uT0
漢時代、劉姓を勝手に名乗るのは無理?
47: 2007/04/27(金) 21:56:22 ID:AaZ4+H710
姓は無理じゃないけど皇族はたとえ遠くても税の免除などの特典があるので同時に詐称はタヒ罪らしい
このことから劉備はやっぱり皇族の末裔じゃないかという説もある
48: 2007/04/28(土) 00:03:46 ID:xhcZZxPi0
漢王朝の戸籍を調べた上で、皇叔って称号をもらったんだから、
劉備の劉姓が詐称ってことはないだろう。
51: 2007/04/28(土) 04:19:04 ID:qjDKK+B30
200年たつと、皇帝の血縁が、むしろを織って暮らしてるんだな
55: 2007/04/28(土) 11:11:27 ID:n/lFAQzd0
>>51
実質、前王朝の傍系の子孫でしかないからな。
中山靖王の子孫だという事が事実だとしてもね。
ただ莚を織って生計を立てていた直接の理由は父親がタヒんで収入が絶たれたからで、父親が生きていたら免職されない限りそこまで貧窮はしないであろう。
53: 2007/04/28(土) 06:44:37 ID:C/pxkiN70
マジレスすると、黄巾党の兵乱すら秒○した後漢王朝がアッサリ滅んだのは、以下の理由が挙げられる。
・何進が勅によって上洛を正当化した
・劉焉が州牧制を作り、地方政務官に独立裁量権と兵権を与えた

まず、何進が勅で地方の兵力を洛陽に集中させたせいで、地方で反乱が勃発し、異民族が侵入した。
これが、三国志における兵乱の直接的要因。
宦官、官僚、外戚が内ゲバやってただけだったのが、外部勢力の介入まで招いてしまった訳で。

次に、劉焉が提唱した州牧制によって、地方軍閥の割拠が完全に正当化されてしまった。
しかも、法的根拠の上に実力も伴ってるんで、おいそれと首のすげ替えが出来なくなってしまった。

この二つの出来事が無きゃ、後漢王朝はまだ少しは続いてたんじゃないのかと思える。
勢力の興亡は、政治的実権を誰が握っているかよりも、全体の統制が利いてることのほうが重要な訳で。

56: 2007/04/28(土) 20:02:16 ID:zoDbGrmnO
>>53
そもそも後漢は黄巾を瞬○してない
政権にとって重要な地域と黄巾の本拠地だけ平定して、各地の残党(といってもかなりの規模)は残っていた
他の群盗やら妖賊やらを含め、各地は霊帝の頃からかなり荒廃してた
それに何進が呼んだ地方の軍なんて一部だろう。異民族侵入は元からの傾向だし大々的にやったという意味では曹操の強制移住の方が重大

何進が生きていれば彼がリーダーシップを発揮して中央を制圧し地方の軍を鎮撫できただろうから、大した問題にはならなかったはず(最も、その場合は最後には何進の王朝が成立してしまうだろうが…ということは後漢はやはり終わりなのか)

57: 2007/04/28(土) 20:31:29 ID:C/pxkiN70
>>56
黄巾は大きなものは纏めて滅ぼしましたが、確かに残党は各地に残ってますね。
ただ、それが糾合するに至らず、収束に向かったのは、結局頭を叩いた事が大きいのではないでしょうか。
黄巾党の乱は結局、後漢を叩き潰すのには力不足だったと言えると考えられます。
他の賊も、中央の意向が機能している地域では滅ぼされている事を考えても、
少なくとも霊帝末期の頃には、事態は一度収束に向かっていると言えるのではないでしょうか。

董卓と丁原が軍勢をこぞって引き上げさせた事は、遊牧民が漢土に侵入する事を助けました。
というより、この二人、むしろ積極的に遊牧民の軍を利用していますよね。
遊牧民の侵入は、涼州荒廃、ヘイ州失墜の直接的要因ですし、五胡十六国時代到来の遠因です。
確かに、霊帝時代には鮮卑の壇石塊など絶対に無視できない存在もいますが、
彼のタヒによって勢力が一度衰退した事を考えると、やはり直接的な原因は、漢土への侵入が大きいのでは。
現に、曹操が先行して叩いた烏丸は、後の時代には殆ど活動が見られません。
他方、それ以外の方面は、魏国が統治した時点では、既に事態は収拾の付かない所にまで陥っています。
ひとたび平地に遊牧民が侵入した後は、鎮圧に当たった司令官の能力を問うのは酷ではないでしょうか。
張既、梁習、田豫、牽招、馬隆のような存在は、中国史を通じてもむしろ稀でしょう。
南蛮と山越が進入しきらなかったのは、遊牧民ではなかった事が大きいと思われます。
何進が仮に宦官を見事に一掃しても、勅を発してしまったなら、結局元の木阿弥になったように思います。

ただ確かに、事態は霊帝時代から最悪であり、結局の所霊帝時代からじゃなければ…というのは同意です。

58: 2007/04/28(土) 22:27:45 ID:9K7gSqq40
霊帝でお手遅れかな・・・・
59: 2007/04/28(土) 22:57:16 ID:zoDbGrmnO
霊帝は中央軍改革をやってたが手遅れだろうし、何より中途半端で終わった感が強い

豪族の支配力が戦乱により強まり、強くなった豪族が戦乱を引き起こすというスパイラルだから、豪族が主体となる政権が成立するまでは混乱は収まらない

60: 2007/04/28(土) 23:02:37 ID:C/pxkiN70
つまり結局、群雄割拠は防げない。
曹操のようなのが延々現われて、周公旦やってくれないと滅亡。と。オワットル
61: 2007/04/28(土) 23:11:27 ID:zoDbGrmnO
>>60
董卓や李カクがもっとしっかりしてて天下を一応抑えていたらいずれ簒奪してただろうし、袁紹が曹操に勝っていたらじきに天下統一して禅譲を迫っていただろう
曹操が微妙に勝ち切れない勢力だったからなかなか簒奪に至らなかっただけで、いずれ禅譲の道具になるだけだね
曹操タヒ後に後継争いがあったりしたら漢ももう少しは長生きしただろうけど、少しの差だろうな
62: 2007/04/28(土) 23:16:16 ID:C/pxkiN70
>>61
周公旦プランですら、駄目なのか。どーすりゃ良いんだw
63: 2007/04/28(土) 23:22:21 ID:zoDbGrmnO
>>62
その周公旦にも周王になったという説がある時点で終わってる

まあ皇帝を擁立する勢力が力を付け始めたら逃げるか○すかし続ければいいんだよ

64: 2007/04/28(土) 23:32:15 ID:C/pxkiN70
>>63
王朝存続の為に延々と兵禍と粛清って…それって国家全体を見渡せば百害あって一理なしのようなw
66: 2007/04/29(日) 11:24:27 ID:a6hnRi1OO
>>64
その通りだと思うよ
だから荀イクだって誰だって皇帝を傀儡として連れてきましょうとは言っても権力や軍事力を返上しましょうなどとは言わなかった

>>65
劉焉が皇帝になる野望を秘めて益州に向かったのや、袁紹が劉虞を立てようとしたのは正にその発想
いくら後漢の系統が天命を失ったとはいえ、いきなり全く別の氏の王朝が立つことには抵抗も大きいが、劉氏の中でふさわしい人物に交替し、天命を新たに受けるという格好なら抵抗も少ない

68: 2007/04/30(月) 00:16:48 ID:qUppqtXV0
>>66
まぁたしかに劉一門なら抵抗は少ないだろうが
そうなると皇帝候補擁立合戦になるね
69: 2007/04/30(月) 02:15:31 ID:Q0NsKhneO
>>68
でも実績と評判のある奴でないと劉氏でも誰も支持しないよ
単に劉氏というだけなら血筋の分だけ劉協の方がマシなわけで
だから実際には擁立合戦まではならなかった
70: 2007/04/30(月) 05:25:51 ID:5evbkO/+0
>>69
劉焉、劉虞、劉岱、劉寵、劉表、劉ヨウでも駄目だったあたり、
もう血筋以外じゃ光武帝クラスじゃない限り、天下一丸となって奉戴とはいかなかったんだろうな。
67: 2007/04/29(日) 11:58:50 ID:DWTSJYdx0
黄巾の乱は、光武帝が軍縮で地方軍を減らしたため即座に対応できず大きくなったんで、
元々は大した反乱じゃなかったのかも
あと、中央軍も都の近くとはいえ地方に駐屯していたから、
首都の兵力が執金吾ぐらいしかなく、西園八校尉を新設せざるをえなくなった。
建国時の、名将がたくさんいて少数の兵力で十分という状態がずっと続いたからで、
もっと早く軍制改革していれば何とかなったかも。
財政破綻したかも知れんけど。
72: 2007/05/01(火) 12:31:30 ID:Mi+sJO6UO
擁立者というより劉氏本人の実力だね
劉虞に即位待望論が生じたのは、彼自身に幽州牧等として実績があったから
73: 2007/05/01(火) 15:07:59 ID:RuGazFjB0
まぁ、劉虞の場合は、頭の中にお花畑が咲いてた。
だから、公孫サンとかには嫌われてしまった訳だけどな。
兵力居などは劉虞が○される前から、劉虞に臣従するフリしつつ、周辺を荒らしまわってたわけで。

しかし、牧としての実績は紛れもなく本人の能力による所だから、あれでダメならもう他でもダメだろうな。

77: 2007/05/03(木) 00:31:29 ID:rnB6Lpjc0
しかし、ここにいる誰かがタイムスリップして献帝に仕えても
どうしようもないわな。せいぜい予言者として名を残すか?
78: 2007/05/03(木) 00:39:38 ID:gEbsqImq0
>>77
予言して未来が変わり、知識と違う方向行ったら、後は腹決めて生き残りを図るしかないな。

ちなみに、前に友人と話してた時には、塩商人として生き抜くのが一番てっとり早いという結論だった。
三国時代の藻塩法と、流下式までの製法の差で約3000倍以上、生産力に差が出て来るんで。

79: 2007/05/03(木) 00:41:57 ID:9VCfmkDgO
>>77
楊奉に、曹操と董昭と徐晃の言うことは聞くなと教えてやったら歴史が変わるかもしれない
82: 2007/05/03(木) 01:42:48 ID:rnB6Lpjc0
演義か平話だけど、張飛が董卓に会うなり、
「気にくわねぇ、ぶち○してやる」
今度は曹操に会うなり、
「着にくわねぇ、ぶち○してやる」

二人が張飛を止めなきゃ、歴史は変わっていたのだろうと思った。

84: 2007/05/03(木) 01:45:35 ID:gEbsqImq0
>>82
確かに変わりそうだけど、それだと桃園三兄弟がただのテロリストで終わってしまうwww
93: 2007/05/05(土) 15:08:40 ID:xQuNlRPm0
最初、魏延は魏の将だと思った
最初、呉蘭は呉の将だと思った
114: 2007/06/20(水) 09:45:12 ID:TbdJmjSs0
曹操が赤壁で戦タヒすればおk
115: 2007/06/20(水) 11:31:56 ID:B9ATigu+0
その戦タヒさせるために、どうするかが問題だ。

そもそも赤壁時点での曹操の急タヒで、
曹氏政権はどれくらい弱体化しただろうか?

116: 2007/06/20(水) 19:13:03 ID:fiLFkMcOO
>>115
董卓が暗○された後や袁紹がタヒんだ後を思い返せばいい

荊州は劉ソウ一党が反旗を翻すだろうし、朝廷自体どう動くかわからん
主をなくした冀州では袁シンパが蜂起し、元々半独立状態の青・徐州(臧覇たち)は静観する
曹操の軍を継承すべき子はまだ若く、きっと曹氏一族の生き残りたちと曹操の側近だった奴らがそれぞれ自分に都合良い後継を傀儡にしようと争い、内戦に発展するだろう
上手く争いを制する者が現れればいいが、李・郭政権のように残党の連立政権となり、いずれ内乱または南方を制覇した勢力に敗北することになるんじゃないだろうか

125: 2007/08/19(日) 11:09:15 ID:5YZjLQHH0
>>116
曹氏政権がそのように分裂したとして、劉備と孫権は上手く付け入ることができるだろうか?
それとも地方に足場を築くことに注力するかな?
126: 2007/08/23(木) 22:55:29 ID:H7wHys0s0
曹操の政治体制って官僚体系整ってたの?
128: 2007/08/24(金) 12:21:39 ID:GFsmmQYfO
>>126
分裂政権内に強力な劉・孫シンパがいるなら
影響を及ぼそうと謀るだろうけど、孫権は江東の地盤を維持しつつやるだろね。
対する劉備はその時の状況次第じゃないか。
地盤となる支配圏を持ってるか否かで対応はかなり変わる。
127: 2007/08/23(木) 23:21:57 ID:9VgNBVuF0
何だかんだで後漢政権の中枢の行政機構を取り込まないことには、
全国政権は無理だろう。
130: 2007/08/27(月) 22:36:00 ID:Ja3gE9UQ0
皇甫嵩が閻忠の計画に乗ってたらあるいは・・・
魏諷の乱が成功してれば・・・
131: 2007/08/31(金) 01:40:23 ID:wr4VWt4I0
後漢は、外戚にしろ宦官にしろ内部崩壊で滅んだから末期で復活は無理。

秀才とかあいまいで抽象的な人脈な登用制度止めて、科挙発明して
官僚重視の政治に意向すれば延命できたと思う。
後漢には傾いた王朝に鉄の忠誠を誓う人間が少なすぎた。
これを打破するには一時的な弊害が出ても、官僚、中央を優遇し求心
を得るしかない。完全な文治政治にすれば内部崩壊だけは避けれると思う。
高い金を餌に中央に、できる人材を集め厚遇する。

なぜなら、王朝が滅ぶと高い金が貰えなくなる→貧乏になる→王朝
を守らなければ飯が食えない

黄巾も宦官らの跋扈で腐った政治が原因だからこうすれば黄巾も回避
できる。匈奴は当分は大丈夫なのでその間に立て直す。
曹操も元は車騎将軍が夢だったので官僚になれば結構素直に出世だけを目指す
と思われる。

134: 2007/09/01(土) 22:53:41 ID:O7pAKKXt0
>>131
さすがに釣りかとも思うけど、科挙っていくらなんでも無茶言い過ぎ。
何故なら、科挙自体が官僚になれるだけの教育を受けられる人間の絶対数の増加に支えられて存在しているから。
あの時代に官僚になれる人間ってのは、結局孝廉・茂才で推挙されるような人間。
つまり万が一科挙をやっても合格者は完全に固定され、貴族的な存在になるから、皇帝への忠誠は期待しにくくなる。つまり意味が無い。
皇帝に絶対の忠誠を誓う可能性があるのは、実は外戚と宦官のほうだしね。両者は皇帝しかよりどころがないから。
133: 2007/09/01(土) 21:16:40 ID:FZarxrrL0
地方における荘園開発が隆盛している時代に、中央優遇がどれほどの効果を挙げるか分からんなあ。
中央で出世して、最終的に得られる年金(封邑)や爵位なんぞよりも
地方で豪奢を極めた方が楽じゃん、私兵雇えばそれなりに好き勝手できるし。
まあ、警察権力や公共福祉との衝突は避けられんが、中央が羌族の反乱鎮圧で
財政破綻しかけているんだから、相手もそこまで強気には出てこんだろう。
て言うか、て言うか、中央が立ち直る気配なさそうだし、地方で割拠して、生産力の高い郡県を
抑えちまえば、中央とも拮抗できそうじゃね?

科挙開発と言っても、誰も後漢末期にそんなこと考える奴らおらんかっただろうしねえ。

135: 2007/09/01(土) 23:08:41 ID:nRxV66/60
結局、科挙を実施しても孝廉なんかと顔ぶれは変わらんか。
136: 2007/09/02(日) 13:14:53 ID:CahoJgz30
いや たすかに無理のある過程だとは思ったけど後漢の最大の欠点は
宦官と外戚と地方軍権。

文治政治にすべきと思ったのは宋について考えたから。
宋は地方軍権が肥大した状況を打破するために文治政治を敷いた。
俺はある意味成功したと思う。ほとんどの王朝が内部腐敗から滅亡したが
宋に関しては少なくともその弊害が他より少なく強力な外圧で滅亡した。

いずれ五胡で滅亡という意味で王朝を延命させるならこの体制がいいと
考えた。宋は派閥争いはあったが文治、官僚優遇によって軍は弱体化した
が中央集権はある意味成功した。異民族が強力になれば滅亡するがそれまで
の後漢の政治腐敗は抑えることができるんじゃね?
光武帝は優秀だったが解決できなかった問題も多い。
延命させるには、後漢の政治システム根本を変えないと無理じゃね?

後漢は地方軍権を削ぐ必要ある。それにも宋モデルがいいかなと。
宋はこの官僚優遇措置で結果的には王朝への忠誠に繋がった部分がある。
宦官に関して教育を禁じる。皇帝任命は清モデルを使うことで外戚、後継
問題を補強できる。 これで100年は延命できると思うんだけど。

137: 2007/09/02(日) 16:13:47 ID:Duc6qkyg0
>>136
徽宗時代の宋は極めて腐敗した時代だったよ、後漢末に負けず劣らずの。なんせ、
ストレートに水滸伝の時代だからね。仮に外圧がなかったとしても、五十年ともた
なかっただろうと思う。
145: 2007/09/12(水) 13:22:07 ID:IJKMizNd0
182:孫権
184:劉協
187:曹丕
207:劉禅

だったはず。

146: 2007/09/12(水) 13:24:09 ID:O4RBM5ow0
>>145
曹丕の享年が40だったか。
即位年40の享年47だと勘違いしてたわ。
147: 2007/09/13(木) 21:55:19 ID:5weYgSCf0
ソウヒって実年齢39でタヒんだのか・・・・
148: 2007/09/14(金) 06:10:33 ID:yUZNhbni0
彼の名を根拠に四十に届かず人生終わると予言されていたくらいだしな
155: 2007/09/15(土) 12:22:07 ID:E8lckX230
歴代の皇帝って長生きできてないね。総じて。
156: 2007/09/15(土) 23:25:09 ID:CjEBgadr0
>>155
基本的に望むものは何でも叶えられる立場だから、
唯一手に入らない不老長寿を望んで、水銀を服用する事例が多い。
タヒなないまでも、水銀中毒で身体が震えているような皇帝はたくさんいたんじゃないかと。

157: 2007/09/15(土) 23:34:34 ID:qVpV74gv0
その事例を挙げてくれ。できるだけたくさん。
158: 2007/09/16(日) 11:47:05 ID:x/WjFRss0
事例をあげろといわれると困るが宮廷に怪しい薬を持ち込むやからが腐るほどいたのはちょっと中国史に詳しくなるといろいろなところで見かけるぞ
際たるのは始皇帝が徐福を蓬莱に行かしたこととか
159: 2007/09/17(月) 18:02:44 ID:Qb6BCcay0
ドラッグもあるかもしれんが若年タヒ去が多い場合それだけでは説明がつかん
な。1つには食生活がある。どうやら当時の皇帝の食事はかなり高カロリー
だったらしく、ずーとそういう食生活をしている皇帝は当時の内臓の関係
から寿命を圧迫する可能性があるようだ。

皇帝となり贅沢をしすぎたことで逆にタヒ期が早まったという。
この点を皇帝に指摘する臣下もいたらしいが医学という概念がかなり希薄
なのでスルーされたみたいだな。

168: 2007/10/08(月) 19:02:32 ID:HPSplHM40
献帝は曹操の傀儡とかよく言われて惰弱なイメージがあるけど
彼は彼なりに王朝の行く末を案じ
何度も曹操を廃そうともしてる事からそこまで無能でもなかったと思う
まあしいて言うなら時代と相手が悪かったんだよ
もし後漢中期に献帝がいたら中興の祖になっていたかもしれない
174: 2007/10/23(火) 10:21:19 ID:rhR7eJjX0
>>168
だがその劉協ってのは曹操あってのもの。
曹操を中心としてようやく戦乱が収まりつつあったのに、
そこで曹操を廃したら再び群雄が割拠して今度こそ後漢は消滅するよ。
そんな事も分からん皇帝が中期に出て来たって滅亡早めるだけだろ。
193: 2007/11/15(木) 13:27:19 ID:TJq1t+qB0
曹操という人物が当時としてはかなり長生きだったしな。
やはり長く生きることができるかどうかっていうのは重要だ。
194: 2007/11/23(金) 20:32:33 ID:f2L3rD3i0
曹操と孫権は長生きだったね
劉備もそこそこか
195: 2007/11/24(土) 00:04:52 ID:JEG6zC4y0
劉備自身も62歳まで生きてるから、孫権の70歳はともかく
曹操の65歳とは大して差はないよ
196: 2007/11/24(土) 02:11:53 ID:1y+kWY+D0
人間50年の時代より1300年も前で60台はすごいよな
205: 2007/12/14(金) 19:46:31 ID:/6weSf710
曹操を暗○しようとするやつがほとんど外戚なのが泣けるw
どう見ても権力目当て(それが悪いわけではないけど)で主君の為じゃない。
207: 2007/12/19(水) 21:27:10 ID:J30l3hin0
親戚が敵だと思って親戚の力削いだ結果
司馬氏の台頭・・・・
209: 2007/12/20(木) 01:40:29 ID:l52hA+R2O
>>207
そして、身内を強めて内輪もめ
208: 2007/12/19(水) 22:32:14 ID:dLJSTHMW0
後漢も三代目あたりまではよかったんだがなあ
陰皇后や馬皇后みたいな控えめな皇后が続いていればあるいは…
210: 2007/12/20(木) 01:46:56 ID:xQ6vywC20
皇帝に即位して。
ある程度立ったら。

地方に割拠している全ての勢力に使者を送って王に封じる。
暦の自由や貨幣の自由、一定額の税金の上納、危機における出兵を条件に
前漢初期並みの権限を諸勢力に与える。

こうすればもう少し長引いたかも。

229: 2008/02/03(日) 16:46:39 ID:FNcFl/Sn0
つか、檀石槐が登場した時点で詰んでる気がするんだが。
冒頓と戦い続けるようなものでしょ?
霊帝も悲惨だよね、治世のほとんどの年に鮮卑侵寇の記事があって。
そりゃあ売官してでも財源確保したくなるよ・゚・(ノД`;)・゚・
230: 2008/02/03(日) 17:43:46 ID:1pbpC78e0
檀石槐の出現が漢という国家の権威そのものを完膚なきまでに粉砕しちまったからなぁ。
桓帝が土下座外交やらかした時点で命運尽きてるというのはその通りかもしれん。
233: 2008/02/14(木) 09:34:03 ID:sNI6oV9q0
漢はもうあ漢
234: 2008/02/18(月) 21:00:54 ID:efphuGeb0
>>233
責任は取れよ?
241: 2008/03/16(日) 22:51:01 ID:vtY47G0F0
秦が長続きして儒教が蔓延ることなく
道士の不老不タヒなどの研究が錬金術に発展して、中国が近代化学を成立させてたかも
245: 2008/04/05(土) 19:26:46 ID:VuUD/nvV0
日本の天皇制と幕府のようにすればよかったんじゃね
あのころはまだ劉氏以外の皇帝は始皇帝と王莽しかいなかったから
まあ反乱軍に皇帝と名乗ってるのはぽろぽろいるけど
蜀漢は皇帝のせいか幕府制に近い感じがする
246: 2008/04/05(土) 22:03:04 ID:0Q+bVExR0
>>245
無理
反乱軍に皇帝を名乗る者が多数居たように、中国では無力な皇帝は皇帝じゃあないとみなされる
249: 2008/04/08(火) 00:42:05 ID:YOSUhzC0O
>>245
イギリスの王室や、天皇家のように、君臨すれども統治せず
――こんな状況になれば可能。

漢高祖が、秦の縁者を探し出して皇帝に立て、
自身は丞相として文武の頂点に君臨し、名目上、皇帝の命令により項羽を討伐する。
そうなれば、皇帝は丞相いなくば皇帝足り得ずも、
丞相は皇帝いなくも、その地位は揺るがず。
そんな状況になり得た。

つまり、西漢では遅すぎた。

251: 2008/04/08(火) 23:30:02 ID:aQm/6XyH0
>>245

ちなみにそのアイデアは北方三国志の劉備や筍イクがそれを目指している。無論失敗だが。

250: 2008/04/08(火) 11:15:37 ID:41O/05mA0
天と革命思想のある中国じゃ無理だろ。

高祖の時点で秦の一族を奉戴しようとしても、他の地域は納得しないだろう。
一番周囲に納得させられる御輿は楚の懐王だったろうが、こちらは項羽が○しちゃったし。

255: 2008/05/05(月) 21:30:39 ID:e4dEaBan0
先祖の劉邦に「曹参の子孫は400年後に漢王朝を滅ぼすから今の
うちに○しておいて」と頼む。呂后に言った方が早いかも。
256: 2008/05/06(火) 00:28:54 ID:gC3YhZnd0
>>255
夏侯嬰の方がよくない?
258: 2008/05/07(水) 11:51:38 ID:KKuxtEXA0
>>255
400年後まで漢王朝が残ってて曹参の一族がそこまで仕えてくれるならまあいいかって思うかもな

現代人に較べて古代人の100年のスパンて長いぞ

272: 2010/10/27(水) 10:06:37 ID:BNTivw5lO
劉虞になったら献帝より酷そうだな。
戦争になったら「兵士に罪はない、敵将だけを狙え!」とかトチ狂ったことを言い出す、
生まれてきた時代を間違えてるとしか思えないヒューマニストを皇帝にしたらどうなることか。
273: 2010/10/27(水) 10:50:06 ID:+i+unU3F0
>>272
でもちょっと見てみたいなw
278: 2010/12/26(日) 18:37:25 ID:WdVnspZ10
まあ関係ない話だが坂上田村麻呂が後漢霊帝の子孫ってのは
聞いたことがあるな
299: 2016/03/08(火) 22:20:43.32 ID:d77Ot6sI0
曹丕が禅譲を受けずに、丞相として漢の再興を行えばよかった
301: 2016/07/21(木) 16:47:03.96 ID:zDEdv6uu0
黄巾の乱の代わりに、漢を滅ぼすことが目的の
宦官が専横とかする暇、余裕がないほどの
かなり強い外国の侵略とかあったら、
三国に分かれたり
せずに、国内で争ってる場合じゃないって思いで
皇帝の元に一致団結して
歴史が変わってもやっぱり自然と有能な
やつは台頭してきて
孔明、司馬懿、曹操、孫権(他魏呉蜀他の有能なやつ)
が話し合ってうまく国を運営してくれると思う。
302: 2016/07/24(日) 12:29:51.80 ID:tzasnL4C0
>>301
出来の悪い漫画とか読みすぎじゃね
そんなん禅譲コースまっしぐらだわ
豪族が強く短命君主ばっかりな後漢に延命の道があるとすれば
東晋のように国内派閥の均衡の上に飾り物として成り立つしかない
304: 2021/04/17(土) 19:01:05.38 ID:fkjUKRuC0
後漢光武帝すら、

前漢宣帝をベンチマークすると言いながら、

郷挙里選の際の重要科目を孝廉(孝行と清廉さ)とし、

王莽の路線を引き継いでいる。

孝廉などは、推薦する地方豪族たちが結託すればどうとでも、

脚色できるので、後に梁冀などの佞臣を輩出することになってしまった。

構図は全く王莽と一緒で、王莽と同じく偽善をして世の評判を得るのである。

それを郷挙里選の推薦者地方豪族が結託して、

孝廉の評価の裏付けをした。

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1174894262/

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