【沖縄】宮古諸島の人々は3集団で構成、災害と移住の歴史を反映 「県内でもゲノム情報にかなり地域差がある」
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沖縄県宮古諸島の住民の遺伝情報(ゲノム)を大規模に解析したところ、遺伝的に異なる3集団に分けられることがわかった、と琉球大の研究チームが学術誌に報告した。それぞれの集団の人口変化や形成時期も推定でき、移住の歴史が反映されているという。
琉球大は、沖縄県民の健康増進のため医療情報とともに血液などの試料を集めており、昨年末で約1万8千人分を収集した。このうち宮古諸島で2016~17年に得た1240人分について、DNAをつくる塩基のわずかな配列の差(1塩基多型)に着目。祖父母までさかのぼる出身地の情報と併せて解析した。
担当した松波雅俊助教によると、地域によって遺伝的な差がみられ、「宮古島北東部」「宮古島南西部」「池間島・伊良部島」の3集団に大別された。宮古島北東部の中に「池間・伊良部」と特徴が共通する人々が住む地区があったが、ここには1873年に池間島から移住した記録が残されていた。
ゲノム情報をもとに集団ごとの人口変化を推定すると、「池間・伊良部」は10~15世代(250~300年)前に人口が大きく減ったと考えられた。松波さんは、宮古諸島などを大津波が襲った1771年の明和の大地震を挙げ、「地震と津波による被害と、その後の強制移住が関係しているのではないか」と話した。
3集団はいつごろできたのか。解析の結果、沖縄本島にいたと想定される祖先集団から、まず950~1710年前に「池間・伊良部」が分かれ、250~810年前に「宮古島南西」が、60~540年前に「宮古島北東」がそれぞれ生じたと考えられた。
遺伝的に異なる集団がこれほど狭い地域で維持されるのは珍しい。琉球王朝時代の17世紀から1903年まで続いた人頭税で人々の移動が厳しく制限されてきたことが関係する可能性があるという。チームの前田士郎教授は「県内でもゲノム情報にかなり地域差があるとわかった。患者ごとに最適な治療法を選ぶ個別化医療を進めるためにも、有益な情報だ」と話している。
この内容は進化生物学の学術誌Molcular Biology and Evilution(https://academic.oup.com/mbe/advance-article/doi/10.1093/molbev/msab005/6081034別ウインドウで開きます)に発表された。(米山正寛)
朝日新聞デジタル 2021年3月25日 9時30分
https://www.asahi.com/articles/ASP3S5H4YP2JULBJ00X.html
2021/03/25 19:57
https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/nfa29b9953935
言われてみればどんな仕事でも当たり前のことだけど、扱うのが人間とその健康なんだもんな
胃腸が弱そうとか血圧高そうとかもパッと見でイメージすんのかな
ガンとかは今は遺伝子調べて治療方針決めるのが普通。
運が良いとその癌の中でも破格に効果がある治療が受けられる。
> 琉球王朝時代の17世紀から1903年まで続いた人頭税で人々の移動が厳しく制限されてきたことが関係する可能性があるという。
明治も終わりの方まで琉球王族の末裔が人頭税を取っていたのかね?
この写真は何島?
宮古島
東平安名崎から見てる
池間民族
その30年以上前から中国人がどんどん入り込んで居座っていたからな。
日本だってヤマト王権によって統一されるまでは縄文と弥生といいう単純なものではなく
様々な経緯で日本に渡ってきた部族が日本中に満ちていた
http://www.miyakomainichi.com/wp/wp-content/uploads/2019/07/44b13f06f01e48c666d3ec8840d3f2c5.jpg
やっぱセンターに一番まともなのを持ってくるんかい!
頭デカくて足短い昭和体型だな
ここからの移住者が12世紀くらいから、元の住民に本土系の文化を伝え混じりあって琉球文化ができたという説
どんなけ税取り立てていたんだよ
圧政だったと言われてるよな
だいたい、東京から名古屋ぐらいの距離になる
船といっても気楽に行き来できる距離でも無い
宮古は狭い域内でも地域ごとに方言も違うし、文化人類学や民俗学的にとても面白い。
宮古は王国支配前に確か3部族の戦があって渡来系で住み着いた指導者は○されたような。その後の王国支配といいすごく複雑な歴史なんだよな
>平均的な琉球人の持っている全ゲノムのうち、縄文人由来の割合が25~30%程度であるという。
>南西諸島は台湾と近いが、全ゲノム研究によると、本土日本人の影響を強く受けており、華南とはかなり遠いと判明した。
>さらに言うと、華南よりも華北の影響を受けているが、これは本土から南下した弥生人がもたらしたものである。
>沖縄には国内最古級の旧石器時代の遺構は多数あるものの、縄文時代の遺跡が殆どなく、空白の時代であるため、
>比較的新しい時代に本土から縄文系の集団(特に西北九州弥生人や南九州弥生人)が南下してきて、
>縄文人由来の遺伝子が陸封され、現在の琉球民族を形成したと考えられている。
>喜界島城久遺跡などの考古学的知見や琉球祖語の拡散年代を鑑みるに、
>琉球民族の祖先は九州から南下してきた縄文遺伝子の強い人々(琉球弥生人)でほぼ間違い無いです。
>彼らは平安時代前期(9世紀ごろ)に九州辺境にいた農民や武士であり、
>華南や台湾先住民との遺伝的関係はほとんどないと思われます。
>西北九州弥生人は水稲稲作を行わず、海上交易と沿岸漁労のみの生活を行なっていたので、南西諸島には稲作は伝えられず、
>結果として南西諸島への水稲稲作到達は本土のおよそ10世紀以上も後になります。
>(日本の中では水稲稲作を行う気候条件に最も恵まれているにも関わらず)
>琉球弥生人は、この西北九州弥生人が定住したものの末裔であると考えられます。
>日本本土では古墳時代半ばごろに突如としてこの南海産貝輪の流通がストップするので、
>この時期に西北九州弥生人が南西諸島に定住し始めたのだと思われます。
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1616941066/
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