【南北朝時代】王隠堂など後醍醐天皇に因む名字について
28日に放送されたNHK「日本人のおなまえっ!」は、3月に収録したもののニュースの延長で放送できなかった回。あっと驚くような名字がいくつか紹介されたが、中でもインパクトのあったのが「王隠堂」だろう。
この名字、奈良県のごくわずかだけあるもので、番組内でも紹介したように、南北朝時代の後醍醐天皇に因んでいる。後醍醐天皇が奈良の吉野に逃れた際、ある家に匿ってもらい、以来その家では「王隠堂」を名字にしたと伝える。王=後醍醐天皇、隠=かくまう、堂=隠した場所、という意味だ。
後醍醐天皇は他の場所でも名字を与えている。隠岐に流されていた天皇は、名和長年の手引きで島を脱出して伯耆国に上陸した際、地元の戸屋家に匿ってもらった。戸屋家では、鶏のねぐらに偽装して天皇を匿ったことから、「塒(ねぐら)」という名字を与えられたという。島を抜けてきたばかりの後醍醐天皇には、褒美として与えることのできるものは名字くらいしかなかったのであろう。
古い時代の伝承にはかなり話が盛られているものも多いのだが、この逸話では「鶏のねぐら」というあたりに信憑性を感じる。
「塒」という名字は、今でも鳥取県大山町などにある。
https://www.njg.co.jp/column/column-33080/
2: 2020/06/02(火) 06:42:39.45 ID:FuWUa6WV
現実の政治能力が低かったから
戦国時代が始まるんだぜ
トップが名前だけ立派でプライドだけが高い無能だと
周りは振り回されて地獄になる
戦国時代? 南北朝だろ
<<後醍醐天皇がお友達優遇で 現実の政治能力が低かったから
後醍醐が倒幕に動いたのは
自分の血統を天皇にするため
北条氏の肝いりで両統交代制になっていて
後醍醐は短期リリーフでどちらの血統でもなかった
やっぱり後醍醐天皇が苗字を与えたのかな
引用元: https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1591047242/
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