【戦国時代】戦国最強陪臣は伊達家の智将・片倉景綱で決まり!!!
ちなみに何した人なの?wwwwwwwwww
異議なし!
あと勝敗がなかったから託したんだろ
小十郎って陪臣だった
まあ、陪臣と言えば陪臣だが
しかし伊達関連の資料みると片倉と成実は大活躍だな
小十郎さんと最上義光さんは東北にはもったいない男だったな
政宗?
カレは東北にいながら強い影響力を誇った凄い男だから、もったいないを
越えた凄い男
かっこいい!
小十郎タソは徹底した合理主義
最上家が上杉家に攻められた際、小十郎は政宗に『お互い潰し合いになるから静観しなさい』と進言
最上の城に政宗の母が居る事を知っているにも関わらずである
さすがの政宗も青ざめてあわてて最上家の救援に向かったが
それ捏造。
実高16000石でした。
それ景勝時代の白石を含む刈田郡全域じゃないか?
だってあのママやばすぎるし
奴は奥羽のオーガだからなw
主家に多大な貢献をしたブレーンを連続して輩出した例って他にあるかな?
重綱はブレーンというより成実の後継者=現場指揮官タイプな気もするが。
鬼庭良直
鬼庭綱元
鬼庭氏も戦国時代に三代にかけて貢献したお( ^ω^)
佐竹義重に無様に○されたがなw
綱元がかなり長生きしたから
ずっと後の人物のような気がするお( ^ω^)
おいおい、小十朗は最上を見○しにしろなんて言ってないだろ。
双方弱ったところで、上杉を徹底的に叩くということだ。
当然米沢、会津を占領をした上で、家康に献上するわけで、
100万石は履行されることになる。
政宗が最上に援軍を送ろうが送るまいが、
どっちみち関ヶ原の短期決戦で西軍が東軍に敗北
→その情報を聞いた上杉軍が余力を残して撤退という大まかな流れは変わらんだろ
となると小十郎の進言を容れた場合米沢&会津を占領できてない伊達に残るのは
上杉に苦戦してる東軍最上に援軍を送らなかったという事実のみ
家康普通に怒るだろ、これ
戦前は関が原で短期間、しかも一日で勝敗がつくなんて
家康ですら思ってなかったんだろうから
こういう戦略でいくつもりでしたとキッチリ説明できればお咎めなしだろ
上杉・最上の消耗を待つかはともかく
山形城を軸に上杉遠征軍を遠巻きにする戦略は妥当だと思う
片倉景綱の息子に片倉重長がいるけど
彼の後室は真田幸村の三女の阿梅なのだが
当時から美人で有名だったらしい。
大坂の陣後の5年後には阿梅は重長の側室になったらしい。
美人な阿梅に対して重長は以前から下心があったと思うw。
そこんとこどうよ。
十万石から~三十万石じゃなかったっけ。
独眼流政宗だと・・・
PHPに遂に登場したな!!「片倉小十郎景綱」(by近衛龍春)
これだと自分の出自に苦労して出世に焦る片倉という今までのイメージとは
一味違った小十郎がみえた。
けっこうよかよ。
書店で、立ち読みしてきたが、「片倉小十郎景綱」(by近衛龍春)は、
片倉が深くかかわっている白石城攻略、その後の梁川、福島城攻めがほぼ
正確に記載されてたな。
片倉家は最終的に1万8000石
でもこれは表向きで
片倉家は約1400戸7500人の家士がいたお
軽く10万石の大名に匹敵する数だお( ^ω^)
もう要らないかもしれないけど一応うp。こっちの方が多分マシだと思う。
http://imepita.jp/20070725/460530
片倉家に真田幸村の子供がかくまわれてたという
事実を知ったとき物凄い感動しました。
幸村は天下の大反逆者ですから将軍家にバレたら
えらい事だったでしょう。
伊達家の天下への野望の一端を見た気がします。
そして結果的に自分の家系を武士として
残すことに成功した幸村の智謀にも感動。
ついでに松代の真田本家も、嫡子が居なくなった時、伊達家から養子を迎えたんだよね。
トリビアでした
愛姫関係なんかね
天下の三陪臣の中でも頭一つ抜けてる気がする
政宗、遠藤、輝宗、喜多、成実、田村とか‥
支え、支えられて生きてきたな。
政宗の手紙からも思いが伝わってくる。
ちゃんと息子の重綱(後の重長)と明記しないと父の景綱と勘違いする人が出るぞw
重綱は小早川秀明をちゃんと迎撃したらしいね。そして合戦では前線で切り結ぶ血気盛んな性格で、
大阪夏の陣では彼の指揮する鉄砲隊が後藤又兵衛を討ち取ってるし。
「仙台藩重臣石母田家文書」に載ってる
最上と上杉が戦っているとき、その上のほうでどっちかが負けるか、
もしくは共倒れするのを待つ目的で静観していた。
共倒れなら最上領取るの楽だし。悪いやっちゃ。
もしくは最上が倒れたら上杉勢を追っ払いつつどさくさにまぎれて最上領を取ると。
結果的には最上勢が守りきって上杉が撤退したので仕方なく最上の味方に。
あくまで中立な立場で上から眺めていたとか。
最初から最上を助ける目的で行ったかどうかまではわからん。
だが上杉軍にビビり手は出せないので西軍の味方だから手を出さないよとアピールし傍観。
最上救援にきた南部の背後で反乱をあおり家康から西軍だろオマエ!首謀者連れてこい→政宗アセって○す。
東軍勝利の報告を聞いていきなり最上の味方顔を開始し福島城で大敗。
しかも戦後に義光は安東の西軍内通を家康に訴えたが伊達については不問にしてたし。
実際、漁夫の利を狙って伊達は山形城を奪う気まんまんだったのに。
政宗が茂庭綱元に上杉領湯原城攻撃をさせた時には
この城は上杉軍不在という前代未聞の明け渡しまでしてるのに・・・
なんてセコイ男だよ政宗って。。
成実なんかは「こうなったら潔く秀吉と戦おう」なんていってたらしいが、
片倉は「いやもうとっとと秀吉の傘下に入っちゃいなさい。あれと戦ってもろくなことにならん」的なことを言ったと。
常に先を読んで、最悪の状態でも家を残すことを進めるという感じの人だわな。
まあ確かに下手こいて家が滅んだらそれで終わりだしな。
ふーん、それは有名だな
で、戦場でなんかスゲー作戦とか立てたってのはあるの?
むしろ成実がア○すぎるかんじだよなw
普通に先行きが読める人間ならもっと以前から秀吉と交渉してるわな。
父の輝宗は信長に贈り物とかしてるが政宗主従はアホで北条に都合が良いフィルターをかけられた話を盲信してただけ。
おかげで政宗は領土を取り上げられて政宗より遅参した最上義光は秀吉とかねて外交してたので奪いとった領土を見事に全て安堵されている。
末期的になってから秀吉へ「降伏」しに行くように勧めた片倉は無能。
当時の葦名は、佐竹から当主を受け入れていたので、葦名も佐竹領とすると、
常陸、下野、陸奥にわたって勢力圏をつくっていた佐竹。
が、秀吉の惣無事令を無視したのが、伊達。よって葦名は滅んだ。
>>187
そこらへんは葦名氏の跡継ぎ問題でごたごたしてたからね。
天文の大乱とまでは行かないが、似たような話だ。
本来は伊達一族が当主になるはずで、
佐竹が横槍をいれて奪ったので、それを奪い返そうとしただけだ。という感じの弁明を
惣無事令無視して秀吉からお咎めがあったときにしたんではなかろうかと。
これはあくまで伊達側の言い分で良い悪いはまた別の話。
さて、伊達佐竹どっちがよかったのかというのはさておき、
結局葦名領は佐竹一族でも伊達一族でも無くなってしまう。
たしかに秀吉の判断とおり違う大名入れてしまった方がいいだろうけどな。
当の葦名氏の残党はどう思ったかは知らないが。
まあ、伊達側についた残党・佐竹側にいった残党とで考えは変わるが・・・
とはいえその後秋田で50年続いただけでもよかったとは思うけどね。
戦下手。というより
この人は戦いの企画立案の立場だろう。
実戦向きではない。息子にもあんま前に出て戦うなって言うぐらいだし。
だから、いくら信頼されていても
向かない人を使うなという話。
これは政宗が悪いだけだから気にするな。
http://www.yonezawa-naoe.com/images/information/katakurasyou.pdf
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/R0387203
伊達政宗できました
武将兜ペーパークラフトダウンロード(米沢市公式サイト)
http://www.yonezawa-naoe.com/information/080813.html
http://www.yonezawa-naoe.com/images/information/date3.jpg
だとすると数々の戦場を経験した秀吉からそんなもの貰う程の鉄砲隊
を仕込んだのはやっぱ功績じゃねえの?
いかにもな少年漫画で、史実云々を別にして先が楽しみだ
小十郎は「少年漫画の美青年」設定か?
愛笛の名前は「潮騒」じゃなかった気がするが
タイトルは「親子鷹」
伊達は秀吉以降の時代とその前は全く違うから。
秀吉以前の戦いは強いよ。劣勢の戦でも戦うたびに必ず領地増やしている。
秀吉以降は戦じゃなく、政治の社会になんで、強弱なんてのは、評価の基準と間違っている。
政治に疎かった上杉なんて、そういう意味で最弱の大名だし、最上は滅亡してるし。
>>313
> 伊達は秀吉以降の時代とその前は全く違うから。
そもそも、南北朝を挟んでその前の伊達家とその後の伊達家も別物だから。
その後の伊達家は他の東北大名から見たら他国の兇徒。
「名参謀 片倉小十郎」(新人物文庫)12月7日発売
ヤフオクや尼で2万超えの時もあった「伊達政宗と片倉小十郎」の復刻版
これにより南部が山形から撤退するや安東や戸沢らも自領への不安が広がり瓦解したあげくに小野寺が突如西軍化。
しかし花巻城主北信愛に伊達は撃破され敗北。
こりずに伊達精鋭を投入するも敗退。
最上支援をしなくなった安東や戸沢らも怪しい動きを始める。
翌年になり準備を整え終わった南部が一大攻勢をかけるや伊達軍は崩壊。
南部にチクられ家康から和賀を同伴して出頭せよ!と命じられた政宗は和賀を自害に追い込んだ挙げ句に南部信直に「これで水に流して欲しい」と土下座。
ただ、関ヶ原の時に政宗が相談したのは留守政景だし、
直江のように家中の内政外交に独裁的な力は発揮して
ない。縁の下の力持ちなんだろうな。
それは軍配者とか呪術者だろうが。
でもそもそも小十郎がそんなことしたことないだろ。
政宗は只野って小姓を寵愛してその姉を側室にしてるくらいだから
あれほど思い入れのある景綱の娘を側室にしてもおかしくないと思うんだが
子が産まれなかった側室は系図に名が上がらないそうだから仮説の一つにならないだろうか?
娘の名前も「女」で判明してなかった
陪臣の身で天下を取った三好長慶が最強だろ。
ただ、長慶公には最強とか全一という言葉が似つかわしくない気がする。
こういう言葉で括ってしまうと安っぽく感じる。
だいたい、タヒぬような糖尿末期だったら、デブじゃなくてガリガリになるけどw
そんなかっこ悪い引退の仕方は他にいないよな
保護者とか父親や兄代わりというか
この人タヒんでから政宗好き放題やりまくりの困った爺さんになっちゃったし
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1162708402/
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