【中世】ヨーロッパの世界大戦とも言われたイタリア戦争を語ろうぜ???
ここがすごいよイタリア戦争
1、世界初の大規模な騎士同士の戦争参加した国は 今のイタリア、ドイツ、イギリス、スペイン、フランス、オーストリア、ギリシャ、トルコ、と世界規模の戦争となる
2、騎士の時代の終焉、この戦争により騎馬兵や騎士の華々しい軍功は消え歩兵や大砲による近代戦が幕を開ける
3、イタリア統一400年の悲劇の始まり
戦争の形態は中世的な騎士を主体とした戦闘ではなく、火砲(鉄砲)を持った歩兵の集団戦の形態に変化した。また、大砲が実用化され、戦闘規模が拡大し、
火砲の優劣が勝敗を分ける要素として重要になってきた。このような武器の変化にともなう、
戦術、戦争形態の変化は軍事革命といわれており、騎士階級を没落させた
そして。
>>1
イタリア戦争の結果、西ヨーロッパ諸国間で互いに大使を常駐させる外交慣例が
定着し、また、一国が突出して力を持つ状況になると関係国が介入してそれを
抑制し、力の均衡を保つという、勢力均衡の原則が国際政治の論理として姿を現した
も付け加えて。
あんまり話題に挙がらんよね中世ヨーロッパ史でも
かなり大規模な戦役なんだがな
30年戦争と同じくらい重要な戦役だけどな
神聖ローマが相変わらずばらばらなおかげでフランスは助かってる
スペインはヨーロッパで覇を唱えるには端すぎる
あとスペインとフランスはピレネーがあってあまり大規模な戦闘が起きにくい
主戦場は北イタリアとフランス・ベルギーの国境戦
>>6
>神聖ローマが相変わらずばらばらなおかげでフランスは助かってる
神聖ローマ帝国がばらばらなままだったのは、リシュリュー枢機卿をはじめとする
フランスの指導者たちが故意にあの国を分裂したままにしておこうと努力した
生だと思うが。
フランスが宗教内乱やってる間に
全くドイツ側から有効な手をとれなかったのがね
>>6>>11
ヘンリー・キッシンジャーが『外交』で、近世初頭のフランスのことを、神聖ローマ
帝国の再生により「フィンランド化」される国と書いていた。
ヨーロッパの地図を一目見れば、フランスが周りをハプスブルクの領地に囲まれて
いたことがわかる。南にはスペインがあり、南東部にはスペイン支配下にある
イタリア北部の都市国家群、東部ではフランシュ・コンテもスペインの支配下にあり、さらに北方はスペイン領ネーデルラントだった。
一般に考えられている以上に、この時期のふらんすは危機的な状況にあったわけだ。ハプスブルク家が、フランスよりもプロテスタントを敵視する古い考え方に
凝り固まっていたおかげでフランスは助かったけど。
わかりやすくベルギーとした
イタリアじゃ負の歴史なんだろうな
それ以前から統一なんて全然無理な感じだったけど
真ん中に教皇領があるから強力な世俗政権作れない構造になってる
>>8
イタリアにとって最大の事件だったのは、1627年の皇帝軍によるローマ略奪
その衝撃は大きく、イタリアではルネサンスが終焉した
「これ以前と以後で違う国になった」というほどの衝撃
ローマ劫掠がおきず、ルネサンスでイタリアの文化が発展し続けたら
歴史はどう変わっただろう。
もしフランスが南イタリアを手に入れていたらヨーロッパの歴史もかなり変わっていたんだろうな
フランスが産業革命を成した、、、とそうなればイギリスはいずれ来るフランス海軍にほろぼされてたな
イタリアという国そのものがなかっただろうな
北はローマかヴェネチアという国南はナポリという国に
イギリスが先んじたのは地政学要因だから無理
フランスは中国と立ち位置が似ていて国内で資源もあり市場がでかいから
イギリスほど海外進出は積極的になれなかったとウォーラステインが書いてる
広大な海外領土があるのに海外に植民する気運がイギリスに比べて全く低かった
一応14世紀から15世紀が中世後期と言うらしいしまあ中世といえば中世だろう
まあ1500年代はルネサンス期だし中世といわれてもピンとこないけどね
東欧や北米からは木材、スウェーデンからは鉄、
良質な木材が海軍を維持にする重要だし、冶金のために熱をおこすこにも木材は重要
イギリスは木材資源に困っていて他の国より先んじて石炭を使うようになる
あと国内市場も小さいから競争が激しい欧州よりも比較的ゆるい植民地との貿易が盛んになりその結果移民も増える
こうやって貿易網を経済縮小期の17世紀の段階でフランスより拡大させていった
これが1世紀後の産業革命の経済拡大期でいっきに有利に働く要因になるというのが
おおまかな要約
フランスは鉄も木材もスウェーデンやバルト海ほど良質でないにしても国内に充分あったので
イギリスほど海外進出する動機がうすい
それと国内の陸路の貿易網もうるおっていた
けれども海路による貿易の方が初期投資は高いが陸路より長期でみればコストは安くなり相対的にイギリスが有利になる
時代がイタリア戦争とずれるけど
イタリア戦争の頃は経済拡大期だからね
この頃は経済的に北イタリア→南ドイツ(フッガー、ヴェルザー)→ケルン→ネーデルラントのルートが経済の中心
フランスはいつもいつも肝心なときにヘマをするから2番手のままなんだよな
100年戦争然り、イタリア戦争然り、ナポレオン戦争然り、普仏戦争然り、ww1然り
めぐって、フランスとの対立が本格化した。
1494年、アラゴン家傍流が治めるナポリ王国がフランス軍に制圧されると、
フェルナンド2世は教皇やヴェネツィアと結んで対抗し、フランス軍をイタリアから
敗走させる。
1男4女に恵まれた両王は積極的な婚姻戦略を進め、フランスとの対抗上、
イングランドには末娘カタリーナを嫁がせ、ハプスブルク家とは、嫡男フアンの妃を
迎えるだけでなく、次女フアナを同家の次期当主フィリップ美公に嫁がせて、
二重の婚姻を結んだ。
こうしてスペインはフランスに対抗しながらヨーロッパ国際政治の中心に躍り出る
ことになった。
イタリア戦争といえばサッコ・ディ・ローマが有名だけど。
もともとランツクネヒト(ドイツ人傭兵)は、貧しい農村出身者で大半が占められていた。
彼らは常日頃から、聖職者の貪欲な搾取や目に余る腐敗や、教会に支払う十分の一税の
重さなどに憤懣を抱いていたが、それがイタリアにきて一気にあふれ出し、教会や僧院
ときくと逆上した。
故国でプロテスタントの反教皇庁宣伝を聞きかじり、怒りを募らせていた
ランツクネヒトらは、当然のことながら悪の巣窟とみえたヴェティカーノ宮へも
押しかけ、宮殿の壁にカール5世に対する賛美、V.K.IMP(カール皇帝万歳)や、
マルティヌス・ルテルス(マルティン・ルターのラテン名)を槍で引っ掻いて
刻み付けたりした。
まあプチ氷河期の1500年代初頭ってのもドイツ人傭兵を生み出し戦争を集団戦へといざなった要因だろうね
そこんとこは日本の戦国時代と似てるなまあ欧州の場合は騎士は没落したが
他国の兵もドイツ人だらけ
カール5世がドイツ語は馬の言葉と表現したが
あれはドイツ語が馬のいななきに聞こえるわけではなく
軍隊の言葉という意味だろう
>>30
世界史と話ずれるが戦国時代の甲斐国の武田とよく似てるね
ドイツも甲斐もろくに作物が実らない常に飢餓状態で飯を食うには不毛な土地を耕すより戦争したほうが早い
だからドイツも甲斐も人口が他国より少なかろうが必ず一定数以上の兵隊を維持できた
マクシミリアン1世がブルゴーニュの継承問題で対フランス戦でスイス傭兵をモデルに編成したのが最初だったと思う
歩兵戦術に関してはスイスの影響がでかいな
ブルゴーニュ公シャルルを1477年にナンシーの戦いで反ブルゴーニュー連合がスイス歩兵の突撃戦術で打ち破ってシャルルが戦タヒ
ブルゴーニュの継承問題の発端になったのもスイスが原因の一端になっている
昔はスペイン支配によりイタリアは衰退したとされてきたが、ぶっちゃけスペイン支配が
なくてもイタリアの衰退は避けられなかったのではないかと思う。
独立を保ったヴェネツィア共和国も16世紀には凋落が始まり、17世紀にはすべてが
衰退していった。
ナポレオンみたい1000年に1度の化け物レベルの軍人が居なきゃあと1世紀は繁栄できたろうな
つーかイタリア戦争は何十万とタヒ人出した割りに知名度低いよか
なぜか戦争自体はあまりふれられないよね
塩野とか無視してるし
やっぱりイタリア没落の歴史は描きたくないのか
戦争自体はおもしろいんだけどな
少ないのはポーランドとかバルカンあたりの東欧地域
http://slideplayer.com/slide/7454473/24/images/63/Population+Density:+18c+Europe.jpg
スペインが以外に少ないな
あと鉱物資源も取れたし都市部の産業も栄えてた
イタリア戦争時代の南ドイツは好調でフッガー家が象徴するように欧州経済の核の1つになってたし
ドイツでも貧しい地域や貧しい階層の人間が傭兵業に参加したのは確かだけどドイツ全体が貧しかったというのはちょっと違う
領邦が分立してて戦闘する機会が多いから需要も増えて傭兵業が盛んだったと考えられる
スペインはフランスのように国土のほとんどが農地に向いた国ではないからな。
ガリシアからピレネー山脈にかけての北部地帯以外は乾燥しており、年間を通じて
雨が少なく、夏冬の温度差が激しい。
さらにメセータという巨大な台地が国土の中央部を占めていて、沿岸部と内陸部の
標高差が大きく、河川交通がほとんど発展せず、経済統合には不利な条件だった。
この時代のイタリアはすべてが詰んでる感じだな。
統一もできない、大航海時代には乗り遅れる、東地中海にはオスマン帝国が進出してくる。
それまで海外投資に奔走していた商人たちは、土地からの収入に頼るようになる。
新時代にうまく適応できるような材料が何一つない。
兵士たちと、大部分がルター派に属していた1万8千人のドイツ兵からなる混成部隊
だった。
そして全員が、金品だけが目当ての傭兵だったのである。ところがブルボン元帥の
手元には、彼らに支払う給料がなかった。そこで彼は、ローマに行きさえすれば
戦利品を得ることができるといって、兵士たちをまとめるしかなかったのである。
1527年5月5日にローマの城門に達した皇帝軍は、翌6日に攻撃を開始した。
攻撃の初日にブルボン元帥は戦タヒし、指揮官を失った兵士たちは略奪を始めた。
彼らは教会に乱入し、聖遺物を破壊し、聖人たちの頭をボールのように蹴って遊び、
修道女たちに乱暴した。また民家に侵入しては、住民たちから金品や貴金属類を
巻き上げたのである。
彼らはようやく9か月後の1528年2月16日に、莫大な戦利品を携えてローマを
去った。命からがら逃げだした教皇クレメンス7世が自分の宮殿に戻ることが
できたのは、同じ年の10月になってからのことである。
カンブレー同盟戦争以降イタリアは大体スペイン支配下に置かれたと言っていい
フランスとオスマン帝国は1536年に同盟を結び、両国の艦隊は地中海で合同作戦を
とるようになった。
この同盟は、異教徒を撃退するための軍事遠征という考えが、すでに過去のものと
なりつつあることをあらわすものでもあった。
それに対してカール5世は、フランス王フランソワ1世に決闘を申し込むという
中世的な行動をとったりしている。
やはり神聖ローマ帝国はフランスに比べて遅れていたのか?
>>54
遅れてたというか日和見主義なとこがあるな
軍事行動も常に後手に回ってたし、、、単純な戦闘力や作戦行動でいえば少し先の時代だが、三十年戦争で当時北欧最強のスウェーデン相手に善戦してたしな
ただ皇帝の政策よりフランスの方が現実的だったのは確か
ハプスブルク家はフェルディナント2世の時代になっても、
「私は、問題が宗教に関することになったときは、異端派に対するどんな妥協を
認めるよりも、むしろタヒぬことを選ぶ」
といっていたからな。
同時代のフランスは国家理性を追求していたのに。
後期になるとフランスVSハプスブルクになる
そいやなんでハプスブルク家ってイタリア戦争辺りから崩壊するwwⅠ前までの数百年間見境なく他国を併合して奪っていったんだろ
スラブ民族すらも組み入れてたしそのせいでなんつーかきちんとした盤石な国家として成し得なかったし・・・
大人しくイタリアをとることに専念すればよかったんじゃないかなと
>>60
イタリアはスペイン=ハプスブルクの持分だから、オーストリア=ハプスブルクは東欧方面に勢力拡大した
それだけの話
スペインとオーストリアは別の家だったからな
>>60
カール5世は1556年に引退する際、中欧の諸領邦と神聖ローマ皇帝位は自らの弟
フェルディナント1世に譲ったため、ハプスブルク家はスペイン系とオーストリア系に
分かれることになった。
息子のフェリペ2世が継承したのは、スペインと新大陸の植民地、イタリア諸邦、
ネーデルラント諸州、フランシュ・コンテ。
ユグノー戦争への介入も全然うまくいかないし
フランスをぶっ潰すチャンスだったのにな
迎えているからな。
>>65
スペイン軍がネーデルラントに常駐して、ドイツやフランスにいつでも進駐できるのは脅威だった
アンリ大王が即位するときも大変だった
ブルボンのアンリ追い出してフランス王につけられたかもな
ただフランスって男系絶対主義だからね
まぁローマ教皇のお墨付きがあればなんとかなるか
初心者ですまんこの戦役と30年戦争、100年戦争
重要度で決めればどんな順位になる?
教皇ユリウス2世は、まずカンブレー同盟を結成してヴェネツィアをアニャデッロの
戦いで破り、次いで神聖同盟を結成してフランスをラヴェンナで破り、イタリアから
外国勢を追い出すことに成功した。
彼がもう少し長生きしていたら、イタリアの歴史も変わっていたのだろうか?
銃はないけど爆薬ならあるが
神聖ローマ帝国史やフランス史やイギリス史の本を何冊と読んで、自分の脳内でまとめる
結構詳しく書かれてるよ
同時代のドイツに興味あるからドイツ語を英語に変換して読んだりしてる
あれだけでも日本語の書籍よりよっぽど詳しい
最大の敵のブルゴーニュ公も勝手にこけて敵なし状態
ブルゴーニュ公国が健在ならイタリア戦争やる余裕なかった
まずブルゴーニュ公国は王領とほぼ同規模であり、王を脅して王国内の所領税金を免除させた
そしてネーデルラントをもってて裕福、シャルル豪胆公がタヒななきゃ、ブルターニュの王領への合併もうまくいかず
王が国内で突出した力をもつのは厳しかっただろう
もっともヴァロア家がほぼ途絶えて王座がヴァロア・ブルゴーニュ家に移ったら
ライン川以西はほぼフランス領、強すぎて神聖ローマと合併できるな
ヴァロア・ヴァンドーム家が途絶えるまで100年待たないといけないけど
自分の婚外子に領土やって大公名乗らせたり俗人と変わらん
ファルネーゼ家はだいたいパルマ公になるしな
勝手に教皇領切り売りして大丈夫なのかとは思うが
高いので買うのは厳しい方は図書館で
タイトル 戦場の中世史
サブタイトル 中世ヨーロッパの戦争観
著者 アルド・A・セッティア著/白幡俊輔訳
ページ数 475頁
判型 A5判・上製
定価 4,950円(本体4,500円)
内容 城攻め、平地での会戦、町や村の略奪、野営地での休息……。
人びとは何のために武器をとり、また戦火の下で、何を見つめ、何に気を取られていたのだろうか。
年代記等の史料がふと漏らす一節に新たな光をあて、城壁の内外での虚々実々の駆け引きから、
兵器のディテールに至るまで、中世の戦場の「リアル」な姿を再現してみせる画期的論考。図版多数。
日本語だけならまだしも英語でもドイツ語でもない
恐らく現地のイタリア語でもないのではないか?
欧州史全体見れば100年戦争より重要なのにな
英語圏補正だろ
ヒストリーチャンネルも欧州大陸の戦争には冷淡だ
そこから十字軍に赴くとの野望を抱いていた。
その他に、フランス国内でたえず内戦をひきおこしかねない
若い貴族たちをイタリアで外敵と戦わせるという政治的理由もあったという
イタリアでミラノ公国・ヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・
教皇国家・ナポリ王国という五大勢力による平和が実現したのは、
フランス国王、神聖ローマ皇帝、アラゴン国王のような近隣勢力が、
それぞれの国内問題に没頭し、イタリアに介入できない状況にあったから
フランスの国王たちは、百年戦争の終結以後、王権のもとに国内各地を
確保することに努力した
それが一段落したとき、国王シャルル8世は、イタリアに遠征し、ナポリを占領した
フィレンツェではメディチ家が追放され、ナポリ国王はシチリアに逃走した
ここにイタリアの平和は崩壊し、イタリア戦争が始まる
フィレンツェではロレンツォ・イル・マニフィコがタヒ去
7月には教皇インノケンティウス8世がタヒに、ボルジア家の
アレクサンデル6世が即位した
また、イベリア半島ではグラナダが陥落し、レコンキスタが完了
同じ年にコロンブスがアメリカ大陸を発見
世界の権力の枠組みは、もはやイタリア諸都市ではなく、
巨大な統一国家であるフランス、ドイツ、スペインとなった
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1513341492/
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