【考古学】壁に竹林の七賢図、昭明太子の墓か?異例の規模に脚光、詩文集「文選(もんぜん)」の編纂)者、皇帝陵の規模に匹敵
中国江蘇省南京市で、墓室の壁に絵が描かれた大型の壁画墓がみつかり、
南北朝時代の南朝、梁(りょう、502~557年)の皇太子、
昭明太子(しょうめいたいし、蕭統〈しょうとう〉、501~531)の墓の可能性が高いことが分かった。
昭明太子は、日本の平安文学などにも影響を及ぼした詩文集「文選(もんぜん)」の編纂(へんさん)者として知られる。
中国で皇帝陵クラスの墓が発掘調査されるのは異例で、日中の研究者は注目している。
調査を指導した南京大学歴史学院の張学鋒教授(考古学)によれば、
南京市博物館考古部(現南京市考古研究所)が2013年1~6月、南京市北東部で発掘調査。
れんがを積み重ねた大型墓2基(南京獅子沖南朝大墓)が出土した。
東側の1号墓の墓室は全長14・2メートル、幅6・4メートル。
西側の2号墓は全長15・2メートル、幅6・48メートル。
いずれの墓も大きく破壊されていたが、その規模は南朝のほかの皇帝陵に匹敵する。
墓室のれんがには壁画が描かれ、1号墓の壁には南朝皇帝陵で描かれることの多い
「竹林七賢(ちくりんしちけん)図」「羽人(うじん)戯虎図」があった。
「竹林の七賢」は3~4世紀ごろの7人の知識人。
社会の混乱で儒教が衰えた一方で、個人主義や虚無主義的な論議(清談〈せいだん〉)が流行。
7人は自由奔放な生活を送り、竹林の中で議論するのを好んだとされ、七賢図は南朝で好まれた絵のモチーフとなった。
■画像一覧
1号墓の「竹林七賢図」の一部
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000853_comm.jpg
「竹林の七賢」の拓本
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000859_commL.jpg
1号墓の「竹林の七賢」の模写
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20180215000861_comm.jpg
2号墓に表現された空を飛ぶ仙人(飛仙)の壁画
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000864_comm.jpg
2013年に発掘調査された大型墓(南京獅子沖南朝大墓)。右は1号墓、左は2号墓
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000852_commL.jpg
昭明太子が生きた時代の東アジア
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180215000867_commL.jpg
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL1Z5QPBL1ZPTFC019.html
>>11
残念ですね。
このニュースは、昭明太子すなわち蕭統のお墓が見つかったということで、その弟は
日本のことを本に書いているのでちょっと期待しますよね。
良く分からない人に説明すると、この蕭統さんという人は、梁の武帝の長子です。
そして武帝の七男、つまり、昭明太子の弟が、梁の元帝の蕭繹さんです。
元帝(蕭繹)は、荊州刺史を務めていた西暦526~539年頃に、『梁職貢図』を作っていて、
その図の説明図に、日本のことが書いてあるのです
なお、梁の昭明太子蕭統の三男が、蕭サツで、西魏政権の手によって後梁の天子として
即位させられて、おじさんの蕭繹と対立し続けました。というか、蕭サツというのが、
本当の敵であった西魏に国を売ったバ○だったのです。
尤も、元帝も西魏の力を利用して、蜀の地を得たのですが、それがもとで、西魏に蜀を
与えてしまうという大失敗をしたのでした。
甥っ子の蕭サツは、首都江陵の周辺八百里だけを領土とする、名目上の天子に
祭り上げられて、おじさんの蕭繹をとっつかまえて、土嚢をいくつもおじさんの上に載せて
圧し○してしまいました。
なんか北朝鮮みたいですね。怖いですね。ではサイナラ
蕭繹もなかなかの暴君だから自業自得だけどな
制作まで5年かかったとか
一見地味だけど1,500年前にすごい技術だな
技術もだが労力も凄かったろうな
菜食だったからか
「昭明」太子に「脚光」っていうダジャレかなぁ。
『文選』て曹丕じゃなかったか? と調べたら、曹丕が書いたのは『典論』だね。
『文選』に曹丕の書いた作品も収録されてるから無関係でもないけど。
梁ってほとんどこの人の治世じゃん
ジャンキーって教わったけど
21世紀になってから凄い発見が相次いでいてびっくりする。
2009年
曹操の墓と頭蓋骨発見
2011年
梁元帝蕭繹の『職貢図』で、失われたと思われていた題記(説明文)を、趙燦鵬氏が発見。
これは、張庚の『諸番職貢圖巻』という史料で、高句麗、新羅、倭国、百済の題記が含まれる。
とくに新羅の題記は新発見で、高句麗題記の一部は、日本にのみ残っている『翰苑』に欠
けている部分を補足できた。
2013年
蕭繹の兄の昭明太子蕭統の墓発見
>曹操の墓と頭蓋骨発見
下顎にインプラントの痕跡が……
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1519314474/
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