【歴史】西郷どんが猛反対?日本初の鉄道が海を走らざるを得なかった理由
日本初の鉄道を描いた「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」。海に築かれた堤は石垣で固められ、中央に線路が敷かれている。東京湾へ抜ける水路が設けられていることも分かる=東京都港区立郷土歴史館提供
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内務省が作製した1887(明治20)年の地図には、海上に線路(地図の右上から中央下)が通っていたことが記されている=東京都港区立郷土歴史館提供
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出土した「高輪築堤」=JR東日本提供
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「海を走る鉄道」と呼ばれた日本初の鉄道の遺構が東京都港区で出土した。明治初期に東京湾の浅瀬に土を盛って築かれた堤で、当時はその上に線路が敷かれていた。堤の上を鉄道が走る様子を描いた浮世絵も残されているが、堤の実物が確認されたのは初めてだ。なぜ、わざわざ海上を通らせたのか。背景には、明治維新で活躍した西郷隆盛が鉄道の敷設に反対だったことがあるようだ。
日本で初めて鉄道が開業したのは1872(明治5)年のこと。東京・新橋(港区)と、外国からの大型船が停泊する商業都市・横浜を結んだ。当時は蒸気機関車の時代。全長29キロの道のりを53分かけて走った。そのルートの一部約2・7キロに、海に築かれた幅約6・4メートルの堤があった。場所は現在の田町駅(港区)から品川駅(同)までの辺りとされる。
港区立郷土歴史館によると、出土した堤は台形の構造で、両脇は石垣で固められている。JR東日本による再開発工事中の2019年4月、JR品川駅付近で見つかった。その後も断続的に見つかり、これまでに長さ約1キロ分が確認されている。線路そのものは出土していない。
鉄道史に詳しい立教大の老川慶喜(おいかわよしのぶ)・名誉教授は「海上に築堤があったのは有名な事実だが、取り壊されていると思っていた。まさか原形をとどめているとは」と驚く。堤は「高輪(たかなわ)築堤」の名で知られるものの、これまでは浮世絵のほか、若干の枚数が残されている写真でしかその様子を知ることができなかった。出土した堤は、内務省が作製した1887(明治20)年の地図に記された線路の場所と一致しており、港区立郷土歴史館やJR東は高輪築堤の実物だとしている。
堤はどんなものだったのだろうか。明治初期の浮世絵「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」(港区立郷土歴史館所蔵)には、海に築かれた堤の上を蒸気機関車が煙を吐きながら走るさまが描かれている。堤には水路が設けられ、東京湾へとつながっている。岸辺を人や馬車が行き交う姿もあり、明治維新直後の日本の姿がしのばれる。
海上を通るルートを選択した理由は何だったのか。老川名誉教授によると、陸上を通るルートでは兵部省(軍事を担当する役所)の所有する土地を通らなければならなかった。しかし、明治政府の要職にあった西郷や兵部省が鉄道の敷設に反対し、土地の引き渡しを拒んだ。西郷らが当時、鉄道を開業させるよりも軍備拡大を優先させるべきだと考えていたためとされる。このため、海を埋め立てながら線路を敷くことになった。鉄道がいつまで運行していたか不明だが、堤は明治末期まで使われていたとみられている。その後、周辺は昭和初期までに埋め立てられ、線路や堤の行方も分からなくなっていた。
老川名誉教授は「堤がどういうものだったのかが詳細に分かり、日本の鉄道の原点を示す非常に貴重な資料だ。現地で保存していくことを粘り強く考えていくことが大事だ」と話している。
JR東の再開発計画では、堤の上に高さ170メートル前後のビル4棟を24年度までに建てる予定だが、広報部は「現場調査の結果を踏まえ、計画の見直しが必要か検証していく」としている。JR東は港区教育委員会などと協議して保存を検討しており、来年1月10~12日に事前応募制の一般公開をする予定だ。公開は1日5回で、各回の定員は20人。応募ははがきで12月23日の消印有効。問い合わせは「高輪築堤」現地見学会事務局。【山本佳孝】
毎日新聞 12/19(土) 11:45配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201219-00000028-mai-soci
>>1
毎日新聞さんへ。
「日本初の鉄道」開通・運行は、1865年の長崎(市民病院前~グラバー邸下)です。
1872年の新橋~横浜は、「日本初の営業路線」に過ぎません。
鉄道の線路は、長崎でも海岸線に沿って敷設されました。
鉄道敷設を急ぐ場合、鉄の腐食リスクよりも、機関車やレール等を船で間近まで運べ、家屋取り壊しや山や谷の地形が避けられる、水平な海岸線がベターだったのでしょう。
>>1
>西郷らが当時、鉄道を開業させるよりも軍備拡大を優先させるべきだと考えていたためとされる。このため、海を埋め立てながら線路を敷くことになった。
軍備拡大を優先するためによけいに費用のかさむ海上の埋め立てした? ほんとに? だとしたら西郷はア○ってことにならん?
予算より鉄道は軍事にとって非常に重要なのにまったく理解できなかった愚鈍ということだ
実際その後の鉄道計画は経済優先で沿岸の街を縫うように敷設したい鉄道関係者と
軍事輸送に活用したいため艦砲による破壊を恐れて内陸に敷設させたい軍との綱引きになる
現在の3代目横浜駅も元々は海を埋め立てた部分に線路敷いたものだけど、あれだけ地下ほっちゃってるともう遺??物なんか出て来ないんだろな
徳川将軍の名前をそのまま付けてる人初めて見たわ
うちの従兄弟は足利将軍の名前だけど
あれは名鉄じゃね。トンキン。
今の日本の政治家も邪魔な奴はさっさと追い出せばいいのに
鉄道敷設より軍備拡張って分かってねえな
鉄道敷設と軍備拡張、植民地経営って欧米では
同時にやるもんだ
鉄道も出来ないでウチには強い兵隊がいます
と自慢したら列強は「アンタバ○?」だろ
煙に火の粉混じるから建物にかぶらないよう線路は離した、という話も。
駅も線路も微妙に中心街から離れてる。
それかもしれんな、本当は
そっちの方が論理的
>>6
これだよなぁ
昔は機関車の煙で火花も飛び散り普通に家屋が燃えるのありまくりだったし
水路に走らせただけだろ
そういう考えで
山口の萩に鉄道作らなかったので
長州藩の城下町だったのに維新後は没落したんよね
元々長州藩は幕府に指定された萩よりも山口を首府にしたかったんだよ
幕末に山口に藩政機能を移したんだけど、長州征伐に降伏して萩に戻し、その後に盛り返したら
再び山口に移してる
萩が寂れるのは既定路線だったよ
言わば関ヶ原敗北の象徴だからね
関ヶ原云々じゃなくて、
佐幕保守派の基盤が萩で、
勤王改革派の基盤が山口だったと、
どこかで聞いた記憶が。(´・ω・`)
山口より防府にあれば山口県は錆びれずにすんだかもね。
盛岡、金沢、鹿児島辺りも駅と中心街離れてるしな
逆に駅前に中心街があるように見える都市は、大抵はもともと小さかった街の端に駅が置かれていて、後から発展したケース。
鉄道そのものを忌諱して終わっちゃた街も沢山あるよな。
昭和に入って鉄道の重要性に気が付いて、あわてて省線の駅からの私鉄
を作ろうとしたけど、世界恐慌で金が集まらなかったり、
作ったものの利用者少なくて廃止とか沢山あるよな。
>>6
埼玉の浦和では、実際に汽車の煙で沿線が火事になったという記録が残っている
汽車ノ飛火 北足立郡浦和町三百四十八番地平民畳職石井金蔵方より二十六日午後一時二十分発火し
居宅一棟消失せしが発火の原因は同所を通過せる日鐵列車の煙突より飛び火したるなりと
(明治39・5・29埼玉新報)
木造の家屋が密集している所は、それだけ延焼のリスクが高くなるし、
火の粉がどの位遠くまで飛ぶか全く予想が付かない以上反対されても仕方ないし、出来るだけ離れた所に線路を敷くのも当然の話
>>6
大体その時点高性能なポンプは無いから
数百件燃える大火とかすぐだしねえ
黒船で驚愕した部分の問題だし(撃たれたら即首都が灰塵)
最低でも区画整理で防火帯作ってからじゃ無いと厳しいでしょ
保存した方が新たな観光資源になっていい可能性もある
読んだら、
スタートが明治で驚いた
倉吉線か
倉吉は白壁土蔵群のある所だよな
土蔵だから火に強く、汽車の煙にも耐えられると踏んでの事だったようにも思える
徳川幕府を滅ぼしてあげて それまで家畜同然の庶民を平等にしてあげたり江戸って名前を東京ってオシャレな名前に変えてあげた
西郷はむしろ、士族の特権を守ろうとした方だろ。
官僚制度も西郷が作ってあげた
士族の特権奪ったのが西郷どんじゃなかった?だって皆んなビビって出来ないのをやれるのは彼だけ
確か島津久光だかは徳川倒した功績は自分だろぐらいに思ってたら
まさかの士族廃止で西郷許さんと怨みまくりとか聞いたけど
>>54
西郷がなくしたのは、藩という組織。
久光に恨まれたのは、そのせい。
しかし、西郷党が支配する鹿児島県では、
殿様がいなくなっても、士族支配が残った。
西南戦争は、それを維持するための戦争だよ。
士族支配が残ったのは倒幕の最大功労者だから無理に強行出来なかったんじゃ
西郷さんは列強に対抗する近代軍隊作るには
国民皆兵が絶対必要、幕府倒す動機もそれだし最初から士族も守るどころか潰す予定だったじゃん
それは長州の大村なんかの思想で、
薩摩に国民皆兵思想なんかねーだろ。(´・ω・`)
戊辰戦争は佐賀のアームストロング砲のお陰で勝てたからね
あるよ斉彬から欧州軍隊の横暴さ聞かされて日本が侵略される可能性あるから
幕府倒す動機は近代軍隊作るためだよ西郷
ほんとは斉彬の遺志なんだけど
>>87
徴兵令に強行に反対してたのは、
西郷の腹心の人斬り半次郎だろ。
西郷は表立って反対しなかったが、
結局は桐野たちの神輿になるんだから、
国民皆兵論者と認めることなど、できんだろ。(´・ω・`)
西郷の全ての行動原理は亡き斉彬の思想を実現する事なんだよ
斉彬は国際情勢を分析してて大名でありながら日清日露戦争を予見してたの
イギリスフランスよりロシアが朝鮮狙ってくるから日本とガチ○コ対決になるって
西郷が征韓論唱えた理由は早く朝鮮抑えろってそればっか考えてたから
斉彬は徳川と仲良かったけど、西洋に対抗するにはどうしても明治政府みたいな中央集権作るしかないと決意してたのに
お家争いで急タヒ
それが大日本帝国を破滅へ突き進める始まりだったんだよな
>>108
江戸時代の統治機構を知ってる人物がいたから明治維新がなんとか
うまくいったんであって明治以後の人材は大概ダメだもんな
明治維新でグッジョブな点があるとするなら学制くらいかな
ドイツの複線式の学制を導入したことと寺子屋や藩校など
各地でバラバラにやってた教育機構を全国一律にしたのはよかったのでは
日露戦争以後日本を狂わせて破滅させたのは東北のルサンチマン
ちがうよ明治維新こそ薩長のルサンマンチンだだから
前政権の徳川家の否定しかできなかった新しいものは
全部欧米のパクリというより欧米の傀儡國となることで
明治維新を正当化してる
あんなとこ昔は軍ないだろ
民間の土地収用が難しいってのも有ったんだろな高島町は
有楽町とか新橋あたり?
たかが車をつないで走らせるためになんで大金掛けて鉄の道を作らんないけもはんばい?って感じ
使節団は歴訪前から当然理解してたんだがね
その人らは「大量輸送」自体がなにか、そこから理解できてなかったようなのね
まさに百聞は一見にしかず
西郷が欧米に行ってたら日本の歴史はもう少し変わったのかもな
船に乗りたがらないのにどうしろと(´・ω・`)
入り馴れた檻にぶちこんで島流し。
>>23
彼は訪米中で留守政府の中で大隈と工部省の連中が建設を推進したんじゃなかったか?
工部省自体も明治2年に大隈と伊藤が工部省設置の義を提出して立省した役所なんで
大隈の息がかかってたんだろうな。
鉄道を国営でやらないと欧米資本に建設されてしまいかねかったから当然の自然のながれだな。
陸から離したのはあのあたりの住民から繰り返し工部省へ陳情があったからとなんぞやの本で読んだな。
(工部省とその時代だったかな?)土地収用と代替地提供のコストや収容に手間取りやむえずああなったとか。
米欧回覧実記、大学1年の時に読まされたが面白かった
鉄道で兵員輸送する知恵までは無かった
海外留学しなかった底辺出身侍の限界か
江戸の町は木と紙でできてるから
当時の田町~三田の辺りって塩田だとかばっかり
屋敷なんかないぜ
米沢や名古屋なんかもそう。
米沢に名古屋にえらい後から工事始めたとこの話されても
品川~横浜はお雇い外人の観光列車で工事や運用ではなにも収穫がなかった
開業の年には中山道線(高崎線)の工事が始まっててゴムタイヤがなかった頃の輸送や今につながる鉄道の運用としては後者が本懐
高崎線の場合、あれはあれで上野から先が市街地ですぐに新橋まで延伸できなかった関係で、初期は赤羽経由の路線で品川に伸ばしてるんだよね。
市街地に線路を通すってのは当時も簡単じゃなかった。
岩倉具視はどんな思いで見てるんだろうか…
鉄オタの学校の創設者は岩倉具視だったのかw
国家中枢にスダレハゲを筆頭に西村やケケとか知的障害レベルの害虫がうじゃうじゃいるんだから
そろそろ害虫駆除を目的とした内戦をする英雄が現れてもいい頃なんだが…
ネタにマジレスするが、現代日本で内戦を起こそうとする人物自体が害虫
目的は何であれ内戦は悪手
明治新政府に世間の不満が高い時に内戦起きたから見事なまでのガス抜き
敵の徴兵制の素人部隊が立派に近代軍隊になりつつあるのを見て
外国との戦争になってもなんとかなると発言してタヒんでいった西郷どん
>>56
あれは国家の統治を目指してた?
あと、敢えて言うと226事件とかどうか?
ちがうか?
軍の一部のクーデター未遂だから、政情不安定な国であるパターンだから、内戦という感じじゃないけど。
そしたら廃藩置県出来る人が西郷しかいないって呼び戻されて
征韓論でまた隠居生活に。それで士族の反乱と心中した
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【乞食の国】
1871年1月9~15日(明治三年十一月十九~二十五日)まで鹿児島藩内に滞在していた、
駐日イギリス公使館書記官アダムスは、鹿児島藩を次のように報告している。
要点をまとめると
「実に全領地は膨大な軍事機構であり、その国は軍事費に応ずるために枯渇させられている」
で更に
「藩内には中央政府に対して多大の不満がある」
として、
「現在地方政庁における最も有力な人のうちの一人」
の主張を次のように紹介している。
「中央政府にはあまりに多くの混乱があり、あまりに多くの違った意見がある。
計画は朝令暮改である。朝廷における一部の貴族は、あまりに多大の勢力を持ちすぎている。
彼らは事務に慣れておらず、話を右から左に聞き流すだけの役立たずで税金を食いつぶすだけの、
泥棒である。もしこのような制度が存在を許されるなら、日本は乞食の国になる」
とした上で、
「政府がほんの僅かな金しか持たないで長距離の鉄道敷設を企てるべきではなく、
むしろ他の処置に専念すべきである」
とし、それは、
「不幸な人民の福祉の為に実施すべき他のもっと多くの施策」
であり、
「不幸な人民は、あまりに重税を課せられているので、食ってくべき何ものももたない」
という。これに対してアダムスは報告書の中で、
「軍事施設を保持するために、人民が地方政庁によって貧窮に陥れられている州に
住んでいる人としては奇妙な説」
と括弧つきの注釈を加え、この有力者が自身の支配する鹿児島藩が日本一の「乞食の国」であるのに、
日本が「乞食の国」になることを防ごうとしている事に、皮肉をついている。
石井孝 「明治維新と自由民権」 有隣堂
鹿児島銀行編 「鹿児島銀行百年史
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【薩摩の芋づる】
明治維新が成ると、立身出世した薩摩出身の政府高官を頼って、
能力もないのに同じ郷土の出身というだけで要職にありつこうとする薩摩人が続出した。
さらに彼らは政府の利権や公金を薩摩人だけで融通しあう「薩摩閥」を形成する。
例えば薩摩人黒田清隆は北海道開拓長官となるや、政府が北海道開発のために
投じた当時1400万円分の巨額の船舶、牧場、工場などを
同郷の薩摩人実業家五代友厚に払い下げようとした。
払い下げ価格はなんと30万円、しかも無利息で30年ローンという
世間をなめきった条件である。(この計画は寸前に露見し頓挫する)
薩摩人(薩摩芋)のそのようなあり様を皮肉って「芋づる式」という言葉が生まれたほどであった。
ほんとこれそして今でもそうだからな末裔の安倍と麻生という二大バ○殿の
せいでどれだけ損してることかまあそれでもこれだけ先進国やってられるんだから
奇跡だけどな
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【外国人から見た西南戦争】
1877年4月1日付『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』は、
「薩摩の人々は、1868年の革命以来、日本の甘やかされた子供であった。
しかし、彼らは明らかに帝国内の帝国を保つことを望んでいるのだが、
それは許されざる事柄である。帝国政府はいま、彼らに対して大きな陸軍を
送り込みつつある。西郷将軍がこの反乱に何らかの形で加わっていることを
日本の公式文書は否定している。しかし、この文章が書かれている言葉遣いや
反乱が進行している地方に西郷将軍が下野している事実に照らして、こうした
否定をすること自体がどちらかと言うと、彼がこの反乱を促進しつつあるとの
報道を確認するのに役立つのだ」
と報じている。
金井圓編訳 ~THE Illustrated London News~邦訳「描かれた幕末明治」 雄松堂書店
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛 その人となり 》
西郷は1872(明治5)年の「大島商社」設立の際に、
商社ガ砂糖ヲ全国ニ売リヒロメテハ、必ズ大蔵省カラ利益ヲ占メラレルデアロウカラ、
ヨクヨク注意シテ、官ノ専売トミナサレナイヨウニシナケレバイケナイ。
という手紙を桂久武に出して、奄美の砂糖利益を旧藩時代そのままに、
鹿児島で独占しようとしている。
西郷は誰よりも奄美の悲惨な生活を見聞し、砂糖の自由販売こそ奄美の解放策と
分かっていたはずだ。しかも、明治政府の要職にある身分であった西郷が
「大蔵省に知れないようにやれ」とは何たる卑劣さだろうか。
江戸無血開城までと評価してるね
あとは置物だったらしいが
討幕までは新しいのに、その後は古くなっちゃうんだよね。徳川政権否定だっただけでやっぱ
軸足が武士とか薩摩藩にあったから
廃藩置県は、西郷なくして実現しなかった。
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【ヤンチュ(黒糖奴隷)】
薩摩藩では奄美の島民を黒糖栽培の為に奴隷化していた。
島民達に人権なく安値で売り買いされ牛馬以下の扱いで酷使され続け
また、サトウキビ以外の生産は厳しく制限され飢餓に喘ぐ悲惨な状態であった。
そして驚く事に明治12年まで続く事になる。
島津は維新を謳いながら自領は江戸時代同様の支配を手放そうとせず
政府からの奴隷解放令や自由売買許可を握り潰し続け告布しなかったのである。
西郷隆盛も奄美の人々を蛮族と蔑み奴隷政策に加担していた。
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【サツマノミクス】
江戸後期~明治初期にかけ薩摩藩(鹿児島県)が断行した財政策。
これにより、財政難に苦しむ幕府や他藩を尻目に、薩摩藩は莫大な余剰金を取得、後の倒幕につながった。
一連の財政策は西南の役で西郷隆盛と薩摩士族が倒れるまで続いた。
以下にサツマノミクスの主な内容を記す。
・巨額借金踏み倒し
・奄美の完全奴隷化
・農民の土地私有禁止
・八公二民(一時は九公一民)
・強制労役
・ニセ金発行
・強盗
などであり、いずれも「道義」の常識をくつがえす画期的な財政策であった。
川上操六とか「海岸線沿いだと砲撃されるから内陸部を通せ」とか言い出すんだよね
>>68
プロイセンのモルトケ参謀総長は、陸大卒豪後、一時、ベルリン・ハンブルク鉄道理事を務め、参謀総長就任後には、参謀本部に鉄道課を新設している。
この異色の経歴は、ドイツにとり、ものすごいラッキーだったのは確か。
建前は街道沿いの雇用維持だが実際は大量の武器兵力を江戸に持ち込まれるのを恐れたから
テロ防止
西郷がテロリストになるわけだがw
もう150年経ったけど、暗○が明らかになる事ってあるのかなw
鉄道嫌いということはないと思う。
このおれは大西郷から名前を貰ったしな。ガハハハッ
その時の様子が小学館の歴史漫画で
「西郷さんは鉄道に反対でしたな」と言われて
「人が悪か。よか乗り心地でごわす」と西郷さんが答えていた。考証には定評のある歴史学習漫画だから、多分誰かの証言か回顧録が基だと思う。
大西郷が鉄道を楽しんだ頃の品川駅。
本当に素晴らしかったよな
素晴らしいね
良いものを見せてもらった
ありがとう
29キロを53分ってとんでもないスピード革命だっただろ。
本人なりにいろいろ考えがあったのだろうけど
西郷がいない方があの頃の日本はすんなりともっと発展していた
国を守るために軍を強くする→分かる
軍を強くするため国策を妨害する→( ゚Д゚)ハァ?
それはない 福沢諭吉も徳川幕府のせいで日本の科学技術がかなり遅れたってボロクソに叩いてる
日本の科学技術って言っても
基本欧米から移転してるだけだろって話
歴史を掘り下げても中国に依存していたし
文明の発展速度が遅いのは元からであってそれを全て徳川幕府のせいにはできんわ
徳川幕府の駄目っプリは当時を知ってる福沢諭吉や大隈重信の方が詳しいと思うよ
でもそのおかげで近代戦を経験できて
維新後の軍備増強に寄与できたのだから結果として良かったじゃないかw
慶喜も粘らずに禅譲したおかげで本当に優秀な人物はタヒなずに済んだしなwww
倒幕前の福澤は、
長州を滅ぼせとか言ってたけどな。(´・ω・`)
>>92
江戸時代の政治経験者がいなくなったら一気にネトウヨカルト国家に転落したからなあ
明治維新がうまくいったのって運が良かったからであって佐幕開国のがよかったな
そもそもあれ以来日本は韓国もバ○にできないくらいの
事大国家に転落したし維新と敗戦で米英の衛星国家になってしまった
むしろ日本の発展を率先して舵取りする中心人物であったわけだが
ただ、岩倉使節団が欧米歴訪中に彼らを差し置いて次々と改革を推し進めていったものだから
政府首脳部が彼を危険視した上で西郷の改革案を尽く潰す事態となってしまったわけで
そもそもあれチャイナスクールみたいなもんだろ
町の中心部から外れた場所に宇都宮駅を作らざるを得なかった。
これで栃木県の繁栄が閉ざされてしまった。
鉄道を街ぐるみで排除した栃木市よりマシじゃね?
我は官軍我が敵は
天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将さるものは
古今無双の英雄で
此れに従うつわものは
共に剽悍決タヒの士
これは我軍を代表する行進曲の歌詞だけど、こんなに敵将を讃える軍歌なんで
世界に見当たらないよな。西郷というのは小さくたたけば小さく響き
大きくたたけば大きく響く。つまり大英雄でなければ西郷を正しく評価できないんだろう
そりゃ、つい最近まで仲間だったからだ。(´・ω・`)
明治維新の正当な評価は難しいけど自分の中ではあれは完全に余計なことだ
近代化とは聞こえがいいけども西欧の制度よりも江戸幕府の方が先進だしな
廃藩置県より幕藩体制の方が統治機構とかてははるかに優れるし
廃仏毀釈などの宗教政策もダメ
西洋に軍事的に対抗出来ないと即侵略されちゃうそれには武士階級を切り捨てる事から始めないと
よって幕府は要らない
しかしその学制も戦争にまけてGHQに学制改革されたあとは無残なことになってるけどな
新制の東大とか福島瑞穂だの鳩山だの志位だの散々な人材しかいないからな
まあ明治維新がダメっていうより徳川のやり方が完璧だったよね
幕藩体制や寺請制度は最高の統治だと思うよ身分制と言われるけど
武士は名誉職のようなもので貴族制ではないし農家とか商人のが裕福だったからね
近代的な貨幣制度より石高本位制のほうが先進的だっただろうな
>>115
ドメスティックな経済社会なら理想的だったとは思う
鎖国はその根幹にあるし、人口が適当な数で増減しないでほぼ一定というのも必要
今のコロナ禍においては江戸時代の在り方はモデルとなってもいいと思うけどね
少なくとも単純に外国人や外国資本に委ねる経済スタイルは見直すべきだわ
まずは観光、飲食、サービス業から
実は江戸のほうが一周先回りしてて遅れてた欧州に無理やり
合わせられたってイメージだね明治維新は
もし地球上に徳川幕府しかなくて他の国は勝手にやってろ
ってのが永久にできたらどうなってるだろかな
そうか
むしろ明治維新以後のほうが歴史修正されまくってるだろ
明治維新以後の歴史は明治維新の正当化しかない敗戦より
明治維新のが大事だからな薩長政権だから
ネトウヨ=明治維新マンセー史観
サヨク=敗戦したからそれを全否定史観
であって正統な保守思想さるには明治維新以前まで戻らんといかん
大抵は当時の市街地の端を結ぶように線路が引かれ、その後で市街地が広がってる
GHQ史観の手先が戦前日本をダメ扱いしようと洗脳じゃん
そりゃ絶賛するだろうなあれ以降日本は米英資本の経済的な植民地だから
つまるところうまくいったってのは江戸時代の下地のおかげであって
明治維新以後の功績があったとするなら藩校とか寺子屋とかで各々が
バラバラにやってた教育を義務教育制度で統一したことくらいじゃね?
江戸時代の下地はそうだが、明治維新は素晴らしい
明治維新には悪いところはいくつもあるが、それでも、やはり素晴らしい
東北人が日本を駄目にしたんだよ!何しろ佐賀 鹿児島 山口 高知で戊辰戦争東北に勝って日清戦争や日露戦争も戦勝国の佐賀 鹿児島 山口 高知が中心となって勝ったんだけど太平洋戦争では敗戦国の東北人が中心となって戦ったから日本はボロ負けした
戦後レジームはもちろん解体するべきだが明治維新から続く戊辰戦争まで
遡って解体しないとまたネトウヨ薩長皇国史観時代のように鬼畜米英とか
言い出して同じことを繰り返すよ
あの辺りの革命は全て革命ドミノ見たいなものだあれの帰結が世界対戦だから
あれは防衛なのに
あと宗教政策的に廃仏毀釈とか国家神道化は本来もっと深く反省するべき事案
逆にしつこいけど教育制度は戦前のがいい
すぐに近代軍隊作らないと手遅れになると思ってたら若タヒにして
西郷はその願いを受け継いだだけ
それ以外の目標は何もなかった
タヒぬつもりの征韓論が土壇場でうっちゃられて辞表出して百姓になるんだっけか
あと西郷と大久保は君主久光にも、あなたの天下が来ますよと嘘ついて欺く戦略大成功
主義主張もあいまいで周りに流されて反対できない優柔不断男
軽いから周りから担ぎ上げられて結局タヒ亡
そもそも明治維新が過大評価だしなむしろ敗戦までの発端はすべてここからだし
なんといっても薩長から西欧に対する事大主義が始まったわけで日本は植民地化を
避けることができたとか言うが
直接的な支配をしないで傀儡政権を建てる実験場なだけだろ
戦後の日本がユダヤだかCIAの傀儡で読売とかそうか
何でか知らないけど明治を失敗だとする洗脳するよね
もちろん戦後の日本もひどいけど戦前からすでに敷かれたレールでしょ
免許じゃないが
第1段階が明治維新で第2段階が敗戦って感じ本来明治維新の時点で
いまの日本みたいながっつり欧州資本の傀儡にする予定だったのでは
総攻撃を止めてくれた。これと同じように鉄道も天下一の秀才大隈重信や鉄道の神様井上勝の、
道に立ち理に則った説明に、とうとう「ヨシ」と認めて下さった。
その結果昭和の御代には日本鉄道は世界最強と仰がれるに至った。
それ江戸に攻め込んだら官軍負けてたから手打ちにしたのと
イギリスが文句行ったから
巨人もその1つなのかな
>>151
戦前の日本で完全に洗脳しきれなかった部分を敗戦をテコにして
強化されてる感じがするわ
そして巨人とかまさに東京一極集中のシンボルでGHQが狙った政策のシンボルだな
大西郷は小御所会議で幕府七百年を終了させ廃藩置県で藩七百年を終了させた。
鐡道創業や学制など大改革をまるで重量級蒸気機関車のように猛驀進で実行していった。
令和の御代に大西郷がいたならば中央リニアは忽ち完成し
時速千キロメートルの超運転をしていただろうに
そもそも戦後以降も明治維新そのものは成功で薩長の行いは
正しく徳川家がダメ史観は変わらないだろ
明治維新のおかげで日本は近代化したんだけど軍国主義はあかんかったなみたいな流れで
明治維新は成功中の成功だよな
あのきっかけがなかったら日清戦争すらできるレベルじゃなかっただろう
その後も成功を続けてきたが唯一アメリカと戦争したことだけが失敗だった
まあ第二次世界大戦がなくてもいずれは日米が戦争してて
やっぱりそこでも日本が負けてただろうから定めなんだろうけどな
自分はそうは思わないと思うサービスタイムというか日本が西欧漬けに
なるまで太らされたって感じかなパチ○コとか麻雀じゃないけど最初わざと
勝たせてからガッツリやられたって感じがする
江戸時代のような農業立国を貫き通すべきだと思うんだよね
あくまで工業は農業用品とか日本の生活スタイルに付属する製品だけ
日本産であれば良い
当時は西欧化しないと半開国(half-civilized country)と見なされて侵略の口実にされていたので、ある程度の西欧化は仕方がなかった。
当時の日本の主要産業は生糸の生産だったので、いちおう当時の農業事情に即した産業ではあったんじゃないかな。
凄い歴史的な産物だなこれは
胸アツ
古くからある地名まで県にして変えたのは
中国の共産党に通じるとこもある気がする
結局それは合理的ではなくて明治維新を達成したっていう
既成事実作りだよな廃藩置県とか特にそうだと思うあとは
アフリカの国境線みたいな感じで同じ地域だったところを
別の県に切り分けしたって感じ
新潟は東越県、石川は西越県みたい感じでいいじゃん
それをどっから出て来たかわからない名前つけるのがすごいと思うけどね
今だったら山梨がアルプス県とかになっちゃうような斬新さじゃん
つまり明治維新以後はもう別の国なんだよなそれまでの歴史は全部捨ててる
近代天皇制にしろ明治神宮にしろ日本の伝統と喧伝されるもののほとんどは
明治維新からの新興宗教みたいなもんだろ
日本ほど、歴史を捨てずに近代化できた国は、ねえべ
県って、そもそも旧国から置き換わったものじゃなくて、旧藩が県に置き換わって合併したものだから、旧国と違う名前なのはそれが理由だと思うよ。
>>170
大久保公は、南州翁が鹿児島県城山から 禁裏を遥拝した翌年に石川県人テロに遭った
ので、その言は大隈重信候だとおもう。日本における標準軌1067mmを
決めたのは若き大隈重信だが、そう言ったのは若い頃の頭脳の切れがなくなった
老年のことで、立場は広軌派の政党の総裁であり、しかも酒席での冗談だったようだ。
そもそも明治初期当時、1067mmというのは最先端の鉄道政策であって
イギリスでは、コストがかかり過ぎな1435㎜鉄道が、日本の整備新幹線問題と全く同じな大問題だったが
技術革新で1435mmと同等の性能がだせコストが大幅に安い1067mmで建設すべしというのが
当時のイギリスの最先端の議論だった。そういうことを英国留学で詳しく知りつくしていた鉄道の神・井上勝が
大隈に進言したと思われる。その明治の先覚者方に倣って、今の佐賀県の人々はフル規格ごり押しの
西九州新幹線に闘いを続けている
帝国鉄道協会会長就任演説(大正九年)を酒席とかいい加減な事言うな
会長就任歓迎宴会忘年会の密な席での「あるんである」だろが。
それに周りはフル規格利権連中ばっかりで
正論言うとまた爆弾投げ込まれない雰囲気だろうな。
1920年7月14日の講演速記録を忘年会と平気で嘘つくんだな
高島嘉右衛門が埋め立てた所。
そうなんだよな。海の上の鉄道は軍部とか関係ないということ
その証拠に西南の役で鉄道の威力を改めて痛感した我軍は
東海道線は米欧から艦砲射撃される海沿いでなく中山道ルートで建設すべしと
談判したくらいだ
海の上は、むしろ蒸気機関車の排ガスや火の粉から品川宿や神奈川宿等の住民やサービス業従事者を
守ったということで、現代の行政を上回るアイデアだったんだと思う。
利権のない海上に鉄道を敷いて、
市民の権利を守ったとしか解釈しようがない。
日本が近代国家である事を、
西洋の黒船ドモにアピールする事が出来た。
当時は啓蒙思想による植民地支配が
正当化されていた時代だからな。
老川もその程度のことを言えずに名誉教授とか、
チャンチャラおかしいわ。
そういう西欧の土俵に自ら上がる事じたい必要のない事だったように思う
その時点でその後の結末である原爆投下に全て繋がってる
な訳ねーだろカス。
日本を植民地にしない為、
日本の香港マカオを作らない為の戦いがそこにはあった。
>>195
直接的な植民地でこそないが戊辰戦争の時点で新政府軍も徳川も
列強がスポンサーじゃねーか
薩長はユダ金だろ
西洋列強が租借地を拠点に、
植民地支配を拡大していく事が
冷静に分析できてた。
こんな事は近代史では常識じゃないですか老川。
日本学術会議はダメだな。
日本の学術の発展振興に
なんの役にも立っていない。
いや全くできてないと思うむしろいまの二階の中国とかと同じ関係だろ
利用されただけだよ薩長は政治経験のない頭空っぽ集団だから利用しやすい
西郷どんは名将というより勇将って感じだったのかな。
西洋の戦略は、居留地の外で問題を起こし、
治外法権の領域を拡大させ、
植民地支配を拡大させるというのを、
明治維新の偉人達は冷静に分析出来ていた。
従って、海の上なら問題ないという
冷静な判断だったのだろう。
割とそのぐらいしないと半開国扱いされる時代だったわけだし。
日本は江戸時代こそ至高であり
明治以降は欧米の傀儡でしかない
この視点に立てない知恵遅れとは会話が成立しない
明治維新が良かったとは言わないが、1860年代以降あのまま外国の圧力で江戸幕府が国家の独自性を維持し続けられたかは疑問なので変革は仕方ないと思うしか無い
欧米の植民地になってたらもっと悲惨だったし、軍事力の差は歴然だったし
煙や火の粉が飛んでくるから街から離す
強い磁場が発生して悪影響が出るから街から離す
時代は変わっても出る主張の根源は同じだな
島津斉彬以外を片っ端から裏切っている異常者だろ
そんな奴じゃなきゃ維新なんて大改革をやれなかったかもしれないが
偉業と異常は別問題
あいつはただの馬○で無能だろ。
江戸を燃やそうとするわ維新になってからも内戦続けるわ
バ○にもほどがある。
東京人の中の東京人である勝海舟の激賞で西国人が大西郷を崇拝するように
なった。
大東亜戦争のころの全国の若者が最も尊敬する人物は
大楠公とともに大西郷であった
鍋に汁戻すし最悪だよな
にも故大将を顕彰し追悼する氷川清話が登場する
「区々たる世間の毀誉褒貶を気にするやうでは、到底仕方がない。
そこへいくと、西郷南洲などはどれ程大きかったか分らぬ。高輪の一談判で
自分の意見を容れたばかりでなく、江戸全市鎮撫の大任まで、一切自分に任せて少しも疑わぬ。
昨日まで敵味方であったといふことは、何処へか忘れてしまったやうだ。
その度胸の大きいことには自分もほとほと感心した」
なんつーか酷いよな。
そもそも無血開城をするって言ってんのに、それを
あえてこっちから攻めこんで江戸を焼く奴なんて
どこの世界にいるんだよ。そんなのただの○戮者だわな。
○戮者じゃなきゃ度量が大きいってww
マジであほ過ぎ。
山岡鉄舟とかのほうがそういうイメージなんだが
写経に勤しみ 禁裏に対し奉りて結跏趺坐したまま入滅された。
「命も地位も金も要らぬ始末に困る」人なので西郷や勝の推薦で待従になっていた。
あいつ等なんにもなせずに各個撃破されただけだ
「伊藤博文や山縣有朋といった下っ端があれだけの事が出来たのだから、
久坂玄瑞等々の英傑たちが明治まで生きていたらどれだけの事が出来たか」
とか言うがあいつらが生きて明治政府の重鎮になってたら日清日露の時点で昭和日本軍の惨状だったろう
吉田松陰なんて日本版ビンラディンだし
伊藤博文なんてガチのロリコンだから救いようがない
吉田松陰より航海遠略策を提唱した長井雅楽の方が優れていたからな
大日本帝国みたいな糞国家終わってよかった
負けなければ朝鮮も分離できなかったろうし
南部藩や長岡藩等の東北諸藩の拡大版が
太平洋戦争中の日本だよな
うるさいのは嫌って引っ越した
ある日突然自分の街に国の役人がやって来て、「ここに原発建てるから測量させろ」って言われたらどう思う?
洗濯物も干せない
大東亜を復興開放して下さったんで、コミンテルンの腰巾着GHQ史観が否定すればするほど
却って高次元の止揚に変じ、益々その偉業が顕彰されることとなる
西郷って無能だよな
鉄道開発邪魔したり、
朝鮮を併合しようって言って現在まで続く面倒事作ったり
史上最悪のクソデブだと思う
征韓論は大久保利通の反対にあって実現していない
当時を知る人には圧倒的に西郷人気なんだよな
本当か嘘か怪しいのもあるが
石炭を馬○みたいに消費する蒸気機関車だからな
沿線はめっちゃ煙くなるし地響きと騒音がうるさいし
嫌われるのは仕方ない
「住民の反対運動でこの地域には鉄道が通らないことになったので衰退した」
「住民が反対したために鉄道が市街地の中心を避けた」
などといった類いは、ほぼ嘘と思って良いよ。
「もともとこの地域を鉄道が通過する計画などなかった」
「最初から市街地中心部を避ける計画だった」
「住民が反対したので市街地への鉄道の乗り入れの予定が大幅に遅れた」
などは、実際にあった話だが。
だいたいは「土地の取得費用が高額になる」や「地形的な問題で当時の技術では寄りたくても寄れなかった」とかだね。
>>266
地形的な制約ってのもあるだろう
当時の非力な蒸気機関車では高台の上に登れないなんて事もあるので、出来るだけ平坦なルートを選択する必要があった
後にガソリンカーやディーゼルカー、電車の登場で鉄道の性能が上がり、地形的に困難だった地域にも鉄道が敷けるようになったが、
これが鉄道忌避論者にかかると、「鉄道の敷設に反対した結果、自分の街だけ発展から取り残され、
それが悔しくて積極的に鉄道を誘致するようになった」という説にすり替えられる
江戸時代とまだ大差ない時代に、ここまでの技術があってスゴイな
つっても反射炉とかも江戸時代に作ってたけど
技術があったんじゃなくて、借りたんだよ。
お雇い外国人といってな。
でも近代化を掲げて幕府を否定した政府だからねえ。未来を見据えれば鉄道は必然だよね
徳川幕府のままなら今だに人力車でチョンマゲだった 科学技術も遅れてただろうね?ただその時代の事を今の人達は知らない
同じ鹿児島でも大久保利通は綺麗な役目で西郷隆盛は汚れ役だったんだろう?それを当時の東京人は知ってるから救世主で汚れ役の西郷隆盛の銅像をたてたんだろう
つまり
現代に置き換えると「蒸気なにでエコ」 ← どうやってw
佐賀の乱の江藤新平も○された
日本人の為に頑張った当時の救世主だった九州人はみんな○された
山口のロリコン王伊藤が初代総理になりましたとさ
徳川幕府の時代は人力車だったのに 九州人の西郷隆盛や大久保利通や 江藤新平や 福沢諭吉や 大隈重信達のお蔭で僅か10年足らずで一流大学や電車を作った事を忘れては行けない 徳川幕府の時代は学校もなくて通勤しゅだんも歩きか人力車しかなかった
せごどんのせいだったのか
土佐の坂本竜馬
長州の桂小五郎
薩摩の西郷隆盛
キ○ガイ集団だった長州藩をまとめ上げた
ヘタレだった女たらしの桂さんやで
土地代もタダみたいなもんだし。
明治時代は激安で鉄道が引けた。
今は労働賃金や土地代で莫大な費用がかかる。
万延元年遣米使節 1860年(安政7年) 小栗上野介忠順 など
↓ その後 横須賀造船所建設に粉骨砕身した小栗をこともあろうに斬首しておいて11年
岩倉使節団 1871年(明治4年) 大久保・木戸(桂)・伊藤など
明治「維新」? 片腹痛い
線路より西じゃなければ住んではダメ、
ということになってるんじゃないか
こんなことできるのJR位だね
大した錬金術だ
いまはブロックとかコンクリート使うから、あの感じが出ない。
JR東海だったら「そんな古いもん保存しとっても一文にもなりゃせん」と破壊されていただろう
名古屋城趾で歴史的価値があるのは古い石垣だが、名古屋人特有の価値観で
「古くっせぁもん保存しとってどうするんかね、木造名古屋城と一緒に新造したらええで」と取り壊しが計画され
文化庁から差し止めを命じられている
単に四角く積み上げて終わりかな、と思ってたけれど
下のほうの突堤?の部分が弧を描くように処理されてて
全体的に思わず目を惹きつける丁寧な仕事ぶりが窺えるようで
どのようなスタイルで保存公開されるのか注目したいね
予想以上に早く官軍の増援が輸送されたので
早期に劣勢になったからね。
嫌な予感がしたのかもしれませんね。
5年で作ったのか
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1608554659/
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