実際した謎の古代民族シュメール人って、どこまでわかってるの?
ケプラーの法則を知っていた
60進法を考案した
宦官がいた
「黒い油のパン」
「白い油のパン」といった様々な種類のパンを食料にしていた
大学みたいなものがあって論文とかも書いていた
などなど
高度な文明を築いていたシュメールについて
彼らが一気に忽然と消えた訳でも、
全くセム系民族と言葉が通じなかった訳でもなさげ
とにかくシュメールであまりにも完成している
から後の歴史は蛮族侵入で現代まで同じ事を
延々と繰り返してるだけに見える
>>4
併用期の頃にはもうシュメール人はいなくなっていたらしい
つまりアッカド人がシュメール語とアッカド語を使い分けていた
アッカド語はシュメール語をお手本として文法が変わったくらい
セム語は基本語順がVSOなのに、アッカド語はシュメール語のようなSOVに変化した
その伝統は後裔のバビロニア語、アッシリア語に続いた
発明で着ていたらアムル人に負けなかったのに
業務効率化のために紙と火薬の知識を与えると思うけどな
シュメール人は文字記録を残し始めた最初の民族なので、忽然と現われるしかありません。シュメール人以降の民族は、
シュメールに近づいた時点でシュメール人が「蛮族のxxが来た」とか記録してくれるので、
前フリありの状態で歴史に出てこられる。そゆこと。
だからシュメール人は、地球上に忽然と現われたわけじゃなくて、
それ以前から存在してたけど「俺らシュメール人やねん」とアイデンティティを確立して、
自分たちで記録を残し始めた時点で我々から見えるようになったっちゅーだけのことなんですわ。
でもシュメール文字が完全なセンテンスを書ける文字言語体系として
いきなり登場したことは事実だろう
甲骨文字でも似たようなことがあるが、
その前の半坡文字というのは断片的な「符号」でしかない
どこからか来て元の文明の痕跡が発見されていないだけだよ
シュメールってサマーと綴りが似ているから夏王朝だったりしてね
意味不明な上に突飛すぎ
文字体系の発達に大きなミッシングリンクがあることは事実であり、
ありもしない過渡的文明を想定するより、謎を謎と言ったほうがまだ科学的だ
そうまでしてシュメールを過小評価する意図も恣意的にすぎる
夏を英語でsummerと言い
シュメールはアッカド語の音でsumer
偶然のように思えるけど
人間の言語は実は同一だという説もあり
何らかの関連性を感じさせる
もちろん学会で主張したら追放される瓦割れるかだろうけど
英語のsummerとアッカド語のsumerの語源は同じだったのかもしれない
人類の言語は一つ説だと多くの言葉が似通っているとか
ただし日本語は違っているらしいけど
そのことからイラク辺りとヨーロッパは近いとも言えるし
夏に当たる言葉、太陽とか大国の意味なのか知らないけどで呼んだのかもしれない
だから文字とかいきなり現れたように見える
おそらく元はトルコのギョベクリテペに住んでいた民族なんだろう
>>38
話が逆立ちしている
シュメール人が現れた頃は、西アジアにも他の地域と同様に系統の異なる言語を話す多数の民族が存在していた可能性がある
広大な西ユーラシアに印欧語とセム語とチュルク語以外があらかたいなくなったのはここ3000年のことで、
むしろ異常(ウラル語族とバスク語とコーカサス諸語はかろうじて残存)
シュメール語もエラム語も、ミノア文明のクレタ語も、アナトリアのハッティ語も、最初に文字を持った言語として現れ、
やがてセム人や印欧語民族に文字と宗教と文明を乗っ取られたが、みんな「系統不明」だ
古代エジプト語~コプト語もハム語派ということになっていたが、現在の説では否定されていて、
セム語とはもちろんクシ語やベルベル語などとも同系ではなく、類型論的な少々の類似があるに過ぎない
文字体系が「いきなり現れる」現象は近年でもカメルーンのバムン文字の例がある
いったんセンテンスを余さず書こうと志すと、
少数の天才が一気に作るという形態のほうが完成しやすいのだ
チェロキー文字でも、セコイヤは村外れの小屋にこもって一人で完成させた
甲骨文字の成立の際にも、伝説の蒼頡のような人物は案外いたのではないかと思う
彼らの末裔のイスラエルの民もバビロニアと同じくシュメール文明の後継者と言えるかもね。
やっぱおかしいわ
別の言語の話をしてるとしか思えん
何より省略が多すぎて言ってることが不明瞭
何にせよエラム人はイスラエルの民・ユダヤ人とは関係ないよ
ましてやユダヤ人がシュメールの後継者とか意味不明すぎ
旧約聖書がパクったのはシュメールだけじゃなくてバビロニアやエジプトなど色々だ
日本人=シュメール人=ユダヤ人という無茶苦茶ぶりだったかと
1.シュメール、セム族、フルリ人の神を崇める多神教のエブラ王国がイスラエルの前身であること
2.南王国がエンリル派で北がエンキ派であること
3.日ユ同祖論が皇室の紋章が北イスラエルと南王国の統一紋章であるという主張を根拠にしていること
4.一角獣と獅子は北イスラエルのと南王国のシンボルである以前にエンキとエンリルのシンボルであり、
皇室の神々はバアルやヤハウェ以前のシュメール時代まで遡る古い神々である。
このうちどの点に一番ツッコミどころがある?特に3と4はどちらか片方を否定するともう片方が肯定されてしまう案件なので
第三の説明が存在するならあなたの意見を聞かせて欲しいな。
文字ではガルを先にルを後に書くんだよね
Gal Luと書いてLugalと読む
ヒッタイト語も王や神を意味する言葉の発音が不明なんだっけ
ヒッタイト人の楔形文字の使い方は日本人の漢字の使い方に似ていて、
日本式に言えばシュメール文字そのものとシュメール文字にアッカド語の訓や送り仮名がついたもの
全体を一つの「文字」(意味の塊としての「漢字」)のようにとらえ、
それに表音文字でヒッタイト固有語のふりがなや活用語尾の送り仮名を付ける
だが振り仮名がそんなに多くないので、わからない時は送り仮名を参考にしつつ
ルウィ語などの他のアナトリア語派を参考にして語幹を推定する
それでもヒッタイト語の「読み」がわからないものもある
シュメールのウル王墓にあった殉タヒ者の頭蓋骨ってどこいった?
現在中国にいる羌族も、古代の羌の末裔である確率は高いけど、唯一の末裔とは言えないんだっけ
あれも本人たちの自称は別にあるみたいだし、他の周辺のチベット系民族をさしおいて漢族から羌と呼ばれるようになった経緯はなんだろう
もともと羌なんだから今も羌で何の不思議もないだろ
むしろ羌と呼ばれなくなった方に理由があるんじゃないか?
メソポタミア南部の北がアッカドで
メソポタミア南部全体がバビロニアなんでしょ
シュメールは統一国家だったらしいがそんな統率は取れてなかった
シュメールと読んだのはアッカド人で自称ではない
アッカド人がたてたのがバビロニア、ニネヴェ、そして聖書によるとそれより大きい街レセンをたてたが
まだ発掘されていない
都市国家の時代はその都市の王を
「国土の王」「全土の王」はシュメールとアッカドを
「四方世界の王」は周囲をふくんだ全世界の王を
万に一つも関係性はない
長い年月が経過して独自性が生まれたみたいな説があるね。
フェニキア人とかがやってきたとしてもその頃にはもう日本語の原型は完成していたと思うよ。
少なくとも文字にはない
シュメール人をツフル人に例えるとホ○サピエンスなんてサイヤ人みたいなもんなんだよ。
四方世界の王も名乗ったのはアッカド人だった
アッカド人のものはほぼ芸術になる
大洪水後のキシュの王の称号はエンシだったりルガルだったり
シャル・マト・シュメリ・ウ・アッカディ
シュメールとアッカドの王
バビロニア王を意味するこの称号は後世に言われただけで同時代では使っていない
称号はアッカド語でシャル・キシャッティ
シュメール語でルガル・キシュ・キまたはルガル・キシュでキシュ王だし
キシュ王を倒して王になったのなら
自分達の認識はキシュ市の王なんでしょう
kalam 国土
si 角
gar3 刀の柄
gi4 返る
ugula 監督
tum 胴体
ninda パン
gish 木材
mah 偉大な
ezem 祭
uru 町
ri 期日
gurush 労働者
nigin 囲む
he2,gan 瓶
gur 容量単位
geme 卑女
en 主人
ur4 刈り集める
ad 父
u3 そして
lil2 風
lum 砕く
hush 怒る
ama 母
「シュメールとアッカドの王」というのを見てみると、
「ルガル・キエンギ・キウリ・ケ」
「(王)(シュメール)(アッカド)(~の、~が)」と書かれる。
つまり、王にかかる「~の」が最後にくる。
このようにうしろから前を指示するケースがシュメール語では普通である。
ウルクにあるエアンナ神殿は、「エ・アン・ナ」、
つまり、「(家)・(天の神アン)・(~の)」となる。
「~の」という指示する言葉が最後にくるような言語は、世界でも非常に珍しいらしく、
おそらく唯一ではないかとも言われるが、これは言語としての古さを感じさせる。
たとえば、シュメール最古の都市といわれるエリドゥは、
シュメール語では「NUN・KI」(ヌン・キ)と書かれる。
「聖なる・地」という意味である。
これを「エリドゥ」と発音していた。
しかし、なぜヌン・キと書いて、エリドゥと読んでいたのか。
「エリドゥ」だけでは、シュメール語では理解しにくいのである。
同様におもしろいのは、ラガシュという地名だ。
ラガシュはシュメール語では、「シル・ブル・ラ・キ」と書かれる。
意味は「(カラス)(群がる)(地)」である(シル・ブルでカラス)。
つまり「カラス群がる」と書いて、「ラガシュ」と読んでいた。ラガシュにはカラスが多かったのだろうか。
しかし、なぜ「ラガシュ」と読むのか、今では誰もわからない。
ラガシュという音だけでは、やはりシュメール語では理解できない。
世界の王も四方世界の王もアッカドからだから
シュメールの最高位の称号はルガル・カラマか
エンリルに認められた全土の王
ただギルガメシュはアッカド語で
シュメール語ではビルガメシュ、古語ではビルがメス
西暦1500年ぐらいにすでに人口衛星打ち上げてたかもしれん
資源を取りつくしたから滅んだのか?
アッカド人に滅ぼされた説もあったけど、年代的にそうではなく、
アッカド人以前にほぼ自滅、つまり
アッカド人と接触した時期にはまだシュメール人は残っていたけど
すでに自滅への道を歩んでいたらしい
完全に自滅した後にアッカド人と接触したのなら、
アッカド語が楔形文字やシュメール神話を
継承することはなかっただろう
その場合シュメールとアッカドに接点はなく、
インダス文明とアーリア人との間のような「断絶」「無関係」
という関係になっていただろう
シュメール初期からアッカド人はいましたよ
なので日本人と似てない?という話も出てくる。
ギョペクリテペ
絶対何か関係ある
ウバイド文明の人口変形頭骨はイラクで発掘された8000年前の文化とつながりあるんだろうか
むしろマヤとかアステカとかに近い気がする
遺棄されてしまった住居群跡にまた人が自然と住み着いて、それが7~8回も続くと20mほどの丘になる
現代の考古学だと第一層(オスマン時代とか)から順に掘り進め、丁寧に文化編年を記録せねばならない
なのでシュメール時代以前あたりまで辿り着くには、数十年の歳月がかかってしまうので大変だ
シュリーマンみたいに「俺の興味ない時代層の破壊上等!」って出来ないのがツライところ
イラク人は欧米きらい
だったらアジア、日中考古学が協力するから掘らせてって頼めば掘らせてくれないか
エジプトは大部分欧米にとられたが、シュメールは大部分まだ土の中だ
>>399
現地の地主の了解を得るのにそれなりのみやげが必要らしい
更に酒が強くないと地主と付き合えないことも多いようだ
考古学者も大変だ・・・
あるいはキリスト教徒とかマンダ教徒とかの多い地域に遺跡が多いのかな
ゴメン
これはトルコの話
まあイスラム教徒と言っても隠れて飲んでるヤツは多いけどね
欧米が嫌いと言うか遺跡が破壊されまくってる
イラク戦争とシリア内戦でどれだけの遺跡が破壊されたか
欧米は自分達の破壊工作は棚に上げて
カメラの前だけは苦悩して見せている
シュメール人の子孫はまだイラクにいるんだろうな
シュメール人もジェノサイドされたわけでもないだろうに
モンゴル人にジェノサイドされてなかったか
アッカド人とかその他は結構混じり合ったけど
一番安全に観光できそう
シュメール時代はへき地だったのかな
少しはあるはず
沿岸地は海の底になってるだろうけど
識字率高かったし契約の粘土板とかかなり普及してたし
あるいは氷河期以降は海進と海退は世界各地でばらばらに起きてるのかな
研究は欧米に行ったほうが捗る気がしますがww
>>415>>416
おいら過去の川がどうなってたのか
それが気になってますね
頭髪が黒くてヒゲが無い。あと膠着語の話者
コーカソイド系の居住地域に入ってきたシナ・チベット語族のモンゴロイドかもだ
つまり日本人とも人種的には近い。それが全人類の文明の基礎を築いたと考えると
夢が広がりんぐではある・・・
それにもしシナ・チベットだったらシュメール語の解読にこんなに苦労はしてない
人種が変わった?
ウバイド人も「黒い頭」の人種だったんだろうか
東京国立博物館で、人、神、自然ていう展示をみてきた
色んな文明の彫刻、人形、食器、お面、装飾の品など、数ある展示物を見た。
特に印象的だったのは、シュメール文明の人の頭を模した彫刻。
キレイな石を掘り出したもので、顔はそれなりに人なんだけど、妙に後頭部がめろーんと長くて
宇宙人にしか見えなかった。
2月9日までの展示なので興味のある方はどうぞ。
ほかにもメソポタミアやギリシャのメジャーな文明から、メキシコやあまり聞いたことのない文明まで
珍しい物が沢山ありました。
自分たちに文明を与えたアクァッホの頭部の形に近づけようとしたのだろう
でもすぐに中東コーカソイドに滅ぼされてる
おそらくシュメールがアッカドにくだる以前
いや、エラム語は新バビロニアの時代まで生きていたぞ
ブッシュとバンダル王子、トランプとムハンマド王子は友だちだ
シリアでイスラム国が遺跡を破壊する動画を世界に配信したが、本物であると言う保証はない
イスラム原理主義者が多神教時代の遺跡を
破壊する事はシオニストやキリスト教原理主義者にとって決して悪い事ではない
メソポタミアのシュメール人たちの戦争はどんな様子だったのか興味があります
密集陣形(ファランクス)が古代ギリシャの発明ならば、シュメール人たちは三々五々に戦っていたのか
鉄器がヒッタイト人の独占兵器ならば、青銅武器で打ち合っていたのか
あぶみがまだない時代ならば、騎馬や騎兵はいたのか(戦車ならあったのか)
攻城兵器はつくれたのか、籠城戦はどうなるのか
なにかそこらへんがよくわかる書籍やサイトなどはありませんか?
>>451
ファランクスはシュメル発祥
雑兵は裸足
戦争の最後は首塚でフィニッシュ
だったかと思います
>>455
発祥は言い過ぎだったから
シュメル第三時代にはファランクス採用されてて
攻城戦には水攻めの記録があったはず
あと異民族用の防壁も築かれてた
王室の財務記録には
雇用する兵隊の形態と人数
装備の金額もあったような
攻城兵器とかはアッシリア時代の浮彫りが有名だな
これらを紹介した書籍や図鑑もたくさんある
シュメール語も現代まで残って
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1521804205/
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