日本が世界初のはずだった幻の乾電池「屋井式」東京理科大で展示
■発明当時の電池は液体がこぼれる
電池の歴史は1800年、イタリアのボルタが発明した「ボルタ電池」が始まりとされているが、当時の電池は今のような乾電池ではなく、塩水などの「電解液」がこぼれやすかった。一般社団法人「電池工業会」によると、液が漏れないよう石こうで固め、持ち歩いてもこぼれない乾いた電池、乾電池を88(明治21)年に発明したのは、ドイツのガスナーだった。
だが、その約1年前の87年ごろ、東京理科大の前身、東京物理学校で学んだ屋井先蔵(やいさきぞう)が、乾電池を発明していた。ただ、特許を出願したのが92年だったため、乾電池の発明者にはなれなかった。
「屋井乾電池」は理科大の近代科学資料館(東京都新宿区、現在は新型コロナウイルスの影響で休館中)で展示されている。高さ15センチ、横10センチ、幅5・5センチで、2個がひもで結ばれている。上面に正極と負極の電極がある。電話機や電信機を動かすのに使われていたという。
■電気時計の開発で乾電池が誕生
科学コミュニケーターで、理科大の大石和江さんは「乾電池が発明された当時、一般家庭ではゼンマイ式時計が主流で、屋井は正確に動く『連続電気時計』の開発をしていた」と説明する。屋井乾電池は、その開発の過程で発明されたと伝えられている。当時の帝国大理科大(現在の東京大)の教員に協力してもらいながら、薬品がしみ出て腐食する問題を解決したという。このころ、家庭に電気が通っておらず、電話機や電信機を使うには電池が必需品だった。
屋井乾電池が資料館に寄贈されたのは2015年。その前年、屋井乾電池は電気や情報分野での歴史的な功績が認められ、米国に本部を置く世界最大の工学専門学会「電気電子技術者協会」(IEEE)の「マイルストーン(道標)賞」に選ばれた。その記事を読んだ京都府内の男性から理科大に「勤め先の工場屋根裏に同じものを見た」と連絡があり、寄贈につながった。
理科大が、届いた屋井乾電池の起電力を測ったところ、1個は0・7ボルト、もう1個は0・3ボルトあった。エックス線によるCT(コンピューター断層撮影)スキャンで断面を調べたら、二酸化マンガンや亜鉛などが使われていることが分かった。
大石さんは「屋井はずっと動き続ける電気時計を作ろうとした時、電気が家庭に通っていないから『作れない』と思うのではなく、科学技術を生かして『できない』を『できる』ようにした。そんな屋井の姿勢を、若い世代に伝えていきたい」と話した。【奥山智己】
乾電池、日本が世界初のはずだった 「屋井式」東京理科大で展示
https://mainichi.jp/articles/20211029/k00/00m/040/277000c
2021/11/1 08:00(最終更新 11/1 12:01) 奥山智己
画像は>>2以降
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《屋井乾電池を紹介するボード》
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《一般社団法人「電気学会」が社会の発展に貢献した人などを顕彰する「でんきの礎」で、屋井先蔵が選ばれたことを記念するプレート》
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《「屋井乾電池」。2個が並んでいる》
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東京都新宿区の同大近代科学資料館で2021年10月5日、奥山智己撮影
金がないから陸軍に売り込んで作ってもらおうとしたけど誰も理解できなかった
近年になって設計図通りに作ったら普通に有人飛行できたっていう話
玉虫飛行機。
松山空港に模型置いてたけど、今もあるのかな。
鱗滝式呼吸術──拾壱の型・凪
あの白い粉ってやっぱアルカリ?
外人が価値を認めてようやく日本で普及するというのは情けない話だ・・・
iPodも一応ソニーに売り込まれたって聞いた事ある
ソニーは自社式プレイヤー有ったから成立しなかったと
サンヨーがアップルに売り込んだら即却下されて
その後直ぐにiPodが出たと言う話聞いたわ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1636271551/
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