ザビエル到着の6年前、種子島に着いたのは…(鉄砲伝来の碑、写真:時事通信フォト)
長崎・熊本両県にまたがる「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録された。日本でのキリスト教布教は、1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルの鹿児島上陸に始まるとされる。その数年前には、種子島に漂着した南蛮船により「鉄砲」が伝来した。歴史作家で『ざんねんな日本史』著者の島崎晋氏が、キリスト教伝来と並ぶ日本史上の大事件「鉄砲伝来」にまつわる“よくある誤解”について解説する。
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いつ果てるとも知らなかった戦国時代を終焉へと向かわせるきっかけとなった出来事は天文一二年(一五四三)、九州の種子島で起きた。鉄砲の伝来がそれである。
この一件を「ポルトガル船の種子島漂着」と記憶している人が多いのではないか。しかし、それは間違いである。漂着したのは中国・明の船で、船長は島民と砂上で筆談を交わし、自分は「大明儒生五峯」という者で、同乗の客人の中に「西南蛮種の賈胡(かこ)」がいるとも明らかにしていた。
ここにある「西南蛮種」とは種子島の西南方向から来た異人種といった意味で、「賈胡」とは西方の商人、その正体はポルトガル出身の船乗り三人だった。
彼らは何らかの理由からシャム王国のドドラ(現在のタイのアユタヤ)でポルトガル船からの脱走を図り、中国・明の商船に同乗させてもらった。
明の商船といっても、その船は合法的なものではなく、倭寇の船だった。倭寇とは元来、日本人の海賊をさす言葉であったが、この時期の、いわゆる後期倭寇の主体は中国沿海部の密貿易商人からなっていた。密貿易を本業としながら、時と場合に応じて海賊に転じる。それが後期倭寇の実態だった。
一行が目指したのは最大の根拠地、現在の浙江省沖にある舟山群島だったが、強い嵐に遭遇して流され、種子島に漂着。それが日本への初めての鉄砲伝来という大事件につながるのだった。
ところで、漂着した船の船主は「大明儒生五峯」と名乗っていたが、実はこの人物、「五峯船主」「五峯先生」などとも称され、本名を王直(おうちょく)という歴史上名高い倭寇の大頭目だった。
王直はやがて東シナ海と南シナ海を股にかけて活躍する倭寇一の大頭目と化し、明の当局から最大のお尋ね者とされてからは、現在の長崎県五島と平戸にそれぞれ一大拠点を構え、九州の諸大名から上客として扱われるなど、「海の王者」として一世を風靡した。
仮に王直の船の漂着がなくとも、日本にも早晩、鉄砲が伝来していたことは間違いない。その場合、鉄砲伝来の地は九州本土のどこかになっていただろう。
※島崎晋・著『ざんねんな日本史』(小学館新書)より一部抜粋
【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『日本の十大合戦 歴史を変えた名将の「戦略」』(青春新書)、『一気に同時読み!世界史までわかる日本史』(SB新書)、『知られざる江戸時代中期200年の秘密』(じっぴコンパクト新書)など多数。
https://www.news-postseven.com/archives/20180703_713470.html
>>1
別に舟がどこの舟でも、実際に種子島の藩主に鉄砲を売ったのはポルトガル人だし
製法を伝授したのもポルトガル人だから、舟がどこだろうが関係ないと思うがね。
商売になると連れてきたのが王直で
当時倭寇の頭領というのがミソ
>>3
中国船という表記で正しい。
倭寇だから日本船とでも表記しろというのかな?
>>5
中国船は間違い。
中国船だと山陽地方・山陰地方から来た国内線になる。
正解は唐船
16世紀の日本では唐なんか使わない
とっくに滅びてる
みんな知ってるよ
船底から浸水したのは有名な話だけど、なぜかそこは隠されてるんだよな
倭寇が重要な仲介者であり
その頭目が中国人
歴史マニアの間では言われてきたことだが
教科書にはポルトガルから伝来とだけある
もう一つの事実
だから、中華式に、ポルトガル人を南蛮人と呼んだのか。
ならないだろ
リベリア船籍の船に乗った別の国の人間なんだから
種子島にポルトガル人が鉄砲を伝えてから10年後、
上杉謙信と武田信玄で有名な川中島の戦いで早くも鉄砲が使われた、
その鉄砲が国産化したものなのか、別途外国産を購入したのかは知らないけど
まあ、堺の商人や技術者の努力による国産化の鉄砲と信じよう
秀吉を苦しめた根来衆の鉄砲隊が個人的には好き
引用元: https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1530608998/
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