【拳法】李氏八極拳の創始者である神槍・李書文について語ろう
「拳児」では最強の拳士の一人として紹介されてるわけだが、実際のところ本国中国での知名度はどんなものなの?
中国と言えばいまや経済発展大国であり、日本など比較にならない
地球汚染大国ですから、まだそんな風景が残ってるとは思いもよりませんでした。
色んな意味で、いつまでもそのままであって欲しい。
李書文(り しょぶん、字は同臣。1864年 – 1934年)は中国の拳法家。出身は張沙で八極拳の達人。真剣勝負に於いては、
幾度も決闘をするも負け知らずであったといわれる。槍を得意としたことから神槍、また殆どの対戦相手を一撃で倒したことか
ら二の打ち要らずと謳われ、晩年は凶拳李と恐れられた。(滄州武術協会副主席 李書亭氏談)
そんな話もあるんだ。
勉強になるなあ。
時期的には↓と被るみたいだが、李書文の方がマイナーみたいね。
【酔拳】黄飛鴻【無影脚】
>>5
被るんだよね。
被ってるんだからなんか逸話があっても不思議じゃないよね。
特に語られてる李書文の性格なんだったら尚更あるようなんだけど。
地域が違うのかなぁ。
そこいら変詳しい人いたら教えて下さい。
やっぱり有名になるには、映画を作ってもらわないと駄目か。
ちなみに中国版グーグルこと百度で検索すると、
黄飛鴻は、982000件がヒット、李書文は、8080件だった。
史実はどうでもいいから、
黄飛鴻vs李書文って映画を作ればよい。
デビルマンvsマジンガーZとか東映まんがまつりみたいな内容になりそうだが
激しく観たいwww
李書文は猛虎硬爬山という技を好み、絶招(必○技の意)としていた。 猛虎硬爬山とは、
「虎が硬い爪で山を掻き崩す」という意味があるといわれ、 虎爪掌という手形で相手の
体勢を崩した後に、掌打によって相手を打ち倒す技法が代表的であろう。 猛虎硬爬山に
は八大招式で示される技と六大開拳でいう技があり、 八大招式においての猛虎硬爬山に
は原理は示されていても、 具体的にこれだという技は指定されていない。 ゆえに各派・
各人によって定式(技の終わり)は肘打ちのものもあれば、掌打のものも存在する。
黄飛鴻はリー・リンチェイがはまり役でイイけど
李書文に合う俳優ってなると難しいねぇ。
ただ、黄飛鴻と李書文が協力して、悪の日本人を倒すというストーリーで、
そのメインの悪役に起用される可能性の方がありそうw
多分中国語もできる。
天下第一というとんでもドラマに出演していた。
『拳児』で出て来てたね、それ。
李書文はカマキリ拳法の創始者でもあるのか?w
なんか中国拳法の本に息子か孫の記憶を元にCGで再現した写真なら見たことある。
それとも周りからそう呼ばれたの?
「羅瞳四傑」と称す
拳児の南良村の単行本置いてきたよ。墓は拳児で紹介されてた様に土の墓でした。
石家荘から長距離バスで槍州、一泊してタクシーチャーターし途中で鉄獅子見てから南良村まで行った。
あちらは日本人が来たのでビックリなされてたよ。
タクシーチャーターですが、意外と安く200元(3000円?)くらいでした。あちらでは大金ですが。
早朝出発して夕方帰ってきましたが、朝食は奢ってもらい、昼飯はドライバーの家でゴチになりました。
上客だったのか、日中友好だったのか、はたまた心配してくれたのか。いずれにせよ親切でした。
鉄獅子は拳児では荒野にポツンとある感じでしたが、実際は塀に囲まれた場所にあります。
李書文もこれを見たのかと妄想していました。
畑に囲まれた凸凹な田舎道を走り、さらに細い悪路のわき道に入り、しばらく走ると南良村です。
李書文の養子の孫の人(息子かも?)が現在の主人みたいです。とても快く迎えてくれました。
八極拳はしていないとおっしゃってましたが、息子にはやらせたいと言ってました。
李書文の家には、本に載っていたのと同じ養子の方の顔写真が額縁に入れて飾ってありました。
墓地は村のすぐ横にあり拝ませて頂きました。墓の描写は拳児と全く同じでした。
お子さん(李書文の曾孫?)にお菓子あげようかと思い、渡そうとしましたが、なぜか受け取りませんでした。
もしかして、先祖の毒○疑惑の関係で、知らない人から食べ物を貰ってはいけない家訓なのかなと。
代わりに拳児の南良村編を置いてきましたが、お子さんだけでなく村人も大盛り上がりでした。
我が村が日本の漫画に登場して、村の英雄を題材にしているのだからでしょうか。
今やあの子供も日本で言う高校生くらいになってます。八極拳を修行しているのでしょうか?
元気に修行しているのでしょうか?村のみなさんは元気でしょうか?日本からの旅行者を覚えてくれてるでしょうか?
と李書文スレを見つけ昔を懐かしみ、チラ裏日記を書いてしまいましたが、お許しを。
なお、僕は拳法の心得はないです。上海~北京のついでに槍州に寄っただけです。
へえ。
興味深く読ませていただきました。
乙です。
>>30-32
本当に興味深いな、体験談乙っす。
滄州ってビジネスや観光じゃまず行く機会がないしね。
>>33-34
つたない文章でスンマソ。そして読んでくれてトンクス。
石家荘は北京や上海からの通過点ですが、やや槍州は外れですからね。
普通まず近づかないし、槍州はもちろん、石家荘でも日本人をみたこともないです。
その槍州からさらに田舎の南良村。村の規模は100人未満の集落だったでしょうか。
もし行かれる方がおられれば(いないでしょうね)槍州からタクシーチャーターしか手段がないです。
時間があってその気になれば込みで10万円くらいで行けますよ。船と硬座を使えば。
ちなみに少林寺も行きました。こちらは鄭州からハトバスで行きましたが、スレ違いなので、、。
前回はアポ無し突撃でしたが、李家の方と記念撮影と墓所の撮影(承諾有り)させてもらいました。
もし当時の写真が出てきたらうpしますね。
日中関係、反日、環境破壊などは別にして槍州含む中国のノスタルジックな雰囲気は、とてもよかったです。
以上、私の李書文の故郷を訪ねて一人旅の思い出でしたー。
もうネタないです。
金庸の武侠小説「雪山飛狐」の中で、
滄州は武術の盛んな土地で、子どもでも多少は武芸ができる、
というようなことを書いてあったな。
大量○人鬼だよね。当時の中国の悲惨な警察状況が良く分かる
そりゃ中国武術は秘密結社の武装化と民間の自己防衛のため発達した訳で。
含めたらもっとだけど。
しかし、形意拳のカク雲深は対戦相手を○して官憲につかまっているのに、この人の場合お咎めなしなんだね。
本当に○しているのか?だいぶ、遡るが宋代には人を撲○したら絞首刑!だったはずだし、
清朝末期(でしょ?)でも警察組織は機能していただろう。
○人鬼伝説の方があやしい話だと思う。多分、人○しはしていないだろう。
やってたら、当時でもただでは済まないはず。
○し放題でもおとがめなし。
弟子の霍殿閣が溥儀と面識を持って、その筋へのコネができたのは壮年以降でしょ。
若い頃にも○人を犯しているような話だけど、この頃にはどうやって身を守っていたのかな。
普通はタイーホだよ。
犯罪者相手の賞金稼ぎみたいなもので生活していたから。
李存義も義和団の乱で○しまくり。
試合すれとか煩いのはさっさと撃ち○したそうだよ。
これもやっぱり軍閥のお抱えだったのでお咎めなんかなし。滅茶苦茶だよ。
それでいいと思う。
実戦は武器と人数。
徒手武術は武器を手にする武人が嗜む基礎体操と対戦ゲーム。
舞踊やサーカスに墜ちるのは。それで食べてく貧乏人。
中国で徒手格闘技が流行らない理由だ。
目的が相手を○すことなら獲物でもなんでも使うのは当然だな。
徒手空拳の技も手段であって、それ(徒手空拳の技で相手を倒す事)自体が目的な訳じゃないし。
八極拳でも李書文の流派は区別されてるし
明か清の拳法の先人達は李書文は人を○しすぎたってコメントしてるからね。
明の人が李書文は○しすぎって言ってますか。
さすがに悠久の時が流れる中国四千年の国。
清末に生まれた人物をどうして明の拳法の先人たちが評価できるんだ?
歴代の王朝の名前くらいおぼえろよw
http://www5.airnet.ne.jp/tomy/koten/jidai.htm
ついでに1864年 – 1934年が李書文の生きていた時代
李書文は天津中華武士会にも参加していたし、
中華民国大総統の袁世凱なんかとも面識があったのかもしらん。
息子の李東堂、李萼堂の兄弟も国民党の高級軍人だったしな。
食客として雇っていたのか。
群雄割拠の乱世で、各勢力が有能な人材を集めようとするのは自然。
武術家って有能か?
むしろ最もつぶしが効かない人種にも思えるが。
日本の剣術諸流派の開祖達だって何の武功も挙げられなかったのに(宮本
武蔵が島原の乱に参加して、足に鉄砲玉くらって戦線離脱せざるを得なかっ
たのは有名)。
武蔵が足を負傷したのは、鉄砲ではなく、投石によるもの。
往時の合戦では、矢によるものに次いでは、投石によるタヒ傷が多かったという。
投石は、実は侮れない攻撃方法。
>>63
島原の乱じゃ幕府方が上から落とされる石落としで多大な被害を受けているから
あるとしたらそれだろうし、武蔵は有馬直純の招きを断る口実として
石傷を自己申告しているだけなので事実かどうかは不明
それに統計で投石による負傷が多いと認識しているみたいだけど多いのはそうした石落としを
多数含んだ「石疵」なので注意
宮本武蔵なんかよりも、上泉信綱とか塚原卜伝を引き合いに出せよとw
しかし、最もつぶしが効かない人種という意見にはほぼ同意。
戚継光も「大戦の役には立たない」と言い切っているが、太極拳の原型といわれる武術を自著に収めてもいる。
まあ、肉体的精神的な鍛錬が兵には必要だという意味かもしれない。
かの剣聖武蔵すらも石ころなんかで負傷したのか。しかし、武蔵の実力には疑問符を
つける人もいるけどなー(やり口が卑怯とか、名のある剣客と戦ってないとか、自己の
流派が全然広まらなかったとか)。
でも、戦争というのは難しいと思う。案外、李書文ですら、戦場ではあっさりやられるもの
かもしれない。黄飛鴻が、台湾での軍事教官を終えてから、一時的に”武術を人に教える
つもりはない”と言い出したことがあったらしいが、
>>http://homepage3.nifty.com/hkaction/sub153.htm
何か悟るところがあったのかもね。
武蔵は城攻めに参加して敵の落石(≠小石)で負傷
ていうか城攻めでなくても、野球ボール大の石を投げつけられれば人はタヒぬよ?
集団戦闘だから当たるかどうかは運だし
神槍か
中国の武術家ってみんな武侠小説みたいに通り名を持つんだろうか?
むしろ、実際にそのての二つ名を冠してるから、
小説もリアリティを出すために利用しただけ。
現実があっての空想ナンだぜ
>神槍か
北京に略奪に来た
英米侵略軍と戦い
英雄・大刀王五と共に射○された
槍名人にもいたな
実際は大したことがないのは武侠世界のお約束。
半ばははったりの世界だからなあ
酒見賢一が文春新書で出した「中国雑話中国的思想」に李書文に関する記述があるぞ
分量的には少しだが
もっとも、李書文の熱狂的ファンだったらもしかしたら読まない方がいいかもな
某将軍が李書文の家で槍を演じて欲しいと言ったら、李は槍を手に取って鏡の前に立ち
槍を鏡に向かって突いた。 将軍が差し出された槍の先をよく見ると、ハエが刺さって動いていた
で、おどろいた将軍が「神槍だーッ!」と叫んだのが神槍の二つ名のはじまりだと言う説が
鏡の前でハエを仕留めた突きというのが少し出来すぎなほどドラマチックですね
李は同時代の他の武術家の書き残したもので名前みたことない
黄飛鴻で有名な洪家拳の三宝と謳われる洪家虎鶴双形拳の套路の中で虎形拳の技の一つに
猛 虎 下 山
という技が存在する。
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161673853/
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