江戸時代で武士が一番偉いとかいうけれども実際はそうでもないよね
武士の家に生まれて5男6男で生まれたら最悪だぜ
部屋住みと言って食料だけ与えられて
一生部屋の中で住み
兄がタヒなない限り武士になれないし
当然童貞のままタヒぬ
子供のうちにタヒぬ兄達も多かったから生まれが五男六男でも家督相続の可能性は有った
跡取り男子が居ない武家も多かったから大名の五男→家老の跡取り養子のように格下の武家の養子になる場合が多かった
家督を継げないだけで家臣として新規雇用の可能性も無くはなかった
部屋住みでも浪人でも武士の子として生まれたらずっと武士だった
武士の身分のまま医者や画家などの自由業に就くことも出来た
怪談牡丹灯篭見てただろ?
理由もなく人を○せば
武士と言えど○人罪でタヒ刑
理由があっても遺族が有力町人連れてきて慰謝料とられるからまず無理
そもそも刀を抜いて相手に逃げられたら切腹させられるケースもある
>>13
江戸時代初期は荒くれ者多かったから
武士が人○しまくったのは事実みたいよ
さっきも書いたが自分の刀の鞘を足で触ったら相手を○していいってルールがあるくらい
まあその頃は金持ってたから
本当に生類憐みの令がきっかけみたいだな
江戸時代初期は刀の鞘に足ぶつけたら
相手を○していい ってのがまかり通ったが
生類憐みの令以降はたとえ誰であれ
○人禁止になった
歴史教育では生類憐みの令は犬を○したらタヒ刑とか言う風に教えられたが
人を簡単に○してはいけないの方はあまり教えられてはいない
そもそも江戸時代初期においても鶴を○したらタヒ刑だったし
徳川吉宗は本来部屋住みで童貞でタヒぬはずだったのに
あれよあれよと゛タヒんで゛気がつけば徳川将軍に
末期の武士は農民の方が裕福なくらい
貧乏だったからな
竹光は本来切腹だけど
見過ごされるくらいだし
みんな刀を質に入れてた
それじゃ武士制度が崩壊するから商人を一番下にした
>>8
それだけじゃないよ
汗水流さず金稼ぐ奴は卑しい身分だって風潮があったから
これは世界的にもある
ユダヤ人が今金融を支配してるのは
差別されてたから金融関連の仕事につくしかなかったから
イスラム教の世界では株式会社が違法だからな
株式なんて汗水かかずに金稼ぐ事が問題らしい
士農工商は階級制度ではなく身分制度であって
商人が最下層という意味ではない
上とか下とか無いけど
他家に養子に行く、婿養子になる、学者になる、剣術の先生になる、医者になる、名を挙げて他藩に仕官する
遊郭に通う
一生部屋住みでも童貞でもない訳だが
徳田新之助を誰も怪しいと思わないんだろうか
寒村の貧しいイメージばっか後に刷り込まれたけど
とんでもない
>>17
それな
代官や商人が農民虐めるとかとんでもない
それくらい汗水流して働く農民はエライ
金勘定のみで私腹を肥やす商人は悪ってイメージがつい最近まで刷り込まれた
三代将軍の家光の時代でも町奴が大名や旗本の指定も居た旗本奴と○し合いやってた
三大改革なんて嘘
でも米の収穫量が増えたのが事実だから悪いことばかりではない
罪を犯しても無罪放免だし慰労金も貰えてたし
優秀な人はうちの養子になれと誘われて養子になるとさらに上級の家から養子の誘いがくる
父・田沼意行が紀州藩の足軽の子に生まれる
意行の父がなくなり藩士・田代家の世話になるといつのまにか娘婿に
意行、城下で加納新之助と出会い懇意になって側近になる
加納新之助が松平頼方と名乗り大名、さらに紀州家藩主で徳川吉宗
吉宗が将軍になる、意行も幕臣・旗本になる
ここまでのおさらい(父・意行の代)
足軽 → 藩士の娘婿 → 新之助の側近 → 幕臣・旗本
金勘定だけで金儲けする商人はクズ
という動きはあった
士農工商は職種選択のひとつにすぎない
士の御家人も株の売買がされていてその有名人のひとりが
海舟の先祖
また絵画の巨匠も30代くらいで同心リタイヤで絵描きに転身
とわりと自由にやっている。
さらにいえば農家が一番力をもっていた
いわゆるその次男坊以下が財産分与されずに士分と同じ
低所得者層に閉じ込めらるが商才で身を立てる。
その有名人が坂本竜馬
あれ本当は豪農のせがれだからw
士農工商はあくまで建前な
稲作文化から来てると思う
農民は長男が全ての家督を相続し次男以降は放り出される身
田畑と兄弟で分けるなんて現代的な事する奴はたわけ者(田分け者)と言われ馬○を差す言葉になった
引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1572220566/
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