明治時代で没落したけど有名な武士っている???
名古屋藩の家老松平某は娘を女郎屋に入れたな。
上級武士だった者は>>2のような境遇に転落した者が多い。
旗本も、男は人力車夫、女は芸者や遊女というパターンが多かった。
総数はともかく
割合的には没落しても芸者や遊女にならなかった女性の方が多いけどな
>>6
>旗本も、男は人力車夫、女は芸者や遊女というパターンが多かった。
女の場合は女工になる場合が一番多い
富岡製糸工場も初期は士族の娘がほとんどだった
芸者や遊女って身売りや没落してなるってイメージが強いけど
戦後まもなく品川で行われた遊郭の一斉摘発では大半は女学校出の富裕層ばかりで経済的理由によるものは全体の3分の1に過ぎなかった
>>2
だいぶ前に読んだ記憶なので、不正確な部分があるかもしれないが、
この一家の姉妹の運命は壮絶で、父親がもう売り食いできるものがなくなると、
嫁に出していた長女をだまして実家に連れもどし、そのまま女郎屋に叩き売った。
次女も女郎に叩き売られて、ラシャメンからからゆきに転売されてしまった。
三女は芸者に売られたが、運よく裕福な家に身請けされた。
とにかく、このろくでなし親父のせいで、娘たちはみんな苦界に沈められてしまった。
芸妓と遊女は区別したほうがいいのでは
陸奥亮子は体を売る遊女とは別では?
>>40
それは綺麗ごと
花街に勤める女性の多くは親兄弟の借金の肩代わりとして売られてきた娘であり
実際には芸だけでは客が入らないし茶屋も儲からない
芸奴は表向きは芸を売る仕事だけど当然水揚げがあり
大金を貢いでくれる決まった旦那を持ち旦那に体を提供する義務があった
陸奥亮子は17歳で陸奥宗光に身請けされたので芸奴時代はそれほど長くなかったが
それでも花街出身であるということはあまり評判の良いことではなかったよ
ちなみに亮子は宗光の後妻で、宗光の先妻も宗光が芸奴を見初めて水揚げ→身請けしたらしい
(宗光は最初の妻とタヒ別後、亮子を水揚げ→身請けしている)
明治時代、社会の指導的立場に士族が多かったのは事実だが、
そういう立場に立てたのは士族全体のごく一部にすぎない。
官吏、軍人、警官、教員、会社員、新聞記者などになれたのは全体の1割ていどで、
大半の元武士は人力車夫や荷車引き、農夫などの肉体労働者に転落した。
>>5、6
結局下剋上戦国時代以前の出自の職業に戻ったということ
結局江戸士族は大半が元は底辺階層からの成り上がりだこらな。
江戸身分は糞だ。
真の底辺階層が戦国時代という特異な時代に武士となり、
真の社会の上位階層たる旧武家上層郷農より立場が上になった
完全に狂った時代
だから、一瞬で車夫くらいしかない程になるんたろ
上層郷農は明治に入ると村長や用掛を歴任
高橋是清とか加藤高明とか若槻礼次郎など足軽とか下級武士の出が多い。
犬養とか浜口みたいな庄屋・郷士層の出もいるが、官僚・軍人の多かった戦前までは、
全体的に下級士族の秀才出身の首相が多い。
士族出身者が激減し、地方の名望家=地主・豪農層出身が増加するのが戦後。
岸、池田、佐藤、福田、竹下などの55年体制時代の自民党の首相がそれに該当する。
ただし、岸、佐藤は長州藩の制度の関係で、農村に土着している正規の武士なので、
士族であり地主という特殊ケースだが。
加藤高明、二葉亭四迷、坪内逍遙。
いずれも尾張藩の下級武士の子で幕末生まれで明治前期に青年期を迎えた世代だが、
やはり、この時代は下級武士の子がいろんな分野で活躍したことがわかるな。
官僚・政治家でも文化人でも、地主・豪農層が主流になるのは、そのあとの世代。
反乱を鎮圧したのも士族っていうオチもあるけどね
西南戦争で、政府軍に居た旧幕府側だった者はここぞとばかりハッスルしたそうな
だから武士が武士を消滅させた。
搾取してたのは庄屋やその取り巻きの手代連中でしょ
中間搾取美味しいです
昔マガジンで少年無宿シンクロウってのが連載してたけど
庄屋の暴政描写がリアルで良かった
それとも、急速に庶民に同化したのかな?
女な上に戸籍上は士族じゃないけど、母親の方が武家の出で士族のプライドみたいなもんがあったが生活は苦しかった
針仕事などの内職すればいいのに、そういうのを蔑視して絶対にやらなかったんだよな
親父が武家奉公で貯めた金で同心株買って八丁堀同心に成り上がったから、
女戸主でも一葉自身も士族のはずだが。
金で士族になったかもしれないが武士ではなかったな
もちろん没落した士族はある程度いるのは事実だけど。
武士は教育水準が高かったんで公務員になることが多かったし
金禄公債も中級武士なら十分生活の足しになった。
ある地方の生活水準を見ても士族の平均収入は全平均より上だった。
「武士の家計簿」を読んでも、大多数の旧藩士は悲惨な状況に陥ってる。
そういう統計資料があるのか知らんけど
資料はウィキでよかったらあるよ。
明治9年から20年あたりまでだと、
士族人口はおよそ200万、日本人はおよそ4000万。
つまり全人口の5%しか居なかった。
更に、公務員というか官員の総数が全体で8万ほど。
全員が士族だったとしても、8万/200万だぞ。
>>39
下層武士程度が上層農家に舐めた口きくこともできんよ現実わ。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%89%E6%9D%E8%8E%E5%A4%AA%E9%8E
>>安政4年(1857年)藩の下役人に呼び捨てにされたことを憤り、
>>他の大庄屋と連名で訴状を提出する騒ぎを起こした。
時代劇じゃなく、現実は こうだ
士族は人力車夫や荷車引きなどの都市細民となっている者が多い。
そこまでわかってるなら、ソースだせばいいじゃん
説得力が全然違うよ
豪農・豪商は地方政治への参加と国会開設の勅諭で軟化してる。
幸徳秋水は1871(明治4)年11月5日、土佐山間の小都市である中村町の商家の子として生を享けた。
家は薬種問屋と酒造業を営み栄え、庄屋をつとめて苗字・帯刀を許されていた土地の名家として、数代続いてきた。
土佐は身分差別の激しい土地柄であり、在卿武士の階級である郷士以外は下に見られた。幸徳家は郷士の身分を買い、手に入れたのだ。
だが、所詮それは金で手に入れた身分、周囲はみな士族の子ばかりであったので、幸徳は少年時代、その不合理な身分差別の視線に苦しんだ。
その苦痛が秋水を平等な世を志向する自由民権へと目覚めさせる。
>>67
坂本龍馬と同じような境遇か。
龍馬も、あと数十年生まれるのが遅かったら幸徳秋水みたいになってたのかもな。
それにしても、れっきとした上士で高取の板垣退助や後藤象二郎が自由民権のリーダーって、
何のギャグなんだよw
比率的には、
一門
家老・年寄
物頭
馬廻
中小姓
卒は徒・足軽、小者、陸尺、中間の類だろう。
>>60
それに照らせば母方は家老・年寄り格だから祖父の代まで二等士族だな、速攻で没落したけど
父方は平安末までなら一等士族相当、中世以降は農民、百姓でも地主で庄屋なので「年貢が届く」
家系はそれなりでも戦後は金持ちだった事など一瞬も無い、全部農地解放で持って行かれた
上士=士族といっても、高取(石高表示)の馬廻もいれば、
無足(現石扶持米表示)の中小姓もいる。
下士の出と誤解されてるが、西郷とか福沢は中小姓の出だから、
最下級の無足の上士。
高取でも物頭クラスなら、相当の石高で金録公債もそこそこあるだろうから、
上手に世渡りすれば村長くらいになってもおかしくない。
小姓組格(4人扶持24石)の嫡男
>>73
小姓組格、のち馬廻役の二男
土佐藩士馬場氏の7代目。先祖は武田信玄の武将馬場信春(美濃守)。
武田氏滅亡後、山内家に仕え、禄200石を給せられた。
全国無数に自称してんのが多すぎだわ
板垣に関しても糞すぎる自称
新政府に反感を持つ士族がベースになってた。
各地で士族の反乱を起こしてタヒ刑にされた民権運動家もいるね。
その後に不平不満が農民にも拡大してって大きな運動になってった。
人力車夫や開拓農民などの肉体労働に容易に転じることができたんだろうな。
>>84
そうだな。財産なし、名誉なし、能力なし、地位なし、家なし、職なし、じゃ
嫌でも肉体労働しかないわな
さすがだよ元は不祥雑多出自の下士さんだから、肉体労働はお手のものだろうな
元の鞘に戻ったということ
宅間守の先祖は薩摩の足軽で
関西に流れてきて同和地区に住んでるのはそういうわけか?
新渡戸稲造のじいさんなんか、謙信流軍学の軍師で、材木商で、開拓農民で、家老で、また開拓農民だからな。
武術は柳生心眼流で、稲造も甲冑着て柔術の練習してた。
武士でも都会で無役の武士と、地方で専売事業の監督してる武士では体力に相当の差がある。
まして蝦夷地警備に派遣された武士なんか、今で言えば南極探検隊なみの苦労している。
明治時代の文学者に中下級武士の出身者が多いから、
各作家の生涯をまとめた文学アルバムみたいな本を見ると、
親や兄弟も含めて、大体、明治の武士の身の振り方がわかるな。
維新当時、現役武士だった連中は運のいい者が役人になれた他は、金録公債で食いつないでるが、
最終的に隠居生活か帰農。
子ども世代は教育をつけた者が役人や知的専門職につくが、いまとちがって終身雇用じゃないから、
けっこう身分が不安定で転職してるケースも多い。
明治以降に生まれた世代だと、親が商売で失敗したりして奉公に出されたりして、完全に平民化している。
比較的メジャーな例だが、正岡子規の家は馬廻役の上士だったが、
家族が少なかった上、母方のおじが出世してて、面倒みてくれたので公債だけで生活できた。
母子家庭だが、旧武士の格式を保持したまま息子が中学まで行けた。
(その後は旧藩主の給費生として上京)
子規の後輩で弟子の高浜虚子の家は、藩の剣術師範だった父は廃藩後に帰農。
息子たちは長男と次男は県庁の役人や教員になった。三男は勉強嫌いだったので職人の徒弟になり、
末っ子の虚子は中学に行った。
>>101
>藩の剣術師範だった父は廃藩後に帰農。
やはりサムライは、平素から剣術で身体を鍛えて屈強だったから可能だったんだろうな。
寺子屋の師匠とか用心棒とか武士っぽい仕事して、
周囲からも「先生」とか言われてたのに、
なんで明治の失業士族は車夫や労働者に転落して、
周囲からも先生扱いされなかったんだろ?
元武士なんだから明治時代に軍人になるのが自然な流れだと思うんだが
西南戦争などで士族を危険視する風潮になって、平民主体の軍隊にしちまったからな。
転落するしかなかった。
士族の反乱に加担しなかった、もしくは鎮圧する政府側にいた士族は陸軍海軍の大物になったりはしてる。
乃木希典とか立見尚文とかだな。
出版社の編集者が売れっ子の漫画家を先生っていっておだてるのと一緒だろう。
人気が落ちればすぐ呼び捨て。
武士中心の軍隊の危険は家系や格式重視の点。特に頭の悪い上級武士の子弟がタヒぬほど厄介。
士族とほざくくせに、やっと残った一握りの勝ち組ですら、末端現業のマッポだとよ(爆)
庄屋は余裕で大半が行政長だぞ
刀も差せなくなった戸籍だけの士族を敬う人なんて誰もいないだろうね
貧乏ではなく、稀に見る貧困階層ねあいつら
士族は戸籍だけだろ。元々が戦国時代以前の墓も土地もないひさべつ階層出自だらけなんだから。
そもそも明治に戸籍以外何があった?
庄屋様は行政長官だ粕どもが。
レースにもなんねえは雑魚士族など。
あのまま内乱で幕末迎えてたなら、庄屋連合が成り上がり大名を叩き潰して、また中世の在地の覇者にかえりざいたのに。
わりーが、一介の藩士などアウトオブ眼中だわあ 雑魚が笑
西洋だと日本の藩士は傭兵扱い
土地がないやつなんて西洋だと奴隷傭兵扱い
江戸時代の浪人のように武士っぽい佇まいというか、先生らしさを維持できなかった。
失業武士という点では同じなのに、なぜ浪人の雰囲気を維持できなかったのだろう。
賊軍や幕臣ばかりだよ。当時の写真を見ると、みんな結構腕に自信があった
らしく、筋骨隆々の人が多い。
それだけでは足りずに、番太の中から人物の良い者を採用したけどね。
それに憤慨して辞めた巡査も多い。繰り返すが、番太の中で人物の良い者を選んで採用したんだが。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1410605693/
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