贅六は無いな
仇討ち制度復活
今よりは東京一極集中が進んでなかっただろう
贅六一極集中するな意味ないけどな
鎖国だとオランダ(オランダより良い貿易国ありそうだが)と中国とかだろ?
無能な藩主による搾取が続き飢餓が数年ごとに起きて
一揆も多かった
上方や江戸や雄藩と言われるところは良かったが
うちの地方にとっては江戸時代は最悪としか言いようがない
半独立国が乱立してたようなもんだから
優秀な地方と無能な地方の差が今より激しくなってたと思う
「清」は”眠れる獅子”と畏敬されていたが、日清戦争で日本に敗れ、時代遅れの前近代的実態が
暴露された。
日本は明治維新によって近代国民国家に脱皮したのがその後の国家発展の礎となった。
日清、日露、第二次世界大戦でも一般庶民からの徴兵はなかったってことだよね
>>52
武士の数が足りない。
百姓からは通称「足軽徴兵」があった。
>>53
非常に分かりやすい例えだね。
もし江戸幕府が存続していたら、軍隊の実態は、日本幕府軍 = 帝政ロシア軍 = 清軍
現実の歴史では、大日本帝国陸海軍が戦った清軍も帝政ロシア軍も当時の最新式の兵器を
装備していながら、徴兵された兵卒たちの士気は決して高くなく、戦況が不利になると士官・
将校の叱咤激励にも拘わらず、勝手に戦線を離脱して逃げ出した。
結局、日清・日露の両戦争における日本軍の勝利は敵が前近代的軍隊だったためにもたら
されたものだった。欧米列強の近代的軍隊と戦っての勝利ではなかった。
この点を理解せず、慢心してしまったのは日本人として痛恨の極みだ。
この慢心と驕りの”つけ”は40年後の悲惨極まりない敗北を以って支払うことになった。
いいかげんなこと書くなよ。
清軍は兵士の士気については確かに色々疑問もあったが、
ロシア軍は開戦当初の士気は極めて高い。
士気が低下するようになったのは連戦連敗を重ねてから。
天子様より大政を預かり、国防軍最高司令官も兼ねて、太政大臣大将軍がトップである
天皇は新宿御苑に転居
公家と上級武士の合体で華族制度が始まるだろう
下級士族や財閥は貢献次第で一代限りの騎士に格上げ
徳川が立憲君主で天皇は法皇
政教一致の初等教育が始まり、教室には日章旗を挟んで徳川王と明治法皇の写真が飾られる
嘉永年間の黒船来航以来、尊王攘夷を唱える草莽の志士が勢いを増す
慶応年間、討幕の声まで出てくる
時の将軍徳川慶喜は、天朝をないがしろにはし難し、ここに至りては大政奉還も考へ居り候
これを聞いた公家は大慌て、行政一般我らに投げ出されても困惑あるのみ‥
大政奉還の大芝居で徳川はヘゲモニーを奪取
諸侯参与会議を興し、最大大名として議長に収まる
こうして明治の世の徳川主導による文明開化は始まったのである
薩長と云う目の上のたんこぶが居たからしぶしぶ近代化の方向も見せただけで
居なければ参勤交代も復活させたいというのが本音だし大政奉還も反対だ
>>59
>そもそも幕府が自分で近代化するという前提がおかしい
べつにおかしくはない。安政、文久、慶応と改革してるわけだし
人材で言えば幕臣は全国の有識者を吸い上げてたから一番揃ってたわけだし。
IR推進法趣旨説明
担当老中 水野北海道守
賭場を含めましたるよろづ遊び場を整ふるをめぐり、平成二十二年発足致しましたる参与連盟が種々工夫を凝らし来りて、平成二十八年師走にはよろづ遊山区画を整ふる御定書も発布致し居り候間‥
列侯会議と庶民会議の二院制になっていた。
皇室と公卿は京都に在住して、官位の授与・文化政策を担っていただろう。
元禄の後からは人口横ばい
その前は寒冷期で寛永元禄飢饉があっても1世紀で人口1.5倍増
僻地でも無理に米作って、沼地荒地を農地転用し続けて、有史以降最も身長が低くなり、150年以上経った維新前でようやく1割増
トンでもねーと思ったが、産業革命が遅れる分だけ可住面積当たり人口密度は低く収まり、人口ピラミッドも今よりは幾分健全になっているだろうな
そう言う勇ましいものだったそうだ
合議制で評議重視。積み上げ型。
「胡麻と百姓は搾れば搾るほどよく取れる」by徳川家康
「百姓は生かさぬように○さぬように」by徳川家康
江戸時代も庶民は奴隷だったわけだが
上に政策あれば下に対策ありとの中国人一般ピープルと同じく、規制を受ける側のしたたかさを示しては居ようが
廃藩置県と産業革命により武家のブラック化が進む
外様への普請強制から幕府負担になって、出費抑制のため武家の大規模リストラが始まる
出勤日は1勤1休から4勤1休→半ドン+週休に、労働時間/日は4~6時間から8時間以上へ
下級武家の副業は内職から工場労働になり過労タヒ続出
町人商人の上司オーナーにブチ切れて無礼打ち→切腹者続出
お家断絶で娘は吉原、奥方は夜鷹
女衒に二束三文で買い叩かれる箱入り娘と奥方の悲劇は瓦版と浄瑠璃の定番となる
実際文化露寇では戦闘が起こってるし(約一世紀後の日露戦争とは異なり一方的にボコられて終わりだったけど)
江戸時代は九州と四国と本州と北海道が
橋やトンネルで繋がってなかっただろうから
九州から本州、四国から本州、北海道から本州に行ける者がかなり少なくなっていたと思う
そもそも江戸時代に生きていた人間は
九州、四国、本州、北海道に日本が分かれていた事を知っていた者はかなり少なそう
皇室典範的な皇族制度とか旧来の家格を無視した華族(爵位)制度とかはなさそう
ただ名目上は帝国となりそうだから親王は大臣の上座になりそうだし
被差別民も名目上ながらも平民化しそう
陪臣や庶民からの役職取り立ては激化するだろう
ただし新華族の取り立てはかなり厳しくなりそう(閣僚級になってやっと男爵とか)
幕領のままだろう
大阪商人への借金がにっちもさっちも行かなくなった幕府が
三井とか三菱とか住友、伊藤中なんかの大阪商人に支配されてた
江戸幕府から明治政府の移行で決定的重大なことは大政奉還よりも版籍奉還、廃藩置県だと思う。
ドイツ帝国も20~30個くらいに整理されたとはいえ封建領主は残っていたが
亀之助よりは清水昭武だろうし、慶喜の実子かもしれない
当時のドイツ諸邦や大昔のイギリスみたいに大名がそれぞれ軍隊を持ってたかも知れない
実際幕末には新軍役として構想されていたし
維新後の諸藩にも1万石につき1小隊60名、2小隊で1中隊、5中隊で1大隊(端数は3中隊で1大隊編成可)、2大隊につき1砲隊という基準があった(人員はともかく編成は幕府陸軍と同じ)
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1531713308/
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