なんでイギリスって清を完全に支配しなかったんだろ???
茶葉がたくさん採れて銀もいっぱいある大国、植民地にうってつけでは?
出来なかったからしなかった。それだけだろう。
あの底無し沼を完全支配するつもりで深入りしたら大英帝國の方が傾く。
確かに一理あるけど香港だけじゃなくてもうちょっと欲張れたんじゃないかと
インドくらいデカいところも当時は支配できてたし
そんなこと米国やフランスやドイツやロシアらが許すと思うか?
第一次世界大戦の時だってヨーロッパがゴタゴタしてた時に日本がアジア進出画策したが
止められたんだぞ
あんだけの大国を一国が支配するなんて周囲が許さない
日本と中国が常に仲たがいしてるのも白人のせいなんだよ
でも香港全体と上海の外人居留地だけで勘弁しといたのはなぜだろう
イギリスはアイルランドの植民地化失敗の苦い経験から完全支配はしない
地元民の反発が怖いからな
だから常に戦略的に植民地を要所要所確保する
例えば、地中海の玄関口であるジブラルタルを確保、スエズ運河を確保、マラッカ海峡を確保など
「生命線」を見極めて植民地化している
日本みたいに手あたり次第に植民地増やしまくったら
80年経ってもアジア中で恨まれてんだよ
その失敗から日本は米国と豪州の間をつなぐソロモン諸島を植民地化したがな
結局はすぐに手放した
要は地元民に恨まれないようにうまく植民地化しろってこと
お前らは土人でア○やから日本に従え的なやり方は100%反発招く
圧倒的人数で抵抗されたら、怖いよね。
実際に民衆が組織した平英団に襲撃されて英軍が殲滅されそうになってる。
清当局に平英団を解散してもらって、なんとか英軍の全滅の危機を脱した。
恨まれてるのは過去の日本で会って
現代の日本じゃないぞ
過去が嫌っているから現代人まで嫌ってると考える
進撃の巨人の作者のような脳みそやめろ
お前はそう思っても
向こうはそう思っていない
ドイツが山東省、ロシアが遼寧省、イギリスが長江流域というように勢力圏ができていった
これは遅いように見えるけど、じつは列強のアフリカ分割とほぼ同じ時期
アフリカと違って、中国はそこから粘りを見せたってことですな
最大の波乱要因は、やはり日帝の大陸進出
日露戦争でロシアが撤退、第一次大戦でドイツが撤退と、アフリカみたいには順調に分割が進まなかった
他は意外と使い物にならない不毛の地が多い。良い場所はイギリスが押さえていた
大日本帝国はそれがわかっていなかった
ロシアは今でもわかっていなさそうだが
自分たちより高知能な東アジアを支配することはスペック上不可能だっただけ
まあ別ベクトルのディストピアになりそうな気もするけど
インドネシアから見れば逆だ
ていうか、そもそも南の国の人はあんまり歴史に興味ないし
1840年のアヘン戦争、1856年のアロー号事件、1899年の義和団の乱と、西洋列強の中国進出は着実に進行していた
中国は分割される寸前だった。イギリスは中国大陸で最良の地・長江流域を勢力圏としてガッチリ押さえた
あのまま順調に行ってれば・・・というわけにも行かなかったんだな
2つの超大国が登場してからは、イギリスは小さくなってしまった
アヘン戦争も病気とか蔓延して紙一重で勝っただけだからな
清末に体制を劇的に転換して立て直し途上にあった。
一時的だがしぶとく盛り返しを見せてる。
洋務運動は相当程度成功してると評価したい。
ロシアと英国が軍事支援していたヤクブ・ベク独立政権を滅ぼし、
イリ条約でロシア側に譲歩させ、
新疆省や台湾省の設置など辺境の直接統治にも着手。
領土を確保する姿勢を見せた。
清朝はまだまだ強いじゃんと英国人に思わせた。
西欧列強は極東に派兵する余裕があんまりなくて、日本とロシアが中心になって北京を制圧した
日露戦争の伏線のひとつ
ドイツ人はキリスト教の布教に、妙に熱心だった。それが遠因と言われている
定型発達した健常者は、他者や他国を支配しようとは考えない。
つまり、世界の支配層とは、発達障碍(脳障碍・統失)。
人類の戦いの歴史とは、発達障碍(脳障碍・統失)との戦いの歴史。
人口削減や、超監視社会の実現とは、発達障碍(脳障碍・統失)のシャドウを健常者に投影したもの。
その戦いに人類が勝利するには、人類全体が 発達 することである。
発達とはつまり、「全ては自己投影」という医学的心理学的客観的事実を、人類全体で共有することである。
ドイツ統治時代の名残だ
青島に行ったことある。
赤い屋根の家が連なってて、ドイツ風な景観。
ビールは安くて飲みやすい。
ええ?
青島啤酒高いがな
あの頃は超円高だったんだよねぇ。
4年前に北京に行って物価高騰にびっくり仰天。
いやぁ日本はすっかり貧乏になっちゃったんだと実感した。
むしろ該当地の有望な勢力を支援することで影響力を確保しようとする。
日本に対してだって英国は江戸幕府を見限り、薩長を支援した。
薩摩と戦火を交えたり、
長州藩士に英国公使館を焼き討ちされてるけど、
情勢分析は客観的かつ冷静だ。
どの勢力を支援するかを見極める情報分析に優れてる。
現在のウクライナ情勢でも英国情報部の動きが凄まじいぞ。
太平天国が天下を獲ったらどうなってるんだろう?
特に冬の寒さに南方人は耐えられない。
華北で太平天国に参加する者や勢力が少ないのが致命的。
太平天国相手に北京を守り抜いた精強なモンゴル軍団も
アロー戦争では英仏連合軍に大敗し、
北京郊外の円明園まで焼かれてしまったでござる。
ロシアはエゾをロシア領だと主張して清朝をビックリさせた。
清朝は慌てて地理の曖昧な樺太に調査探検隊を派遣し、樺太全島を清国領にした。
清朝が対処してなかったら北海道はロシアのものになってた。
どこぞの国みたいに学校だの病院だの作ってやるお人よしじゃあない
植民地多すぎて管理できなくなってた
そこで日本に目をつけた
英国は膨張するロシアへの敵意を強めてる。
クリミア戦争に伴ってカムチャッカ半島で英露が開戦する中で、
幕府は日英和親条約と日露和親条約を相次いで結んだ。
英露両国の艦隊が相次いで長崎にやって来て、条約締結を迫ったわけだ。
英露対立が幕末の日本にまで影響を及ぼす。
英国としては対ロシアが忙しくて、
清まで手が回らない。
19世紀後半って、アフリカ(ケープ・ケニア)忙しい、熱帯アジアも忙しいで、遠くて人口やたら多い支那まで手が回らないよ
同じくらい遠いオーストラリアは程よく人が少ないから、政治犯のようなのを放り込んで開拓
1860年のアロー号事件を経て、1899年の義和団の乱では連合軍が北京を占領するとこまで行った
その後は列強による中国分割が進み、イギリスは最良の地である長江流域を占めた
・・・このように、イギリスによる中国支配は着々と進んでた。そこで時間切れになっただけだ
チベットからは英露双方が手を引き、清朝の宗主権を両国が承認した。
英露対立のグレート・ゲームが繰り広げられてたが、チベットはどちらも手を出さない緩衝地域として清朝の宗主権を尊重することに価値があった。
英国はインドの権益の防衛を最優先してたんじゃないか。
そこで帝国主義の時代が終わり、時間切れになっただけ
ある程度文明化していて国土も広すぎるからな
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1654333062/
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