和同開珎って何と読む? 発行から1310年、学会を2分した「珍宝論争」の行方
日本最古の流通貨幣と言われる「和同開珎」が発行されてから1310年を迎えた。
歴史書の「続日本紀」によると、西暦708年に現在の埼玉県秩父市内から銅が産出したことを記念して、「和銅」に改元するとともに、和同開珎が作られたという。5月に銀貨として発行されたのに続いて、8月10日(現在の8月29日)に銅貨が作られた。翌年に銀貨が廃止されたことで、銅貨の「和同開珎」が流通することになった。
ところで、この「和同開珎」。実は何と読むのかは、正確には分かっていない。年代によって教科書の記述も変わってきたのだ。学会でも「わどうかいほう」と「わどうかいちん」の2説が激しく対立。「珍宝論争」と呼ばれている。
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「造幣さいたま博物館」に展示されている和同開珎の実物。「わどうかいちん(ほう)」とルビが振られている。
珍宝論争とは?
なぜ読み方が2説あるのか。それは「珎」が何の漢字と解釈するのかが、学者によって意見が異なってきたからだ。
01.わどうかいほう説
珎は、宝を意味する「寳(ほう)」を簡略化した字である。和同開珎のモデルとみられる中国の「開元通寳」など、当時の貨幣の銭文には寳が多く用いられている。「寳」の字から「宀=うかんむり」と貝をカットすれば「珎」になる。よって、珎の読み方は「ほう」である。
02.わどうかいちん説
珎は「珍」の俗字である。「わどうかいほう」説のいう「寳」の字の一部「珎」を抜き出して略字としたという意見は、漢字の出来方を無視しているため理屈に合わない。同時代の資料は、「珎」をチンと発音していた。
学会を二分した珍宝論争は、戦後の昭和40年代にピークを迎えたが、現在は「わどうかいちん」説が有力となっている。
産経新聞1997年2月28日のコラム「産経抄」では、「戦後しばらくまで教科書もカイホウと読んでいたが、最近はカイチンがむしろ通説となった」と記載している。現在の教科書の多くは「わどうかいちん」をメインに記述しつつ、「わどうかいほう」の読みを紹介するという両論併記となっている。
【参考資料】
・『日本の美術』第512号「出土銭貨」(2009年1月10日発行)
・森明彦『日本古代貨幣制度史の研究』(塙書房)
・「和同開珎」 ホームページ(秩父市和銅保勝会)
https://m.huffingtonpost.jp/2018/08/29/wado-kaiho-kaichin_a_23511546/
「ほう」だよ
>>1珎は「珍」の俗字である。「わどうかいほう」説のいう「寳」の字の一部「珎」を抜き出して略字としたという意見は、漢字の出来方を無視しているため理屈に合わない
どう理屈に合わないのか意味分からん
漢字の出来方を無視した?
略字とはそういうもんでしょ
ア○なのかな?
なぜ専門家がわからないw
女子はチンと言いたくないからホウ
「珍」の異体字が「珎」だから、「チン」と読むべきってのが「チン」説ね
でも、和同開珎をはじめ皇朝十二銭は全て「宝(寳)」の字が入っている
和同開珎
万年通宝(萬年通寳)
神功開宝(神功開寳)
隆平永宝(隆平永寳)
富寿神宝(富壽神寳)
承和昌宝(承和昌寳)
長年大宝(長年大寳)
饒益神宝(饒益神寳)
貞観永宝(貞観永寳)
寛平大宝(寛平大寳)
延喜通宝(延喜通寳)
乾元大宝(乹元大寳)
和同開珎がお手本にしたのが唐の開元通寳で「寳」を使っている上に書体も同じ
当時こ技術的な未熟さから「寳」全体を入れるのが困難で抜き出し略字を使用したと考えるのが妥当
抜き出し略字は今も昔も珍しいことではない
略字にしたら、他の字とバッティングすることも珍しくない
開寳という用例はあっても、開珍という用例はない
「珎」を「寳」の略字として使っている例も他にある
よって、「ほう」説を推す
遣唐使が持ち込んだか、中国から来た人だ記念に持ち帰ったか
引用元: http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1535631653/
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