てきとうなこと書いてるよーな
司馬遼太郎が新撰組関係の著作「燃えよ剣」や「血風録」で
土方の刀が「之定」だとか沖田の刀が「菊一文字」だとか
隆慶一郎(この人刀鍛冶をテーマにした小説書いてるのに)の
「風の呪殺陣」で寺侍が「菊一文字」持ってるとか
「宗近」持ってるとか
「之定」=「兼定」ね
以前は定の字をうかんむりに之と書いていたことから之定と言っていたんだよ
まぁ、土方が兼定を使っていたかは別ね
どっちだよ
粟田口国綱
これもちょっと・・・
400石の旗本で持てるかね
「武蔵正宗」を宮本武蔵が持ってた正宗って書いてた奴がいたな
に恰も真実のように模造しているショップが目に付くが・・・・。
ついでながら近藤勇の愛刀虎徹が贋作だったって云うのは
真相です。新撰組ファンはタヒんでも信じたくないそうだが・・・・。
近藤が土方に11代兼定を薦めたというのも真実だそうで。
司馬遼は清麿だって書いてるね
それでやめときゃ良いのに
「清麿は尊皇の志篤く幕臣のためには刀を打たなかった」
とかえらいてきとうな事書いてるけど
何だろう
鏨師も良かったが
漏れも新撰組ヲタだけど沖田が菊一文字持ってたとかどうでも良いことだけどね
血風録じゃ沖田が清光を研ぎに出したら研屋のオヤジが見せたい物があると菊一文字を出してきて代わりの差し料として貸したのがきっかけで、近藤の虎徹は商人を助けたお礼のもらい物
ちなみに虎徹が贋作なのは信じたくない奴多数だけど常識
そんなことで銘刀手にはいるんならマジウハウハだけどね
「兼定」=「之定」ではない
之定は美濃の「二代」兼定の通称
(和泉守という受領名を名乗りだした嚆矢としても有名)
兼定の一族は四代以降会津に移り以後「会津兼定」として
兼定や兼元の名跡を継承してきた
土方の佩刀は会津兼定の十一代目のものと言われている(現存)
新撰組オタを名乗るならこの程度は知ってて欲しいな
菊一文字は「則宗」又はその子「助宗」を
指していていずれも「承元御番鍛冶」にも選ばれている
日本刀工史上屈指の鍛冶ではっきり言って「大名物」(だいみょうもの)
それも,かなりの大大名でないととても持てる代物じゃない
そういう意味ではまだ新刀の「虎徹」の方がはるかに
リアリティがある
良作なんで読むが宜し。
流れ無視で「運命の剣 のきばしら」を薦めてみます
複数の作家のリレー小説で、締めを東郷 隆が書いているのですが、好きです。
知識的な物では 得能一男さん
逸話的な物では 福永酔剣さん
の本が好きだな
どっちもタヒんだんだっけ?
定説みたいになってるけどどの「清光」
(古刀の加州藤嶋か,新刀の「乞食(非人)清光」か,
備前長船か)
かはよくわかってないみたいで
ショップの「沖田総司佩刀」の模造刀でも
ばらばらのような
描写があったが、「柳生拵え」ってのはどういうものなんだろう?
ググッて色々見てみたが、どうしてももう一つ分からないんだ。
どういうメリットを見出しての拵え方なんだろうか。
おしえてエ○い人。
「無想正宗」のこと?
基本的には創作。豊臣秀頼の遺品とされる妖刀だけど
現存する正宗にそれに対応する刀はない
秀吉は愛刀家として知られ,特に所謂「三作」を
定めるなど「正宗」「吉光」「郷」を偏愛していた
のでこういう話を創作したのでは
ちなみに秀頼が自害に使ったといわれる刀は
名物「倶利伽羅正宗」だけどこれは短刀
「無想正宗」は最近ゲーム中の武器として登場したんで
知名度だけは高いみたいだ
2尺8寸の兼定・・・・・凄いわぁ・・常人には使いこなせ
ないだろうなぁ。
「サライ」ていう雑誌に司馬が土方に縁ある旧家で
兼定を手にとって眺めている写真を見て感動したですよw
2尺3寸 12代会津兼定(現存)
サライに載ってたのは12代の方かな?
読んでないので知らないけど
白黒の写真で半分くらい影が掛かってたけど、切っ先から3寸ほどが
の刃紋が見えたのだが、直刃のような・・・・・。
兼定って模造だと互の目とか丁字じゃないっけ?
日野の土方記念館に残ってるのは
12代のはずなんだけど
丹下左膳 「濡燕」(これは銘ではなく号ですな)
机龍之介 「下坂武蔵太郎安国」(実在の刀工)
片目正眼崩しは実在する技です。
何だろう
下野国住人高達
映画「座頭市・鉄火旅」の中で昔刀鍛冶だった東野栄治郎さん扮する野鍛冶の
仙蔵が、市が仕込みで屋台を斬るのを見て、市に仕込みを見せてもらいます。
その時の台詞がこんなのだったと思いますが
「う~ん、これは、わしの師匠の若い頃の作だ。下野の住人こうたつ(字がわかりません。)といえば
10本の指に入る・・・・・・・」
こうたつ、たぶん虎徹じゃないかと思いますが。
ただし、これでは時代だいぶずれます。
市の流派の方は「座頭市の歌がきこえる」中で天地茂さんがはっきりと「夢楽流居合い」と言っています。
「『燃えよ剣』の取材中、東京・多摩の土方歳三ゆかりの家で、
土方の佩刀、和泉守兼定に見入る。土方は司馬の小説で国民的英雄になった。」
と書かれています。
2尺8寸の方だろう?屋内で使うには適して無いと思うが....
新撰組恐るべし、だな
斬り合いしてたのかな?
近藤以下が斬り込んでからかなり後に
到着したというように書いてる本が多いけど
秋山小兵衛 そぼろ助弘
大治郎 井上真改
小兵衛はいいが大治郎よ大阪新刀で大丈夫かえ?おれやすいのに
買うと5千万するけどな。
秋山小兵衛差料
藤原国助2尺3寸5分
呂色鞘
柄は白鮫黒糸の菱巻き
林又七作 秋草の鍔
紫の畝織りの下げ緒
脇差
波平安行
井上真改は鬼平じゃなかったか?
平常時と出役とで使い分けていたとどこかで読んだ。
拵えがぼろぼろってところが気に入って、なるべくぼろで時代のついた拵えを
がんばって探してます。
0.黒白 296 小兵衛 来国次 脇差
1.剣客商売 20 小兵衛 堀川国弘 一尺四寸八分
1.剣客商売 84 大治郎 越前守藤原国次 一尺五寸余 嶋岡礼蔵→大治郎
1.剣客商売 92 大治郎 井上真改 二尺四寸五分
2.辻斬り 64 小兵衛 河内守藤原国助 二尺三寸一分 辻兵右衛門→
2.辻斬り 249 小兵衛 堀川国弘 二尺二寸二分
4.天魔 74 小兵衛 波平安国 一尺四寸五分 横川彦五郎→
4.天魔 74 大治朗 備前兼光 横川彦五郎→
5.白い鬼 210 大治朗 堀川国弘 一尺四寸八分 小兵衛→
5.白い鬼 211 大治朗 備前兼光
6.新妻 98 大治郎 備前兼光
6.新妻 178 井上真改 二尺四寸五分
6.新妻 277 小兵衛 藤原国助 二尺三寸一分 呂色鞘・白鮫黒糸菱巻・紫畝織り下緒・林又七作秋草鍔
9.待ち伏せ 183 大治朗 藤原兼重 一尺六寸余 滝口友之助→(返却)
10.春の嵐 259 小兵衛 粟田口国綱 二尺三寸
10.春の嵐 288 越前守助広 一尺一寸余
12.十番斬り 9 小兵衛 藤原国助 二尺三寸余
12.十番斬り 9 小兵衛 波平安国 一尺四寸五分
12.十番斬り 121 三冬 藤原信吉 一尺五寸六分
13.波紋 57 大治朗 越前康継 二尺四寸余
13.波紋 124 小兵衛 藤原忠広 一尺三寸余
13.波紋 213 小兵衛 来国次 脇差
14.暗○者 12 小兵衛 波平宣安 一尺六寸一分余
15.二十番斬り 178 小兵衛 濃州兼元 二尺五厘
16.浮沈 225 小兵衛 粟田口国綱 二尺三寸一分
堀川国弘 一尺四寸余 井関助太郎→
お見事!
天晴。
>>43
何だかんだで菊一文字やら清光やらは使わなかったって聞くけどなぁ
現実は、百姓上がり、名の有る刀、など縁がなかったのでは。
沖田総司は白川藩浪人の子弟なので農民ではないが、確かに名刀を所持する環境ではなかったと思います
まして菊一文字は鎌倉物の太刀で騎馬戦向きのカーブがあって市街戦には使いにくいんじゃないかな。
沖田ファンにとっては、若くして散った彼が優美な曲線の則宗みたいな太刀を持っていてほしいという願望でしょうね。
取っ替え引っ替え使う方がありそう。斬り合いごとにお手入れ、下手したら
修理だろうし。
「ななつさやのつるぎ」
有難うございました
則宗には菊紋のはいった作刀はない。一文字派には「一」の文字の入ったもののみ。とあるのですが、
本当ですか。
則宗は菊紋が入ってるから菊一文字じゃないべ
菊紋を使える偉い方に気に入られたからだべ
番鍛冶筆頭則宗は備前一文字派の頭領、御所焼の太刀は切り銘をはばかり
菊紋のみを打つ、よって是を菊一文字と賞玩する。
天皇御物に
大和国天国御太刀
小烏丸
備前友成御太刀
鶯丸
山城国国永御太刀
名物鶴丸
山城国国綱御太刀
名物鬼丸
山城国吉光御短刀
名物平野藤四郎
山城国吉光御太刀
名物一期一振
備前国一文字御太刀
名物道誉一文字
相模国正宗御刀
名物会津正宗
相模国正宗御短刀
京極正宗
美濃国兼氏御短刀
名物浮田志津
菊御作御太刀
と、あるが最後のが伝来のものかな?
ちなみに鬼包丁は実在します。柳生…だれだけw が作らせたものが
その漫画よんだことないから、それだかはわからぬが
大和国天国御太刀
小烏丸
って「あまつくに」?
「あめのくに」?
聖徳太子の時代の直刃の太刀のようなものですか?
「あまくに」
呼び名はいくつか有るようです
小烏丸は無銘で、平家伝来の重宝ですね
時は平安時代頃
鋒両刃造りの直刀から変化した後の「太刀」の様な姿をしています
正確には刀身の約半分までが鋒両刃造りの太刀です。
日本刀の始祖であるといわれる、天座、神息、などと同時期の刀工とされています
酒天童子を切った刀、童子切り安綱と時代が近いですね
天国、天座、神息って確実な作は他にあったかな?
国宝&重要文化財あたりを見ないとわからぬ
小説に出てないからスレ違いかな?日本刀スレに行けば詳しい方がいらっしゃるでしょう
伝天国作 小烏丸っていうのがあるんでない?
桓武天皇だか天皇から直接下賜されたモノが平家重宝物として伝わって来ていて
今は天皇の持ち物になる程だしパチモンってありえないような‥
日本刀辞典(光芸出版)をみても
日本の定寸刀の平均値段見て、天国 天座はのっていないのが気になるが
神息は「天皇に従属する武器製造にあたった鍛冶集団を象徴する部族かと思われる」‥と説明書きがあるのみ
在銘「天国」もあったらしい。小烏丸がやたら有名だが・・
靖国の遊就館に両刃の剣で二字在銘「天国」1尺2寸前後。「天国」と思って鑑賞したせいか「天」の字のように思え・・
「国」の字は四角でどちらも字の所だけが盛り上がっていた。岐阜県養老の不動院で鑑賞したものは靖国のものより時代が下がりその他多数の天国在銘を拝見したが大宝年間(天国は大宝律令によって始めて銘を刻んだ刀匠と言われています)
おそらく同名異人が多数存在しておったのではないかと思います=清水 澄 入門 日本刀
徳間書店 昭和38年発行 古過ぎ?
「伝 正宗」
うそつけ。勝手な事をいってw
だから・・「伝」だって!Orz
作家はいい加減だから。
>>70
私も最近読み直していますが、大治郎は井上真改やら備前兼光やら横綱刀を沢山もってますよね
模造刀はやめておいたほうが‥
追伸
漏れだって武蔵が正宗差せるわけないと思ってる。奪ったり盗んだのならまだしも。
しかしそーゆー事を書いてあった本を読んだ。もしかしたら・・・。
真剣だといろんな意味で手に余りそうだし、模造刀でもいい。
買うと5千万するけどな。
ソース希望。
重要の真改でその半分。
特に新籐五は当時の徳川将軍家、御三家あわせても数振りあるかないかでしょう。
どんだけ貴重な刀もっとんねん、秋山父子。。。
国宝は名物や名家伝来がかなりを占めていますからねぇ‥
まあ、国宝指定があるくらい貴重ってことで・・・
調べたら新籐五は国宝3口、重文は10口もありました。
このうち太刀は重文の1口で後はすべて短刀。
ちなみに国宝、重文併せての最多は正宗の19口がダントツっぽい。
とおもったら来国光は国宝は3口だが重文は22口もあった。
スレ違いっすね・・・
秋山親子は道場を持ってるとはいえ、浪人の身分ですからかなり身分不相応な刀ですね。
しかも、そんな貴重な刀でスパスパ斬っちゃうしw
どこかの○鹿なおっさんが落札して、知り合いに見せびらかしてヒンシュク
を買っているんじゃないの?
でも中にはまじめな天国もあって、行平に似た姿の天国は豊後天国だと思うよ。
大和天国はおそらく存在しない。
平氏小烏丸は奥州諷誦作と永徳本(刀剣古伝書)にあり。
ただし図録で見るに室町時代の作刀と思われ、写し物の可能性が高いとおもふ。
こないだビッ○ーズに出てたのは明治のあからさまなニセモノって気付きませんですた?
子連れ狼 拝一刀 同田貫もありますよ。
当時でも村正は高価です。八丁堀の同心では、まず持てないでしょう
薄給とは言え幕臣ですし、当時の外様大名でも
無名にして所持したほどです。(鍋島藩主は在銘のまま所持してたが)
野鍛治では無いと思われます。
師匠、系統は不明のようですが、出来映えが、美濃伝、相伝、を
ミックスした様な感じから、同田貫のような田舎鍛治では無かったと
思われます。
だけど書いてあることが適当すぎて 刀への理解を深めることはできないと思う35歳になった冬の日
むしろ劇的に描かれすぎて誤解を招くと思う
言い掛かりを付ける道具として用いられたのかと。
そして終盤では典太光世や国綱を使います。で、この作品中で、普通の刀なら簡単に刃こぼれ
しちまうが名刀なら大丈夫という描写があるが、どうなんだい?
確かに刃こぼれのある国宝というのも存在します。鬼丸国綱が代表的かな?
折れず曲がらずは微妙ですな。名刀故、実際に使えない刀なので
魅了する美しさの点では確かに全て一級品ばかりです
典太光世は数振あると言われ、刃切れのある光世もありまふ
でしょうから、天下の名物、三池光世の大典太、備前長光の大般若
粟田口国綱の鬼丸、いずれもその条件をクリアしてる事でしょう。
ですが、切り手の腕しだいですね。
大典太などは、国宝指定の時でも、写真審査のみで合格したと言う
逸話つき門外不出の名刀ですから、筆者も実物は見てないでしょう。
小説の中における、人物の非凡さや特異性を、書き表わそうとしてるんだと思います。
以前読んだなんかの小説で、伊達政宗だかも『名刀を惜しまず使う』って描写がされてたような。
武蔵の兼重とか、総司の清光、歳三の兼定、など
しかし、勇の異名虎徹は除いて、歴史上の人物で、虎徹を
持ってた人って居るのかな?あまり聞かないなぁ・・・?
忠治だったら違いますよ。小松五郎義兼ですよ。
けれどもこれは幽霊刀工で銘鑑には載っていません。
けれどもこれは幽霊刀工で銘鑑には載っていません。
んなこたあありゃせんぜ旦那あっ・・
小松の五郎義兼は、忠治の未亡人の招きで晩年上州に駐槌して
笠懸新田住雲竜子義兼という作品がありまそ。
名鑑には近江の刀工としているが、出自は小松刀工ならん。
忠次・・・酒井忠次だと時代が合わないし・・・
刀は 国宝 十万束信房だし・・・
それなりに価値のある刀なんですかね?
恩人の仇を討った次郎長の刀が五字忠吉(肥前国忠吉)の可能性はなくはないが石松の場合はどうだろうか?
当時に近い将軍(一橋慶喜)の佩刀でさえ大磨上「寿命」だった。
♪名刀関の兼光・・・・
とあるがそんな刀ない!新作の軍刀刀工か?
ある!
http://www.city.seki.gifu.jp/kankou/seki/motosige.htm
Orz・・・・漏れの「刀剣要覧」には「備前」と「摂津」しか載ってなかった。
>>112
Orz・・・・「池田」「水田」「長谷部」がごっちゃでした。「二代国助門」に「池田鬼神丸国重」あり
ちなみに「長谷部義重」とゆー群馬の刀工がいるが(30歳前にタヒんだ)が「長谷部国重」とは関係ない(私淑してたかも?)
そんなまなかなっ。
森の石松の愛刀は浪曲では「新刀鍛冶 池田鬼神丸(一秀)」
浪曲ってそんないい加減な物なのか、池田鬼神丸とくれば國重で
池田一秀は出羽庄内刀工。
世話になった人を登場させたりするそうです(w
あまり売っているのを見かけない。
だから、銘のあるものは一振りしか持っていない。
光平の可能性のある無銘は一振り持ってるが…。
まぁ、名刀なんだろうけど
ガクトが持っていたのは模造刀だろう。
川中島の戦いで謙信が佩用したのは兼光だよ。
現在重要文化財。
普通は白鞘に入れて保管するべきだ。
しかし日本刀に拵えを付属させようと思うのは当たり前の考え。
日本刀は美術品であるだけではなく武器なのだから拵えが
付いていなければならない。
戦前の愛刀家たちはみんな拵えに拘っていた。
一般的になったのは昭和かな。
なぜ白鞘なのか??
これは「経費が安い」「手入れが楽」
拵は高いです、使わない刀にお金かけるのもなので保管用に白鞘が
広まっていって経緯です。
白鞘のがヒケが出来にくい、錆びにくいという話も聞きますが
論理証拠は全くなく。
白鞘、拵共に古くなり鞘木がぼろぼろになればヒケや錆の原因となりえます。
確かに拵は高いな。
刀身は現代刀の藤原元久だけど、拵は400年前の刀装具とか使ったから、
拵だけで60万掛かった。
金かけとんのぉ
人斬り以蔵なんかは人を斬りまくってたから自分で研いでいたのかな
斬った後にすぐ拭けば錆びないと思うよ。
鞘に中に付いた血が錆の発生の原因になるかも知れないよね
当時の拵えの鞘って、入れ子鞘になってて鞘の中の掃除ができたのかもね
しまった!注文つけるの忘れてた。
オレのは、鞘の中に入れ子が入って二重構造になってるのに、中の入れ子が出せない構造になっている
みたいだ。ああ、これでは意味ない。
それ、入れ子とか鞘の接着に、ソクイでなく接着剤使ってないか?
接着剤使ってると刀が錆びるぞ。
最近、常識の無い鞘師が増えて困るな。
ちょっと天然砥石が欲しくなったよ。
縦に研ぐとか聞いたことがあるけどどうなんだろう
包丁のハマグリ刃の研ぎなら
http://www.suisin.co.jp/Japanese/tokusyu/2004-12/index.htm
が動画付きでわかりやすいですよ
惣三郎の高田酔心子兵庫
清之助の新藤五綱光
どちらも作者の創作
現代では美術刀剣の部類には入りません。
だそうですw
戦争中の古いトラックのスプリングで作った刀は、なんとか虎徹と言われるほどの切れ味
だったらしいけど、登録は取れないらしい。
海軍のステンレス刀も登録が取れないと聞いたな
たいていの人は、刀の出来を見ないで銘だけを見てるから
こんな評価が一人歩きすることになる。
「五字忠吉」となっている(浪曲では)んですけど、
金毘羅様のほうに、次郎長が納めたとされて残っているのは、「井上真改」らしいです。
ただ、いずれにしても、ヤクザモンが持てる刀じゃないと言うことなんですが、
そうなんでしょうか?
「腰の五字忠、伊達では差せねぇ」の五字忠。
つまり肥前国忠吉(初代)は位列で言うところの最上大業物で虎徹と同格。
文句無しの大名刀で、
普通に考えたらとても侠客風情が手に出来るような刀ではない。
井上真改も大阪新刀の筆頭に挙げられる刀で
こちらも、普通に考えたら侠客風情が手に出来るような刀ではない。
脇差しで我慢しとけ
祖父は金沢100万石の武術指南役だったから、それぐらいは偉い殿様から貰ったとかあったんでは?
駆け落ちした姫に盗ませたとか
初期 無銘関の孫六(代不明)
中期以降 備前長船義光
町奉行所与力の家の子としては
結構リアリティがある
第一、なかなか売りに出ないし。
実在の清水次郎長は海運とか運送のような事業にも幅広く手を出していたみたいよ。
双葉社から出ている芦川淳一のが引いたな。
あんた時代小説書いてて、正宗価値知らんのかと思った。
今で言うところの「現代刀」の可能性有り
本当に日本刀が好きならば、詩吟の水戸光国作の『日本刀に詠ず』を聞いて下さい。
ビンボー人のみなさん、こんにちは
出来のいい平長盛が欲しいんだけど。
いい感じ!でも、刀の出来がいいので、もったいないような気もする…。
東大阪市の石切で、今も商売やっている
自分の為にのみある刀で家宝にする刀です。
出所不明の事件現場に残る安売刃物を考えてみて下さい。家宝にはなりません。
子供の守り刀として、短刀など昔の刀を買ってはいけないのも納得の行く事です。
古物商が扱う刀と現代刀を比べれば、同価格の現代刀ははるかに良い刀です。
昔の刀が600万とすれば、同じ質の現代刀は、100万前後で買えます。
昔の刀を騙されて買い続け、マニアをやめた人を何人も知っています。
100万前後の刀は、 ほとんどが疑問です。由来も鑑定書も無意味です。
本物は研ぎだけで40万はしますから、どんな刀なのか考えてみて下さい。
昔の通人の多くは、古物商をやり負かして買うのが 粋でした。落語等にこうした
話 はいくらでもあります。 仕入れ3割当たり前、1割も多いのです。
従って騙されるのは当たり前、やられる方がヘボでした。
有望視されている刀匠の、比較的求めやすい刀を買い、刀匠の成長を共に楽しむという方もいらっしゃいます。
なかなか粋な方だと思います。
国宝刀を扱う研ぎ師によれば、現代刀の最高ランクの刀匠は、
刀が最も隆盛を極めた新刀時代の最高峰に匹敵すると言います。
.昔の鋼が良いと言う話をよく聞きます。それは国宝級の刀の写しを研究する時に、
刀匠が気にするレベルのもので、
今の日刀保玉鋼は昔の玉鋼に優るとも劣らない質の良いものが作られています。
つまり刀商から買う古い刀を買う事は現代刀匠の妨害で技術の衰退をいみします。
小説のどこかで二尺三寸幾つかというのを見た記憶があるのですが。。
狂四郎はそこそこ長身だったのでそれだと少し短めかなと思いましたが、
磨上げ打刀ならそんなものかな。
調べました。
磨上り二尺三寸、浅い華表反りで、身幅ひろく、鋩子の円弧はゆるやかである。
凛と青白く冴えた小杢目肌の地鉄の美しさ。
刃の色は水晶のように白く沈み、湾刃の刃文から、むらむらと妖しいかげろうが昇るがごとくである。
半月の模様の中に、いかにもこまかに沸えて、刃堺うるわしく稲妻が走り、匂いは深い。
(眠狂四郎無頼控 無想正宗 より)
相州物の正宗が「小杢目」ねぇ。
亀だけど。
とったと思います。同じ胴太貫と書いた方が同田貫よりも斬れそうですね。
この同田貫、古くは加藤清正に付いて朝鮮の役に行き、切れ味が素晴らしいということで
清正から正の字をもらった同田貫正国が有名です。
同田貫は熊本の玉名市にある一地方の地名と言うか豊後刀の高田物みたいな感じで同田貫と名乗る
刀工はたくさんいます。
因みに「子連れ狼」の「首斬り朝右衛門」の回で朝右衛門は三代目山田朝右衛門吉継、佩刀は鬼包丁
鬼包丁と呼ばれる刀は秦光代に鬼の包丁と言われる脇差があります。
劇画の方では刀の中心に清水甚之信信高 胴太貫とありました。
清水甚之信信高は実在の刀工です。
清水甚之信信高は清水甚之進信高でした。
俺も書いてみようかなww
その時代、そのその社会的地位にいた人なら、佩びていてしかるべき刀を、その刀の来歴やら○陣やらと一緒に魅力的に描いたら…
ワキモノの刀であっても人気出るかな?
あとは音にした場合の語呂のよさかなあ 講談師が語りの
調子良さみたいなの
小松の五郎義兼や池田鬼神丸国重 大菩薩峠の武蔵の太郎安国
ほかなんかある?
何か脇差の同田貫っていう怪しげな模造刀
持ってる。ただ鎬造りで幅があるだけ、という・・。
他の脇差よりか確かに大分重い。
本物オクで買えば良かった。無名の。
「一尺四寸」とされていますが、
これはどこからどこまでの長さを
指しているのでしょうか。
その長さじゃあ、本当の柳刃包丁だなw
1尺=30cm
鍔から先(棟区・刃区~切先」の長さ:刃渡り 約42cm
柄の部分は20cmだから、全長は62cm程度
脇差としては一般的な長さ 1尺以上~1尺6寸ぐらい
殿中で長袴を着用する位の武家が着用していた
小さ刀:刃渡り 30cm 1尺未満
匕首、短刀:刃渡り 1尺未満
物語として面白ければ史実なんてどうでもヨカンベー!
みたいなアバウトな時代だったということだよね。
隆センセイは“千手院村正”…。
刀を知ってから読み返すと、あーあ、萎えるなァと思わせる作品多い。
作家センセイはもっと勉強しろ!
いやだって時代劇って史実どうのとかじゃなくてある時期まではあれが大衆の遊び場だったってだけだし
北斗の拳の拳法やワンピースの海賊と根本的には変わらんぞ
「宮本武蔵」を書いた吉川英治が最後の剣術家兼作家だったんだろうか
吉川の通った中山博道の有心館は明治大正の一大道場だし、
師匠の中山博道も先代の根岸信五郎も剣道界で殿堂入りしたほどの剣豪
あと、やっぱり刀の時代を知ってる古い作家の描写には説得力があると思う
子母沢寛の描写の細かい部分に幕末の名残を感じることが多いな
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/knife/1107848042/
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