>>1
男系が居なくなると「僕の母ちゃんはイギリス王室の血筋」とか
「俺の嫁はイギリス王室の血筋」って女系繋がりを理由に
王位継承権を主張する奴が出て来て、
散々揉めたのがイギリス王室なんだから反面教師だろ。
まあ、それでも「前王朝は徳を失い、新たに天命を受け」とか
「人間は生まれながらに自由で平等云々」とか言い出して易姓革命含めた革命やって
前王朝や旧体制の全否定やった国よりは遥かに被害が少ないから
女系は本当に男系が居なくなった際の最終手段だろう。
>>1
イギリスに限らずヨーロッパは名門が王位を持ち回りみたいなのが慣れてるだろう
〇〇継承戦争だらけ
戦争にならなくても「幸いなるハプスブルク」みたいな破格の婚姻タナボタの連続みたいなのもあるし
>>26
身分をあまり問わなくなった(問えなくなった)のは現代の大きな変化だろうね
昔は貴賤結婚で継承権を失うようなケースも多かった
12世紀、イギリスで初めて女王が出ました。イングランド王ヘンリー1世は男子の継承者がなく、娘のマティルダを王位継承者としたのです。
しかし、マティルダは従兄との王位継承戦争に巻き込まれたため、父王のタヒ後、ほんのわずかな期間、在位したにすぎず、追い出されてしまいます。
マティルダはフランス貴族のアンジュー伯と結婚しており、男子がいました。
このマティルダの子が力をつけ、イギリスに攻め込み、イギリスの王位継承権を獲得、1154年、イギリス国王ヘンリー2世となります。
ヘンリー2世は女系王として、プランタジネット朝を創始します。
こうして、イギリスでは、女王(マティルダ)と女系王(ヘンリー2世)の前例がつくられました。
この前例から派生したイギリスの王族子孫らは、女王や女系王を否定することができなくなります。
それでも、王位継承の男子優先という原則が守られたため、その後、しばらく女王は出ませんでした。
14世紀、フランス王シャルル4世が継承者を残さず没すると、イギリス王エドワード3世は自らの母がフランス王家の出身であることを理由にフランス王位を要求します。フランスはこれを認めず対立、百年戦争がはじまります。
エドワード3世はフランスにおいては女系になります。イギリスでは、女系にも王位継承権が認められていたので、エドワード3世はフランス王位継承権を自らの権利であると主張したのです。
16世紀前半に絶対君主として、ヘンリー8世(テューダー朝)が君臨しました。ヘンリー8世のタヒ後、嫡男のエドワード6世が王位を継ぎますが、病弱であったため、15歳で逝去します。
ヘンリー8世の子は、エドワード6世以外は女子であったため、メアリー1世とエリザベス1世の姉妹が王位を継ぎます。
メアリー1世とエリザベス1世の2人の女王には子がなかったため、女系王はこの時代、誕生しませんでした。2人の女王は国内外の政治的事情が複雑に絡み、結婚できませんでした。
エリザベス1世は「私は国と結婚した」という有名な言葉を残しています。ただし、レスター伯をはじめ愛人とされる男は多くいました。それでも、子に恵まれず、テューダー朝は断絶します。
次のステュアート朝でも、17世紀末から18世紀初頭、メアリー2世とアンの姉妹が王位を継ぎますが、後継者に恵まれず、断絶します。やはり、ここでも女系王は誕生しませんでした。
そして、19世紀に登場する女王がヴィクトリア(ハノーヴァー朝)です。ヴィクトリア女王は大英帝国の最盛期を担い、1837~1901年の64年間にわたり、君臨しました。
ヴィクトリア女王は1840年、ザクセン=コーブルク=ゴータ家のアルバート公と結婚します。ザクセン=コーブルク=ゴータ家はドイツのザクセン家という有名な貴族の家系から派生した分家です。
ヴィクトリア女王が逝去すると、アルバート公との間に生まれた長男のエドワード7世が即位します。エドワード7世は女系王です。
女系王であるため、父の家名に変更され、イギリスはザクセン=コーブルク=ゴータ朝(英語読みでサクス=コバータ=ゴータ朝)となります。つまり、ハノーヴァー朝の断絶です。
現在のイギリスはウィンザー朝です。エリザベス女王の後を、チャールズ皇太子が継ぐと、エリザベス女王の夫で、チャールズ皇太子の父であるエジンバラ公の家名を加えたマウントバッテン=ウィンザー朝と家名を変える予定です。
マウントバッテン朝ではなく、マウントバッテン=ウィンザー朝という折衷名にする予定です。
チャールズの代になっても王朝名はウィンザー朝のままで、
チャールズの姓(家名)がマウントバッテン=ウィンザーになる(エリザベスの姓はウィンザー)
エリザベスが若いころに法律でそのようにきまった(王朝名と家名がことなっていてもOK)
有名なイギリスの女王 その1
マティルダ 12世紀
ヘンリー1世の娘、アンジュー伯と結婚
マティルダの子・ヘンリー2世は、父母から領土を相続し、さらにアリエール・ダキテーヌと結婚
史上最大の領土、アンジュー帝国を実現した
結果的に、アンジュー伯ヘンリー2世がイギリス王室を継承したため、アンジュー伯のプランタジネット家に王位が移った形になる
これがイギリス王国で最初の王朝交替
ノルマン朝はヘンリー1世とマティルダで終わり、プランタジネット朝が始まった
イギリス人も、好きで女系継承したわけではなかった。
男系が絶えたから、仕方なくマティルダが臨時国王代行になっただけだ。
ちなみに、マティルダは、歴代イングランド王に数えられていない。
この時代においては、女王などあり得ない黒歴史だったのだろう。
しかし、これによって前例ができたことになる。
マティルダ以前に、ノルマンディ公の血筋がイングランド王位はウィリアムが女系繋がりを口実にイングランドに攻めこんでサクソンの王を敗タヒさせて得たのだから、女系継承あり、てルールにしとかんと自分等の正当性保てへんだもんな。
ウィリアム1世だけでなく、敗タヒしたサクソン系の王(ハロルド2世)の方も、
血筋は「先王の妃の兄」って事で男系でもない(遠縁でどこかに繋がってるのかもしれないが)からねぇ。
>>15
むしろ逆なんじゃね?
自分たちが女系継承でイギリス王室を乗っ取った歴史があるから、女系をギリギリまで嫌がったんじゃなかろうか
マティルダの即位は最終手段だったが、それでも「臨時国王代行」の扱い、歴代国王の1人に数えられていない
それなら「庶子継承OK」にするのでは?
ウィリアム1世も庶子なんだし。
>>15
ウィリアムはアングロサクソン王家の血はひいてないだろ。アングロサクソン王家のエドワード王の母がノルマンディー公女で、そのエドワードから(なぜか)王位継承を認められてた、とウィリアムが主張してただけ。
血統から言えばイングランドがノルマンディーを征服するべきだったなw エドワードの妹の子孫はイングランド貴族にいるよ。
マチルダの場合は対抗馬のスティーブンの方が女系。だが、スティーブン自身が男だから有利だった。
エドワード6世(早世したがずっと病弱だったわけではない)はタヒの直前まで従姉妹のジェーン・グレイに息子が産まれることを期待したが、産まれる前に自分がタヒぬとわかって仕方なくジェーンを後継者に指名した。とにかく
女王は絶対避けたかったわけ。
女系の男はいいが女王はダメなのが中世の論理じゃないかな。国王が戦場にでるから。
>>15
マチルダの子、ヘンリー2世は
フランス王と離婚したアキテーヌの女領主エレオノールと
結婚することでアキテーヌ領を手に入れた
フランス側にすれば、嫁が去ったら広大な土地を失い、
さらに嫁の再婚で厄介な隣人(イギリス)が、
すぐ目の前にいる羽目になり、
後の百年戦争につながる争いが始まることになった
持参金つけて嫁に出した娘とちがって、
女王や女領主は国や土地の支配権そのものを
結婚(と離婚)で移動させてしまう
かといって、結婚しなければ血筋が絶えてしまう
戦争もひとつの原因かもしれないけど、
結婚の厄介さが欧州で女王や女領主を忌避しがちな
要因のひとつと言えそう
フランス貴族のアンジュー伯爵に、イギリス王室を乗っ取られた。
これがトラウマとなり、イギリスではなかなか女王が出なかった
近代に入って、チューダー朝のヘンリー8世は、妻を次々と取り替えたにもかかわらず、男子継承者に恵まれず。
また、女王の季節がやってきた
日本も、試しに女帝をやってみることだな
失敗だったら、男系に戻せばいい
今でこそ庶民妃が当たり前だけど王子の配偶者は王女というのが前提だった
日本は中華でもやらなかった万世一系を貫いてるから
(そしてそこに価値が生まれてるから)事は厄介だな
ヨーロッパ王室が軒並み継承順や継承法で男女格差をなくしていってるのは
女系というか婚姻で他家が継ぐ事例が豊富にあって、王家はそんなものだという感覚もあるから問題は少ないけど
日本の場合はどうするんだろうね
過去の慣例を守るならよほど運が良くないとどう転んでもアナクロ
内親王の方々を未婚のまま中継ぎ天皇に、というのも今の世だと問題だろうし
臣下から皇籍にもどった天皇もいるけどそこまでして女系回避というのも風当たり強そうだし
女系ももちろん認めない人がいるし国民統合の象徴としてはどちらに転んでも詰んでるような
一番丸く収まるのは将来悠仁親王夫妻に大正天皇のように4人以上皇子が生まれることだけど
その4人の皇子の内2人が子を成さなかったらまた同じことが起こるけど
春秋戦国時代の中国も、近代ヨーロッパも、王家の跡目争いに他国が介入して戦争になるというのが通常のパターン。
春秋の覇者・晋の文公も、秦の穆公に送り込まれて君主になった
管理がいい加減だっただけじゃないかな
三笠宮三兄弟のうち、仕方なかったねで済んだのは三男家だけ
長男は体の弱い嫁さんに10年もこだわって結婚した挙句男子を残せなかったあのザマ
次男は言うまでも無く
正直、次代もこんな感じ男女関係なしになっても早晩断絶する気しかしないんだが
女の子だろうがそもそも産めなきゃ意味が無い
彼女は、性格悪すぎてロンドン市民に反発され、そもそも戴冠式自体をできないで追い出された
女王や女系に対する反発というより、マチルダとスティーブンの長い内戦で
国が疲弊したので、その後しばらくは
軍の指揮をとるのに向かない女王はちょっと…という風潮になったんだよ
>>38
チューダーはいない。ランカ○ター?ボーフォートの子孫なら結構いるな。チューダーはランカ○ターじゃなくてボーフォートの子孫。
ランカ○ター正嫡は、ヘンリー4世姉のエリザベスの子孫だよ。これと、ヨーク家正嫡クラレンス公ジョージの子孫は同じ人々→クラレンス公夫妻の子孫たち。クラレンス公夫人はエリザベス・オブ・ランカ○ターの子孫だから。
この血統でエドワード6世タヒ亡時の筆頭男子はヘンリー・ヘイスティングス、後の3代ハンティンドン伯爵。エリザベス1世治世下でずっと王位継承者候補の1人だった人物。
エドワード6世はタヒぬ数ヶ月前にチューダーの血をひく従姉妹のジェーン・グレイに早く息子を産ませようと自分の摂政ジョン・ダッドリーの息子と結婚させてる。この時、ジェーンの妹キャサリンもエドワードの継母キャサリン・パー王妃の甥と結婚、末妹メアリー・グレイも婚約してる。
ところが、この時もう1組結婚したのがヘンリー・ヘイスティングスとジョン・ダッドリーの娘。
つまり、まさかの時にはヘイスティングスが王位につく目があったんじゃないかと思う。
エリザベス・オブ・ランカ○ターの子孫筆頭はウェストモーランド伯ヘンリー・ネヴィルだった。クラレンス公夫人はコンスタンス・オブ・ヨークの子孫だった。
ランカスターの男系男子は絶滅したのか?
残ってたらチューダー朝なんてあり得ないね。庶系で本来王位を狙える家系じゃない。
納戸係かどうかわからんのよ。食卓係だったという説もあるくらいでw 王宮で働いてたことくらいしか確かではない。
映画やテレビドラマと違って、チューダー朝時代には誰もチューダーという家名は口にしなかったらしい。ヘンリー7世はヘンリー6世の甥ということで、突っ込まなかったようだ。タブーだったんだろうな。
召使い上がりの間男の子孫じゃ格好つかない
ヘンリー8世以降のテューダー朝の王には、ヨーク家由来の母方からの正当な
継承権がある
>>49
リチャード3世時代の議会出席者にとっては、エリザベス・オブ・ヨークは庶子であり王位継承権はないよ。議会は提出された証拠に基づいてエドワード4世と王妃は重婚と判断してリチャードを王にした。
この決定は正式には覆されてない。ヘンリー7世はこの議決の記録を単に抹消して「なかったこと」にした。
そもそもヘンリー自身が、リチャードを○した直後にエリザベスとの結婚をやめてランカ○ター正嫡のポルトガル王女と結婚しようとしてる。ヘンリーはリチャード側の貴族の大半を赦して顧問として続投させたから、この連中からエリザベスがガチに庶子だと言われたのかも知れない。
女性に相続権があるなら、女系にだって王位継承権はあるだろ。この時代の王位は家産と変らないんだから。
テューダー家のヘンリー7世は数少ない例外だな。
>>53
女系でも乗っ取りでも議会が認めればいいんだよ、イングランドは。
ヘンリー7世はリチャード3世を倒した後、議会に「征服権」による戴冠を認めさせて自分の法的権利で王になった。15世紀には「征服権」は法的概念として存在していた、
つまり、妻の継承権で国王になったわけではないから、正確に言えば女系継承ではない。完全な新王朝。結婚を予定していたエリザベスに庶子疑惑があるから当然。エリザベスに対して法的には完全にマウント取った点で彼女の叔父リチャードと同じw
ハプスブルクは貴賤結婚、サリカ法典、長幼の序を厳格に守ったおかげで一族内でバトルロイヤルが起こってないな
パーヴェル1世以前のロシアは皇位が安定しないし臣下との結婚が常だったので皇后は○されるし外戚が権勢を振るった
日本だからできたことだけど正室は家柄、生母は遥か格下の徳川将軍家は賢かったのかも
>>61
>>日本だからできたことだけど正室は家柄、生母は遥か格下の徳川将軍家は賢かったのかも
皇室も江戸時代から側室の子が天皇になるのが普通で
明治天皇も大正天皇も側室の子。
皇室は側室を廃止したのが大失敗だな。
シャルル10世の家系の断絶でブルボン宗家は断絶したと見なされてるんだよな。
側室は時代錯誤だが愛人との間の庶子ならかまわない。
悠仁親王に多数の愛人を
用意すべきだろうな
せっかく大正天皇に皇子が4人もいたのに長男と末子にしか子供がいなかったのは痛い
閑院系に移行しても状況は変わらず、閑院本家が先に断絶する始末。
現在の綱渡り的な惨状は既に江戸後期から幕末にもたらされていた。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1587737739/
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