映画・もののけ姫にはタタラバなど民俗学を応用しているけど宮崎駿はそこまで意識しているの?
あれに出てくる登場人物って山の民や非人、ライ病患者で
舞台は山の聖域
アジールって聞いた事あるんだけど…
宮崎駿はそこまで意識して作ったんだろうか?
それは網野氏が指摘してるし,宮崎駿も認めている
大粒の砂金が取れる村なんざ周辺の村と意思疎通出来なかったら村ごと
攻め滅ぼされて全部略奪されて皆○しにされる可能性もあるだろうし、
作中には出てこないが、金目当ての地元の山賊や野武士の類とも結構な
小競り合いがあの村であっただろう?でなきゃ村のか弱い女でも蕨手刀
持ってる事説明出来ないし、アシタカの「もう3人も○めてしまった…」
なんて○し慣れしたと思われても仕方無い台詞は吐けないでしょう?
何いってんだ?蕨手刀じゃ無くてもっと原始的な剣だったぞ?
古墳時代の直刀を参考にしたと思われる、つまりアシタカ村の
連中は蕨手刀を作ったグループとは別の一族だって事だろ?
蕨手刀だよ
描くのが大変だから真っ直ぐにしたらしい
子供も見るR指定なしの映画だから、
アシタカの○人説は、
誤解(未遂、射って動かなくした)か示威文句の可能性が指摘されている。
同族間の抗争が起きている、
人間の少ない山の中で育ったとはいえ、
人にとっては危険な領域で育ったはずのサンが、
山神様が亡くなったときに動揺していることがそれを示唆しているとの説も。
その件が1に伝わったのかな。
完全にもののけだよね。
本人いわく、コンビニで立ち読みしてたら
後ろから「あ、もののけだ!!」って言われたらしいよ
ミワさんはサンカ出身だという噂があるし
もしそうなら
この人が歌うべきだったよね
三輪さんはカフェの息子だよ、アール・デコ調のそれはお洒落なお店
だったそうな
アール・ヌーボーからアール・デコの爛熟期にあたるこの頃を指して
「全てにおいて世界が最も美的な時代だった」と評している
だがしかし三輪さんもののけ説はガチ、絶対首を刎ねても歌う
はやおのオ○ニーみせつけてるんでしょ
アシタカたちの服装はアイヌがモデルだね
アシタカの本名はアシタカ彦らしいから、もともと倭人なんだろ
飛鳥時代以降に日本化に乗り遅れた、つまり支配の届かなかった連中がやがてアイヌになる
大雑把な説明だとそうだな
>>20 アイヌ少女(ガラス首飾りが好き)を参考にしていたのかも
アイヌ玉と琉球玉-「交易による蓄積」と「下賜による沈潜」 – 津田塾大学
http://www2.tsuda.ac.jp/kokken/48kano.pdf
> 江戸後期末に探訪した記録によると
> (出版1893年、探訪者[1775~1864]は著者の祖母)、
> アイヌの人にとって、 数個のガラス・ビーズ、銀のコイン、光るなにかは幸せにする。
> 熊、狐、狼、アザラシの高価な毛皮が、「ほとんど価値のない数個のガラスと交換され、
> 貴重な毛皮の財産を一対のブリキ耳飾りに用いる」(Lamdor, p.248)。
*> また、アイヌの少女にとって首飾りは、生涯における夢である。
アイヌは、ヒグマ・狐・エゾオオカミ等を獲った毛皮などを大陸交易で交換して得た
大陸製のガラス玉・蝦夷錦などを珍重した
(ただ日本のガラス製造は16世紀に再興済で、江戸後半は庶民もガラス工芸楽しんでた)
玉はガラスなのか。
知らんかった。
てっきり黒曜石かと思ってたわ。
いやいや
東北の歴史から抹○された王
アテルイがモデルだろう
しかし女ばかりのタタラ場ってのもどうなんだろね
千と千尋で売春宿えがいたみたく、エボシ御前も江口や神崎の遊女集団の女主人あたりにしときゃよかったのにさ~
ご都合主義だ
森の神々と人間の文明を対立と共存というテーマで描くには
タタラの人々は神を畏れぬ無神論者でなければならなかった
東北の安倍・安東氏を彷彿とさせる
多々ある。呪詛関係もかなり詳しいはず。
かなり民俗学やその周辺をわかっていて、
さらにそこから想像して創る力がある。
あれが全て正しいと思ってる奴は手に負えない
正しいとか正しいの問題じゃないだろw
山の民じたい
中世からあやふやな存在な訳だし
名前 でえたらぼっち
性別 男
好きな食べ物 なんといっても海苔。でも、おいしくて一度にたくさん食べすぎてしまうのが悩み…
お仕事 海苔作りの伝授。
みんなにおいしい海苔を食べてほしい!
チャームポイント 大きな鼻とたれたまゆげ。
意外にほっぺが赤い。
お気に入り 真っ赤なふんどし
趣味 名古屋の街を散歩すること。ぼくを見かけたらみんな手を振ってね。
特技 利き海苔。ぼくは一口食べただけでどこで採れた海苔かわかってしまうんだ。
でいだらぼっち=山人なの?
山人の伝承もいろいろあって曖昧なんだよな。それこそだいだらぼっちみたいな伝承から
鬼みたいなの、仙人みたいなのとかいろいろある。
あんなに木を切られたら、環境変化とかで下流域の住民はたまったもんじゃないないっしょ。
タタラ場を作るとき、何日も火を炊いて乾燥させるのが大事だから、
もののけのように島にタタラ場を作るのはないといってた。
山のなかにつくるとのこと
製鉄の神・金屋子神は血穢を嫌うので、タタラ場に女がいるのは有り得ない。
タタラ師たちは山中に集団で住んでいて、家族もいるが、女はタタラ場へは立ち入り禁止。
公開当時、映画館で見たが、女が大挙して製鉄作業に関わっているのを見て呆れた。
民俗学関係の友人に後日きいたら同意見だった。
そもそもアシタカの乗っている山羊だか鹿だかわからん獣は何なんだ?
ナウシカのような架空世界のファンタジーならともかく、過去の日本が舞台ならちゃんと考証しろと言いたい。
タイトルの時点で「もののけ姫」なのにそんなまともな時代考証してくるわけないだろ
宮崎流妄想ファンタジー以外の何ものでもないのは一目瞭然
>>55
虐げられた民衆(特に女達)を人間として扱い、仕事と生きる術を与えている
その結果の一つとして、女人禁制の場を女が仕切っている
率いる民が生きる為なら、神に背くとされる行為をする事も厭わない
神に対する罪の責任を一身に負う覚悟もある
そんな当時の現実ではあり得ない事をして、民衆を束ねているのがエボシ御前だろう
作品の根本に関わる設定なんだから、仕方ないとしか言えない
エボシ御前の方針という理由付けをした上で女だらけにしたのだろう
子供の頃何となく疑問に思ったものの、周りの誰も知らないから聞けなかったことの一つであるし。
其の上では非常に民族学的意味を持つといえるかな。
自分の国の昔の人がどう生活してたかなんて、大変意義があるのに
知らなかったらそのままになってしまいがちだし。
何が問題かって言うと
まるでタタラバが周辺の農村と没交渉で運営されてるような描写をしてること。
たたら製鉄は鉄穴流しや燃料の薪炭の準備などに多くの人手を要したけど
この需要の多くの部分は周辺の農村部の出稼ぎが担ってる。
女達がやってた鞴踏みも火力を調整する指揮役以外は出稼ぎの人間がメイン。
宮崎は「虐げられた職能民」を描こうとするあまり
製鉄従事者を大げさなまでに周辺から疎外された存在に仕立て上げてしまった感が強い。
その網野先生も宮本常一に大きな影響を受けたし
アニメの過剰な演出を差っ引いても十分民俗学的だと思う
急斜面もスタコラ走ってるしw
なんだあの中途半端な馴れ合いは。シシガミを○した時点でこれは駄作。
シシガミには首を返し、今一度シシガミの森を復活させるべきだった。
そして多々良民は森とシシガミを敬って森の民として生きる。
まあとにかく冒頭のあの深い森がなくなり、ラストの人工的な里山になったのにはがっかり。
もののけの生きる場所を奪っておいて、生きろ。もないもんだ。
何とか御前はぶよぶよに命を吸われてしまえば良かった。
タタラ場の人間は神をも畏れず、人間の生活を守るためには自然を破壊することも厭わない。そうやって生きてきて私たちの今があるんだよね。
人間の業をよく表しているラストだなと思ったよ。
そんな君にオススメ。
「サンカの民と被差別の世界」
五木寛之 著
面白いよ。
美化しても強盗山賊の類だw
宮崎駿曰くデイダラボッチは神の中でも格下だと。
千と千尋に出てきた八百万の神様よりは絶対強そうだが・・・・・・
伊勢神宮 正月初神楽 進蘇古
うぉーー!! 千と千尋に出てくる神様の本物やん!!
知らんかった!
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