おまいらが今川氏真だったら桶狭間後にどう指揮する?
領地領民を全てミカドに返還します。
それが皇民たる者の義務。
義元の報復のための尾張出兵
したがって遠江も失うが
元康を○す
織田信長とやるとなると簡単にはいかんぞ。
勿論、今川家にも小原鎮実。岡部、朝比奈といった猛将は残っているがな。
徳川家康の他に三国同盟のよしみから北条家と武田家も加わることになるな。
で、勝ち目はあるかというとないこともないが織田家も強力。3日で済むような
戦ではないな。長期戦の可能性が高い。
後、問題なのは剣の達人ではあっても野猿の様な戦場に今川氏真がどこまで
我慢できるかだな。今川氏真はむさくるしい戦場より雅やかな京文化の
方が好みだからな。今川氏真は経済や流通や農業にも関心はあったみたいです。
まぁ結論だけ言えばやらなくて正解。織田信長の様に家来が幾らタヒんだって
平気なタイプでないと戦場ではやっていけません。
君子 危うきに近寄らずです。
なんでも鑑定団 愛のエメラルド
徳川家康が残した人質○すぐらいのことはできるんだがな
○さないほうがよかったのかもしれないが
>>6
今川が残された築山殿と2人の子を○しても
当時19歳の松平元康は新たに別の妻を娶って子供作るだけでダメージないだろう
結局築山殿と2人の子は人質交換で家康のところへ行くが
家康は今川の血を引く正室を持て余し築山殿を築山に軟禁して実質別居
家康はこれ以降、自城に複数の側室を囲いだす
実際、後に築山殿と信康は○され(家康の意向説もある)
家康は側室との間に儲けた秀忠を跡取りにしてるし
報復遠征なんてやってる場合じゃない
徳川家康も三河は奪えてもなかなか遠州は奪えない。
今川氏真もなかなかの人物。
武田信玄が欲を出さなければ遠州と駿河は今川家の
ままだったんじゃぁないのかなぁ
今川家も武田家も北条家も若い衆は仲がいいからね。
ジジイ信玄が欲を出さなければ今川家続いたんじゃぁないのかなぁ
1560年 氏真が32歳の時に、桶狭間があって
1562年 家康に呼応しようとした井伊谷城主 井伊直親や飯尾連龍を誅○。
1568年 武田に責められ、以降は凋落の一途・・・
結構時間があった筈の期間、
なんで織田に報復戦争しかけなかったんでしょうか?
上記の家康の氏真への「報復戦争仕掛けましょう!」みたいな進言も
隙あらば岡崎城取り戻す為の裏切りと
織田侵攻の足掛かりとして踏みとどまってる
戦国武将ならではのダブスタだと思うし・・・
氏真に覇気見せられたら素直に従っておこうってなると思うし・・・
パッと見た感じ、会社経営していた父ちゃんが亡くなって
ニートの息子が経営引き継いでロクに動けなかったのを見て
部下の心が離れていったのをイキって処罰したり
いい所がない様に思えます。
動けなかった理由があるんでしょうか?
詳しい人教えてください。
今川義元の嫡男氏真は出来はいいのよ。
義元自慢の息子だからな。
氏真は先が読めるからな。一手先を読む。
で勝つか負けるかわからない戦場よりも
蹴鞠と和歌を詠む日常を選んだのよ。
親父がタヒんだだけならやれたんだけどな。
取締から部長課長クラスまで全滅したからな。
やりたくてもやれない現実があったわけです。 愛エメ
そして、家康へは岡崎城主の地位と所領を安堵することを保証し、今川家への再臣従を呼びかける。
今川家の次期当主である「今川信康」の実父という立場なら、さすがに家康もなびく可能性があるし、三河武士も信康なら君主として担ぎやすい。
>>「報復戦争仕掛けましょう!」
これ嘘だと思うし
たとえ進められたのに戦争仕掛けてないとしても
敗戦直後で打撃をこうむってるし意気消沈してるだろうから
戦争しないとしても攻められない
当主打ち取られた宇都宮や竜造寺もすぐに報復戦なんてしてないし
そうすれば松平元康も元通り味方になるし、三河の国人も帰順するだろう
織田を滅ぼして室町幕府も健在ならば、足利分家で守護大名の今川も安泰だ
国元で軍資金を蓄え、失った武将たちの後任が育つまでじっと力をつけながら待つことになるだろうな
史実と変わらんが
という一節でかなりの名門と思われているが実はそれほどでもなかった
例えば乗輿の資格(朱塗りの輿にのれる)を幕府から今川義元が
ようやく認められたのは桶狭間の直前ですでに42歳
これは三管領家や御一家、御相伴衆の当主なら元服すると自動的に認められるもの
まぁ家康に見限られなくても武田と織田に攻められたら打つ手なしっぽいが…
引用元: http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1514869662/
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